日本で初めて労働組合をつくった男




靴工兵制度反対運動の資料コレクション






城常太郎は、靴工兵制度反対運動を機として靴工の階級意識を覚醒させ、更に結束の固い組織を創り上げて、全国規模の永久の近代的な労働運動に発展させようとしていた。(注1)

常太郎は、後に取り組んだ「横浜船大工の運動」(注2)や「清国労働者非雑居運動」(注3)においても、
同様の手法をとっている。



(注1)
◎労働社会の惨状・・・・・既に然り、府下数百の靴工は、今や団体〔日本靴工協会〕を組織して、大いに全国の同業者を糾合し、正に救済の方法を講ぜんと欲するも、また実に偶然にあらざるなり。」

『新東洋』(12号・明治25年12月18日付け)





(注1)「◎靴職工の同盟まさに起こらんとす・・・・・ゆえに先年、靴工協会を組織せし当時の二の舞をなさず、」

『都新聞』(明治29年12月13日付け)









(注1)「神戸靴工協会は、はるかに祝辞を寄せて同会(注:労働組合期成会)の発展を祝せりといふ。」

『労働世界』(第十七号 明治31年8月1日)








(注2)「◎労働社会の趨勢・・・・・横浜、東京の船大工は今回の同盟罷工を機として、いよいよ強固なる団体を組織し、進んで気脈を全国の同業団体と通ぜんとするの擧あり。」

『万朝報』(明治30年6月26日付け)





(注3) 「、、、今、忽然として、神戸市に会員三万人を糾合せる労働団体起こりたる。名義は清国人非雑居を目的として組織せられたるようなれど、これ一時の目的にて、実は、永久の労働運動に従事する由にて、、、

『横浜毎日新聞』(明治32年8月2日付け)





(注3) 「◎清人非雑居の運動・・・・・神戸に催されたる非雑居演説会に臨席せられたる期成会幹事高野房太郎氏の語る所によれば、彼非雑居運動は単に神戸一市に止むるにはあらずして、遠からざる内に一大飛躍を試み全国の労働者を聯合し、又第十四議会に請願書を呈出する等の手順を採るの決心を以って、在神戸有志は運動しつつありと。」

『労働世界』(第四十二号 明治32年8月15日)






(注3) 「◎神戸労働者の運動・・・・・神戸の労働者三万余人清国労働者非雑居運動をなさんとする由は報ぜしが、今度いよいよ清国労働者非雑居期成同盟会なるものを組織し、本部は神戸市栄町五丁目四十三番邸に置き、五府三港其の他樞要の地には追々支部を設くる由。」

『横浜毎日新聞』(明治32年8月23日付け 欄外記事)

 



「、、、さらに全国樞要の地に地方本部を設け、、、」

『経世新報』(明治24年10月16日付け)


上記記事は、明治24年、城常太郎がサンフランシスコに「職工義友会」を創設した直後、はるか日本の各方面に向けて送りつけた日本最初の労働運動の檄文の一部である。城は、すでに明治24年の段階で、日本における近代労働運動の全国展開を計っていたのである。







(注3) 「◎清国労働者非雑居期成同盟会・・・・・神戸市海陸仲仕業者は此の程来集会を重ね、目下世上の一問題なる清国労働者の雑居を不可とし、その意見を内外務両大臣へ陳情し、なおその目的達せんため題号の団体を設け、神戸市内のマッチ、紡績、その他の工場はもとより全国に檄して運動をなすはずにて、不日市内に大演説会を開き異論を喚起する計画あり。その主旨とする処はすでに世の論ずる所のごとくなるが、同地において去る二十五年日の丸事件とて内外労働者使役の上に一大活劇ありたるをもって清国労働者入国の暁、内外の衝突のため如何なる悲劇を演ずるやを憂慮するにあり。
目下加盟者三万人以上にして、その規約は左のごとし。、、、」

『国民新聞』(明治32年7月18日付け)











 

















「◎朕陸軍縫工靴工入営期限を裁可し茲に之を公布せしむ・・・・・
御名 御?
明治二十五年六月十三日
陸軍大臣 子爵高島 鞆之助 
勅令第四十九号
明治二十五年微募すべき陸軍縫工靴工は来明治二十六年四月一日に入営せしむ。但し疾病犯罪其の他事故により四月一日に入営し難き者及び補欠員は同月三十日までに入営せしむ。」

『官報』(明治25年6月14日)










 「◎勅令・・・・・明治二十五年徴集すべき新兵員数を二万二百人と定むるの件、および、靴工入営期限を来る二十六年四月一日と定むるの件は、昨日の陸軍縫工官報にて公布せられたり。」

『読売新聞』(明治25年6月15日付け)






「◎軍用靴の製造法・・・・・軍用靴の製造は陸軍部内においてかねて一問題となり、是まで舶来製を模造し又た種々の改良を加えたることありしが、何分革靴のことなれば平常穿き慣れし常備兵には格別の困難もあらざれども、予備兵もしくは後備兵の一時に募集されしものが俄かに之を穿きて忽ちに足痛を起こし歩行さへ出来ざるに至るあり。斯かる兵卒には草鞋を用いるも妨げなき様なれども、其の破れ易き一日に幾足を費やすを以って常に換え草鞋を携帯せしめざる可らず、其の動作に不便にして且つ其の費用も少しとせず。現に北海道の屯田兵は冬時積雪のころには革靴にては堪えざるべしとて、悉く草靴を用いるの成規なるが、却って革靴を用いるよりは不経済を来たす割合なりという位なれば、積雪の時にも又穿き慣れざるものに適するものを製造せんとて段々研究を凝らし、この度靴工学舎において製造したるは専ら西班牙(スペイン)の軍用靴に模し、其の底は麻を巻きて固く締めたるものを用い、上はズックにて宛も長靴の如く深く脛までを投ずる様に製し、別に脚半を用いざる趣向なり。穿き心地は草鞋の如くにしてよく締まり居れば足痛を感ずるの憂いなく、其の保存も頗る永かるべしとなり。この度の大演習において之を試験し、尚ほ屯田兵にも冬時之を使用せしめて果たして好結果を得るあらば、将来は革靴を廃して之に換えることになるべしと。」

『郵便報知新聞』(明治25年9月16日付け)






「◎軍用靴の再試験・・・・・陸軍省経理局第二課長内海春?氏が発明せし和洋折衷軍用靴は当春第三師団において試験せし結果によれば、軍用に堪ふべき見込みなきに非ざれど尚一回試験せんとの協議にして、同氏が製作に係わる布製深靴五種を撰び、之を戦用器材審査委員会に提出せしに付き、同委員は数回試験の上いよいよ採用するに決し、不日大嶋同委員長より陸軍大臣へ上申するよしなれば、今回の特別大演習には同靴を使用して再試験をなすことに至るべし。」

『時事新報』(明治25年9月25日付け)









 「◎新兵員数の改正・・・・・明治25年に徴集すべき新兵員数中、縫工は二百二十八人、靴工は百二十人と改定せられたり。」

『読売新聞』(明治25年9月28日付け)







「◎軍用馬具と兵隊の靴・・・・・陸軍省にては従来軍用馬具及び兵隊の靴は一切他より購入し居たれど、昨年より兵隊中より造靴皮革業に経験あるものを選抜して同業を練習せしめたるに、今日にては追々熟練して他よりも上等の品を製造するに至りたれば、明年度よりは各軍営共に之を実行するはずなりと。右に要する熟皮は是まで海外より供給を仰ぎ居たるも一朝事あるに際せば不便を感ずる次第なれば、我国の熟皮業者に幾分の保護を與へ同業の発達を計らんとの議もありたる由にて、今度神戸に創立したる熟皮会社、東京の用達会社、桜組に一手買入れの事を特約したりと云ふ。」

『大阪毎日新聞』(明治25年9月29日付け)






「◎軍用靴試験実験実地の決定・・・・・前号の本紙上へ掲載せし陸軍省経理局第二課長内海春?氏の発明に係わる軍用靴は、一昨三日の戦用器材審査委員会においていよいよ今度の大演習に試験することに決議したるをもって大嶋同委員長より第一師団長山地中将へ向け同靴数種を選定して通知に及びたるよし。」

『時事新報』(明治25年10月5日付け)








「◎軍用靴の成績・・・・・この度大演習に試験せるズック製の軍用靴は革底ズック製の足袋なり。軽重縦列の?卒をして之を穿かしめたるが、見たる所は軟らかにして穿き具合のよき様なれども、軍人のはき物として見すぼらしく、如何にも威勢なし。然れどもその実用に適する以上は強いて体裁を問うの暇なかるべきも、其の保存は到底一週間位なるべしと云えば、未だ充分とするに足らず。内海会計監督が巳の穿用として特に製したるを見るに、其の底は麻糸にて作りたる草鞋にして周囲をズックとなし脚半まで編み上げとなり居れり。穿き具合は確かに軟らかなれども其の底を硬くするときは足を痛め、又之を軟らかにすれば保存短く何分適宜に行かざるよし。蓋し軍用靴の問題は地形と気候とに関係するものなれば完全のものを得ることは頗る難しく、現に各国とも未だ満足すべきものを発見せざることなれば、この度の試験成績にても先ず不十分の方なりと云ふ。」

『郵便報知新聞』(明治25年10月30日付け)













「◎第四回帝国議会衆議院記事ー第九章ー請願・・・・・被服工長学舎の請願一通。」


『帝国議会衆議院記事摘要目録』










「◎軍隊経済の一進歩(被服工長学舎)・・・・・軍隊の経済は各国共に注意し聊かにても経費を節減し得べきものあれば之を節して他の有益なる事業に充用せんことを工夫しおれることなれば、軍隊の経費は日に進歩を現し兵士の被服より靴、帽子に至るまで軍隊において製造し、利欲をのみ貪らんとする商人輩をして奇利をろうだんせしむるがごときことなきに至りたる国もある由なるが、我が国の軍隊にても数年来各国の模様を視察し之を実地に施行し、その節減し得られるものは之を節して有益なる他の費用に充用せんことを期し、ほとんど各国に対比し敢えて劣るなきの点にまで進歩をなせり。中にも兵士の被服、靴、帽子のごときは会計法において各軍隊と自己経済を許されおるを以て、我が陸軍にては被服工長学舎なる者を設置し之に各隊の兵士中少しく工芸の才あるものを抜擢して入舎せしめ此の処において兵士の被服及び帽子、靴等の製造法を研究せしめ其の卒業したる者は各隊に戻りて其の隊中数名の者は教習し其の隊中の被服、靴、帽子等は一切この数名の兵士において製造するようなさんと今春より其の実施に着手したるに着々その効を奏し、この勢いをもって進歩せば遠からずして軍隊の被服、靴、帽子等は一切商人の手を借らずして自弁し得るに至るべしといえり。而して此の自己経済によりて節減し得たる経費は之をもって戦時に要する被服、靴、帽子等を製造し出帥準備をして知らず知らずの間に完備せしめんことを期せりといえり。これ一方には出帥準備の完成を助け軍隊の経済上非常の利益あるのみならず、戦時においては其の軍隊中に被服、帽子、靴等を修繕せしむるの兵士あるを要すればこの点においても軍隊をして完備ならしめ実に一挙両得のことなりといえり。吾輩はこの事業の速やかに完成するに至らんことを希望するなり。」

『朝野新聞』(明治25年11月5日付け)













「◎東洋自由党の結党式・・・・・は昨日正午より江東中村楼において執行せり。今当日の模様を聞くに、最初撃柝をもって始まり、奏楽の中各員席について、先ず準備委員の挨拶あり。それより議事を開きて党議党則を議し、終って奏楽あり。一時休憩の上、更に奏楽の中に式場に着席して、又準備委員の挨拶あり。それより祝辞祝電を朗読し終って祝宴を開き、天皇陛下万歳、東洋自由党万歳と唱え、歓を尽くして散会したりといふ。」

『読売新聞』(明治25年11月7日付け)









「◎白梅組と東洋自由党・・・・・白梅組は社会党組織の壮士団体にして、その目的も社会主義に近きものなれば、公然、党則ならびに事務所杯は設置せず、暗々裏に奔走しつつおりしが、今度さらに、東洋自由党の腕となりて運動を試みる事となりしと。」

『読売新聞』(明治25年11月7日付け)







『時事新報』(明治25年11月8日付け)

★飯沼守三は明治22年10月20日に第一次靴工集団渡米した14人の一人。








「◎東洋自由党の大演説会・・・・・同演説会は昨日午後一時より神田錦輝館において開会せり。聴衆無慮三百余名にして、やがて午後二時頃に至り久野初太郎氏開会の趣旨を述べ、次に中島半三郎(内地雑居と労働者)、丸山亥助(仰いで天に訴ふ)、山口重修(第四議会に望む)、福田友作(対外策)、長谷川逸刀(我が党の本領)、鈴木修吾(普通選挙)、濱野昇(皇室の尊栄民権の拡張)、柳内義之進(我が党の進路)、大井憲太郎(東洋自由党)の諸氏交る交る登壇し、或は自由党の代議士組織を非とし、或は改進党が真正の民党にあらずと論じ普通選挙の必要なる所以を述べ、何れも活発にて頗る面白かりし。なかんづく有名なる濱野前代議士が我々も嘗て代議士に挙げられ第一期以来民党の仲間なりしが国会開設せられてより既に三年に及ぶも未だ何等の事業も挙がらず却って?制政治の当時に劣れりとの非国会論は人をして抱腹せしめたり。首領大井憲太郎氏は劈頭に自由、改進の両党を痛罵し、終わりに我が国は侵略主義をもって国是となさざるべからざるを論断せり。大井氏の演説中、聴衆の中にて一言の批評を試むる者ありしが、大井氏の大喝一声、その者を引き出せと令し、三々五々起ち騒ぎて一場の紛?を惹き起さんとせしも、警官の注意にて無事閉会を告げたり。」

『国会』(明治25年11月8日付け)











 「◎白梅組・・・・・壮士団体白梅組、東洋自由党のために働かん。」

       『神戸又新日報』(明治25年11月9日付け)










「◎独欠文覚・・・・・曰く、脱兎会、曰く、白梅組、左右の翼となりて東洋自由党を助く。本尊は即ち是れ覇気将軍。さしづめ日比谷は那智の滝。独り文覚を欠く。抑々夫子早変をなす乎。」

『東京日日新聞』(明治25年11月9日付け)










「◎東洋自由党幹事・・・・・同党の幹事は久貝源一、柳内義之進、大島染之助の三氏に当選せり。」

『東京日日新聞』(明治25年11月9日付け)


※東洋自由党員となった衆議院議員は5人!
(新井章吾、森隆介、飯村丈三郎、外2名)


●新井章吾
平民 農 栃木県下都賀郡吹上村 安政3年2月生まれ

●森隆介
平民 農 茨城県豊田郡宗道村 安政3年10月生まれ

●飯村丈三郎
平民 農 茨城県眞壁郡上妻村 嘉永6年5月生まれ

『衆議院議員名簿』(明治25年)より











◎軍用靴試験の結果・・・・陸軍省経理局第二課長内海春?氏の発明に係わる軍用靴は此の程の大演習に再試験をなしたり。今其の結果如何を聞くに、当初の計画にては三十日間穿かしめて破綻せざるや否やを試験する目的にて、第一師団第一連隊及び第三連隊の兵士へ使用せしめたり。然るに演習日数は各個演習、大演習を併せて二週間許なりしをもって、予定の日数に足らざれば、尚今後の小演習に使用せしめ三十日に達せし上において結果の良否を鑑定することに内定せりといえば未だ成績十分ならざれど今後は知らず。是までの処にては再試験の分、即ち一昨年第三師団下において執行せし大演習に第一回の試験に供せし分は破損せずして至極好結果なるも、靴の内部へ溜滞せし水の排泄せざるより少しく足底を痛めし如くなればとて、尚其の欠点を就て考案中なりといふ。」

『時事新報』(明治25年11月10日付け)










「◎白梅組・・・・・とはさらさら白梅さっても巧の浅香山。」

『新東洋』(明治25年11月13日付け)










 「
◎靴工職の同盟・・・・・陸軍省は靴工兵を養成して漸次靴の製造をその営中において行はんとて目下靴工長をして靴工兵を養成中というが、陸軍において靴を製造する場合には府下の御用靴商、桜組、内外用達、団、大塚の四工場はその影響大なれば、陸軍においてこれを実行する時は、我々右四工場の職工は雇用主より解雇を受る必定なれば、陸軍の靴工兵制度を中止せしめんとて、四工場の数百名の靴工は今度同盟して靴工協会なるものを設け、その同盟者より委員を選挙して、その筋へ建議せんと騒ぎおるよし。」

『横浜毎日新聞』(明治25年11月16日付け・欄外記事)














 「◎陸軍大臣の饗応・・・・・総武鉄道は軍事上に密接の関係を有する次第は前号の紙上に報道せしが、大山陸軍大臣は去る二十二日午後五時頃より井上内務大臣、井上鉄道庁長官、松本技師、坂本則美、北岡文平(注:1)、中上川彦次郎、渋沢栄一、原六郎、茂木総兵衛、原善三郎、川崎八右衛門の諸氏、及び華族毛利、相馬の両家扶等同社に関係ある人々を永田町の官邸に招待して晩餐を饗し、同鉄道の事に付き種々協議せしよし。」

『時事新報』(明治25年11月25日付け)

(注:1)北岡文平は東京の四大製靴工場の一つ
「弾・北岡組」の社長。






★北岡文兵衛関連資料紹介


◎北岡文兵衛・・・・・北豊島郡南千住町地方橋場住、総武鉄道の取締りなる同人は新平民なるにも拘わらず左の三妾を有す。

△其一 浅草区須賀町二十二番地に芝浜松町辺の医者の娘石橋ふで(二十二)
△其二 浅草区猿屋町十七番地に田村あい(三十三)、この女は北岡がかつて山谷堀の芸妓峰吉を妾とし代地川岸に囲い置きたる頃の下女にして、峰吉が病気の際手を附けたるもの、今日は前記の処に住まわせ持家の差配をなさしむ。
△其三 浅草区左衛門町に宮内いと(三十四)

これにも拘わらず北岡は老いて益々壮んなりと見え、小間使や召使に手を出してはらませ厳談を受けて手切れ金を取らるるは数次なりという。」

『万朝報』(明治31年7月20日付け)



















