一介の労働者から日本の「労働運動の祖」への軌跡!



日本初の近代的労働組合「日本靴工協会」の会員数内訳

明治25年当時

全国の靴工総数ー3000名
東京の靴工総数ー500名


「日本靴工協会」総会員数ー600名

そのうち「東京靴工協会」会員数ー300名
「神戸靴工協会」など地方支部会員数ー300名





■上記根拠史料

※〔〕は筆者の注である。



「、、、当業者〔靴工〕、全国にて三千人、東京のみにても五百人あり。、、、」

『横浜毎日新聞』(明治25年12月22日付け)





「、、、東京銀座三丁目、日本靴工協会委員長、岩瀬貞三郎、、、の六名を総代とし、
一昨日、靴工三百有余名と共に衆議院に押し寄せ、、、」

『朝野新聞』(明治25年12月23日付け)





「◎靴職工運動の次第・・・・・、、、次第に〔日本靴工協会の〕加入者
増加してついに六百名近くに及びし、、、」

『万朝報』(明治25年12月23日付け)





「◎労働社会の惨状・・・・・既に然り、府下数百の靴工は、今や団体を組織して、大いに全国の同業者を糾合し、正に救済の方法を講ぜんと欲するも、また実に偶然にあらざるなり。」

『新東洋』(明治25年12月18日 第十二号)






「◎日本労働協会・・・・・、、、すでに、府下靴工有志者の組織に係る
東京靴工協会員三百余名には、不日同会に加盟して
大いに運動する所あらんとすと云へり。、、、」

『新東洋』(明治26年1月9日 第十四号)







「労働組合期成会の一周年記念懇親会、、、神戸靴工協会は、はるかに祝辞を寄せて同会の発達を祝せりといふ。」

『労働世界』(第十七号・明治31年8月1日)