日本で初めて労働組合をつくった男



アメリカ日本人靴職人の軌跡

〔 〕は管理人の注





明治19年




「◎米国特別通信・・・・・、、、桑港にある清国人の労働者の数は本年一月一日の調べによれば、清国人街にて自国人の製造所に労働する者二千三百二十六人にして、其の中、、、靴類製造人五百九十九人、、、外白人の製靴会社に働く者三千九百七十人、、、清国人ホッキーなる者は清国人街中のデュポン町に盛大なる製靴会社を設けて、職工五百余人を使役し、その製品をば太平洋海岸は勿論、遠くサルトレーキ府より東の方ミシシッピー河の近傍にまで売りさばき居れり。」

『時事新報』(明治19年3月3日付け)





明治20年

明治21年





「◎在米各国人の職業・・・・・北米合衆国は広野数千里に亘り耕すべき沃土茫々際限なき新楽土なれば、世界各国の人種一として移住せざるなく、従って各人種の執れる職業の種類も千種万様なるが、今之を大別すれば、汽車汽船馬車等の監理人には愛「蘭人多く、靴師には瑞士人仏蘭西人多く、飲食店持ち主及び医師には独逸人多く、洗濯屋は清国人の専業というべく、従来の掃除雪除け等は伊太利人の手に帰し、料理番と小使いは黒人と日本人の専業なり。現に日本人の桑港にあるもの二千人の多きに及び、其の他ニューヨーク州にも数多散居すれども、大抵料理人もしくは小使いとなれり。今日米国にて下等社会中、最も教育あるものは日本人なりとの評判ある程なれば、日本書生の賤業に従事するもの多きを知るべし云々と、米国よりの通信に見ゆ。」

『時事新報』(明治21年5月7日付け)








「◎米国の少年・・・・・、、、ワシントンは農夫より、リンカーンは舟曳きより、グラントは皮工より何れも起りて大統領とまで成りたる、、、」

『時事新報』(明治21年11月6日付け)

※ユリシーズ・S・グラント(第18代大統領)






明治22年




「◎在米日本書生の?倖・・・・・米国にては暑中休暇には、富豪、金満家など、かねての勤勉に引き替え、紫山緑水風光の好き処を選んで出掛けることなれば、同国の書生は此時を期して一年中の学費を得るために、処々の温泉場など客の集い群がる所へ出掛けるとの事は、過日の紙上にも記せしが、茲に日本の書生が以外の?倖に遇いたる話は、、、」
『時事新報』(明治22年12月1日付け)











明治23年




「◎米国特別通信・・・・・、、、桑港にある清国人の労働者の数は本年一月一日の調べによれば、清国人街にて自国人の製造所に労働する者二千三百二十六人にして、其の中、、、靴類製造人五百九十九人、、、外白人の製靴会社に働く者三千九百七十人、、、清国人ホッキーなる者は清国人街中のデュポン町に盛大なる製靴会社を設けて、職工五百余人を使役し、その製品をば太平洋海岸は勿論、遠くサルトレーキ府より東の方ミシシッピー河の近傍にまで売りさばき居れり。」

『時事新報』(明治19年3月3日付け)








明治24年






◎桑港の日本人料理店・・・・・米国桑港において日本人西洋料理店を開業して白人との間に多少の紛紜を引き起こしたりと見え、同港去月六日発行の自由と称する新聞紙に左の如く記載せり。
米国桑港における日本人村上泰三氏外数名協同してコンマーシャル町五百三十番にマインナースレストラントと称する割烹店を開設し非常の繁栄を致せるより、ついに米人の注意を引き起こし、同港料理人同盟はこの割烹店に向けてボイコットを布告すべきを至当なりと認め諸職工同盟にこの事を訴えたるより、たちまち在米日本人中の一問題となり、殊に領事珍田捨巳氏のごときは大いに之がために尽力し、或は諸職工同盟の議長ファールマン氏を訪ひ或は同盟の事務所に赴きて種々に周旋する所少なからず、抑もこの諸職工同盟なる者は靴工同盟、料理人同盟等の如き数多の組織体各々委員を選出して之が全体を総括するの一大団体なり。故にその議決するところ甚だ重きを有す。この会議の当日即ち二月二十七日領事珍田氏は書記藤田氏雇吏リカードソン氏代言士ジョンウォールド氏等と共にミッション街なる同盟会議所を訪問せり。時に八時三十分会議まさに盛んなる頃なりしが数分時間応接所に休憩の後、漸く会議室に入れり。珍田領事の一行は誘引せられて議長の側面なる高座に進み、議員一同は起立して敬礼を領事に表し席既に定まるに及んでたちまち四方より質議をなすに連れて、珍田氏は一々之が答弁を興えたるがその大体は左のごとし。