●12月7日



「◎ー衆議院予算委員会ー

(明治25年12月7日午後四時二十九分開議)・・・・・、、、

○主査(加藤政之助君)  軍事費の増額の理由を承りたい。
○政府委員(野田豁通君) 軍事費の増額の三十三万五千何円というものの重なる理由は、、、俸給増加の中には縫靴工の新設に係わる費用も這入っておる。是は従前は被服なり靴なりを市街より買?をしておりましたから、其の費用は是までは被服費に入れありたが、将来縫靴工が製作をなさしむるというために被服費が減じて、俸給等の方に移ってくるという結果から増加をなすのであります。、、、
○(斎藤珪次君) 靴はやはり被服の部分に這入っておりますか。
○政府委員(野田豁通君) 被服に這入っております。
 ○(斎藤珪次君) 先刻長谷場さんからお伺い致しましたように思いまするが、私共のごとき聴きまする、又随分陸軍の内から聴きまするが、値打ちから見るも陸軍で積もってある靴は高いようでありますといえば、保存期限が短いであろうというお説があったように承ります。いったい陸軍で今日お拵へになっておりますものは、やはり入札というような方法でやっておいでになってありますか、又は従来よりの用達に相変わらず命令せられてありますか。
○政府委員(野田豁通君) 元は特殊の物品と陸軍は見解を立ててあるでございます。それは第一保存期限というものが一つありますのと、それと総て陸軍の給與の原則は平時の必要にあらずして、戦時の需用に差支なき様其の製造源を主に求めておるのでございます。そこで一朝需用を充たす時には調?しえる様、常に一ヵ年に何程だけの・・・一日にどれだけの靴の需用には、差支なき製造所を持っておらなければならぬという詮議から致しまして、此目下買い上げてある所は、桜組、即従前の伊勢勝でございます。それから弾製造所、内外用達会社、其の他大塚組とかいうのがありますが、それ等の中から購買することになっております。しかし二十六年度以降は予算にも要求をしております通り、到底此軍用品、斯様な品を市井の職工に需用を求めておるということはどうも不十分である。それで軍隊自らが職工を置いて調製し得ることにして置きませぬと差支を生ずる、ゆえに二十六年度からは各隊に縫工靴工の職工を置きまして、三ヵ年間には漸次その職工を殖して、四ヵ年目からはもう悉皆軍隊の内で製造且つ製作し得るようにするの方針であります。これは靴ばかりでなく、被服の縫裁も同様でございます。
○(斎藤珪次君) 其の軍隊の職工というものは、軍隊において職工となったるものは、兵役期限が切れても、尚ほ職工で置く精神の計画でございますか。
○政府委員(野田豁通君) そうでない、兵役中だけです。
○(斎藤珪次君) すると前のお話に、陸軍の需用は平時にない、戦時の時の必要である、斯ういう上から考えますれば、一時は間に合っても、戦時非常に多数を用便のならない会社は往かぬ、市店は往かない、斯ういうような精神とすれば、兵役に這入っておると平時は職工となっても、戦時などは靴などを拵へておるような騒ぎでない、皆出んならぬということになろう。すると最初の目的と相反する結果は起こりますまいか。且つ又これまで陸軍の様を?じておっても、戦時においては何時でも陸軍の需用だけは確かに値打ちあるもの、即ち通常の値打ちにて売りましょうという契約ありや否や、或は靴は戦時になっては平時より高くなくては差し上げませぬというは、会社の権利に属しておるや否や、又は陸軍の需用だけは平常の値打ちにて何時にても出来るという契約約定が出来ておりますや否や、その辺を・・・
○政府委員(野田豁通君) 前にお話し申した見込みであるからして、軍隊に職工が入用の上、服役三年で之を交換して往くということになりますのでございます。然からざれば職工は願わくは熟練の職工を要するがよろしい。それで願わくは再役の途を取って長く使っていきたいけれども、戦時必要の点があるからして予備に入れ、後備に入れ、そうして戦時の時はそれを召集して、沢山の靴が出来るように人を養ふておかねばなりませぬ。それで三ヵ年の服役間に教えて帰して行るです。又戦時の時には之がどうであるかといえば、今日の定めてある所の軍隊の戦員ではない、此職工は其の外に今日調?をしておる所の被服費を殺いで、今日の軍隊の定員の外に、職工を殖やすだけの費用を増すのである。
○(斎藤珪次君) 製造所を別に拵へるというのですか。
 ○政府委員(野田豁通君) 軍隊戦員の外に、各隊毎に何人という職工を殖やしまして、而して戦時には隊に残って、予備御及び後備の職工を召集して拵へて往くということになります。
○政府委員(児玉源太郎君) 此兵は戦時には軍に出ない。入営の兵隊の計画が三ヶ月です。三ヶ月だけ軍隊の稽古をして、後は皆職工になる。職工となって予備役に移り、後備役に移ります。戦時になれば職工場のある所に兵は往くけれども職工の中に予備後備の兵を呼んで来て、盛んに製造を始めるという一の職工場が連隊の中に出来るのであります。
○(斎藤珪次君) それには原料というものが非常に余計陸軍では買っておかなければ、何時戦争になるか知れぬから、何万何千の靴を造るべき原料を貯めておかなければならぬ結果になりましょう。○政府委員(野田豁通君) 即ち軍隊の委任経理からしまして、そうして平生兵に給してある靴があります。服は勿論の事三ヵ年の服役中に給したものが、本人が帰る時には一装を着て帰る、又経理上から生じるものが、戦時補充用になる計算になっておるのであります。そこで一朝出師の時には補充員も着て往くだけの物には差支無い。宣戦の布告があって後は臨時給與になる金は別に出しますから、それをもって後との被服は揃えて往くのであります。
○(斎藤珪次君) 補充ならば民間の市中に託してやっても、間に合うという御見込みはありませぬか。
○政府委員(野田豁通君) その議論は十分陸軍でも講究を詰めたのであります。然るに被服は先ず従前の甲冑というようなものであります。それで兵の体格に合い、又靴の足に適するのと不適当なためには、大変動作上に関係を及ぼします。それで兵自ら被服を揃えることになれば、其の辺の注意が余程出来るであります。それと是までは市中より一足幾らというもので買い上げになっております。それで十分見本に照らして受け取りはしますけれども、軍隊自らが材料を求めて自分の手で裁縫なり、製造なりすることになれば、余程念を入れて揃えるということがあるから、必ず保存上において大いに違う所があろうと思います。それに最一つは先刻斎藤君の御質疑があるように、恐るべきことが今日見出してきました。それは何かといえば、今日までは市中の製造場にさせて来ましたが、追々西欧流の輸入に従って罷役同盟ということの恐れが起こって来ました。一朝事あるに際し必要の場合に当たって、代価を増加するとか、或は職工が休んでしまうということになると忽ち差支を生じます。故にどうしても軍隊自らこれをしなければなりませぬ。それで先刻御質疑の通り戦時に当たって、沢山な需用を要する場合に当たって、平時の代価で買い上げが出来るや否やということでありましたが、是は出来ぬ。なぜならば製造主は職工が相手で、自分一人でどんな事でもやるなら、堅い約束も出来ますけれども、多人数の職工を要するから約束は出来ぬ故、この点が最も顧慮しなければならぬ訳であります。故に会議を尽くし遂に軍隊においてもなければならぬと決したのであります。軍隊に置くについては随分是までの各製造所は困難である。今まで多人数の職工を養成して、陸軍のために靴なり縫裁なりの職業をしておる者は随分沢山な人であります。これが先ず一寸職を離れるような有様になる。それで一時に之を断行せずして、軍隊の職工を教育する上についても差支があるから、初めには一年に断行するつもりでありましたけれども、先般勅令の改正がありて、三ヵ年に之を完備させるということに改められたのであります。
○(斎藤珪次君) 尚ほ貫聯して伺いますが、従来の因襲、其の他先ず西南の戦争等の実験によれば、実際戦争と云う場合にはどうも靴が適さない、詰まり随意にすれば草鞋を主に穿くと承りますが、升陸軍では其の辺を十分取り調べになったろうと思います、しかし、将来は靴をもって何処までもやらせるという見込みでありますか。
○政府委員(野田豁通君) 今日の目的は其のところにあるのです。今お話通り兵の靴を穿くは先ず入営中だけで、外国などのごとく靴を穿くのが習慣になっていないものでありますから、僅に三ヵ年の常備兵が入営中穿いておるである、此間は差支へないけれども、一旦予備となり郷里に帰ってしまうと、俄かに又靴を穿くようになる時に困る。それで草鞋とか鷹匠足袋のようなものを穿かせると何とか、数年間種々実験しましたが、未だ適当なる品を得ないで苦しんでおります。草鞋にすれば一番適当であります。けれども迚も海外へ兵を出すというような場合には運搬するということになって、どうしても費用が耐えない。それから又代価もかえって靴を穿かせるより余程上がります。折角今日はどうか足の疼の無いように、費用も格別に増加しないように、日本人に適当する様にということで、主任においては種々なる見本を揃へ、演習等の時に経験を致しております。今度の大演習にも名古屋の大演習にも、それを用いまして種々経験を致しております。それで今少しく改良したならば、予備軍や後備軍に穿かせるには、今日の靴より宜しかろうと思う物が今試験中であるのです。之については実に苦しんでおりますのです。」 

『帝国議会衆議院委員会議録 明治篇3』
(東京大学出版会 昭和六十年)









●12月12日

「◎ー衆議院予算委員会ー

(明治25年12月12日「総会陸軍省ノ部」)・・・・・、、、

○(斎藤珪次君) 陸軍のことに就いて被服費の中の靴のことを一応承りとうございます。陸軍ではこの度縫工靴工というものを置いて靴を製造することも陸軍でやらせる・・・・・、軍隊でやることになります。けれども、それは二十六年度二十七年度二十九年度で完成する、而して二十六年度において三分の二二十七年度に三分の一を外から買い上げるということである。ところで靴の代価が今日陸軍省で買い入れておるものに比すれば、歩兵の靴で一足二十五銭違うとか、或は砲兵の靴で五十八銭違うとか、或は騎兵の靴で七十五銭違うとか、斯様に今日陸軍で誂へておるよりも安く拵えるということをば責任を以って言うておるものがある。処が此間陸軍の政府委員の説によれば左様なものは保存期限が短いからと言っておる。けれども保存期限ということも責任を以ってやるということならば陸軍は之にやらせるが至当だろうと想います。陸軍省は小さな者に誂へると愈々戦時というような時には其の小さい場所では多数の物を造ることができない。故に平生大きな会社に高くともそれから取って置かなければ戦時の時に役に立たないと申しておる。しかしながら其の会社と特約をしてあって戦時にも同様な価で幾らでも出来るように契約でもあるかというと、そういうことは出来ない。又出来べからざることであると先で拒む。なぜならば戦時になれば職工が高く取らなければ拵えないという。果たして然らば特許を陸軍省が今現在一円で出来る靴を一円二十五銭に御用達をさせておく。特許の恩恵を授かることも戦時には其の恩恵に報いるという契約がないという時には、陸軍は何故斯様なことをするか。斯かることをせずとも戦時には矢張り競争によって天下の靴屋から買い上げることが出来ると見れば、平時においても矢張り一銭なり一厘なり安い処の靴屋に命じて拵えさせることが国家経済において最もる至当であると思います。
況や其の靴や保存期限が怪しいと陸軍が言うが、それは唯認定に止まるもので、此靴たる責任を以って同一のものを拵えるといえば之に向かって更に陸軍省が拵えさせるということは経費においても非常に影響を及ぼします。けれども陸軍においては左様なことは出来ない。是までの如く大会社に向かって買い上げるが宜しいという訳でありましょうか。
○政府委員(野田豁通君) 只今の質問についてお答えいたしますが、将来陸軍省の方針は、二十六年より軍隊に靴工縫工の両職工を置きまして、軍隊自ら靴の製作をなし被服も縫裁することを既に勅令を以って定められましたから、其の方針により予算は請求をしておるのであります。故に是までのように市井より購買をすることは三ヵ年後完成しました後は無いことに思召下さい。
○(石田貫之助君) 質問致しますが、しますると従前の代物とこの度陸軍省においてなさるというのは安くなるいう見込みであるか、同様の価格位に付くというのであるか。
○政府委員(野田豁通君) 三ヵ年後完成します以上は今日の予算計算上においては四五万円の残余を生じます積もりであります。経済の点においても利益、第一軍隊において自ら之を製作するということに改めるの必要は、軍隊の被服は昔の甲胄と等しきものでありまして、兵器弾薬についで大切なるものであります。故に軍隊自ら調製します方が確実であります。万一事変に際し多数の品を要します、場合において、日本にも追々西洋の悪弊が輸入しまして罷工同盟等のことが生じまするの恐れあり、故に将来を顧慮し軍隊に差支を生せざる様軍隊自ら調製することにして置く方が必要且つ確実であります。況や費用も減じ・・・・・
○(石田貫之助君) 其の質問ではない。斯うしたら便利になるというような・・・・・
○ 政府委員(野田豁通君) 能くお分かりになるように弁じて置きます。
○(石田貫之助君) そんなことは要らぬのである。是から陸軍においてするにもせよ、今しおる靴と同じ靴にするならば安く付くと見ておるか。高く付くと見ておるか。
○政府委員(野田豁通君) 先にお答え申した通り三ヵ年後には三四万円は安くなります。
○(斉藤珪次君) 私は之は靴代は是非とも減じて置くが宜しかろうと思う。二十六年から陸軍では靴工を置いて靴を製造するにしても、三ヵ年で完成するものであるから三分の一しか作らない。三分の二は他より求めるのである。即ち御用達からして買い入れるものであるが、一円三十五銭位は高い値であって誠に詰まらぬ話であります。故に陸軍省で別に契約も無い以上は一円で出来るものを誂へるが至等だろうと思いますから、人員に割り当てて被服費の中から引去りたいと思います。しかし今算盤が出来ませぬから・・・・・私はそういう意見であります。
○委員長(河野広中君) 其の議論が成り立てば算盤を入れてやるという訳ですか。
○(斉藤珪次君) 左様
○(石田貫之助君) 私も斉藤君の動議に賛成をします。彼の調査のことには我々も尽力しまして確実な調査であります。我々が知らないとか何であるとか知らない所から出したものではない。十分なる経験ある所の者が陸軍においてどういう革を用いどういう料を用いる何処から買い入れるということを実は我々政務調査の上において多少の金を入れて調べたものである。そうすると陸軍で買い入れる靴は不法に高いのである。大いなる商人に任したのは何か契約があるか知らぬけれども、兎に角不法に高い。なぜならば立派な品物が出来上がるのである・・・・・、それ故私は斉藤君の修正に賛成する。
○(中野武営君) 政府委員に質問します。この予算には靴はどれ程に見積もってありますか。その事を委しく・・・・・
○政府委員(野田豁通君) 只今宙には記憶しませぬ。その代価書は過日委員の御手許まで出して置きました。
○(柴四郎君) 私がお答えしましょう。この靴の平均は歩兵の靴は一円三十九銭、砲兵は一円八十八銭一厘、半長靴が三円三十八銭、長靴は五円四十一銭二厘
○委員長(河野広中君) 外に御議論はありませぬか。靴の議論が出ておりますが一つ決をとりましょう。この靴に対しては御聞きの如く斉藤君が・・・・・
○(中野武営君) 只漫然と決すると直ぐに賛成するということになるといけませぬ。調査を待つということになりませぬと。
○委員長(河野広中君) その議論が可決致しますと算盤は後から立てます。
○(中野武営君) その上で当否を言うのでありましょうか。
○委員長(河野広中君) そういかなければなりませぬ。
○(斉藤珪次君) 私の修正しようという相場は、歩兵の分が一足一円、それから工兵の文が一足一円二十四銭、それから砲兵及び軽重兵の靴が二円十七銭、騎兵の靴が二円八十五銭そういう工合でござります。
○(山田東次君) 斉藤君にちょっとお尋ねを致しますが、三分の一をどうするのですか。
○(斉藤珪次君) いや三分の一というのは間違いです。何ぜならば二十六年度の陸軍省は自ら靴を造ることになりますれば三分の一は最早造るのです。故に原案は三分の二です。この靴は残らず減ずる金となります。その靴は歩兵に何足騎兵に何足ということが分っていますから、之によって私の修正の金額を掛けて前の高い分を引去るのです。
○(山田東次君) 三分の一減らすのではないか。
○委員長(河野広中君) 斯う言うんです。柴君のお読みになりました一足当たり一円三十銭或は一円何ぼとかいう其の価を、斉藤君の値の方が安くできるから其の価に修正をするが、当たって見ぬと総金額は分らぬというのです。
○(中野武営君) 一足当たりが極まりませぬと、積算は後でも出来ますが・・・・・尚ほ決の前に政府委員の意見を聴いて置きますが、大変に一足の靴では僅かに五十銭とか二十銭とか乃至一円というものでありますけれども、此夥しい需用をします靴については少なからざる金額と思います。これ等は本年始めて拵える者ではない。多年陸軍省には之を需用しておりますが、実際の所今の陸軍省の見積もりでなければこの靴は出来ないというは、どういうお考えでござりますか。それらの事を一遍伺います。
○政府委員(野田豁通君) この靴のことに就きましては一通り其の来歴を陳べておきますが、抑々日本において今日の靴の斯くの如く製造が出来ましたる起こりというものは、元と明治二年ごろ兵部省設立の際、弾、伊勢勝、この両人が率先して沢山な資本金を入れまして、而して西洋より教師を多人数傭入れましたので、其の当時は陸軍省は兵部省と申した時代でありますが、一ヵ年十万足の契約を結んでありました。故にこの伊勢勝、弾の両家は財産を傾けまして広大なる製造所を起して又数百人の職工生徒を養成し靴の製造に掛かりました。その後段々明治六七年の頃でもありましたろうか、実際十万足の靴というものは陸軍省では入用がないのです。よってこの条約を破りました。而して陸軍省は教師等を解雇せしむるため保護金を貸しあたえまして、爾後両人に対し軍靴は三ヵ年或は五ヵ年なり継続して条約を結んでやり来つておりました。元来陸軍の靴は保存期限の定がありますから、其の原質を精選して何ヶ月を持たねばならぬという定めがあります。それらの関係から致しまして、会計法設置の際におきまして段々考究を致したる上にこの保存期限があり又一方に向きましては事変に際しましては平常と違いまして沢山の需用があります故に、軍靴は平常の需要数のみでありませんで事変に際し其の沢山の靴が何時にても差支なく出来るだけ製造源を陸軍省では拵えて置かねばならぬという必要がありますから致しまして、戦時事変に際しまして其の多数の靴の需用を充たすには、一ヶ月に何万足一ヵ年に何十万足充たすことが出来るという目的を以って職工を養成し、而してそれに応ずる製革所及び製造所を持っておるものと約束を定めて置くのが必要と認め、今日は会計法中特別需用の品種という見込みを以って適当なる製造所に就き買い上げておりましたのです。先刻も申しましたとおり其の職工のことで・・・・・、罷役同盟は既に煉瓦職工なり大工なり・・・・・、靴職人におきましても其の萌がありますのです。故に到底製造所を当てにしておりましては事変等に際して差支等があってはならぬというので、断然陸軍は軍隊で製造するということに今日は方針を取りましたのです。其の代価は今日の所では時価を計り年々幾分か引き下げて参りました。二十六年度は先刻柴君より述べられました通りの代価の予算に申してあります。又是までも代価の事は格外なる廉価にて製作のことを申し出て契約ある製造者の株を奪はんというところからしまして、其の損失にも拘わらず代価は非常に安くして納めんと申し出ました者もあり、それらのものよりも度々試みのために出させ用いましたこともありましたのです。然るにそれ等の者という者は一方に向かって約束をしております者の如く責任がないから、品物が粗悪で保存期だけ持たずして却って不経済になるというようなことで、実際上是まで経験の上で悪結果を見ましたこともあります。そこで陸軍大臣は会計法の範囲内に基づきまして特別使用の目的という条に基づきまして是までやっておりました。右に就きましては検査院の質問もありましたがそれぞれ責任を以って同院にも答弁してあるのです。これ等のことに就きましては陸軍大臣が会計法の範囲内におきまして取り扱っておりましたのですから、この事が会計法の範囲内に適当しておるや否やを乱断するは会計検査院の責任で、是まで往復も致しましたのですから、一通り是までの取り扱いましたことを申して置く訳です。
○(中野武営君) 今一応伺いますが、然らば数年を切って或は年度を期して其の製造人と契約でもしてあるというようなことがありますか。今それを改めるということは其の契約に就いて改めなければならぬという結果もありはせぬかというのです。或は唯改めることが出来るのですか。
○政府委員(野田豁通君) 以前は三ヵ年或は五ヵ年の契約を結んだことがありましたが、目下は一年一年の需用靴に就いて結ぶことになっておりますから・・・・・
○(改野耕三君) この靴のことに就きましては大なる弊害があるということを確かに聴いておりますから、一応この査定に賛成しますが、只今この積算ということは出来ませぬから、この問題は積算をして明朝御出しになることを願います。唯是だけを述べて置きます。
○(犬養毅君) 是はどうですか。この積算書からこの長靴に就いて幾許ということの積算は明朝までに出来ると思いますが、決議だけは只今・・・・・
○(斉藤珪次君) 長靴は五円と見て置けば十分です。
○委員長(河野広中君) 長靴の代が一つ分りませぬが・・・・・
○政府委員(児玉源太郎君) 私は暫らく連隊長を務めておりましたが、其の時分にこの靴の支給を度々見ておりました。で数年前各所の陸軍省から条約を結びました町人から買い入れましたのを受けまする。其の受けまする時分には連隊の中で検査院を立てまして何足は何人と掛かりを極めて其の靴の底を断割りました。断割って見て愈々陸軍省から與へた見本に適つておるものなれば受け取りました。そうでないと受け取りませぬ。処が或は裏から竹の皮が出るとか細かい皮を綴って間に挿入してあるとか種々様々の弊害がありました。遂に百足持ってくる中に半分しか受け取る訳にいかぬというようなことになりました。それから請負人という即ち落札人に競争が度々ありまして、実際其の資力の無い者までが・・・・・、何月何日までに何千足持ってこいというと、それだけの資力を持っておらぬ者までも、競争して来るというような有様になりました・・・・・、到底そういうことになって或る時にそれがために破産をしたようなことまでに至りました。それから段々彼の用達会社とか弾とか桜組とか確かなる製造所を持つ者とか、もしくは期日を誤らずに何千足を何日に持って来いという約束通りに出来るという見込みのある者を以って、陸軍省は条約をしております。それで多少現在靴を軍隊が自ら拵えるという事に就いて、一般の靴職人の間に種々運動する者があるということが耳に這入っておりますが、しかしそれは如何なる事情があるも陸軍においては陸軍自らするという決心でおりました。で其の前から斉藤君の述べられまする靴の代価を安くして、それから安いから其の靴を以って果たして予定しております所の保存期限を持たすことを出来るや否や、亦その検査に当たって或は再び竹の皮が出るものと認めて置かなければならぬことと考えますので、如何にも段々靴のことに就いては弊害があるという御説もございますようでございますが、畢竟今申し述べた有様でございますから宜しく御賢考を願います。
○委員長(河野広中君) それでは決に掛かります。斉藤君のこの靴の説も出ておりますが、一足の値段は長靴を除くの外は出ておりますが長靴が分らぬということであります。兎に角安くなる見込みの斉藤君の話、それで積算は明日にもして出そうと斯ういう説であります。
○(柴四郎君) 斉藤君に質問致して置きますが、この斉藤君の靴が大変安く出来るという御調は確かなものでございましょうが、今陸軍は陸軍自ら靴を拵えるようになれば・・・・・靴の職業をするものが頻りに運動する者が沢山あるという話を聴いておりますが、斉藤君の御調はそういう者から御聴ではございますまいが、どういう所から御調でございますか。一寸それを承って置きたい。
○(斉藤珪次君) それは御答えの限りでない。どういう者が運動しておるかおらないかは知りませぬが、其の様な者から聴いたのではございませぬ。
○(山田東次君) 私は第四科のことを調査したものでありますから一寸斉藤君にお尋ね致して置きます。運動するしないそんなことに関係はないが、其の御調は只陸軍省はそれだけで買えるということを御聴きになったのであるのでございますか。買えるということを陸軍省では・・・・・現に之で買っておるのであるか、買えるそうだというのでありますか。
○(斉藤珪次君) お答え致します。この調は陸軍省は買いつつあるのと私は見ます。内外用達会社は陸軍省の御用達の一人であるから、それで拵える代金がこれこれである、そうして我々がやれば是丈で出来るということは比較を出したものである。其のことは唯話ではないのであって、大阪市の靴製造人で由良小一郎というものが確かに是丈の金額を以ってやれるということの責任を持っての話なんです。
○政府委員(野田豁通君) 只今陸軍で購買を致しております箇所は、先刻も述べます通り弾の製造所とそれに伊勢勝即ち桜組とそれに内外用達会社重にこの三箇所が陸軍の・・・・・従来より購買をしております箇所であります。
○委員長(河野広中君) それでは決に掛かります。
○(長谷場純孝君) 私も四科で調査をしましたから靴のことは政府委員にも聴きましたが、六万余の兵隊に一番に苦痛を感ずるものは靴であろうと思う。又陸軍は平時は固より軍事上の関係から見ましても実に大事なものであると思う。斉藤君の御調は精確のものとは深く信じておるけれども、私は要求通り即ち原案を賛成します。
○委員長(河野広中君) 原案に就いては決を採ろうと思うのですか。
○(杉田定一君) 私は政府委員に質問したい。
○委員長(河野広中君)決になって彼是言われては甚だ困る。それが故に議事の進行を妨げる事になります。
「採決、採決と呼ぶ者あり」
○委員長(河野広中君) 互いに争う場合ではありませぬ。査定をしたに付いて・・・・・それで斉藤君の修正説が出ておりますから、それに御同意の御方は起立。
「起立者少数」
○委員長(河野広中君) 宜しゅうございます。少数でございますから消滅を致しました。それから其の外には別段御異論がありませぬから本案の決します。」

