日本で初めて労働組合をつくった男



「福音会」人脈ネットワーク




木下源蔵、「職工義友会」再建発起人説


 もう、十数年前のことになるが、私は国立国会図書館で「沢田半之助略伝」(注:1)を見つけ、その中に「職工義友会」の再建発起人として木下源蔵の名前が記されているのを見て、思わず心の中で「すごい!」と叫んだことがある。というのは、私はその時まで労働運動史の文献を一千冊以上読破していたが、「職工義友会」の再建発起人として木下の名を挙げた本には一度も出合ったことがなかったからである。当時としては、おそらく、私だけが「木下源蔵、再建発起人」説を打ち立てていたと思う。それだけに、この発見に「我が意を得たり」の思いで感激したものだ。「沢田半之助略伝」の執筆者は沢田半之助のご子息、沢田智夫氏である。最近、見つけた福島民友新聞の記事の中に、「、、、沢田の四男智夫のもとに残る米山梅吉の回顧文に、沢田の素顔がうかがえる。米山は日本のロータリークラブ創設者で、社会奉仕活動の先駆者として広く知られている。米山の回顧によると、沢田はサンフランシスコで日本人初の洋服店を開業した。現地では「持ち前の世話好きと友人愛と博愛心」で、留学生や駐在員らの面倒をみたという。在米中はその中の1人のエール大学生片山潜とともに、日本初の労働組合「職工儀友会(後の職工期成会)」を設立した。、、、」(注:2)というのがあった。




(注:1)
「、、、明治二十八年十月ごろ、帰朝した沢田半之助は、、、東京・京橋に沢田洋服店を開業。一方においては、帰朝同志と図り、懸案の日本労働運動の黎明を告げる「職工義友会」の創設に、高野、城、木下、片山(潜)等と日夜奔走した。、、、」

『米友協会会史』(沢田半之助編/「沢田半之助略伝」沢田智夫)




(注:2)
『福島民友新聞』(2007年2月22日付け「南カリフォルニア移民の軌跡/波濤の向こうに/初期渡米の人々/沢田半之助(上)」)








※『日本で初めて労働組合をつくった男』の巻末資料で、木下源蔵(靴工)が「職工義友会」の再建に関わっていた決定的証拠史料を数点取りあげていますので、ご参照ください。








「福音会」人脈ネットワーク


「福音会」は明治10年ごろ米国サンフランシスコに創設された日本人キリスト教団体である。
その時代、アメリカに移民する日本人の多くは大なり小なり
「福音会」の世話になっていた。
城も福音会の元幹事であった高木豊次郎に連れられて
渡米し、渡米後も同会に一方ならぬ世話になっている。

「職工義友会」のメンバーの一人、武藤武全は在米中、
「福音会」の姉妹団体「愛友会」の幹事となり
同会の発展に貢献している。
武藤は後に帰国して、三井物産系貿易商社
「東洋商業合資会社」を設立。
さらに大正期には、在米時代の盟友、靴工・平野永太郎と組んで大阪に「東洋製靴場」を開設している。

木下源蔵も、おそらく「福音会」を通じて城と出会い、
在米中に靴職人に転職したのであろう。
あるいは、武藤も木下も共にクリスチャン
だったのかもしれない。
片山潜の著書には、在米中、神父から靴職人になった
日本人もいた、と記されている。

もう一人、クリスチャンで在米中に靴職人に転職した人物がいる。
それは、後に大阪鹿嶋銀行専務取締となった星野行則である。
彼は九州島原地方の士族の出で敬虔なクリスチャンだった。
渡米した後、「福音会」の幹事の要職についている。
帰国後は銀行の職務に専念する傍ら、ロータリー運動に奔走し、
後に大阪ロータリー運動の産みの親といわれる
までになっている。
彼は労働運動に関する造詣も深く、アメリカの労働組合を
紹介した著書も執筆している。

星野に酷似した経歴の持ち主として紹介したいのが、
米山梅吉である。
彼も、渡米後に「福音会」の幹事の要職についている。
帰国後は三井銀行取締となり職務に専念する傍ら、
ロータリー運動に奔走し、
後に日本ロータリー運動の産みの親といわれる
までになっている。
米山は沢田半之助の「生涯の盟友」で、沢田が帰国後、
銀座に洋服店を開業できたのも、米山らの
支援があったからだという。
又、沢田が逝去した際に葬儀委員長を務めたのも
米山だったという。

以上から、キリスト教団体「福音会」を媒介として、
「職工義友会」のメンバー、
城、沢田半之助、木下源蔵、武藤武全、
更には、銀行家でロータリアンの米山梅吉や星野行則らが
互いに親交を深めていたのでは、と推測される。

米山梅吉は、帰国後も沢田を通じて木下源蔵と再会し、
木下が「職工義友会」の再建に係わっていた
ことも知っていたのかもしれない。

米山梅吉の回顧文の中に木下源蔵のことが書かれていた可能性はゼロとは言い切れないような気がする。





ー参考資料ー

「◎歴史湮滅の嘆・・・・・太平洋沿岸で修行したる者は多く実業界に入って重鎮となったようである。米山梅吉(三井重役)は明治十八、九年ごろの渡米で福音会に居り。星野行則は明治二十三、四年ごろの渡米で同じく福音会に居り、その後靴工となった。今では大阪鹿嶋銀行の専務取締をしている。」

『日米』(大正14年4月21日より連載)



「◎歴史湮滅の嘆・・・・・近々欧米視察のためにみらるる星野行則は明治三十一二年頃ラーキン街に店を有つていた上原徳三郎〔靴職人〕の徒弟であった。星野は現在大阪鹿嶋銀行の専務取締で東京の三井銀行取締米山梅吉と相対して桑港出身の成功者である。」

『日米』(大正14年4月21日より連載)


〔 〕は筆者注