著者のページ『日本で初めて労働組合をつくった男』

製靴業界の四大御用商人

製靴業界の四大紳商、西村勝三、大倉喜八郎、北岡文兵衛、大塚岩次郎の中でも、特に贅沢三昧な生活を送って世間をにぎわしたのが「内外用達会社」の社長・大倉喜八郎である。よって、ここでは、大倉喜八郎に焦点を絞って、いくつかの彼にまつわる記事を紹介していくことにしよう



大倉喜八郎






「内外用達会社」社長  大倉喜八郎についての記事

 

「米高く貧苦に迫る細民を、三菱杯は何もイワザリ(岩崎)。大蔵(大倉)に米は沢山ありながら、人にやるのはトント、シブサワ(渋沢)」

『教育時論』(第四百五十四号・明治30年11月25日)










陸軍省と資本家の癒着を風刺

『東京パック』


大倉の私服を肥す・・・・・東北の饑饉地へ払い下げの交渉をした営口の軍用米は僅な事で大倉へ落札した。陸軍省が恨めしいと餓死の際の愚痴。」

『近代百年史』より







 

 

大倉喜八郎・・・・・の向島の別荘多くの阿嬌を貯へて当路の官人を抱き込むも、今の経理局長外松は頑固で、この手が利かず、番頭手こずって、大倉に言上すると、大倉、冷笑して、天下に黄力と魔力と女菩薩の済度で成仏しないヤツがあるか、外松がもし、この頑固を言い張ると、彼の位置は一年ならずして危うくなると、これでは、官吏も台無し。」

『神戸又新日報』(明治34年8月25日付け)

 


大倉氏の私設博物館・・・・・大倉喜八郎氏は赤坂なる自邸の一隅に壮大なる煉瓦家屋を新築中なるが、右は私設博物館に充つる考えにて、落成の上は、同氏所有の書画、その他珍器の器具を展列して公衆の縦覧に供する見込みなりと。」

『東京朝日新聞』(明治32年3月25日付け)

 




 「野田、大倉の狼狽・・・・・陸軍経理部内における不正事件暴露して熊田、村山、蛭間等の拘引せられたるより野田豁通、大倉喜八郎等は俄かに狼狽して揉み消し運動に着手し馬車に乗って八方に駆けまわり居れり。当局者は何故に早く野田、大倉、森(清右衛門)等の家宅を捜索せざるかと歯がゆがり居る者もあり。」
『万朝報』(明治36年5月21日付け)





 「机の塵・・・・・大倉組にてはこの前の日清戦役にて三百五十万円の利益を得たが、今度は少なくとも三四千万円を儲くる積もりだと言って居るそうだ。国民の血を吸う此の盗賊めー。」
『万朝報』(明治37年1月27日付け)





「財宝積んで山よりも高く出づるに、車馬あり。帰れば妻、妾左右に侍らし、一点不自由を知らぬ大倉喜八郎は、飽くを知らざる貧欲無慈悲にして即ち無情の動物。貧民より見れば、鬼か蛇の如き守銭奴なり。」

『公平新聞』(明治30年11月3日付け)











ジョルジュ・ビゴー作

普段は殿様気取りの御用商人も、政治家の前では、米つきバッタのようにペコペコ。

「議員さま、つまらぬ物ですが、どうぞお収め下さいませ。・・・・・お仕事のご用命は、引き続き、私どもに是非ともお任せくださいませ。」