『帝国議会衆議院委員会議録 明治篇3』
(東京大学出版会 昭和六十年)







●12月14日














◎同盟罷工の計画・・・・・靴職工社会にストライキを企てんとする者ある由。

『よろづ朝報』(明治25年12月14日付け)





12月18日








◎日本労働協会・・・・・貧民救済、労働者保護をもってその目的となす日本労働協会は設立以来日なお浅きも、有志者の加盟を請う者続々輩出し、会運日に益々盛んならんとするの模様あり。特に東京靴工協会を初めとし労働者の組織に係わる諸協会と気脈を通じて運動せんとするもの亦少なからざれば、同会は将来これらの諸協会と相提携して一大運動を試みんとするの計画にて、目下其の準備に余念なしと云へり。」

『新東洋』(12号・明治25年12月18日付け)






12月19日


「◎在桑港の日本靴職工・・・・・は今度政府より第四議会に向かって陸軍部内に工長学舎を設け職工長を養成して之を軍隊に分附し兵卒をして自ら兵靴を製造せしめんとの議案を提出したりと聞き、同盟して大いに反対の運動を始めたり。その言う処を聞くに、曰く政府が工長学舎を置き精品、廉価、防ストライキ等の利ありと言うは靴工の修業年間を知らざる謬見にして、殊に高価の原料を濫費し時間を空過し高給を支給するときは其の価の廉ならざるが故に、現在陸軍の御用商大塚、桜組、北岡組、内外用達会社等を利せしむるに過ぎず、且つ同盟罷工といえども忠節の民敢えてみだりに国家の不経済を起こす者に非らず。今もし経済上の真理に基づき政府は兵靴の雛形と必要の条件を示し人を選ばずして廉且つ良なる者を取らば、民間の靴工競争して各全力を注ぎ業を励むこととなるべし。されば之が利害を審査詳察して本案を通過せしめざらんことを希望すというにありて、代議士一同に向かって請願書様のものを遥々送り越せりといふ。」

『読売新聞』(明治25年12月19日付け)


12月20日




「◎職工税の増税を論ず・・・・・
昨日の福岡県会は左の如く職工税の増税を決議したり。、、、中にも四等税以下の如きは実に下等細民の職業其の多きを占むるにあらずや。靴直し、鋸歯立、鏡研の如き者までも二割五分の増税をなすとは。、、、

『福岡日日新聞』(明治25年12月20日付け)





「◎靴工協会労働者の大運動・・・・・靴工協会の労働者は、陸軍部内に工長学舎なるものを創設し兵卒をして兵靴を製造することとなりたるため、府下三千の靴工はまさに糊口に窮せんとする有様に立ち至りたるのみならず、政府が此等の事業をなすは実際上はなはだ不利益にして民間の事業を掠奪するものなりとて、目下各代議士を訪問し、あるいは、院外各党派に勢援を乞い、車を列ねて奔走中なり。又両三日の中には錦町錦輝館において大演説会を開き大いに輿論を喚起するはずなりと云う。因みに記す。在桑港靴工は夙にこの意見を持し「遥かに公明なる衆議院議員に白す」という一篇の論文を石版摺りに製して遥かに逓送せられ大いに内地の同業者を激励せしを以って、靴工協会の人々は斯く盛んなる運動をなすに至りしものなり。もしこの議にして不幸にも議会の容るる処とならざりし暁には同盟罷工等をもなすの決心なりとの事なれば、欧州に散見する社会党等の如きものの日本にも顕わるるに至らんも計り知るべからざるなりと或る社会経済通の人は憂慮せられたり。

『大日本教育新聞』(明治25年12月20日付け)




 [◎洋服業者の無気力・・・・・陸軍内工長学舎より影響する損害は、靴工よりむしろ洋服業者にその多きを占め居るよしなるが、一人の奮起して之れに応ずるものなきは、いかにも無気力なるものなり。職業が異なれば、かくまで気質が違うものかと、ある人は評せり。]

『大日本教育新聞』(明治25年12月20日付け)


※縫工もまた靴工とまったく同じ事情下にあったはずなのに、
なぜか、「縫工兵制度反対運動」を起こしていない。

「靴工兵制度反対運動」は、
城常太郎の仕掛人としての並外れた手腕と存在感を
浮き彫りにした労働運動だったと思う。











「◎工長学舎に対する各派の意向・・・・・元来我が国政府の官省中、最も整頓したるものは(宮内省は別物として)未だ陸軍省に勝るものなきは皆人の認むる処なるか。這回靴工協会が調査したる工長学舎の組織は、全く政府のなすべきことにあらずして寸毫も利益を認めざれば、尚詳細の調査を遂げて断然反対すべしとのことなり。今この議論の大要を聞くに、(1)徴兵年限を短縮せんとして政府に質問せしとき、政府は「軍隊練習の修熟少なくとも三年を要されば能はず」と云はれたり。而して軍隊練習の外に斯くの如き全計の職業をなさしむるは前後矛盾の所為たる事。(2)政府の工長学舎必要を認めたる理由の一に曰く、精品を得、二に曰く、廉価なり、三に曰く、非常の時に当たって同盟罷工の愁いなしと。これ皆皮想の妄見たるを免れず。何となれば、靴工の成熟は短くも三年の修練を経らずべからず。然るに其の工長として教授する人は僅かに一年の修業に過ぎず?んど精良の製品を得るを得ん。又靴工が常に汲々労力するも尚且つ一家の糊口に足らず。況んや父母妻子の恩愛に励まさるるものと日はば職掌違いにして三年を過ぐれぞ皈農するものにて、原料の濫費時間の空過毫も痛痒損得を感ぜざるものと?れぞや、加之高給の監督高給の教師其の生徒の数と対較せば亦?半に過ぐるものあればなり。又非常の時に当たって同盟罷工の愁いありという。我が国には一種独特の便利を有する草鞋なるものあり。実際の戦場においては之を用い実験数々ありしにあらずや。又如何に靴工等が愛国心に冷淡なればとて国家の危難を奇貨として同盟罷工を企つるものあらんや。これ皆為にする所あるものの為に一時瞞着せられたるには非るか。(3)兵士は身命を国家のために捧ぐるもの。自ら高尚の気概を養成せざるべからず。然るに職工的の練習を為さしむるは其の養成法の本旨に戻るものにして気概あるものの甘んじて熟達を期するものあらんや。(4)兵士は国民が国家に尽すの大義務にして、又未だ之に過ぐるの重税(血税)あらざるなり。又其の年齢は殆も人生尤も大切なる時期生活の方針を定め一定の職業を修就すべきの秋なり。又父母兄弟の心情を察し一家の組織一時変換するものなるを想えば決して兵士に此等職業を練習せしむるに忍びざる事なりと云う。」

『大日本教育新聞』(明治25年12月20日付け)



12月21日



正午過ぎ、事件勃発!



12月22日









参考文献

「◎衆議院幹長林田亀太郎・・・・・はかつて通いし某待合の下女布施しづ(三十)なるものを妾とし、官舎は申すに及ばず平河町の自宅にさへ引き入るる能はざるより、赤坂区田町一丁目七番地に花屋という待合を開きて、おしづを其の女将とし暇ある毎に通いて楽しみ居たるが、花屋の女中におきん(二十五)なるものあり。多情の林田は何時しかきんに通じたるを、おしづの為に感づかれて悶着を起こししが、早やきんは林田の胤(たね)を宿し居るため放逐することもならずして、そのまま花屋に同居せしめあり。」

『万朝報』(明治31年7月11日付け)



林田亀太郎(明治30年、衆議院書記官長に就任)
ー明治20年東京帝国大学政治科卒業ー



「◎三百人の職工議会へ押掛く・・・・・府下靴工協会の職工凡そ三百余名は昨日午後日比谷原にて勢揃いし、衆議院議長に面会を求むるとて正面ならびに通用門よりドヤドヤ入り込まんとしたるを守衛は之を制し、三百人一時に入門するも到底議長に面会すべき様もなければ先ず総代を選ぶべし、との諭示により五名の総代を選びて之を入門せしむることとなし、余りは門外土手の上に群集して結果如何と待ち構え、一時は中々の騒ぎなりしが、五名の総代はやがて吉原守衛課長に面接し、陸軍省において工長学舎を設け職工を仕立て軍人用の靴を製造せしむる案を出だしたれど、断然これを否決されたく、ついては議員の手を経て請願を差し出したるも充分の運動をなしてくれず、よって議長に面会して直接に陳述する処あらんと江戸っ子的職人肌風にやってのけたれば、課長は取り敢えず其の趣を議長に通ぜしに、議長は議事中とて林田書記官をして代わりに面会せしめたれば、職工総代は例の巻舌をもってとうとうとして弁ぜしが、中には一応の理屈なきに非ず。職工総代は曰く。「陸軍省が自ら軍用靴を製造せんとする理由を聞けば、ドイツがフランスと開戦中靴工等急に同盟罷工を企て大いに陸軍を苦しめたることあり。日本にても万一の時さることあっては不都合ゆえ、我等職人の手に委せず陸軍省自ら製造するという。されど是は無用の心配のみ。ドイツは知らず、我が日本にてはさる心配は万々なし。見なせえ、西南の戦争にても、又近頃の東北大演習にても、兵士は皆靴を用いずして草鞋を用いしならずや。我等が戦争の時同盟罷工したって何になるもんですか。我等もそんなことはやりアせんよ。」とて、なお陸軍省自ら製造するの不利益なる事、靴工ために業を失ふて惨状を蒙ることを述べたり。この談論は特に速記者をして速記せしめし、書記官は趣意を議長へ伝ふべしと申し聞けしかば、総代もそのまま引き取りたり。是より先、吉原課長は総代等に向かい、請願にはそれぞれ手続きありて最も敬礼を欠かざる様注意せざるべからず。然るに多人数脅迫がましき出院するは、けしからぬ次第なれば、摸様によりては厳重の処分に及ぶべし。よって門外の群集する者を退散せしむべく尚道路の取り締まりにも関係する処あれば、兎に角退散方を取り計らうべしと云いしに、道路のことは既に警察署に届出ありて差しつかえなしといいしも、守衛と警官との尽力にて、終に土手上にある者を退散せしめたり。」

『中央新聞』(明治25年12月22日付け)









