日本で初めて労働組合をつくった男【労働運動の原点】





労働組合法制定請願運動の主唱者は城常太郎



友人の一人(靴造りを職業にしています)と相談するために上京しました。その結果、十二月二十二日に三ヶ月の会期で開会する衆議院に、職業別労働者団体に関する法律の制定を求める請願書の提出を第一歩とする運動の計画を作り上げました。」

『高野房太郎よりゴンパース宛て書簡』
(明治二十九年十二月十一日)



 これほど重要かつ具体的な計画を作り上げているのに、協議の場に沢田半之助が同席していなかったとは到底考えられない。
翌30年1月26日、高野は引っ越しで上京した際に、城の家を訪問した後、沢田が営む洋服店にも立ち寄って挨拶をしている。
そのことからしても、当時三人が同じ目的に向かって協力関係を築きあげていたことはまず間違いないと言っていいだろう。
よって、上記協議の場に沢田半之助が同席していた可能性は高いと判断する。



労働組合法制定請願運動の主唱者は城常太郎


(根拠)


○城は衆議院のある同じ麹町区内幸町に労働運動の拠点を置いている。


○城は以前、衆議院議員に働きかけた経験がある。

「◎靴工協会労働者の大運動・・・・・靴工協会の労働者は、目下各代議士を訪問し、あるいは、院外各党派に勢援を乞い、車を列ねて奔走中なり。」
『大日本教育新聞』(明治二十五年十二月二十日付け)



○城は『遥かに公明なる衆議院議員諸君に白す』(檄文)を衆議院に送りつけている。



○城は遊郭に対する「営業条件の制限と制裁」に関する法律の制定を求めて、『戦後の日本矯風論』なる小冊子を衆議院に送付している。



○城は神戸における非雑居運動の際も、まず政府に嘆願書を提出して法律の改正を迫っている。



○当時、城常太郎は、企業間を越えた職業別労働組合「日本靴工協会」を、まさに起こさんとしていた。





 高野房太郎は、当時、終始一貫して、日本の労働運動の第一歩は、有識者の力を借りて無智な労働者を教育することから始めるべきであると主張している。

高野は、アメリカを離れる直前まで、「有識者によってのみ労働運動は創始され、その生命への刺激を受けることができる。」
『アメリカン・フェデレイショニスト』(1894年10月)

と考えていた。

 高野は、日本の政府に対して強い不信感を持っていたようで、労働運動の第一歩として彼等に働きかけることには乗り気ではなかった。

 おそらく、城常太郎が、政治的な活動を行なうべく、既に、衆議院のそばに運動の拠点を置くなど、自分のたてた計画にそって第一歩を踏み出していたこともあり、遅れて参加した高野は城の案を受け入れざるを得なかったのであろう。


 「微弱なる労働社会に行ないたるの(政府による)改良は往々反対の結果を生ず、注意する所なくして可ならんや。、、、しからば、吾人が日本労働社会の状態を改良せんとするやその策実にこの(労働者の)飢寒と無智とを救済するを以って先とせざるべからず。」

「金井博士及び添田学士に呈す」(執筆者:高野房太郎)
『国民新聞』(明治25年5月20日)



「労働者は、投票権をもつほかの階級の人びとの支援なしには、彼らに有利な法律を獲得する見込みはないのです。、、、彼ら(政府)は雇い主から意見を聞き、雇い主の援助をえて工場法を制定することで満足しているのです。、、、現在の政府の姿勢がこのようなものですから、何らかの反対がなければ、労働者に不公正な法律が成立するだろうことは目に見えています。、、、労働者階級の向上をはかるための最初の努力は、この国の有識者に彼らの行動の必要性を自覚させることに向けられねばならないと思います。このように、有識者に働きかけることが、日本の労働運動で踏みださるべき第一歩です。そうした働きかけの結果として、有識者の団体を組織し、そこで労働者を教育する事業においてなすべき実際的計画を討議し、労働者の利益を守るために政治的活動及びその他の活動をおこない、最後に、もっとも重要なことですが、労働者を組織することがなされねばなりません。」

「日本における労働運動」(執筆者:高野房太郎)
『アメリカン・フェデレイショニスト』(第一巻第八号、1894年10月)
『明治日本労働通信』(二村一夫・大島清 岩波書店 1997年)





 高野房太郎は、城常太郎の立てた計画案に乗り気ではなかったが、城の気迫と熱意に押されてしまったようだ。

 下記の『高野房太郎よりゴンパース宛て書簡』の行間から、高野が城のたてた計画案に不満はあるものの、同意した手前、納得しようと努めている様子が伺える。


「私は、衆議院が労働組合の結成を促進するといった進歩的な法案を通過させることができるとは考えておりません。しかし、多くの人びとに労働組合運動の必要性に目を向けさせるためには効果的であろうと思います。」

『高野房太郎よりゴンパース宛て書簡』(明治30年5月2日)