桑港に千八百の日本人あり。内、真の労働者と称すべきはただ百九十人のみ。その他はことごとく学生にして一時わずかにこの土に遊歴するのみ。且つ我が日本政府は下級人民を海外に乱出せしむることを厳禁して国誉を保持するの政略をとるが故に日本労働者が将来清国人のごとく白人と衝突するの憂あることなし。かの日本には北に大なる未開の天地あり。我が人民は先ずこの北海に殖民し然る後にあらざれば遠く外国に出ることなし云々。

各議員と珍田氏との問答終わるや代言人ジョンウォールド氏はマインナースレストラント管督人村上氏を代表して一片の歎願書を差し出せり。その書中において村上氏らの料理人が同盟に加入するを得ること、その規則を奉ずること、得たる金銭を米国内に消費すること、及び日本人の清国人と異なること等の事実を証明せり。既にして珍田領事及び他の同行諸氏その議場を退きたるが、其の後同会議は種々の討論を経て竟にボイコットの布告を行わずと議定せり。諸職工同盟は既に既に日本人にボイコットを布告するを否決せりと言えども、これを要求したる料理人同盟は其の議決を不都合なりとし、これを輿論に問い、これが是非を訴え、敢えて日本人を拒絶するの運動を試むという。この事件に関し、日本人会の常議員は去る三月二日その事務所なる領事館に会して討議するところありしが、議長珍田氏は諸職工同盟の決議に対しその正行を讃するの議決状を送ることを建議したり。議員中多少の異議ありしも遂に多数をもって常議員会は之を議決しただちにその決議文を服部綾雄、菅原傳次郎両氏に託し諸職工同盟総理ファールマン氏の手を経て同盟に送付せり。その謝状の大略は即ち左の如し。

吾等は在桑港日本人労働者と米国労働者の間に敵意の悪感情出せざらんことを熱望して止まず。しかるに桑港料理人同盟は日本人が開業したる割烹店に向かってボイコットを布告するの要求をなしたるがため吾等と米人との信交はまさに破られんとせり。しかれども諸職工同盟は細密にその事実を調査し遂に料理人同盟の要求を拒むの議決をなせり。これにより吾等日本人会常議員は諸職工同盟の行為が正義公平にしてよく吾等が熱望する日米両国労働者間の和合を保持するに足ることを認めて之を議決し諸職工同盟総理ファールマン氏の手を経て同盟全体にこの議決書を進呈す。尚今後諸職工同盟と吾等の交際を愈々密ならんこと切に希望する所なり云々。

『時事新報』(二十四年四月十四日付け)








「◎革命新聞・・・・・前号にも記する如く米国にて発行する革命てふ新聞は、治安に妨害ありとて内国にて発売頒布を禁ぜられたるが、今同新聞の経歴を聞くに、去明治二十年の頃より桑港在留日本人の団体たる愛国同盟にて一の機関新聞を発行し之を新日本と名づけたるに、第十六号に至って内国にて発売頒布を禁ぜられたるを以って、之に次いで第十九世紀てふ題号にて発行したる処これまた程なく禁止せられ、次いで自由てふ題号を以って発行したるに、これは稍暫らく続き七十八号まで生存らへたれど遂に禁止の運命を免れず、よって更に革命と改題して発行し、其の第一号は二三日前内地に着したるが、到着早々直に今回の禁止令に逢いたるなりという。」

『東京日日新聞』(明治24年9月26日付け)






「◎革命第二回の差し押さえ・・・・・米国サンフランシスコにおいて発刊せる雑誌革命第一号は内務大臣より発売禁止の命をこうむり過日来米国より郵送し来れるものはことごとく差し押さえとなりたるが、またまた去る三日サンフランシスコより米国郵船ゲイリック号にて四十二封を送達したるに、前同様直ちに差し押さえになりたりといふ。」

『東京朝日新聞』(明治24年10月6日付け)






「◎革命の題号を切り抜く・・・・・米国桑港において発刊する雑誌革命は、さきに内務大臣より我が国において発売禁止を命じたるにもかかわらず、その後しばしば郵船に託して送付し来たりたるが、或は横浜郵便局にて差し押さえらるるを慮りての事にや、此の程到着したる四十二封の中には、その題号革命の二字を切り抜きたるもの多かりしという。」

『東京朝日新聞』(明治24年11月18日付け)










明治25年









米国の水兵・・・・・米国にては海軍の水兵に外国人を使用するの習慣ありて、現に日本人にて同国の軍艦に乗り込みおる者も少なからざるが、近ごろの調査によれば、米国海軍七千五百十六人の中、真に米国に生まれたる者はわづかに三千五百十九人にして、余は皆外国にて生まれたる者なり。又米国に籍を有する者の総数は四千三百十人にして、その他は皆純粋の外国人なるのみならず、其の中、千二百八十二人は嘗て一度も米国内に住居したることさえなき者なりという。」

『時事新報』(明治二十五年一月二十八日付け)





