日本で初めて労働組合をつくった男(労働運動の原点)



日本最初の労働運動




「、、、明治25年東京に組織せられた東洋自由党が普通選挙期成同盟会と、
日本労働協会とを左右両翼として活動を試みたのが我が国最初の労働運動を
以って目すべきものであることは何人も之を認むるであろうと信ずる。
もしその時の運動を以って労働運動に非ずというならば、
我が国には未だ労働運動なるものは無いといってもよい。
貧民を救済し労働者を保護するため、種々の社会政策を実地するの必要と、
普通選挙を実行し、一般国民に参政権を與ふるの必要を唱道し、
之に伴うに実際上の活動を以ってしたということが事実であるとすれば、
之が日本最初の労働運動でなくして何である。
我輩は何も今更こんなことを述べ立てて労働運動の元祖争いをしようとするものではない。
我輩が之を述べないでも公平無私の後世の史家は、
必ず此明々白々の事実を無視することはあるまいと思う。、、、」

雑誌『五大洲』(「日本最初の労働運動」 柳内義之進 1919年9月号)

【北海道大学所蔵】






「◎活版工組合、誠友会・・・・・一昨日神田錦輝館に秋季労働懇話会を開く。来会者二百余名、岡千代彦氏開会の辞を述べ、大井憲太郎、佐治?然、田中弘之、豊原又男、安部磯雄、片山潜、西川光次郎、柳内義之進、幸徳伝二郎、川島烈之丞の諸氏の演説あり。」

『都新聞』(明治34年11月26日付け)









 

「◎日洲独立新聞主筆 柳内蝦洲〔柳内義之進〕・・・・・君は農学者よりは政治家及文学者を出すとの世評ある札幌農学校の出身者で、学校を出るや否や札幌の北門新聞の記者と成られて居ったもであるが、大井馬城の東洋自由党を起すと東都に出で来りて其の機関『新東洋』の記者となりて、此の紙上で盛んに社会主義を説き立てた。がしかし此の新聞は不幸にして間もなく廃刊したので、以来君は専門に社会主義を鼓吹するの機関を得ず、久しく江湖流浪の客となって居ったが、明治三十三年の春馬城の大阪に大日本労働協会を起し其の機関『大阪週報』発刊の計画あるに及び、当時万朝記者たりし君は其の地位を捨てて、行李怱々大阪に下り、其の主筆となった。が不幸にして『大阪週報』も一年ならずして倒れた。で君は再び失意の人となりて東都に帰り、やまと新聞等に筆を執られて居ったが、今は日向国に下りて日洲独立新聞の主筆をして居らるる。」

『社会主義』(第七年第十号・明治三十六年四月十八日)