日本で初めて労働組合をつくった男



城常太郎と鉄工


「労働組合期成会」職種別会員数(東京)ベスト3

一位  鉄工
 二位  活版工
三位  靴工


※当時の東京府内の職種別就業者数を考慮に入れれば、就業者数の少ない靴工が三位に入っているのは特質に値する。


 鉄工が一位になったのは、城常太郎が、一番の運動仲間だった靴工・木下源蔵を職工数東京随一の「東京砲兵工廠」に隣接する場所に住まわせて、来る日も来る日も、二人で砲兵工廠の鉄工たちをオルグし続けてきたからだと思う。
 また、活版工が二位になったのは、秀英社(大日本印刷の前身)の社長・佐久間貞一(日本のロバートオーエン)の応援があったからであろう。
靴工が三位になったのは、もちろん城常太郎の尽力に負うところが大きい。






「◎職工同盟・・・・・東京某工廠の器械職工中重立ちたる七名の者発起し工業同盟会なるものを設立し将来器械職工一同の福利安全を計るを趣旨とし目下各工場の職工その加盟を勧誘しつつある由なるが、その組織方法は加盟職工一人に付き毎月金一円づつを醵出してこれを積み立て金としてその金高相当の額に達すべき時を期してこれを資本金に供し一の製造所を設立して以て手を空くせる職工等に相当の仕事を与えんとするにありと。その将来同盟罷工の基礎を作らんとするものなるや否やは知らざれども、とにかくその趣旨を賛成して之に加わりしもの既に三百余名の多きに達しまさにその基礎成らんとすという。世の資本家たるものは注意しべき事なり。」
『日出新聞』(明治30年6月5日)



 上記記事中の「一の製造所を設立して以て手を空くせる職工等に相当の仕事を与えんとする」の内容から思い出されるのが、日本初の労働組合「靴職工同盟会」の組合工場「職工同盟造靴場」の存在である。

「工業同盟会」と「一の製造所」の設立の構想に城常太郎が少なからず関わっていた可能性は大いにあり得る。



東京随一の職工数を誇る「東京砲兵工廠」の鉄工に
いち早く働きかけ、オルグに励んだ城常太郎と木下源蔵。

  この二人の靴工を影ながら見守り続けていた一人の男がいた。
「加州日本人靴工同盟会」の初代会長だった関根忠吉である。

関根は「鉄工組合」創立一周年に際して金壹円を寄付している。


「◎運動費寄付人名・・・一、金壹円 北品川桜組製靴場 関根忠吉
ー鉄工組合本部ー」

『労働世界』(第二十六号 明治31年12月15日)









「◎労働組合期成会・・・・・同会は産業発達のために資本と労働との調和を望み、更に労働者の自主の気象を養はしめんとの目的を以て去る三十年に創設されたるものなるが、
同会には鉄道工夫、靴工、土方、その他職工らの入会者多く目下会員五百人あり。毎月一名二十銭宛の積金をなし、労働問題の演説会その他の運動費に充つると云う。」

『時事新報』(明治32年11月13日付け)


「労働組合期成会に加入する人は非常な勢ひでありました。
殊に始めの中は活版工などが多く、また人形屋もあれば靴職工もございまするし種々ありましたが、其内で一番沢山入会して来たものは鉄工であります。」

「日本に於ける労働」(片山潜著)