「◎靴工数百人下院に迫る・・・・・昨日午後一時ごろの事なり。府下数百人の靴工は一の大隊を作りて日比谷が原の方より衆議院の正門めがけてノンノンズイズイと押し寄せたり。初めは靴工とも知らざれば、コハ何事の起こりたるぞと、警護の巡査、憲兵は申すも更なり守衛、警部は驚きながら、何用あって来たりつるぞ物々しき振る舞いかな用事の次第逐一述べよと問いければ、一隊の奇手は、数百人口を揃えて靴工の一隊にて候ものの衆議院に請願あって推参せるなり。通したまえや入れたまえとワイワイ言って動揺めけり。警護の面々は、ココは正門入るべからず、用事とあらば先ず通用門に廻るべしと、漸くココを退きたるに、またもや一隊の靴工は西側なる通用門に押し寄せたり。兼ねて期したる事なれば憲兵、巡査は再びこれを制止し、入れよ入れぬの押し問答に一時すこぶる雑沓せり。さて事の次第を尋ぬるに、是は全く陸軍省が来年より各師団の兵卒中に靴工を置く事となり、本年の予算には其の費用を組み入れたるより、もしこの案通過せば府下三千の靴工は其の職を失うの恐れあるより、さてはこの挙に及びしなりと。それかあらぬか是より先き本月の七日ごろとか予算委員会において斎藤珪次郎はこの費用に関する全廃説を唱えたり。当時柴四朗氏の如きは斎藤氏に向かい陸軍省に靴を作る事を聞いて靴工が頻に運動するよし聞き居れるが、君の調査は或は其の連中より聞きたるものにてはなきかと問いたる事もありしよし。尤も斎藤氏の説は委員会において少数のため否決せられしかば今日の事は既に知るものは当初より知りたるならんと云う。さて雑沓の末警官の尽力にて漸く五名の総代を入門せしめ林田書記官出でて、其の願意を聞き取りたるにやはり彼らは東京靴工協会の職工にして、従来陸軍省の軍用靴を製造し居たる所、今度之を廃し同省にて製造することとなりては、その職を失うよりさてこそ一同衆議院に到り旧に復せんことを請願せるなりと云う。杞憂家は曰く。靴工之れが俑を作る爾今或は此の風の大いに行はるるに至らんかと。」

『日本』(明治25年12月22日付け)







「◎靴職工衆議院に迫る・・・・・昨日とりあえず号外をもって報じおきたる通り、府下靴工協会の職工およそ三百余名は同日午後日比谷原において勢ぞろいをなし、星議長(注:1)に面会を許されたしとて衆議院の正門、ならびに傍聴人通用門より入らんとせしを、巡査之を制して斯く多勢の人数一時に入門するも到底議長に面会することむずかしきのみか元来穏やかならざる挙動なれば総代人を選ぶべしと諭せしに、彼らも之を承諾し、即ち五人の総代を入門せしめ、余りの者は門外の土手に群集してその結果を待ち居る中にも我々は一歩も退かずなど呼はる者もありて、一時は随分の騒ぎなりしが、やがて総代は守衛に導かれ吉原守衛課長に面会し請願の趣旨を述べたるに、陸軍省内において職工を仕立て軍人用の靴を製造せしむる制規を廃されたく、ついては議員の手を経て請願書を差し出したるも充分の運動をなしくれず、よって議長に面会して直接に陳述したしとのことなりしかば、同課長は取り敢えず其の趣きを議長に通ぜしに、議長は議事中なれば面会できがたしとて、林田書記官代理として応接し其の趣旨を筆記せしめたるが、元来彼らはこれまで陸軍省の陸用靴製造に従事し居たる者なるが、今度同省にて之を廃し、前記の通り改めたるより、彼らは其の職を失うに至りたる困難のあまりここに至りたるものなりと云えり。尤も是より先き吉原課長は総代らに向かい請願には夫々手続きありて最も敬礼を欠かざるよう注意せざる可らず。しかるに多人数脅迫ケ間敷く出院するは不都合の至りなれば、様次第に依りては厳重の処分におよぶべく、兎に角門外に群集する者を退散せしむべし。なお斯く群集しては道路の取締にも関係すれば、宜しく退散すべしと諭せしに、道路のことはすでに警察署に届け出でありて差支えなしと云いて抗弁せしも、守衛巡査協力して追いのけしが、彼らは応接の結果を見るまでは待ち居るべしとて、日比谷の方へ引き取りて待ち居たりとなり。」

『時事新報』(明治25年12月22日付け)











星亨衆議院議長

 

 




「◎靴工協会委員の拘引・・・・・衆議院に迫りたる靴職工中、委員と称する者十余名は、昨日午後三時頃京橋警察署に拘引せられ、説諭放免者の外昨夜八時ごろまでは尚十二名ほど居残りたる由。此他、麹町警察署に拘引せられし者は左のごとし。

芝区新銭座町一番地竹内芳吉方
東京靴工協会委員長
岩瀬貞三郎

京橋区築地三丁目三十番地
同委員
斎藤己巳

同築地三丁目二十六番地
今井広吉

浅草区吉野町十九番地
小蔦音五郎」

『時事新報』(明治25年12月22日付け)






「◎憲兵隊の警戒・・・・・別項に見ゆる靴工協会職工等二百余名の衆議院前に押し寄せたる際は、あたかも同院警衛憲兵巡視として騎馬伍長出張の際なりければ、伍長は直ちに同本部に通報したるより、本部にては憲兵七八名を派遣し議院近傍を警戒したるよし。」

『時事新報』(明治25年12月22日付け)







◎靴工衆議院に迫る・・・・・昨日午後一時衆議院議事の開会するや間もなく、百余名の職工ドヤドヤと衆議院通用門内に入らんとするをもって、巡査守衛は何事ならんと直に馳せつけ、これ等の人数を制しながら出院の次第を尋ねたるに、東京靴職工一同同盟して星議長に請願せんため出頭したる者なりと答えしかば、立ち塞がりて之を諭し、斯くありては甚だ不穏当なれば兎も角も門外に退くべしとて一時門外に立ち退かせ、総代を選びて請願したらんには其の事の穏当なるのみならず、却って願意も透徹する次第なれば、総代を出す事として其の他は引き取るべしと諭しけるに、一時は口々に「我々は死しても動かず」などと叫び居りて動く景色も見えざりしが、遂に総代六人を選びて他は引き取ることとしたるをもって、総代を守衛部に引き入れ、しばらくして林田書記官、議長に代わりて願意を聞き請願の趣き議長に通すべしと答えければ、ここに初めて引き取りたるが、一時はなかなかの混雑にてありき。而して其の願意は、本所外出町なる陸軍工長学舎は靴工の職を奪はんとするものなれば、之を廃止されたしと云うにあり。」

『朝野新聞』(明治25年12月22日付け)







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12月23日



「◎在米国の日本靴職工・・・・・在米国の我が靴職工は前号に記せしごとく陸軍省において工長学舎を置き、兵士をして兵靴を製造せしむるの計画あるを聞き、『遥かに公明なる衆議院議員諸君に白す』と題せる一篇の意見書を衆議院議員に贈りたるが、その意見書は米国サンフランシスコ・オフアレル街三百十四番地『愛国社』において印刷したる石版刷にして、兵士をして兵靴を製造せしむるの理由、即ち、精品を得ること、廉価なること、非常の時に当たって同盟罷工の愁いなきことの三点を一々反駁し、工長学舎を置くと否とは国家の事業としてはもとより一小部分なれども、職工等の身としては一家の運命にかかり、もし一朝これを実行せらるるに至りては、父子相別れ兄弟妻子離散する者実に千をもって算するに至らん、故に同案の通過するなからんことを望むとの意を?述したるものにして、其の署名人は左のごとし。
在米国靴職工
岩佐喜三郎、今村積五郎、今村トキ、花井直次郎、巴田英太郎、
鳥山徳蔵、渡辺伊喜松、片岡富蔵、山本富蔵、福島安兵衛、
相原練之助、清田元三郎、城辰造、平野永太郎、
岡本貞助、関根忠吉、鈴木金十郎、森六郎。」

『横浜毎日新聞』(明治25年12月23日付け)







「◎靴工騒動と工業協会・・・・・このたびの騒動についてはかの工業協会なるものは少なからぬ関係あるべしと思い、工業協会会長、佐久間貞一氏を訪ねその意見を聞きたるに、とくより激昂あるの兆しあるにつき、工業協会よりは二、三度忠告を試みたることあれども、中々静まる様子もなきにぞ後は、彼らの意に任せ、協会よりは少しも口を入れざりし。もっとも、かくの如き騒動を起せる内情は忍ぶあたわざる所ありしためなれば、将来労働問題の一参考ともなるべしといえり。」

『都新聞』(明治25年12月23日付け)









「◎集会政社法違反・・・・・前号の紙上に掲げし靴職工二百余名衆議院へ押し寄せたるその帰りがけ、警察署にて一応解散を命じたるにもかかわらず、日比谷練兵場にて、隊伍を組み道中を練り行きたるは、これぞ集会条例違反なりとて、徳島県士族岩瀬貞三郎外十四人京橋警察署へ引致され昨日直ちに検事局送り。」

『都新聞』(明治25年12月23日付け)







「◎靴工十五名の検事局送り・・・・・府下靴工協会の職工数百名が一昨日同協会に集合し、それより隊伍を組み請願のためとて衆議院に押し寄せたるは、集会及び政社法に抵触したるものなりとて、京橋警察署は同夜其の重立し芝区新銭座町一番地寄留徳島県士族岩瀬貞三郎外十四名を拘引し、一応取り調べの上、昨日検事局に送致せりと。」

『時事新報』(明治25年12月23日付け)

「◎靴工の政社法違反・・・・・府下の靴工三百余名が一昨日衆議院に押し掛けたることは前号に記せしが、京橋警察署にては時節柄捨て置くべからざることとなし、同夜築地一丁目桜組造靴職工を始め同工七十余名を引致し、ほとんど徹夜にて取調べをなしたる有様宛がち火事場のごとくなりし。右につき首謀者と認められたる徳島県平民岩瀬貞三郎外十四名の政社法違反として、昨日検事局へ送られたり。」

『東京朝日新聞』(明治25年12月23日付け)

 

「◎靴屋の一隊議院に押寄す・・・・・二十一日東京府下の靴屋五六百人衆議院に押し寄せたり。蓋し近時陸軍省は省内に製靴所を設けて盛んに軍人の靴を製し、ために府下の靴工其の職を失いたるより議長に面会して訴ふる所あらんとせしなり。警官の説諭を受けて漸く退散。」

『神戸又新日報』(明治25年12月23日付け)









「◎靴工の実情・・・・・一昨日、府下の靴工数百人、隊をなして昔の駕籠訴めきたる事をなさんとしたるは、実に穏やかならぬ振る舞いについて、靴工社会の実情を聞けば無理ならぬ事ども多し。今日は労力者有り余りて何職も賃金は次第に下がるばかりなるに、靴工などは、昨今洋服の流行せざると共にめっきり閑になり、わづかに陸軍省はじめ各師団の御用を請け負いその口を糊しきたりたるもの全国にては何万という多人数なり。しかるに、一朝この大得意先を取り上げらるるにいたらば、これら数万の靴工は腮(あご)の干上がるは必定なり。さらば手を束ねて腮の干上がるを待たんよりは一ト先ず請願するこそよけれとさては多人数押し掛けたる次第にして、靴工協会の委員長及び委員三名はために拘引せらるるに及びたれど、もともと乱暴などのありたるにあらねば、心配の事はなかるべしという。」

『都新聞』(明治25年12月23日付け)






「◎陸軍省の考え・・・・・右に付き陸軍省にては何とか考え直すならんというものあれど、始め陸軍省が兵営内に靴工場を設け現役の兵卒中より人選してこの靴工を習はしめ、兵士自ら靴を作り得るに至らば大いに便利なるのみならず、満期の後も一つの職を覚えて大いに都合よかるべく、且つは経費の点にも助けあるべしとてここに至りしものなれば、もしこの靴工にして他より雇い入れたるものあらば論なけれど、兵士の中より仕立てらるることとなりては従来の靴工は大得意場たる兵営に見離さるるのみならず、陸軍の士官その他の人までもその安価を便利としてこれを需用するように至るべく、即ちこの度の激昂を引き起こせし所以なり。」

『都新聞』(明治25年12月23日付け)





「◎千住製絨所と靴工所・・・・・陸軍省はとかく一二人に大事業を請負はしむる傾きあり。既に千住製絨所ありて兵士の服地を製造し、今また靴工を兵営内に設け一の独占事業を起こさんとす。或は第二の千住製絨所たる患はなきやと嘆息せる実業者あり。」

『都新聞』(明治25年12月23日付け)









「◎府下靴工の運動・・・・・一昨日府下数百の靴工、議院に打ち寄せたるも穏やかに引き取りたるは目出度き事なり。」

『読売新聞』(明治25年12月23日付け)








◎在米日本靴工の意見書・・・・・在桑港靴工、岩佐喜三郎氏外十三名は、我が陸軍部内に工長学舎を創設の件に付き、衆議院議員に宛て遥かに意見書を送りたりと。

『朝野新聞』(明治25年12月23日付け)







◎靴職工衆議院へ出頭の理由・・・・・在京の靴職工百五十余名(三百余名と記せしは誤り)が一昨日衆議院へ押し寄せたる事は、取り敢えず前号に掲げ置きしが、その後これ等の職工は警官の注意によりて、総代に岩瀬貞三郎、小蔦音五郎、栗須小太郎、小林常吉、斎藤己巳、今井広吉の六名を選挙し、出頭の理由を星議長に陳述することとなりたるをもって、書記官林田亀太郎氏議長に代わりて之に応接し、楼上の一室に導き、其の所説を聞き取り、且つ書記官をして筆記せしめたる由なるが、其の要領は左のごとし。

一、世の文明に赴くに従い、官業を民業となすの常態なるに、陸軍省が被服工長学舎なるものを設け、兵士の製靴をなすは、我々幾多の靴職工の業を奪うものにて、甚だ解せざる事。
一、当路者の所言を聞くに、軍備上及び経済上の利益より之を設立して製造するを要すといえども、右は左程の利益なき事。

『国会』(明治25年12月23日付け)






「◎靴職工大挙して議院に押かく・・・・・東京の靴工二百人一昨日請願の筋ありとて衆議院に押しかけ一時は大いに騒?したる由。何等の珍事ぞや。」

『海南新聞』(明治25年12月23日付け)





「◎職工の同盟運動・・・・・一昨二十一日東京の靴製造職工凡そ二百人計り請願の筋ありとて衆議院に押し掛け一時は余程の騒動なりしと云ふ。」

『熊本新聞』(明治25年12月23日付け)








「◎靴工数百名衆議院に迫る・・・・・、、、」

 『岐阜日日新聞』(明治25年12月23日付け)












●12月24日





「◎第四回帝国議会
24日午後1時14分開議
(第一、予算案)
・・・・・、、、

○大島信君(六十九番) 政府委員に質問を致したい。
○議長(星亨君) 質問ですか。
○大島信君(六十九番) 質問がしたいのです。質問を致したいということは他のことではないのです。陸軍兵の要する所のその靴の件である。此靴の一事については近頃種々の風説が新聞紙上に現れ来っておるのである。この風説によると、陸軍兵卒の用いる所の靴は陸軍省内において之が供給をなすということを計画をなしてあるや、勿論風説であるが、はたして此靴製造のことは、陸軍において計画をしておるという事実があるや否や、この事実があるとしたならば、之をこれまで普通一般の商人に托して、職工に托して製造した所の得失と之を比較したならば、いずれが経済上において利益なるや、事実の有無とあわせてこの二点を伺っておきたいのであります。
(政府委員陸軍省経理局長陸軍監督長野田豁通君演壇に登る。)
○政府委員(野田豁通君) 六十九番に一応お尋ね致しますが、少し御問の要点を得ませなかったが、今一応どうぞ伺いたい。
○大島信君(六十九番) 陸軍省の用いる所の靴でございます。この靴の供給のことをば是より陸軍省内において企図したるという所の風説が追々新聞紙上に現れておるのである。そうしてはたして此事実があるや否や、之を事実としたならば是まで一般の職工に托して製造した所の得失と之を比較して経済上の利益如何、この点であるのであります。
○政府委員(野田豁通君) わかりました。然るにただ今お尋ねの靴のことは既に決議し了りました。軍事費被服の項でありますが、然るに是は風説ではありませぬ。即ち提出を致してある所の予算中に要求してありまするのであります。然るにこの事につきまして過日来、各新聞でも種々な事柄を掲げ、既に外国新聞までも掲載するような次第に立ち至り、又両三日前は本院の門前に多数の職工も来って歎願をなしたような次第であります。故に本官はこの屯田兵の事柄に関係するのではありませぬけれども、この場合におきましては十分に御答えを致し、第一に諸君に陸軍省より要求致しましたる点がはたして必要であるということについては、既に議決にはなりましたけれども、是は一般に公に致しておくということは極く必要でございますからして、ただ今のお答えに対しましては或はお答え外に渉るかも知れませんが、十分のお答えを致しとう思いますからして暫らくの間の、、、

