日本で初めて労働組合をつくった男【労働運動の原点】





最も重視した関西の労働事情




「◎我が国工業の中心たる関西地方は、実際より言えば、むしろ東京地方よりも先に労働運動あるべきはず、、、」

『横浜毎日新聞』(明治32年8月2日付け)








「◎大阪府下の工場と職工・・・・・近時、大阪の府下における工業は著しく発達し、由来、商業地の中心たりし彼の地は、今や又新工業の集点たるに至れり。これと同時に機器機関及び職工取締り等の如きは独り実業の盛衰にに影響するのみならず、社会問題と直接の関係を有するを以て、この一事については警察部にても近時最も注意し居れり。今保安課の調査によれば、昨年来、工場現代数は千九百六十二か所にして其の煙突数一千三百七十基にて、内、昨年中の新設に係る者、実に五百四十一基、亦以て同地の工業が年々如何に発達しつつあるかの一斑を知るに足るべし。而して其の最も重なるは紡績、織布等にして、之に次ぐは鋳物、鍛冶、燐寸、製糸等なり。紡績、硝子、燐寸等の如き新工業に至りては、職工と雇主との関係ややもすれば円滑を失し、その間に種々の弊害さへあり。近くは中央同盟会対三井事件の如き、その起因する処畢竟、この問題に外ならねば当局者の苦慮する所、実に是に外ならず。」

『日本』(明治30年3月2日付け)










「◎神戸市の工業と職工・・・・・三十名以上の職工を使役せる工場製造所は七十七か所、同以下の分、百六十二か所にして、最も大きは燐寸製造所四十八、鉄工場四、樟脳製造所四なり。又、職工の数は一万三千三百六十三人、内、二十歳以上の男三千六百七十九人、女三百七十二人、十才未満の男、四百二人、女、六百四人なりと。」

『日刊世界之日本』(明治30年3月14日付け)








 


「◎固より我国にはいまだ共産主義の如き極端論を唱ふる者あらず。又いまだ社会党の如き過激手段を弄する者あらず。しかれども、かの大阪に於ける職工問題の如きは、豈に戒むべきの萌芽に非ずや。且つ我国には決して貧民なきに非ずして、其の今日まで無事なる所以のものは、其の代表者を得ざるがためのみ。今日にもあれ、世を憤るの傑士、弱を助くるの侠者あり、かの簡明直截なる社会主義を唱道して、以て社会の生存競争に絶望せる無数の窮民を打って一丸となし、之を団結し之を号令せんや、社会党の発生は旦、夕を期すべし。」

『進歩党党報』(第五号 明治30年7月1日)