日本で初めて労働組合をつくった男



★『評伝・城常太郎』には書かなかった『職工諸君に寄す』の秘密!



『職工諸君に寄す』の作者が城常太郎であるならば、『高野房太郎日記』の中にもそれをにおわせる記述が必ずあるはずである。



『高野日記』の三月をめくると

 高野房太郎は、労働運動に本格的に参画しはじめた明治三十年の日々を、日記に克明に記録している。日記のページをめくってみると、明治三十年三月ごろ、彼がたびたび義友会事務所だった常太郎の家を訪ねていたことが確認できる。
 では、このころの『高野日記』を日付順にたどってみよう。



「◎明治30年3月12日・・・・・午前九時佐久間貞一君を訪ふ。談一時余、去りて城氏を訪ふ。午後五時帰宅す。」

『高野房太郎日記』(明治30年3月12日)

印刷会社社長・佐久間貞一と面談したことを真っ先に城常太郎に知らせにいっている。



「◎明治30年3月25日・・・・・この日午後三時の汽車にて三好氏と共に品川に至り、春木君の染工場を見、午後七時同所を辞して帰宅の帰途、城氏を訪ひ、帰宅せるは午後十時半。」

『高野房太郎日記』(明治30年3月25日)


 
この日、高野が品川の染工場を見学したのは、以下の記事からも、
城常太郎からの依頼があったからであろう。
「◎品川・・・・・同所東海寺裏手の小字小関へ今春新築したる桜組の靴製造所の工場中(四十間と五間の茅葺一棟)全壊し、同所の外山染工場は工場悉皆潰れ、、、。」

『東京朝日新聞』(明治30年9月10日付け)



 週に一度は城の事務所を訪ねていた高野だが、暗くなった午後七時から訪問するなど、それまで一度もなかったことである。しかも帰宅が夜の十時半とは!よほど緊急且つ重要打ち合わせがあったのであろう。

 おそらく、この日、城から高野へ『職工諸君に寄す』の原文が手渡され、その内容について二人で協議をした結果、高野が若干の訂正と補足を加えることに決定したのであろう。


※『職工諸君に寄す』の印刷依頼日・・・
明治30年3月29日


「◎明治30年3月29日・・・午前九時、佐久間氏を訪ひ趣意書の印刷を依頼し、他に用談をなし、十時半帰宅す。午後一時より城氏を訪ふ。あらず直に帰宅す。」

『高野房太郎日記』明治30年3月29日


 この趣意書とは、もちろん『職工諸君に寄す』のことだ。高野は『職工諸君に寄す』を印刷に出したことをいち早く城常太郎に伝えようと、午後一番で彼の家を訪問したのである。

 29日の午後、高野は城の家を訪問しただけで、ほかに誰とも会っていない。そのことから、『職工諸君に寄す』の執筆に直接係わった人物は、城、高野の他にはいなかったのでは、と推測される。