明治大正戦前の日本の労働運動家


常太郎探しの旅・息抜きエピソード②

 明治25年春、常太郎、一時帰国し、東京に「労働義友会」東京支部を新設の記事発掘。この記事で「銀座三丁目十九番地の常太郎の事務所」が、「靴工協会と米国桑港労働義勇会の二看板を掲げた」とあることで、この地が日本の「労働運動発祥の地」と称しても過言ではないくらいの重みを増した。私はこの記事の発掘後、現在の地図と古地図をたよりに、銀座に向かった。老舗の老主人や交番で道を聞きながら探し当てた当時の「銀座三丁目十九番地」とは、松屋デパートの裏道路に面した一帯であることが分った。私は当時の「銀座三丁目十九番地」に立つと、言いようのない懐かしさがこみあげてきた。この松屋デパートの裏通りには以前、「直吉そば」という蕎麦屋があり、学生時代の私はその「直吉そば」で長い間アルバイトをしていたのである。今はもうなくなったその「直吉そば」に、三田キャンパスでの講義が終わるなりかけつける毎日だった。仕事が終わってご主人夫婦の肩もみをすると、孫のようにかわいがってくれ、小遣いまでくれる日々だった。私の初めての恋愛相手が「直吉そば」のウエイトレスだったという甘酸っぱい思い出もある。百年前、常太郎が熊本でめとった新妻の「かね」と連れ立って歩いていただろうこの「銀座三丁目十九番地」を、若かった私は初恋の人と歩いていたのである。また、サンフランシスコでの常太郎の初めてのバイトが皿洗いなら、私の東京での初めてのバイトもまた「直吉そば」での皿洗いだった。これらの「偶然の一致」もまた、血のつながりが起こす人生の不可思議だろうか・・・・・・。