○議長(星亨君) 少しお待ち下さい。六十九番のお聞きになったのは既に決議したことで、政府委員は何れの時でも言うことはできますけれども、向こうの問いにお答えになるのでありますから、問いが既に許されないとすれば議長は許すことはできない。願わくばもし万一議場が聞きたいということならば、簡単に遣って下さればよろしい。さもないと特にご要求になるならば格別、質問としては少し困ります。
○政府委員(野田豁通君) 然らばどうでございましょうか、この事については大分世間でも疑いがあろうと思いますから致しまして、どうか十分か二十分の間要領だけを述べておきたいと存じまするが、どうでござりましょう、
(遣るべし遣るべしと呼ぶ声あり、五分に願いますと呼ぶ声あり、今聴くの必要なしと呼ぶ声あり、拝聴しましょうと呼ぶ声あり。)
○政府委員(野田豁通君) 然らば要領だけを極く簡単に申し上げます。
○議長(星亨君) つまり是は政府委員の要求として述べえることに議長は認める、即ち問いに答えるということは認めない。
(時間に制限はないと呼ぶ者あり。
○大島信君(六十九番) 質問に対しての答弁でない、別に政府委員の要求して更に述べらるるということならば、どうか簡単でなく十分に述べらるることを希望いたします。
○政府委員(野田豁通君) なるべく時間を費やしませぬように要領を述べますでありましょう。軍隊に此靴工の職工を置くといいますのは何ぞ今日に始まったのではないのでございます。是は軍隊編制上の上におきまして既に職工というものは置く事になっておりましたのが、今日までは未だ其の組織が成り立たず人員等の決定せぬ所から致しまして、今日までは置いてなかったでございます。之を二十六年度より愈々軍隊に職工を置いて自ら軍隊の靴を揃えるということになった。其の必要は如何であるかといえば其の要領は軍事上の必要より起こったものと言わねばなりませぬ。軍事上の必要という所を簡単に述べますれば、元来軍事の給與は平時の目的にあらずして戦時給與を完全せしむるというのが主眼であります。よって今日までは市井の職工即ち製造所よりして靴を買収しておりました。けれども被服というものは軍需中兵器弾薬に次ぎまして最も必要なるものである。故に民業の供給を頼まずして戦時給與を確実完全ならしむるためには、軍隊自ら之を造るの方法を計画せねばならぬという場合に至ったのであります。で又一の論者は軍事上の必要と言うけれども現に十年の役其の他演習のごときには草鞋を用いるではないか、然るに軍事上の必要とは何事かと言いますが、決して今日陸軍の戦時に用ふるものは草鞋ではありませぬ。靴を用ひるという目的でであります。如何となれば草鞋を用ひることになりますれば、草鞋のみで用をなしませぬから致しまして足袋を用ひなければならぬ。足袋と草鞋を用いるという計算から割り出しますれば服役三ヵ年の間には八円ほど靴より高くなります。故に平時といえども草鞋を用いるということは得策ではありませぬのです。又軍隊は内乱鎮圧が主ではありませぬ。専ら外寇防御が重なるものでありますから致しまして、陸軍の靴を供給します上に就きましても即ち海外出師の上に就いて準備をなして置かねばなりませぬ。之をなして置きませぬには一師団の兵を海外に出すと致しまして、其の全員二万五千として、兵一人につき晴雨平均二足を給與を致すとしますれば、一ヶ月には百五十万足の草鞋を要します。之を海運しますには千トン内外の舟を要するに至るのでありますからして、到底草鞋ということは出来ぬのであります。故に今日は是非靴を用いるというの目的であります。しかし今日の靴が果たして日本人の足に適するや否やということについては決して今日の靴をもって満足はいたしませぬ。尚ほ足の痛みが少ないように且つ費用も減ずるように又保存によろしきようにこの上十分改良を加えることは、当局者も最も意を用いております所でありますのです。段々この事については十分なる説明を致したいことでありますけれども、今日の時間は最も必要な場合でございますから致しまして、要領即ち軍事上の必要から起こり止むを得ず軍隊自ら靴を製作せねばならぬという場合になったということだけ述べて置きます。」

『第四回帝国議会議事録』









 「◎靴工拘引せらる・・・・・過日群をなして衆議院にいたり、我が国にその例少なき職工のデモンストレーションを行いたる府下の靴工中、十五名は集会条例違反の廉をもって京橋警察署に拘引せられ、すでに警視庁へ送致されしよしなり。」

『日本』(明治25年12月24日付け)







「◎靴工協会総代申立の二三・・・・・靴工協会に属する靴職の総代が衆議院事務局にて申し立てたる官業靴工の利害に関する申し立て二三を挙ぐれば、曰く、これまで陸軍省が用達商の手より購買する靴(兵卒用平靴)は一足一円二十九銭なり。然るにこの靴は各商店即ち靴屋にて一足一円九銭をもって販売するものにして陸軍省は御用達の手を経るがゆえに一足につき二十銭の上前をかからるるなり。曰く、陸軍省は経済の点より工長学舎の兵卒をして製造せしめんとするも、熟練なる靴工が一日二足を製造する間に、兵工は一足の半ばを造るあたわず。即ち時間の上において不経済の証明なり。曰く、陸軍省は靴に要する革類及びミシン其の他の材料を用達商人を経て市価よりも二割ないし三割の高価にて買い上ぐるのみならず、兵工は自身に損益なきをもって、此の高価の材料を?漏に取り扱い、少々の仕損じにても容捨なく取り捨る有様なり。曰く、兵工は三年の兵役の間、靴の製造に従事するも、満期後一般靴工と化し、やはり其の職無きに困しむという結果となるなり云々。」

『朝野新聞』(明治25年12月24日付け)









「◎社会党たらざる可らず・・・・・日本靴工協会の靴職人等は今回同業者十五名が集会政社法違反のかどをもって一同獄に投ぜられしを本意なく思い、もしこの上陸軍省の意見行われ十七万円の経費を工長学舎の兵工に充つることとなり、全国五千人靴工その業を失う以上は勢い社会党をもって自ら任ずるの決心の出でざるべからずとてすこぶる激昂しおるよしなり。」

『朝野新聞』(明治25年12月24日付け)







「◎議長靴工を議院に召す・・・・・日本靴工協会に属する靴職工三百有余名大挙して衆議院に押し寄せたる事情は前号の本紙に掲げしが、右請願の件につき、林田書記官は星議長の命により、昨日午前九時靴工総代岩瀬貞三郎外五名を事務局へ召喚せしも、右総代人は即日其の筋へ繋獄せられ、一人も在宅せざる趣きをもって、代理者出頭したるにつき、同書記官より、総代をもって願い出たる趣意は詳細議長へ具申し、議長より野田政府委員及び予算委員陸軍主査加藤政之助氏等へ委細報道し尚請願書及び関係書等も一々閲覧したれば、請願の趣きは議長において委細了承したり。尤も行政上に関するものは処分することを得れども、其の職業上、即ち何処へ仕事を申し付けよなどというが如きことは議長の関すべき筋にあらざれば、左様相心得べき旨、こんこん諭示したる由。」

『朝野新聞』(明治25年12月24日付け)









「◎百五十余名の靴工衆議院に迫る・・・・・、、、。」

『大阪毎日新聞』(明治25年12月24日付け)








「◎靴工の請願に対する説諭・・・・・一昨々日、靴工同盟会員等が意見陳情のため衆議院に詰め掛け、右のうち六名の総代を引いて林田書記官に面会し意見を陳述せしめ、即ち其の筆記を陸軍省予算主査加藤政之助氏及び政府委員野田監督長の両氏へ各一部づつ送付し、之に関して取調べをなさしめ、尚昨日午前十時総代を呼び出せしに、右の総代は目下拘留中なるをもって総代の代理野村眞吉出頭したれば、林田書記官、議長に代わりて、衆議院は立法府にして行政権に属することにまで立ち入るあたわず。然れども其の事実は猶取り調べ、それぞれ取り計らうべき旨を諭して退かしめたり。」

『やまと新聞』(明治25年12月24日付け)









「◎靴工一件・・・・・星議長は昨日午前林田庶務課長に命じ請願書を出せし靴工総代岩瀬貞三郎等を召喚せしめしに何れも拘留中なればとて代理人来たりたり。書記官は代理人向かい請願の要旨は星議長より野田政府委員及び主査加藤政之助氏へ達し其の他も承知せり。就いては行政上の矯正は任ず可きも仕事請負を何処に命ず可しとの事は関係し難しと伝達せり。又従来陸軍省へ納め来れる軍卒靴(平靴)は各靴店にての売値一円九銭のものを一円二十九銭にて上納し居れりと。因みに記す。洋服、帽子も工長学舎において製造する事になると聞き、当業者は其の筋へ請願せんと騒ぎ居る由。」

『万朝報』(明治25年12月24日付け【欄外記事】)







「◎靴工衆議院に迫る・・・・・去二十一日午後一時衆議院議事の開会するや間もなく、百余名の職工ドヤドヤと衆議院通用門内に入らんとするを以って巡査守衛は何事ならんと直ちに馳せ付け出院の次第を尋ぬるに、東京靴工職一同同盟して星議長に請願せんため出頭したる者なりと答へしかば、懇に之を諭し斯くありては不穏当なれば兎も角も門外に退くべしとて、一時門外に立ち退かせ総代を撰みて請願したらんには其の事の穏当なる巳ならず却って願意も透徹する次第なれば総代を出す事として其の他は引取るべしと諭しけるに、一時は口々に「我々は死しても動かず」などと叫び居りて動く景色も見へざりしが、遂に総代六名を撰み守衛部に引き入れ林田書記官、議長に代わりて願意を聞き請願の趣き議長に通ずべしと答へければ、茲に初めて引取りたるが一時は中々の混雑にてありき。而して其の願意は本所外出町なる陸軍工長学舎は靴工の職を奪はんとするものなれば之を廃止されたしと云ふにありしと。」

『奥羽日日新聞』(明治25年12月24日付け)





「◎靴工衆議院に押懸く・・・・・陸軍部内に工長学舎を設け兵卒をして兵靴を製造せしめんとの議あるより東京府下の靴工大いに激し、斯くては我々の職業を奪うものなれば此の議案は衆議院において否決させたきものなりとて、百五十余名の靴工は去る二十一日衆議院に迫り頗る混雑したるが、その中の総代六名が林田書記官に面会して夫々願意を陳述したと由。」

『岩手公報』(明治25年12月24日付け)







「◎職工三百人衆議院に迫る・・・・・さきに陸軍省において解雇せし靴職工三百人今二十一日衆議院の正門に押し寄せ将に院内に入って請願する所あらんとせり。然るに憲兵巡査のために制止せられて其の意を達することを得ざりしかば、彼等は一旦引き取らんとせしが、更に協議を凝らして再び議院内へ押し寄することを決議し今度は方向を変じて将に通用門を入らんとせしに、亦又憲兵及び巡査等のために抑制せられて望みを達すること能はず故に、三百人の者等は何れも不平を鳴らし益々激昂の気味あり。目下憲兵及び巡査等に向かって談判を試み居れり。而して聞く処によれば、斯く多数の職工等が衆議院に押し寄せたるものは同院における予算査定案の結果として陸軍省附属の靴工場を廃止せしによるものなりと云ふ。」

『徳島日日新聞』(明治25年12月24日付け)






「◎百五十余名の靴工衆議院に迫る・・・・・、、、。」

『信濃毎日新聞』(明治25年12月24日付け)










「◎散録/活計難靴工請願(食うにこまる靴屋のおねがい)

・・・・・

役人   靴屋(三階総出)

(甲)ヘイお願いでござります。
(乙)御願い様でございます。
(丙)お願い
(丁)お願い
(戊己)ワイワイ
(庚辛)ワーワー
(役人)コリャコリャかしましいわい。等は何者じゃ。
(甲)ヘイ靴職の者でござります。
(乙)陸軍様の御出入りが止まりましては
(丙)私共の顎が干上がります故
(丁)どうぞ今まで通り御出入りのかないますよう
(甲)お願い申しに
(皆)参りましてござります。
(役人)なるほど願いの趣きは道理じゃが、その方達は願書を持って参ったか。
(甲)イエそのような物は・・・・・
(役人)持たぬと申すか。
(甲)ヘイ。
(役人)たわけ者めが、今日当役所へ願いあって参る者は皆その願の趣きを書面に認めて差し出すが習いじゃ。しかるにそち達は其の書面も持って参らず只多人数押し寄せてかようにワイワイ申しおっては、第一大切な相談の邪魔になるワ。
(甲)ヘイ、その書面に認めます事も存じてはおりますが
(乙)左様な事を致していますと
(丙)御役人衆の御手許で
(丁)握り潰しに相成ります故。
(役人)何を申す。
(甲)握り潰し。
(役人)誰が左様な事を致した。
(甲)御役人衆が。
(役人)こやつ無礼な事をぬかす目通り叶はば退去り居ろう。
(皆々)イイヤ退去りませぬ。
(役人)何を小癪な。
(皆)とんでもな事。ソレッ(トンパタリ、パタパタパタパタ)。」

『日出新聞』(明治25年12月24日付け)









「◎THE SHOEMAKERS AT THE DIET・・・・・The House of Representatives was besieged on the 21st instant at about 1.30p.m., by a party of shoemakers about 150 strong, demanding an interview with the President. In the Budget now under discussion in the Lower House, the Government has included an appropriation for the establishment of a shoe factory to teach the soldiers how to make their own shoes and boots. Should this appropriation be granted thousands of shoemakers expect to be thrown out of employment. The excitement prevailing among them may well be imagined. They accordingly presented a petition to the Diet some time ago, and have subsequently been seeking interviews with the principal members. But the latter are said to have received them very coldly. Growing desperate at last, they mustered their forces on the 21st and proceeded to the Diet to enforce their petition by a public demonstration.....the first of its kind organised in japan. The President being occupied by his duties in the House, instructed his able subordinate, Mr. Hayashida Kamesaburo, a Secretary of the House, to ask what was wanted. Mr. Hayashida, perceiving that the shoemakers were making a demonstration of their strength, peremptorily refused to have anything to do with them unless they dispersed and left a few representatives only. After some difficulty, his firm attitude prevailed, and the crowd gradually melted away, leaving only six of their number headed by a man named Iwase Teizaburo. These six were then admitted into the House, and laid their case before the Secretary. They bitterly complained of the indifference shown to their case by the members of the Diet whom they had interviewed. They said that, if the measure proposed by the Government were conducive to the benefit of the people in general, they would not oppose its consummation, however much their private interests might be affected. But they were firmly convinced that it could not be productive of any good. The Authorities, citing a case that once happened in Germany, maintain that there is danger of a shoemakers, strike in time of war. But the representatives of the shoemakers were informed that there had never been an instance of such a strike in any country except the one quoted. Moreover, in this empire there is little likelihood of shoes being used in time of war, straw sandals having been proved to be better adapted to the requirements of Japanese troops on campaign. Hence, the shoemakers contended that from this point of view there was no reason for the establishment of a special shoe factory in the Army. In respect of economy, too, the measure was of doubtful expediency. At present 170000 pairs of shoes are annually required in the Army, and the authorities state that, if these shoes are made by the soldiers themselves, the cost per pair, which is now 1 yen 39 sen, may be cut down to 1 yen. The shoemakers, representatives strongly doubted the accuracy of this estimate. They said that, in their case, they had to pass 5 or 6 years in apprenticeship before they could become even tolerably good hands. How then could a soldier be expected to make good shoes during his three years, active service ? The shoes thus made must necessarily be of unferior workmanship, so that where two pairs are now sufficient, it would be then become necessary to have three. Moreover, the original materials are to be supplied by the goyo shonin officially patronized merchants as usual, and they know how to supply such things at figures very lucrative to themselves. Altogether, in the opinion of the shoemakers, the proposed innovation is exceedingly ill judged, being simply calculated to bring distress on thousands of honest and good workmen, without contributing to public economy in the slightest degree. They requested that the president of the House would kindly take the trouble to acquaint the members with the views they had thus far expressed. On departing they left a large package of closely printed sheets to be distributed among the members of the House. These documents, signed by about 20 shoemakers now in America point out the inexpediency of the contemplated measure, and pray that the members of the Diet will use their influence to avert a calamity needlessly impending over thousands of poor workmen. The documents had been printed at the office of the Japanese newspaper, AikokuPatriotism, in SanFrancisco.

☆☆☆

It must be mentioned, in justice to the shoemakers who made the above demonstration, that they refrained from any violent or disorderly conduct. They were as respectably dressed as their humble means could afford, some even wearing haori and hakama and they behaved with perfect propriety. It is impossible not to sympathise with their case.


THE JAPAN WEEKLY MAIL』(明治25年12月24日付け)








英文和訳(管理人)

「◎議会に靴工がデモ・・・・・21日午後1時半ころ、帝国議会に約150人〔300余名〕の
靴工の集団が押し寄せ、衆議院議長との面会を要求して取り囲んだ。

現在、衆議院では国家予算を審議中だが、政府は、兵卒たちがみずから軍靴の造り方を学ぶための靴工場の建築費も、支出金に組み込んでいる。

もしこの政府支出金が衆議院を通過すれば、幾千人の靴工たちが失業することが予測されている。職を失う危機に瀕した靴工たちの怒りは、想像するに難くない。

彼ら靴工たちは数日前、主だった議員との面会を求めて、議会に請願書を提出していた。しかし、請願書は議員らにより冷たくあしらわれたという。

靴工たちの絶望はつのり、21日、ついに彼らは勇気を奮い立たせ、我が国では初の組織化されたデモとなる、国会に向けての示威行為におよんだ。

議会内の職務で多忙な衆議院議長は、議長代理として林田亀三郎書記官を派遣し、デモ隊との交渉に当たらせた。

靴工たちによる示威行為の混乱を収拾するため、林田書記官は団体交渉を断固として拒否し、デモ隊が解散した後なら数人の代表者と面会するという条件を出した。

それでもいくらか騒ぎは続いたが、ついには林田書記官の有無を言わせない態度が甲を制し、靴工集団は徐々に散り散りになり、靴工のリーダー・岩瀬貞三郎ら代表六名を残して解散した。

彼ら六名は議会内に通され、書記官との面会を許された。靴工のリーダーたちは、陳情を持ちかけた議員たちの靴工兵制度への無関心を厳しく非難した。

彼らの言い分は、「もし政府が発案した法令が一般国民の利益に適うものであれば、我われはその遂行に反対はしない。しかしながらこの法案は、国民の利益に悪影響を与える」というものだった。彼らは、この法案が生産的な結果をもたらさないということを固く信じている。

政府側は、戦時中に靴工たちがストライキをしたため軍靴が不足したドイツの事例を引き合いに出し、靴工兵制度の必要性を主張した。

しかし靴工の代表者たちは、そのドイツでの事例以外には、どこの国にも戦時中の靴工ストライキは起きてはいないことを指摘した。その上、我が帝国においては、藁の草履のほうが進軍するのに使い勝手が良く、実戦での軍靴の使用頻度は少ない。これらの見地からしても、軍内に直属の靴工場を設ける理由はないと言い張った。

経済的な見地から見てもまた、靴工兵制度が好都合なものかは疑わしい。現在、年間17万足の軍靴が消費されている。政府の説明によると、もしこれらの軍靴を兵卒たちがみずから製造すると、今現在1足につき1円39銭かかっているのを、たぶん1円にまで節約できるという。

しかし靴工の代表者たちは、政府によるこの見積もりの正確さに強い疑念を抱いている。兵卒がそこそこの靴を作れるようになるまでには、少なくとも5-6年の見習い期間が必要だ。たった3年間の兵役期間中に、良質の靴を造れるようになるほど上達するわけがない。

熟練の靴職人によって造られた高品質の軍靴なら1年に2足で充分足りるところが、未熟な兵卒によって造られたものなら、3足は必要になってくる。

その上、原材料の皮革は通常、認可を得た御用商人によって供給される。彼ら御用商人は、自分達がより儲かる値段で取引する術を心得ているので、材料の安価な仕入れは難しい。

靴工たちの意見を総合すると、発案された靴工兵制度は、公共の利益にまったく寄与しないばかりか、幾千人もの正直で勤勉な靴工たちに苦痛をもたらす、非常に間違った判断で起草された提案だということになる。

