日本で初めて労働組合をつくった男





★島粛三郎

靴工(1858~1922)

越後長岡藩の士族出身・住所・東京市本所区








中央が島粛三郎

『皮革産業沿革史上巻』より




靴専門店「村上商店」の主人村上勇雄の手引きで
新潟県長岡から上京し、製靴見習い工となる。

明治30年8月1日、「労働組合期成会」第一回月例会において
「常置委員」に選出される。
労働組合期成会主催による第一回演説会
(神田青年會館・明治30年7月18日)
の際には、開催費用として
50銭を寄付している。

『期成会寄付金等控』大原社会問題研究所所蔵




明治32年には、関根忠吉(淀藩の家老出身・加州日本人靴工同盟会の発起人の一人)、
広瀬藤太郎(越後長岡藩の士族出身)らと計って
数百名の会員を募り、西村勝三を会長に渋沢栄一らを名誉顧問に迎えて
『日本靴工同盟会』を創設。
その後、明治40年には同会幹事に就任。

『皮革世界』(第3年第1号)





日露戦争終結後、靴職人の製靴技術の改良進歩を
計る目的で「東京製靴奨励会」を創設。

明治42年の「東京靴同業組合」結成に際しても、
関根幸助(旧姓、高梨幸助・第一次靴工集団渡米組の一人)、
広瀬藤太郎らとともに中心的役割を
果たしている。

翌、明治43年には、神戸に赴き、平野永太郎が支部長を勤める
「日本靴工同盟会神戸支部」の発展にも協力。

晩年は京橋区月島西川岸通りに店を構えて靴業に
励む一方、「日本靴工同盟会」相談役の
要職にも就いている。

『靴の発達と東京靴同業組合史』(東京靴同業組合)
『東洋皮革新誌』(明治43年6月号)
『月刊皮革』(昭和23年8月号「靴界昔ばなし」)





「◎島粛三郎氏逝く・・・・・当市京橋区月島西川岸通五丁目五番地島粛三郎氏は
四月以来宿痾の腎臓病に心臓病を併発し臥床中なりし事は既報せしごとくなるが、
その後経過面白からず、諸医学博士の手当ても功を奏せず日を逐ふて悪化するの一方なりしが、
六月二十五日遂に黄泉の客となりしは惜しむべし。
氏は現に日本靴工同盟会相談役の要職に在り、
嘗て東京製靴奨励会を起こせる等同業界の先輩として知られたり。
行年六十四。葬儀は同二十九日午後三時本郷区
駒込吉祥寺において執行すと。」

『日本皮革時報』(大正11年6月28日号)
















★松岡乙吉(労働組合期成会常置委員)

「金桁温泉」のホームページにアクセスしたところ、
松岡乙吉の名前が見つかりました。
同ページ内の松岡乙吉は明治35年に熊本県の
金桁温泉で組合を結成しています。
この人物が労働組合期成会常置委員の松岡乙吉
本人であれば、おそらく、城常太郎とは
同郷の間柄ゆえ、二人の間に
何らかのつながりがあったものと
思われます。