日本で初めて労働組合をつくった男



 

★牧野新一(明治40年当時33歳)関連史料


「◎牧野新一・・・・・、、城常太郎が組織した労働組合研究会に参加。、、翌99年(注:明治32年)、間見江金太郎、武田九平らと鉄工組合大阪支部結成のため奔走(未結成)した。、、、」

『近代日本社会運動史人物大事典』
(近代日本社会運動史人物大事典編集委員会・日外アソシエーツ)











「◎関西労働組合期成会・・・・・大阪市の理想団員武田九平、牧野新一、町田勝蔵外数名の人々は我国労働者の地位の増進、権利の伸張を図らんがために今回関西労働組合期成会なるものを設立し、事務所を同市南区安堂寺町二丁目に置けり。吾人は其の健全なる発達を祈る。」

『万朝報』(明治三十四年八月十七日付け)








「◎理想団加入者・・・・・大阪北区臼屋町表門筋 
角松満方 牧野新一。」

『万朝報』(明治三十四年七月十六日)










「◎牧野新一君・・・・・小生、今般府下、日暮里停車馬前、桜田工場に労働致し居り候。」

『週刊社会新聞』(第七号・明治四十年七月十四日)









「◎牧野新一君・・・・・は某工場にあって労働中腰部を負傷したり。」

『週刊社会新聞』(第二十号・明治四十年十月十三日)









「◎病傷共済会・・・・・今回、牧野新一、加藤安次、森本菅一、秋山勇作、島田謙蔵君の発起にて、病傷共済会なるもの成立せるが、その目的は労働者の相互扶助に出で各自日給の三歩を積み立て基本金とし、会員中の疾病休業五日に渡れる者には一日金三十銭、死亡者には弔慰料十円、会員中の家族の死亡せる時はその場合状況のいかんによりて多少の弔慰金を支給する規定なりと。なほ会員四十名に達せる時を待って実行的労働運動を開始するといふ。」

『週刊社会新聞』(第二十号・明治四十年十月十三日)









「◎謹賀新年・元日・・・・・労働奨励会にて、、、牧野新一、、、片山潜、、、。」

『週刊社会新聞』(第三十一号・明治四十一年一月一日)








◎牧野新一君・・・・・は肩上に腫れ物を出来し。日本医学校にて
労働者に同情ある磯部捨三氏の手術を受けたりと。」

『週刊社会新聞』(第三十五号・明治四十一年二月二日)








「◎労働奨励会役員改選・・・・・、、、世話人の選挙を行いたる結果は、、、牧野新一、、、外の十氏当選、、、。」

『東京社会新聞』(第一号・明治四十一年三月十五日)









「◎牧野新一君・・・・・の負傷は医師の苦心のため其の後の経過頗る良好なりと。」

『東京社会新聞』(第三号・明治四十一年四月十五日)











◎牧野新一・ 所属団体

労働組合研究会 鉄工組合 理想団 関西労働組合期成会 労働青年会 労働奨励会 病傷共済会 社会主義同志会 日本社会党






◎牧野新一・参考資料

『歴史と神戸』(第十三巻二号・「神戸平民倶楽部と大逆事件」小野寺逸也)
『荊逆星霜史』(吉川守圀)