靴工代表者たちは、自分たちの意見を他の議員たちに熟知させてくれるよう、衆議院議長に要請した。

彼ら靴工たちは議会から退席する際、衆議院議員に配ってもらうために、ぎっしりと印刷された書類の詰まった大きな箱を置いていった。この書類は、アメリカ在住の靴職人約20人によって署名されている。文面には、発案されている靴工兵制度は得策ではなく、何千人もの貧しい靴職人が必ずしもおきる必要のない大災害に巻き込まれないよう、議員たちがその影響力を行使して廃案に持ち込むよう祈る、と記されている。

この書類はサンフランシスコにある日本語新聞「愛国」の社内で印刷(注1)されたものだ。

********

上記のデモを行った靴工たちの名誉のためにも、彼らがいかなる暴力行為や違法行為も犯していなかったという事実を書いておかなくてはならない。

彼らは質素ではあるが、きちんとした服装をまとっており、中には羽織袴を着ている者もいたくらいで、完璧に礼儀正しく振舞った。彼らの主張に同感しないではいられない。」


『ザ・ジャパン・ウィークリー・メイル』
(明治25年12月24日付け)




(注1)
「◎「愛国」の改良・・・・・去る二十年来在米自由主義者の設立に係る
愛国同盟の機関紙「愛国」は是まで石版又は速写機にて刷行し来りしも
印刷鮮明を欠き折角の辛労も通読に苦しむの憂いあるより、
今回本邦の活字を調製し今十一日の便船にて
寄送することになりしと云ふ。」

『国会』(明治25年6月11日付け)



「、、、邦文活字数十万を購入し来二十三日横浜解覧の
ベルジック号に搭載し、彼地に送達するの
準備巳に成る、、、」

『国会』(明治25年6月17日付け)










「◎靴職工衆議院へ出頭の理由・・・・・、、、」

 『下野新聞』(明治25年12月24日付け)

 

 

 

 

「◎靴工衆議院に迫る・・・・・、、、」

 『東北新聞』(明治25年12月24日付け)

 








「◎靴工三百余名衆議院に迫る・・・・・、、、」

 『扶桑新聞』(明治25年12月24日付け)

 

 

 

 

 










●12月25日



「◎靴問題遂に出でず・・・・・聞く頃者東京靴工協会の有志者衆議院に迫るや、政府は社会の興論も亦之がために興起して靴問題は陸軍省に関する予算案の通過に莫大の影響を及ぼすべく、殊に被服費に対するの質問は雨の如く降るならんと予期し、政府委員は数日前より熱心に之が調査を遂げ、議員の質問一たび起こらば之に対して充分の答弁を興へんと待ちかまえたりし。然るに図らざりき一昨日の衆議院は議事すでに陸軍省の予算査定案に移るも、該問題の現れいづべき軍事費中の被服費は何事もなく通過し去り、屯田兵費の議事に至りて初めて大島信氏が遅ればせの質問を試みたるに止まり、三百の議員敢えて一の質問をなすものなからんとは。且つ政府委員が大島議員に対する答弁に曰く。兵士用靴の製造を軍隊中に移せる所以のものは他の理由あるにあらず。全く軍隊自治の精神より戦時の急に応ぜんがためなり。民間靴工社会のためには憐れむべきも、軍隊の自治上誠に止むを得ざるなりと。而して査定案は横行闊歩衆議院の議場を通過せり。嗚呼三百の議員斯くの如くなるも尚ほもって気あり骨ありと誇るを得るか。余輩は今にして思ふ。日々予が卿等に向かいて骨抜?の尊号上りしは真個に偶然にあらざりしを。」

『新東洋』(第十三号 明治25年12月25日付け)










「◎靴問題出でず(政府委員の失望)・・・・・かねて陸軍省所管の政府委員は、昨日の予算会議において陸軍省所管歳出経常部を討議するに当たり、必定靴問題のごうごうとして湧き起こらんことを待ち掛けたり。されば数日前より委員は熱心に之が関係書類の取調べに従事し、何時にても議員の質問に逢はば、之に対し充分詳密なる答弁を興えて、議員ならびに靴職工を満足せしめん考えなりしに、はからずも昨陸軍省の予算歳出経常部の討議に掛かるや、同問題の現れ出づべき軍事費中の被服費は何事もなく経過して、之と縁故無き屯田兵費を議するに当たり、初めて靴問題の質問者を現すに至りたり。是れ固より不規律の質問なり。然れども政府委員はせっかく材料を取り集めて答弁の準備を成しおりたる事なれば、之に答えて満足を興えんと試みしが、議長が筋違いの質問なれば答弁するに及ばずと差し留めたるため、素志を果たす能はず、痛く失望したりと語り居る由。」

『東京日日新聞』(明治25年12月25日付け)





「◎ー第四議会実録ー衆議院(十二月二十四日午後一時開議)第一・予算案・三時迄・陸軍省所管・・・・・、、、大島信氏は陸軍省にて爾来靴工場を設くるの計画ありとは眞乎と問へり。その時は既に陸軍省軍事費の部を終わりたる後にてありけれども、野田氏は敢えてすげのうはあしらわず、両三日前靴工どもが此議院の門前に押し寄せたることもあれば一通り説明致すべしとて、陸軍省にて靴を用いることは、軍事上の必要より来たりたるものにして、もし草鞋を用いるとせば之に附属するの足袋も要すべく、一ヶ月には百五十万足の草鞋の入用あり。其の不経済靴を用いるよりも甚だしなどと説明せり。、、、」


『国民新聞』(明治25年12月25日付け)




答弁する野田豁通



※参考文献

「◎男爵野田豁通・・・・・本郷区本郷金助町一番地陸軍監督総監野田豁通は陸軍の御用商人輩より献納したる神田区西小川町一丁目一番地の別宅に元と烏森芸妓酒井のぶなる妾を置き、同じく御用商人等より寄付したる近傍貸家の差配たらしむ。」

『万朝報』(明治31年9月1日付け)





「◎予算案陸軍省所管・・・・・に入る加藤政之助、裏天の裏天たる面貌をもって演壇に上がり、陸軍省の経常費減額の少なきは彼れ陸軍省が前年の査定案と略ぼ相近き迄に自ら費用を節減して要求せし故なりと弁明せり。而して我々は敢えて軍人のご機嫌を損するを恐るるがためには非ずとの申?隠然言外に知れたり。犬養の宿??は裏天坊の申?、シッポを出しては一大事と横合より飛び出し陸軍に減額、多からざるは陸軍の組織其宜を得たるがためなり。平時において戦時の準備をなしえるの組織なればなりと敷宿したり愈よ弁じて愈よ其の微旨を伺うに足る。質問の矢は放たれたり。蝟の如くに政府委員席に集まりたる児玉源太郎、野田豁通、善く戦う。受けては流し、流しては受け縦横無尽に切りまくる。豁通この日の戦いは数日以来疲れたる原案軍のため頗る気を吐きたり。而して彼が屯田銀行に関し、靴に関して発したる大砲は狙い聊か外れたれども以って敵軍の惰気を破るに足れり。然れども大勢は既に定まる。陸軍省も亦査定軍の全勝なり。」

『東京日日新聞』(明治25年12月25日付け)





「◎靴工三百余名衆議院に迫る・・・・・、、、。」

『佐賀自由新聞』(明治25年12月25日付け)









「◎靴職工衆議院に迫る・・・・・、、、。」

『新潟新聞』(明治25年12月25日付け)












「◎議院門前の喧騒(政社法違反)・・・・・、、、。」

『大阪朝日新聞』(明治25年12月25日付け)









「◎在米国靴工の檄文・・・・・目下米国に在住の本国靴職工十有余名は一片義侠の精神獣するに由なく、遥かに左の一書を衆議院議員諸氏に寄せて東京靴工協会の運動を助けんとせり。その文?々数千言靴工社会の惨状を陳して余す所なし。敢えて請ふ世上の志士、希わくば軽々観過するなからんことを。」

『新東洋』(第十三号 明治25年12月25日)














◎予算委員会決議の報告・・・・・、、、▲陸軍省 同省費目中議論の生ぜしは、被服費中の靴製造費なり。之は政府の要求を以って不当とするの議論も出でたりしが、しかし之を節約する時は、靴商中にて不誠実の所行に及ぶの恐れありとて、政府の注意もありたるに因り、要求通り可決したり。」

『立憲改進党党報』(第二号)







◎議長靴工を下院に喚ぶ・・・・・日本靴工協会の靴職工三百有余名大撃して衆議院へ押し寄せたることは去月二十一日の事なるが、右請願の件に就き林田書記官は星議長の命に依り、去二十三日午前九時、靴工総代岩瀬貞三郎外五名を事務所へ召喚せしも、右総代人は悉く繋獄せられ一人も在宅せざりしを以って、代人出頭したるに付き、同書記官より願出の趣意は詳細議長へ具申し、議長より野田政府委員及び予算委員陸軍主査加藤政之助氏等へ委細報道し、尚請願書及び関係書等も一々閲覧したれば、請願の趣きは議長において委細了承したり。尤も行政上に関するものは議長の関すべき筋にあらざれば左様相心得べき旨懇説諭示したり。労働者の始末には何国の議会においても随分持て余すものと見ゆ。」

『立憲改進党党報』(第二号)








「◎靴商の請願騒動・・・・・昨日靴商二百名衆議院に押し掛け大騒動を醸したるは、予算査定案にて陸軍省附属の靴工場を廃したるにより斯くては生活に困難ありとて之を訴ふるためにてありし。」

『鎮西日報(長崎県)』(明治25年12月25日付け)

 







「◎靴工三百余名衆議院に迫る・・・・・去二十一日午後二時頃東京府下の靴工三百余名請願するところありとて一同衆議院内へ押し入らんとせしにぞ。同院警衛の憲兵巡査等之を制止し入院を差し止めしかぞ更に同院西側の通用門より押し入らんとせしが、是れ亦憲兵巡査等に制止せられしより一同は頻りに巡査憲兵等と談判をなし居たりと。是れ即ち陸軍工長学舎は靴工の職を奪はんとするものなれば之を廃止されたしといふに。」

『山陰新聞(島根県)』(明治25年12月25日付け)





「◎二百名の靴工衆議院に迫る・・・・・去る二十一日午後一時、、、。」

『東奥日報』(明治25年12月25日付け)








「◎靴職工衆議院に押し掛けたる詳報・・・・・此の事前々号に報ぜしが、、、。」

『熊本新聞』(明治25年12月25日付け)







「◎衆議院議事録・・・・・十二月二十四日午後一時十五分開議/第一日程/予算案 陸軍省、、、
●大島信君  靴の事に付いては新聞紙上種々の記事あり。依って実際の模様を聞かん。
●野田政府委員  軍隊に靴職工を置かんとせしは今に始まりしにあらず。而して二十六年度より靴職工を置くとせしは軍事上必要なるが故なり。即ち戦時の急に応ずるを目的としたるものなり。故に民業の供給を侯たざるも軍隊自ら製靴をなすを必要と認むるが故なり。而して論者は彼の十年の役にも実際草鞋を用いて靴を用いざりしに、今靴の必要ありとは何事ぞやと云う者あり。然れども陸軍においては草鞋を用ゆるの考えあらず。即ち経済上においても靴の方廉なり。又陸軍は内乱鎮圧のみを目的とせず。国防を主とするが故に海外出師の準備上としても靴の方が草鞋に優るものあり云々、、、。」

『経世』(明治25年12月25日付け)







●12月26日





「◎帝国議会 衆議院(二十四日)・・・・・、、、●大島信君ー政府委員に質さん。昨今新聞紙上靴の事に就き風説あり。果たして靴は陸軍省内にて製造し居るや、又製造したる靴は是まで市中の商人に命じて造りし者と其の経済上の得失果たして如何。●野田政府委員ーこの事は風説のみならず既に提出せる予算案中にも編入せり。この事については諸新聞に記しあり。既に両三日前も数百名の靴工此門前まで来たりたりとか。この靴工は既に従前より軍隊編成上において置くこととなり居るものなるが、明二十六年度より軍隊上に靴工を置く事となりしは、軍事上の必要より起これるものにて市中の供給を待たず平生軍隊にて製造せしむることとしたる次第なり。」

『伊勢新聞(三重県)』(明治25年12月26日付け)








「◎議長靴工を議院に召す・・・・・、、、。」

『大阪毎日新聞』(明治25年12月26日付け)








●12月27日





「◎靴工の政社法違反・・・・・府下の靴工三百余名が一昨日衆議院へ押し掛けたることは前日報道せしが、京橋警察署にては時節柄捨て置くべからざる事となし、同夜築地一丁目桜組造靴職工を始め同工七十余名を引致し殆んど徹夜にて取調べをなしたる有様さながら火事場の如くなりし。右に付き主謀者と認められたる福島県平民岩瀬直三郎外十四名は政社法違反として昨日検事局へ送られたり。」

『徳島日日新聞(徳島県)』(明治25年12月27日付け)







「◎靴職工三百余名衆議院に迫る・・・・・、、、。」

『九州日日新聞』(明治25年12月27日付け)







「◎女軍両院を襲はんとす・・・・・去二十一日は府下百余名の靴工議院に打ち寄せたるが、今聞く所によれば、長野郡馬埼玉等各地方の糸取り娘千人はもし輸出税全廃案にして通過せざる暁には直ちに上京して両院に押し寄せ女ながらも事情を述べて一の嘆願をなさんとする計画充分整い居るという。社会党の萌芽漸く生じ来るの兆しにあらざるか。」

『九州日日新聞』(明治25年12月27日付け)




●12月28日




「◎靴工の処刑・・・・・過日衆議院へ押し寄せし靴工協会委員のうち、昨日、集会および政社法違反のかどをもって伊藤金太郎、今井庄吉は、各罰金十二円五十銭、大塚鉄之助、竹内周太郎、川本常三、村岡嘉助、合田喜代松、片岡良吉、町井義武、小林常吉、斉藤己巳、葛原安三、岩瀬貞三郎の十一名は、各罰金十円に処せられ、栗栖小太郎、小蔦音五郎の両人は証拠不十分にて無罪。」

『よろづ朝報』(明治25年12月28日付け)





「◎靴工集会条例違反・・・・・府下靴工協会の職工数百名が去る二十一日無届にて銀座三丁目の同協会に集合し、それより請願の件につき衆議院に押し寄せたるは、集会及び政社法違反なりとし、其の重立てる者十五名を拘留されしが、昨二十七日、右の内、伊藤金太郎、、、いづれも京橋区裁判所にて言い渡されしと。」

『時事新報』(明治25年12月28日付け)






「◎靴工罰金・・・・・靴工協会委員百五十有余名は本月二十一日衆議院へ建議のため多人数集合したるは集会政社法違反なりとて拘留中の所、昨日地方裁判所京橋区裁判所において伊藤金太郎、、、。」

『朝野新報』(明治25年12月28日付け)






「◎軍隊に靴工を置くの趣意(当局者の談)・・・・・陸軍軍隊に靴工を置くこととなりしについては、近時世間の伝説すこぶる紛々擾々たり。従来軍靴製作の業に従事し居たる職工は之がため俄かに生業を失い困難に陥るべしとて、過日も一団を成して衆議院に押し寄せたるが、今当局者につき軍隊に靴工を置くの趣意如何と尋ぬるに、曰く、この事に関し道路に伝ふる風説は事実に違うもの少なからずために、職工をして深く惑を起こさしめ、遂に多人数隊を作りて衆議院に嘆願を試むるに至らしめたるは、大いに憂うべき事共なり。元来陸軍省が軍隊に靴工を置くの一事たる過般同省委員が議院において説明したるごとく、今日突然に計画企図せし事にあらず。現に同省の定員令中にも規定あることにて、既に明治二十五年度より実施すべき次第なるを、同年度は不幸にして予算の成立せざりしため延びて明二十六年度より実施せらるることとはなりしなり。抑も軍靴を軍隊において製作するの必要は軍隊給養の目的を全ふし、戦時の供給を確実完全ならしむるに外ならず、この目安をもって割り出す時は靴工を軍隊に置くは軍隊の運動、民業の如何に検束せらるるの恐れなく、如何なる場合といえども、戦時の需用に差支えを生じるの憂い無きを得可きなり。然るに世には陸軍省のこの処置を攻撃す者ありて、曰く、我が陸軍は戦時に靴を用いずして草鞋を使用せずにあらずやと。是れ甚だしき誤りなり。我が陸軍のごとき海外出戦軍には到底草鞋の供給をなすこと難し。ゆえに当局者はあくまで靴をもって給養するの目的なり。しかし、今日の靴をもって完全無欠のものとは思惟せざるがゆえに、漸次に改良を加えて善美のものたらしめんがためには、当局者も全力を尽くして研究に従事しつつあるなり。また攻撃する者は曰く、兵卒をして靴工の職に当たらしむるは一朝戦時に際し、右手に靴を作り、左手に銃を執つて戦はしむるわけにあらずやと。然れども是亦た誤れり。従来といえども軍隊には一中隊毎に靴の修理をする職工は必ず二人づつ附属しおれり。ゆえに今度新たに置く所の靴工は決して戦地に臨む者にあらずして常に補充隊に在留し、もっぱら靴の新調に従事せしむる組織なれば、かの言うが如く不便なる両刀使いの仕組みにはあらざるなり。又曰く、これを官業となす時は、平均靴一足の価金一円にて製作し得可しと。当局者は言へり。斯くの如き廉価を以って製作するも到底完全無欠の軍靴を得ることはあたわざるべしと。真に然り。当局者といえども決して一足の価一円を以って完全の軍靴を製し得可しとは信ぜず。即ち之を軍隊にて製作するも、その原料のみにて既に金一円十七銭余を要するなり。されば之を従来市中より買収したる価格に比して如何というに、軍隊にて製作せば結局多少の廉価にして出来上がるべき見込みは立ち居るなり。(未完)」

『東京日日新聞』(明治25年12月28日付け)






「◎衆議院(二十四日)・・・・・諸報告、、、
○靴製造に関する質問・・・・・大島信氏は陸軍省にて明年より靴を自製するとせる件に付き質問せるに、野田経理局長は陸軍軍隊中に明年より靴工を置くこととせるは全く戦時供給の完全ならんことを期して起こりしものなりとて、草鞋を用ゆる方可なりとの説もあれど其の費用靴に比して多きのみならず、又外国に赴くときなどに運搬上到底草鞋の用ゆべからざる次第を詳述したり。」

『岩手公報』(明治25年12月28日付け)

















