日本で初めて労働組合をつくった男【労働運動の原点】





新薬投与も効無し



「◎肺病薬の大発明・・・・・大阪石神私立伝染病研究所長石神亨氏はかつて青山博士と共に香港における黒死病研究に赴き其の名を知られたる人なるが、爾来血清及び細菌学の研究に従事し、最近八年間は専ら肺病治療の研究に余念なく、一昨年春に至りてほとんど完全に近き成績を得たるを以て、始めて之を世上に発表したるが、去五日全国連合医学会の席上において一昨年以来の成績を大要左の如く報告せり。自家創製結核治療剤ツベルクロトキソイヂンは結核菌の化学的製剤にして既往数年間の実験により有効無害と認め、一昨春之を公表せしが、爾来同好医師の懇望により分與せしもの数十名に達し、現今尚引き続き試用しつつあるもの全国を通じて二十余名あり。しかして其の試用成績の報告をもとめたるに、今日まで報告をせられたるもの病院七、病室を有せざる医師六名にして、トキソイヂン試用患者総数二百十九名、内全治七十九名、軽快八十名、事故退院のため止療四十五名、死亡十五名あり。、、、」

『東京朝日新聞』(明治39年4月7日付け)



大阪府堺市浜寺海岸にある「浜寺石神療養所」(結核サナトリウム)は
城常太郎、臨終の場となった病院である。


 同郷の石神亨医師の発明した新薬ツベルクロトキソイヂン投与に最後の望みを託したものの、労働運動に全てを捧げつくしてぼろぼろになった常太郎の体には何の効果もなかったようだ。

病状は改善しないまま咳と喀血症状は続き、明治38年7月、
ついに危篤状態にまで陥った。


 ちょうど、そのころ、7月15日の午後八時過ぎ、サナトリウムの隣に位置していた「浜寺俘虜収容所」のバラックに落雷があり、ロシア兵俘虜9名震死し、4名負傷した。当時、「浜寺俘虜収容所」には日露戦争でのロシア兵俘虜が2万8千人も収容されていたという。

『大阪時事新報』(明治38年7月16日付け)