日本で初めて労働組合をつくった男【著者の思い】




西村勝三の言葉ー企業の発展は靴工にありー


「◎工業界の偉人・故西村勝三翁・・・・・日清戦争中一時激増した靴工が戦後にわかに其の職を失ったので氏は彼らを奨励して米国桑港に出稼ぎせしむる事に力を尽くし、今や彼の地における日本靴工の数は二百余名の多きに達し、加州日本人靴工同盟会を組織し大日本靴工同盟会と気脈を通じて日本職工の面目を保持しておるということである。」

『職工新聞』(明治四十一年六月十日付け)






★日清戦争後の明治29年、桜組で発生した二回の労働争議で百余名の靴工が解雇されている。この時期、常太郎は資本家への働きかけとして、恩師でもある桜組の社長・西村勝三の協力を求めようと品川の西村邸を度々訪れている。おそらく、常太郎が直接、西村のもとに出向いて談判した結果、解雇された数十名の靴工がサンフランシスコに出稼ぎに行けるよう、西村から旅費の支援がなされることになったのであろう。