12月29日

「◎軍隊に靴工を置くの趣意(当局者の談)承前・・・・・世間には今日まで陸軍省の買収し来れる軍靴は其の価すこぶる高きに過ぐると難ずる者あり。されども、陸軍が需用する所の軍靴は其の使用の点においても普通人の穿てるものと自ずから異なる所あり。朝は床を離るるより夜は就眠の時に至るまで絶えず之を穿用し、その間の歩行運動も亦た従ってはなはだ激しきが上に保存期限の制ありて、若干年間は是非とも使用に堪ふるものならざるべからざるをもって、先ず其の材料の精良なるものを選び、勉めて堅固に調製せざるべからざれば、目今買収する靴の価は其の材料に手間代を算して考ふれば決して過当の代価というべからざるなり。又攻撃する者は曰く、陸軍がわずかに服役三ヵ年の短日月に教授したる未熟の兵卒をして軍靴製作の職に当たらしめん乎皮革の裁ち方より付属品の取り扱い上に思わぬ損失を醸すべしと。是れ一応は道理あるの議論なり。然れども、陸軍の計画は未だ工人の其の技術に熟練せざるにかかわらず、初めより直ちに製靴の職に当たらしむべしというにはあらず。未熟の者には先ず専ら修理をつかさどらしめ、漸次其の技術に熟達する者の出ずるを俟ち、初めて新調の職にあたらしむるの目的なり。要するに前にも既に述べしがごとく、軍靴は決して外見の美を採るにあらずして品質の堅牢を期し保存を専らとなすがゆえに、例えば被服のごとき家人をして之れが修理に当たらしめば外見甚だ美ならざるも実は丁寧堅固に出来上がるがごとく、之を民業の受負に委せんよりは寧ろ軍隊の靴工をして其の製作を主らしむる方道理上堅固の品を得らるべきことと信ずるなり。およそ経済上の点について攻撃者も常に言うがごとく、官業と民業と何れが果たして利なるやの問題は、当局者の予算により差し引き、軍隊をして製作せしむる方利益の見込みあるには相違なきも、一度実験を経たる上ならでは確実なる結果は知り得可からず。併し概して之を軍事給養の上より言えず、場合によりては国家経済に反対するも顧慮する能はざる事あるべきをもって、多少の利害は忍ばざるべからざるの必要もあるべきなり。又た攻撃する者は曰く、軍隊に靴工場を建築せんとするに当たり、当局者は諸般の器械を御用商人から買収して多分の利益を占得せしめたりと。併し是れ間違いの最も甚だしきものと言わざるを得ず。何となれば、陸軍省が靴工に要する器械を買い入れたるはドイツ国チューリンゲン州なるグレース器械製造所ならびに孛国ジュルコップ器械製造所の二ヶ所に外ならざればなり。終に臨んで一言すべきは軍靴買収の歴史なり。明治の初年に在って我が陸軍はフランス国より伝習靴を買い入れ居たり。其の代価一足につき一ドル位にて一人の使用高毎三ヵ年に十三足づつの割合をもって保存したり。その後我が国に弾、伊勢勝の製造所設けられ、同時に外国品の使用を廃止することとはなりしも、当時は未だ充分堅牢の靴を製作すること能はず、保存の割合も外国品と等しく三ヵ年十三足の平均なりしが、その後漸く其の技術を進め、現今のごときは三ヵ年十足の割合をもって保存しえるに至りたり。如斯、製造所が漸次に奮発して費用の節減を企図するにもかかわらず、今度断じて民業を排斥して製作を軍隊に主らしむるに至りし所以のものは是れ実に軍事上止むを得ずして起こりたる議ならん。且つ又た従来とても軍靴の買収は決して両製造所に限り居りたる次第にはあらず。明治十年以来兵員の増加に連れ、両製造所のみにては事変に際して供給確実ならずと認め、保存期限に堪えうるや否やを試験したる上、和歌山製靴造所、即ち大阪内外用達会社、大塚、谷澤等の各製造所よりも買収し来りたり。前述のごとき次第なるをもって、もし府下の靴工等にして陸軍今回の改正は軍事上実にやむを得ずして起こりし議なることを了解せば、決して憤激することも無かるべし。何となれば、既に彼ら一団中の重立てる者において、靴工設置の事にして国民の利益たらば断じて反対せずとの意見を有すと聞けばなり。軍事上の必要は一国民の公益なり。されば、この趣意透徹せば決して職工等に不平憤懣の事あるべきはずなきなり。尤も、この改正一件に関し、一昨年(注:明治23年)来、各製造者は大いに驚慌を引き起こし、あるいは職工職を失うの事情を訴え、あるいは軍靴製造のために設けたる大製造者は、爾後使用の道絶えて一大困難に陥る可し、なにとぞ買収の議に復せられたしとの嘆願も出でしが、軍事上の必要によりて改正の議を決定せしことなれば、無論その願意の採用せらる可きはずはなく、各製造者も今は泣き寝入りの姿となりしなる可し。しかし、はじめは二十五年度より一時に職工隊を設置するはずなりしを、新兵教育の都合により、さらに二十六年度より三カ年間に分置することとなりしは、幾分か職工等のために幸いする所もありしか。尚ほ、注意のために一言し置きたきは、彼等職工において、今度陸軍が設置せんとする靴工隊は前に兵卒下士等の穿用すべき軍靴を製作するのみならず、将校士官ならびに文官の用靴をも合わせて製作するものと誤認すること即ち之れなり。しかし是れ全く事実に反する臆説にして、同院は下士兵卒の穿つべきものの外は一足の靴も製作せざるものと知るべし云々。(完)」

『東京日日新聞』(明治25年12月29日付け)











「◎東洋自由党の救護政略・・・・・靴工有志者三百余名より成る日本靴工協会が陸軍省の処置に不満を抱きたる理由は靴職人が依って生活する陸海軍用を巻き上げられなば、差向活路に窮するをもって之を恐慌未前に救済せられたしとの趣意に外ならざりしに、文字にとぼしいき職人の哀しさは前後の考えもなく多人数徒党して衆議院に推参したるより、総代数名は数日拘留の末一昨日重き罰金に処せらるるに至れり。しかれども素志を貫徹せんとの一念是に至って益々確かき折柄、端無く同協会運動の前途に一障害を生じたりという。次第を聞くに靴工協会に加盟する靴工はいずれも陸軍省用達商人、桜組、大塚、北岡其の他の靴製造所に雇使せらるる者にて、雇者と被雇者の関係上、常に其の命令に服従するの義務あり。然るに右用達商人は靴工事業の官業に移さるるにもせよ、相変わらず皮類及び造靴用付属品一切旧によって調進し只その製造だけを省くに過ぎずざれば利益の点は是までと毫しも異なる所なし。是において、靴工協会に不穏の挙動ありては、第一お得意(陸軍省)の意を損じ、その飛ばっちりを被るべしとの懸念より、一同は申し合わせたるごとく同協会の靴工に対し、我が製造所に従事する職工にして『今後もし造靴官業問題につき請願その他の方法にて運動する者あらば、容赦なく解雇放逐すべし』と厳達せり。されば、靴工中には、進退に窮する者少なからざる由なれども、その強骨なる者は雇主即ち用達商人の威迫に屈せず『倒れて止まん』との決心を示し、重立靴工等数名は、巳に過日来、東洋自由党の党首大井憲太郎氏に面会して、その救護を請いしより、同氏は快く之を諾し、来る一月には大いに同会のために救済策を施すことに党議一決したりという。」

『朝野新聞』(明治25年12月29日付け)







「◎靴工罰金に処せらる(十二月二十七日午後五時発)・・・・・請願のため多人数衆議院へ押し掛けたる靴職工の中十三名は本日集会及政社法違背の廉を以って罰金に処せられたり。」

『日出新聞(京都府)』(明治25年12月29日付け)
















12月30日

12月31日



「◎二十五年重要時事・第十二月・・・・・一、靴工三百人衆議院に迫り陸軍省内製靴部を設くるの儀に付強訴す。(廿一日)」

『日本』(明治25年12月31日付け)









「◎THE SHOEMAKERS DEMONSTRATION・・・・・The shoemakers who assembled recently, to the number of 150, at the House of Representatives to emphasize their protest against the Government,s intention of teaching the Army how to make its own foot-gear, have had to pay for their demonstration. The law forbids such gatherings unless due notice be given and permission obtained from the police. The shoemakers doubtless understood that their action was unlawful. But they also understood that to follow the procedure prescribed by the Regulations would have involved abandoning the demonstration, for assuredly the police would not have given them leave to march in force to the House of Representatives. At all events they have suffered for their act. Summoned before the Tokyo Local Court, two of them were sentenced, on the 27th instant, to pay fines of 12,50 yen each, eleven mulcted in sums of 10 yen each, and the rest were acquitted. Whether the demonstration was intrinsically worth 135 yen, is a doubtful question. If the Authorities have made up their minds, after due investigation, that the interests of the country will be best served by organizing boot and shoe manufactories entirely under military control and with soldier operatives, the apparition of 150 protesting shoemakers at the doors of the House of Representatives is not likely to deter them.

THE JAPAN WEEKLY MAIL』(明治25年12月31日付け)

【横浜開港資料館所蔵】





英文和訳(管理人)

「◎靴工たちのデモがもたらしたもの・・・・・陸軍兵卒に自前の軍靴の造り方を教えようとする政府の目論見に反対して、数日前、150人にのぼる靴工たちが集結し、衆議院に向けて押しかけた。しかし彼ら靴工たちは、そのデモの代償を支払わなくてはならなくなった。

このような公共での示威行為は、警察に事前に届け出て得られた許可証がないかぎり、法律で禁じられている。

しかし、もし法規に則り、正規の手続きを踏んでいたなら、衆議院への集団示威行為の許可など警察がくれるわけがない。よって、デモは諦めなくてはならないことを靴工たちは知っていた。

違法と知りつつデモを決行するか、警察に許可を申請して断られるか、どちらを選んでも、靴工たちは自らが取った行動の結果に苦しめられることになっただろう。

27日、東京地方裁判所に出頭命令を受けた靴工のリーダーたちのうち、二人にそれぞれ12円50銭、11人にそれぞれ10円の罰金刑が課せられ、残りの靴工たちは無罪放免になった。

彼らが行ったデモが、合計135円の罰金に見合うほどの本質的な価値があったかどうかは疑問の余地が残る。

もし政府が、十分な調査の後に、軍靴の製造は全て軍隊が取り仕切る方が国益に適うと決意を固めていたのであれば、衆議院の玄関口に詰め掛けた150人の靴工たちのデモ隊が、靴工兵制度を思いとどまらせ止めさせることは無理であろう。」


『ザ・ジャパン・ウィークリー・メイル』
(明治25年12月31日付け)





















明治26年






 










 

 

 

































「◎東洋自由党・・・・・消息。頃者如何。吾輩不聞之久?。」

『庚寅新誌』(第六巻第六十九号・明治26年1月1日)



この記事を見る限り、「東洋自由党」の労働運動への挑戦は、
政治臭が強すぎて現場の靴工の理解を得られないまま、
空理空論に終わってしまったようである。










「◎明治二十五年中記事摘要・・・・・十二月二十一日・・・靴工衆議院に押寄す。」

『やまと新聞』(明治26年1月2日)








「◎軍隊と靴工・・・・・軍隊に靴工を置くの制は、二十六年度より之を施行せんとす。是れ物数奇の至りなり。御用新聞は、当局者の意見として其の理由説明して曰く。

「軍靴を軍隊において製作するの必要は軍隊給養の目的を全うし戦時の供給を確実完全ならしむるに外ならず、此の目安を以って割り出す時は靴工を軍隊に置くは軍隊の運動、民業の供給如何に検束せらるるの恐れ無く、如何なる場合といえども戦時の需要に差支えを生ずるの憂い無きを得可きなり。然るに世には陸軍省のこの処置を攻撃する者ありて曰く。我が陸軍は戦時に靴を用いずして草鞋を使用せるにあらずやと。是れ甚だしき誤りなり。我が陸軍の如き海外出戦軍には到底草鞋の供給をなすこと難し。故に当局者は飽くまで靴を以って給養するの目的なり。併し今日の靴を以って完全無欠のものとは思惟せざるが故に、漸次に改良を加えて善美のものたらしめんがためには当局者も全力を尽して研究に従事しつつあるなり。」

我が陸軍は、戦時には必ず草鞋を用ゆ。靴を用いざるなり。然らば内国の戦争、即ち内乱のみならず、外敵と内地に戦う場合には、総て草鞋を用ゆ可きは慣行上巳に然りとなす。然らば当局者の所謂軍隊給養の目的を全うするというは、只海を超えて外国に踏み込みたる軍隊の給養の目的を全うするというの意味のみ。内国に在る軍隊の給養に就いては、軍隊に靴工を置くの必要全く之れなしと謂わざるべからず。当局者の所謂戦時の供給を確実完全からしむるというは、亦是れ外国の土地において、戦うの場合に供給を確実にするというの意味のみ。内国に於ける戦争に際して、軍隊に靴工を置くの必要全く之れなしと謂わざるべからず。もし万一戦争起こるとせば、内地外地何れに起こる可き乎。吾人の見る所を以ってすれば外地において戦う可き場合の生ずるは、特別の特別なる場合なる可しと思はざる也。もし斯かる場合起こりたる時には、臨時に民間の靴工中より適当のものを徴収して、軍隊に附して可也。是れにて十分間に合う也。決して今日より此の特別の場合に応ずるの空準備をなすに及ばざるなり。内地の戦争に靴を用ゆるとせば、軍隊に靴工を置くも強ち無理とはいふ可らず。只当局者の所謂海外出戦軍に供給するために、幾百の靴工の職を奪うは、決して遠見あり識慮ある所作にあらざるなり。」

『国民之友』(明治26年1月3日 第177号)







「◎時事日記・・・・・二十一日、靴工同盟して下院議長に請願する所あり。」

『国民之友』(明治26年1月3日 第177号)









「◎二十五年重要時事・・・・・十二月・・・・・一、靴工三百人衆議院に迫り陸軍省内製靴部を設くるの儀に付強訴す。(廿一日)」

『隨在天神・カムナガラ』(明治26年1月5日発行)












「◎日比谷太神宮の社に近き庵主が不斗巳の年の初夢。
福神代岩戸開  鶯亭金升・・・・・

上れる代より日の本に雑居の端緒ひらき初しいとお目出度き福の神達宝船に乗り初めせんと、まだ元日にならぬ先から集いしに、如何にやしけん弁才天女来たり給はず、六つの神達とりどりの評議。


大黒「どうだへ三郎君、弁ちゃんのづるけにも困るじゃあねえか。一夜明ければ巳の年で自分が出なければならぬ幕だろうじゃねえか。己なんざあ目出度いことにはいつも引き出され、おまけにペラにまで写真を撮られこの節季にはどんなに怨まれたか知れやあしねへ。

夷「お互い様だヨ。おれの前では大きな事をいって茶ばかり飲ませ、あげくには壮士社会の符帳にまでされたそうだ。」

布袋「愚老も絵にかかれたり幇間の芝居に出されたり渋旦那のお祝いにつれ出されたり、大きな袋と大きな腹を抱えて方々へ顔を出すのは損料屋の嫁が妊娠だよりつらい詮義でござる。」

壽老「それはもうつらいのはご同様サ。われわれは鹿というものが附いてるんだから落語家(はなしか)に取り巻かれるより銭が入ります。毘沙公どうだネ。」

毘沙門「ヤアヤア僕らも同感だ。百足(むかで)チウものがなまじ開化ぶりおってからに此の頃では靴がはきたいと言うワイ。君この靴なるものが何足いると思い給うか。既に旧冬衆議院へ参ったら幸い府下の靴屋が三百人ほど押し寄せておったから、ヤイ靴屋此供の靴を春までに作れチウ言うたら、三百人が異口同音に一足づつ作っても年内に揃わんとぬかしたワイ。その様に沢山いる靴も無理はない。足が多いのであるからナ実に君。」

大黒「フフウ。しかし議場も近いから靴は多い程喜んだろうに。」

夷「ナゼナゼ。」

大黒「デモ多数靴は議会のもっとも必要なところで。」

毘沙門「ハハア。洒落かな。なかなか靴前がうまいテ。」

布袋「コレサコレサ。貴公達はむだ口どころではあるまいがナ。弁天の出て来ぬについて相談中ではござらぬか。」
、、、」

『団団珍聞』(第891号 明治26年1月7日)


『団団珍聞』は明治時代に東京で発行された時事風刺雑誌



















「◎日本労働協会・・・・・すでに、府下靴工有志者の組織に係る東京靴工協会員三百余名には、不日同会に加盟して大いに運動する所あらんとすと云へり。」

『新東洋』(明治26年1月9日 第十四号)










「◎謹賀新・・・・・福田友作。」

『新東洋』(明治26年1月9日付け)











「◎普く労働者に告げて一大連合を促す(山崎忠和)・・・・・、、、もし、その労働者にして、余が言を疑はば、去暮、靴工諸氏の代議士に冷遇せられたるの状を験せよ。靴工は他の職と異なり、府下にさへ、大塚、桜組、弾、内外用達の四個より仕事場を有せざるなり。されば、この四職場にて仕事をなさざれば、彼等靴工は、十年辛酸を甞めて習得したる職業を有しながら、路頭に無食を訴へざるを得ず。しかるに、今、陸軍に工長学舎の設あらば、彼四職場の仕事は衰滅せん。しかればこそ、彼等靴工諸氏は、歳晩一刻千金の暇を費やし、富裕ならざるの費用を散尽し、議院に愁訴せんと声を限りに絶叫したりといえども、彼帝国衆議院は陛下の愛民を保護するの職にありながら、その三百の頭脳一念の仁愛は起こらざりしか。その六百の眼球は一滴の血涙なかりしか。その六百の鼓膜は一響の慈音を伝へざりしか。冷々然淡々焉として過ぎたるにあらずや。嗚呼、労働者は奇怪の念を起こす勿れ。三百の議員仁愛の念無きにあらず。又、眼球、鼓膜、慈愛の神経を失ひたるにあらず。4すでに前段云へるが如く、労働者の運動して絶叫するや、其の富尊貧卑の境界、壁外に在るに據らずんばあらず。しからば、則ち、唯この後の良計は、各団体の一大連合をなし、一致協合して一大形体となり、以て以前に勝る千百倍の大声を放たば、始めて壁内にも通ずる時あらんか。」

『新東洋』(明治26年1月9日付け)












「◎恭賀新・・・・・中島半三郎。」

『新東洋』(明治26年1月9日付け)











「◎時事摘要・・・・・十二月二十一日・・・靴工百五十人衆議院に迫る。十二月二十七日・・・府下靴工協会委員は集会政社違犯の廉を以って罰せらる。」

『精神』(明治26年1月10日 第十九号)








「◎靴職工陸軍大臣に迫らんとす・・・・・陸軍に靴工隊を設置することとなりしに反激して府下二三の靴製造所の職工同盟して旧臘衆議院に迫りし事は人の知る所なり。而して之れを彼等が運動の第一回と為す。爾来弾、用達会社等の職工にして右の団体に加盟し居たるものの内、大いに悟る所ありて盟約を脱せし者も少なからざる由なるが、残る職工等は遠からず第二回の運動を始め、今回は陸軍大臣に迫りて靴工隊設置の議に反対せんとて、旧臘来二三の重立てる輩は頻りに東西を奔走して運動費の募集に従事し居るとか。」

『東京日日新聞』(明治26年1月11日付け)
















 




「◎桜組靴工の分離・・・・・府下桜組の靴工にしてかつて東京靴工協会に入り陸軍工長学舎廃止の運動に従事せるもの今や袂を連ねて脱会せり。嗚呼、彼輩新聞紙上に広告して曰く。大いに悟る所ありて脱会すと。借問す。大いに悟る所とは、はたして何事ぞ。雇主の威嚇に恐れたるか。運動の困難なるに落膽したるか。始めは脱兎のごとく終りは処女のごとき挙動、余輩は断じて其の不可を言はんと欲す。」(執筆者:柳内義之進)

『新東洋』(第十五号 明治26年1月16日)







「◎靴工の騒ぎ静穏に帰す・・・・・頃日、靴工数百名、陸軍靴工養成所新設の一件に関し、隊伍を組んで衆議院に押し寄せんとするより、遂に其の張本人と認められし十四名は集会条例違反者として罰せられたるもののうち三名は北岡組の職工なるに就き、同組合においては組合規則違反者なりとて夫々解雇の手続きに及びしかば、数多の躍起靴工連は解雇者の復職を請はんがため、同組合に向かってしきりに談判するところありしも、其の多くは前非を後悔して躍起の組織せる靴工協会を脱し昨今其の業に就き、一時世人の注意を引きたる靴工の騒ぎも全たく静穏に帰しけるとなり。」

『中外商業新報』(明治26年1月18日付け 欄外記事)

















「◎靴工協会退会及謝罪広告・・・・・一我等客年東京来靴工協会賛成員に加盟の処、今回内外用達会社へ対し大に申訳なき次第なるを悟る処より更に同協会を退会する者なり。為めに内外用達会社へは従来失誤たりし連印詫書差出すも、尚今後該会に関係なきことを為念茲に新聞紙を以て辱知諸君に稟告す。

京橋区築地三丁目十三番地

内外用達会社製靴工場内

宮崎富五郎
片岡良吉
外十八名

明治二十六年一月十五日」

  『東京朝日新聞』(明治26年1月18日付け)













  靴工300人の決死のデモ行進をしてまでの訴えを退け、彼らの運命を一家離散にまで追いやった張本人、衆議院書記官・林田亀太郎は、人間として心が多少なりとも痛んだのであろう、靴工兵制度反対運動が終焉をむかえたころ、次のような都々逸を吟じている。

「◎林田亀太郎の都々逸・・・・・同書記官は「天を望みて」といふ題にて左の都々逸を迂鳴り出せりと。何か寓意ありげなり。

「十五夜の空にうけたるあの雲拂ひ清き光りがながめたい」」

『絵入自由新聞』(明治26年1月27日付け)


















「◎脱会広告・・・・・
拙者共儀客年店主の承諾をも経ず靴工協会へ加盟の処、大に前非を悔悟し、茲に該会を脱す。依て此段辱知諸君に稟告す。

東京市芝区露月町二十四番地

靴店  大塚岩次郎方

職工  海上光之助(注:1)
外二十名」


『時事新報』(明治26年2月6日付け)



(注:1)海上光之助は後に独立して靴製造販売店
「海上商店」を開業。
彼の靴店の様子を記した記事を見つけたので
以下に紹介しよう。
















「間口は三間。左の端三尺は飾り箱にて、土台よりは一尺五寸ばかり通りの方に出ている。飾り箱の右三尺ばかりに、ミシンを飾り、その右方二間は、三尺幅の土間となす。店内右とつき当たりに棚を設け、飾り箱内と共に商品を陳列す。飾り箱を除き、二間余の間、日よけを下ぐ。軒上の看板は、左右に靴の絵、中央に靴製造販売の五文字。又飾り箱の左の隅と側面とに立看板を二枚釘付けしおけり。」

『営業開始案内』








★大塚組の企業理念は
従業員尊重を基調とした「家族主義」


「又、芝区にも、大きな靴工場があります。工場も古く、人数も常に二百人近く使用しておりましょうが、これは又前と反対に、この工場に勤めていた者で、自立して靴店を開いた者は(老衰して工場を退いた者は格別)せめて一人も有るまいとのことであります。なぜそうだろうと、探って見ますと、こっちの工場は、成るべく、職工を変わらせない、主義にしてありますので、職工の足を縛る手段として、言いなり次第に、賃金の前貸しでも何でも、出来るだけ、之に応じます。その結果は、職工の懐をして常に寒からしめ、自立の余裕が出来ないのだそうであります。」

『営業開始案内』
























「◎陸軍省の出品・・・・・同省が米国シカゴ大博覧会に軍事衛生器械及び工長学舎の製作に係わる陸軍軍人服装模型を出陳することは嘗て報じたるが、この服装模型なるものは絵図と立像の二種に分ち、立像には中将、歩兵大尉、騎兵少尉、曹長及び一等兵卒の五個あり。何れも丈け五尺余りの人体に模したる木彫の立像にて、正服を着せるあり、軍服を着せるありて、軍人服装の模型としては甚だ巧みに出来上がり居れり。右の立像に洩れたる大将、佐官、各種の兵士等の服装は集めて一幅の絵図に作り、各々詳細なる説明を附して出品するとのことなるが、右服装の原料は正帽の飾毛を除くの外何れも国内品を以って調製したるものの由にて、昨日は荷作りの都合もあり、工長学舎より陸軍省に取り寄せ、一室に飾り付けて官吏、兵士等の観覧を許したり。」

『東京日日新聞』(明治26年2月7日付け)










「◎請願委員会議録・・・・・明治二十六年二月十六日午前第十時二十分開会。

出席委員

高田早苗君、山田泰造君、堅田少輔君、立石岐君、浅香克孝君、永井松右衛門君、井上彦左衛門君、

委員長は出席委員定数に満たさるを以って協議会を開き調査の上欠席委員の意見を諮ひ異議なきを以って左の件々を決定せり。

左の請願は審査の上院議に付するを要せるものと決議せり。

一、被服工長学舎の件 第二三六〇号


『衆議院委員会会議録』(第三冊・第四回)







「◎集会政社法控訴公判・・・・・靴工協会の職工伊藤金太郎外十三名が客年十二月二十一日衆議院に赴き軍人用の靴を陸軍省において製造すべしとする政府提出の議案を否決せしめんがため運動したるは集会政社法違反なりとて右の十三名は本年一月七日京橋区裁判所において十円ないし十二円五十銭の罰金に処せられたる内、十一名は服罪、伊藤金太郎外三名は右の裁判を不当とし東京地方裁判所へ控訴中の処、昨日同衛において代言人立川雲平氏の弁護にて控訴の弁論を開き即日結審、来る二十八日裁判宣告あるはずなり。」

『朝野新聞』(明治26年2月26日付け)







「◎裁判宣告・・・・・靴工協会の職工伊藤金太郎外三名の集会政社法違反控訴事件は東京地方裁判所にて裁判宣告ある由。」

『よろづ朝報』(明治26年2月28日付け)






「◎集会政社法違反(伊藤貞次郎外三名)・・・・・靴工協会の委員伊藤貞次郎外三名が集会政社法の控訴事件は昨日東京地方裁判所において裁判宣告あるはずなりしも、陪席判事欠席のため来六日に延期せり。」

『中外商業新報』(明治26年3月1日付け)





「◎集会及び政社法違反事件の控訴・・・・・靴工協会委員、葛原安三、伊藤金太郎、川本常三、町井義武の四名がかつて集会政社法違反事件につき麹町区裁判所にて罰金十二円五十銭に処せられしを不当とし控訴したるところ、昨日東京地方裁判所にて原裁判を取り消しいづれも無罪を言い渡したり。」

『よろづ朝報』(明治26年3月7日付け)







「◎靴工協会員の無罪・・・・・東京銀座二丁目の靴工協会員、葛原安三、伊藤金太郎、川本常三、町井義武の四名が陸軍兵卒製靴の件につき請願のため多人数衆議院に押し寄せたるは集会政社法違反なりとて、先に京橋区裁判所において罰金の刑に処せられしを不当とし東京地方裁判所に上訴せしが、一昨日同衛は前裁判を取り消し各無罪の言い渡しをなしたり。」

『扶桑新聞』(明治26年3月8日付け  名古屋)

 

 

「◎造靴組合総会・・・・・本日開会終わって懇親会あるはず。」

『中外商業新報』(明治26年3月15日付け)









「◎靴工隊と糧餉部設置の事・・・・・先に陸軍省に在て開会したる各師団監督部長会議において其の設置の方針を決定したる靴工隊及び糧愈々来る四月一日の年度替より施設せらるることなるが、其の手続きの一斑を聞くに、全国の各隊に設置す可き靴工隊は予て工長学舎において養成したる工長(下士官)を選抜して之を教官となし、各隊に分配して先ず兵を教習せしめ、以って漸次に完全なる靴工隊を作るに在り。而して糧は軍隊給養上の最要機関にして、今之を各隊に施設するに当たり、当局者が最も慎重なる注意を加ふ可きは吏員の選抜如何に在れば、軍吏中最も適任者と認む可きものを精選して之れが部長に充つるはずなりといふ。」

『東京日日新聞』(明治26年3月18日付け)









 「◎靴工隊と糧餉部・・・・・来る四月一日より陸軍省においては愈々靴工隊と糧餉部を設置することに決したるが、糧餉部は監督部の下に置くが故に別に混雑することも無く、只靴工隊は各師団及び近衛師団の各隊に設置するに付き一時に各兵を置く訳に行かざれば向後三ヵ年を期し、本年より全員の三分の一づつを入営せしむる都合なりと云ふ。」

  『絵入自由新聞』(明治26年3月22日付け)









「◎靴工隊・・・・・来る四月一日より陸軍省においては、いよいよ靴工隊を設置することに決したりと。」

『絵入自由新聞』(明治26年3月22日付け)

 





「◎陸軍省の改革・・・・・陸軍省にても改革を行なうはずなるが、其の改革は経理学校を海軍主計学校に合併し、被服工長学舎を被服廠に合併し、中央、三本木、鍛冶谷津、青野、福元五軍馬育成所に淘汰を行なうに止まるという。」

『中外商業新報』(明治26年3月25日付け)









「◎北岡革製所の拡張・・・・・北岡文平氏は数年来革製造を業とし海陸軍兵隊靴の如きも多分に受け負い営業せしが、今度更に革製造所を拡張し有限責任の会社組織とし、其の資本金は十五万円に定めたり。尤も株主に対しては七分の利益を北岡氏において保証すると云ふ。」

『横浜毎日新聞』(明治26年3月26日付け)





明治の製靴業界の紳商(陸軍省に仕える御用資本家)の華美な贅沢三昧の私生活に比較して、彼らの下で働く靴工たちは、極貧生活を強いられていた。

特に、明治のころ、最も賤しむべき職業とされた靴業に就いた新平民(室町時代以降、エタ、非人と差別され続けて来た被差別部落民)の町として、その名を全国に轟かせた東京市浅草区亀岡町の住民の悲惨さは、まさに筆舌に尽くしがたい。、

 常太郎は、同じ靴工仲間として新平民を救済するため、亀岡町のど真ん中に陣取っていた「弾・北岡組」工場に、彼らの社長・北岡文兵衛を「靴工兵制度反対運動」の支援を依頼するために談判に訪れている。
しかし当時、衆議院議員でもあった北岡に聞く耳さえも持たれずに断られたという。

 

浅草亀岡町には、江戸時代、関東八州と甲斐、駿河、陸奥の十二か国の賤民を支配した弾左衛門が、広大な邸宅を構えていた。弾は配下の諸国における牛馬の独占処理権を持っていた。明治維新後、亀岡町には新政府の庇護の下に、「弾製靴所」が設立され、欧米の技術を導入して洋式の製靴が明治5年から始められた。

 

「◎施與金・・・・・浅草亀岡町より出火に類焼せし貧民へ同町弾直樹氏より金百円を施されたり。」

『読売新聞』(明治19年3月26日付け)

 

「◎亀岡町・・・・・この町に入れば、タバコの火を借るさへ穢れるとて、打火を以て吸煙せし程なり。」『横浜毎日新聞』(明治22年6月1日付け)

 

「一たび亀岡町に入らんか、一種の臭気紛々鼻をつき来る。三回四回訪ぬるに及て、鼻神経遅鈍となり、随って臭気を減ず。腐敗社会に在るもの腐敗を知らず。」

『人民』(明治32年10月15日付け)

 『東京市史稿』によると、「亀岡町は悪臭鼻端を裂き汚物目を?しむ」状態であった、と報告している。(明治十年の調査)

 

















 「◎靴工隊・・・・・陸軍にては、今日より靴工隊を設置す。」

  『よろづ朝報』(明治26年4月1日付け)









 「◎日本熟皮会社(西村勝三の会社)・・・・・同社は昨年再興後陸海軍省にて総て内国製の皮を用いる事になりたるより同社も間接に繁盛し関西の株式市場にて二十五円払い込みの株券が三十五円の高値を見るに至れり。」

  『都新聞』(明治26年5月24日付け)






「◎日本熟皮会社再興後の景況・・・・・日本熟皮会社は明治二十一年中西村勝三氏(伊勢勝)が欧州の熟皮製造業に倣い我が国にも此の会社を創立するの必要を主唱し遂に十五万円の資本金を以って神戸に広大なる工場を設立せし処当時の時勢に照らしては其の規模大に過ぎたるより利益を見ること能はず昨二十五年十月の総会において維持説と解散説との二派に分れ結局解散説勝を制して百円株に対し三円の割戻しをなして終に解散せし事なるが、先に維持説を唱えし人々は之を遺憾として神戸において五十円株にて十万円の株を募り己に二十五円払い込みにて再興する場合となり解散後殆んど一カ年の休業にて漸く工場を運転するに至りたり。恰も好し今度陸海軍省にては本年五月より印度油皮の輸入を仰がざる事となり総て内国の製革を用いる事に決したれば、同会社の製造は間接に非常の多忙を来たし、斯かる広大なる工場も狭?を告ぐる程の隆盛に趣き、ために関西の株式市場にては二十五円払い込みの株券に対し三十五円の高値を見るに至れり。又東京においては先に同社の出張所主任たりし西村竹五郎氏が同会社製革一手大販売を引き受けたりと云ふ。」

『東京日日新聞』(明治26年5月24日付け)





「◎松田の楼上に職工の喧嘩・・・・・去る四日の夜八時ごろ京橋の松田にて懇親会の催しありしは築地一丁目靴製造所桜組の職工五十七名と聞こえたり。忠臣蔵の人数には十人ばかり多く、広間に溢れるばかりに居並びて酒宴を開きしが、興で銚子は仆れ盃は飛び人々の耳が赤くなると何といっても五十七人の若殿原五十七色の心々笑い上戸もあれば泣き上戸もあり。慷慨上戸もあれば議論上戸もあり。白いという人の向こうに黒いと叫ぶ男もをり、一つ間違った所から誰いうとなく何某の野郎殴ってしまえというより早く、五十有余人総立ちとなり日頃気に喰わぬ奴を〆てしまうはこの時と、入り乱れての乱暴狼藉煙草盆で打ってかかれば会席膳でうけるという騒動は福井一座の立ち回りを見るよりも激しく、女中も雇い人も驚き恐れて一人も二階へ上がるものあらざりしが、同家よりの訴えにより巡査数名出張し取敢えず重立ちたる職工数名拘引し、負傷者へはそれぞれ手当を加えさせ、これより事実の取り調べという所へ桜組の社員は警察署へ出頭し松田へは同組より示談すべしとのことにて拘引者の下渡しを嘆願に及びしにぞ。警察よりは本人共へ懇々説諭を加え社員へ引き渡されたり。ただし松田にて宴席の諸器物を毀損されしは少なからぬ品数なるが、これは一切桜組において弁償することになりて、無事に落着したるよし。」

『東京朝日新聞』(明治26年7月7日付け)





 

 

 

 

  「◎社会外の社会・・・・・社会外の社会の住民たる兵士等は炊事をなすにもまた人の手を借りず、、、縫工場には縫工あり。皆兵士なり。中隊毎に一年兵二人、二年兵二人、三年兵二人を出し縫工場に入れ、古き衣の損じたるを繕い、新しき衣を裁し、兵士以外の人の手を借りず、兵士によって兵士の被服を供給せしむ。彼等の或る者は冶工となりて、兵器の破損を修理し、或る者は靴工となりて全隊に靴を供給し、其の破れたるを治め、新しき革嚢を作り、古きものを繕うこと総て縫工の被服におけるが如し。かくの如く共産的、族長的の制益々発達し、兵営のことは総て兵営において之をなし、全く社会外の社会を成すに至りしより、大なる花主を失いたるものは、単に衆議院に押し寄せたる靴工同盟に止まらざるべし。、、、」




兵営内工場

  『国民新聞』(明治26年8月3日付け)












「朕陸軍被服工長学舎条例中改正の件を裁可し茲に之を公布せしむ。
御名 御?
明治26年12月16日
陸軍大臣 伯爵大山巌
勅令第二百四十七号
明治二十三年勅令第三十号陸軍被服工長学舎条例中左の通改正す
第一条中「会計局」を「経理局長の管理」に改む
第二条を左の如く改む
本舎に左の職員を置く
学舎長  陸軍一等軍吏
第三条及第十五条中「会計」を「経理」に改む
第四条を削る
第六条中「若干名」の三字を削る


『官報』(第三一四二号/明治26年12月18日付け)