「◎桑港の愛国同盟者義損金を自由党に贈る・・・・・在桑港の本邦人は去る二十年に愛国同盟なる一団体を結成し、海外万里に在るも猶故国のために策を献じ新聞等を発刊して常に政治の得失を評論する事なるが、右同盟員は昨冬衆議院の解散せられ全国総選挙を行なうの報を得るや、予て主義を同じうするもの自由党の運動を助けんがため各々涙汗の潔財を醵出して、金五十円を正金銀行為替を以って自由党総理宛て義贈し越せりという。」

『国民新聞』(明治25年3月2日付け)




在米日本人愛国同盟の運動費寄付・・・・・米国桑港にある日本人愛国同盟の人々は、過般衆議院議員総選挙の時に際し、遥かに本国自由党の運動を助けんがため懇切なる書簡を添え金五十円を板垣総理の許へ送りこしたりと。」

『時事新報』(明治二十五年三月二十七日付け)




「◎日本用達会社・・・・・北米桑港パウエル街第九番に在り、在米の日本人、アングロ、カリホルニア銀行代言人エー、ヘーネマン氏と協力して設立す。在米若しくは渡米本国人の必要に応じ、相当の手数料を以って書信郵便等の受領発送等その他労働口の周旋事務をも取り扱はるると云う。」

『国民新聞』(明治25年7月6日付け)



「◎米国出稼者の取締・・・・・北米合衆国においては千八百八十五年二月二十六日外国人契約労働者の移住禁止条例を発布して該条例該当者は何国人に拘わらず其の上陸を拒絶することに、尚昨年三月十三日其の追加条例をさへ発して契約労働者の移住禁止一層厳重に実地せることは当時桑港駐在の我が領事より報告もあり、本国人を同国へ渡航するもの該条例に抵触してはよろしからずと、其の取締り方につき予て其の筋より達しありたり。然るに近頃我が領事より其の筋への報告によれば、和歌山、広島、熊本、山口その他の各県下より陸続渡航するものあり。本年四月十三日横浜初の英国汽船ベルジック号に乗り込み桑港に着したる一連中、右条例違反として上陸を拒絶され、空しく帰国したる者三十六名あり。その他近頃本国人渡米の数は一ヶ月間五百余名の多きに達する程なるより、桑港の各新聞は頗る過激の議論を唱えるに至り、当局にては尚厳重に検査することとなりたれば、其の筋にてはこの際右取締り方に関し、先ず前掲の禁止条例及び其の追加条例主意条項を善く一般に熟知せしめ、又爾後渡米者ある毎に旅券出願の時に際し、其の所轄庁において充分注意することとなりたりという。」

『国民新聞』(明治25年7月8日付け)





「◎米国出稼人に関する書面・・・・・先頃世の物議を惹き起したる北米カナダ、ヴィクトリヤ、ユニオン鉱山出稼人の惨状一件につき、神戸の匡正義会が当初其の事情を摘発したる米国桑港在住日本人の設立に係わる義侠団体遠征社へ詳細の取調方を照会したる所、同社より先月八日付けをもって匡正義会へ宛て送り越したる返書の写しなりというを得たれば、参考のために左に掲ぐ。尤も其の書中、事実の如何は記者の保證する限りにあらず。、、、」

『東京朝日新聞』(明治25年8月6日付け)




「◎在米日本人救済病院・・・・・本邦人の米国に渡航する者年々多きを加え、目下桑港に在留する者無慮数千の多きに上りおれど、概して独立の生活を営み得ず、いづれも外人に雇役されおるをもって、疾病に罹る者は最も困難を極むるより、珍田領事を始め在米医師黒澤格三郎其の他正金銀行員等協合して日本人救済病院を創立せしが、其の開院は来月上旬なる由にて、同院規則其の他参考として珍田領事より先に東京慈恵医院の諸規則類廻致方を照会し来りしに依り、同院にては直に送致したりといへり。」

『東京朝日新聞』(明治25年8月28日付け)









「◎渡米者多し・・・・・近来米国においては、とかく本邦人を嫌悪する傾を生じたるにも拘わらず、名を学術研究に托して米国へ渡航し出稼ぎをなすもの多き由はかつて記する処なるが、昨日正午十二時桑港へ向け横浜を出帆せし米国郵船ヘリューにも横浜より十余名乗り組みたるよし。」

『時事新報』(明治25年9月18日付け)











「◎米国における日本人の不評判・・・・・近頃米国桑港より到着したる書信によれば、米国における日本人の不評判は日一日に甚だしく、清国人と同じく放逐すべしとの議論盛んにして、カ?-と呼べる演説家は日々諸方に奔走して公然日本人放逐論を演説し、又モーニングコールといへる新聞紙は日々日本人の醜態を紙上に掲載して痛く之を攻撃せり。加之日本留学生をも?斥するがごとき傾きあり。即ち日本人は貧乏なれば学校、病院等公益の事業に対し一ドルの寄付をもなさずして、自由勝手に他人の設立したる学校に入るがごときは、実に鉄面皮なりと嘲り笑うもののごとし。事態斯くのごとくなれば身に一銭の貯えもなくして渡米する労働人のごときは、目下極めて不人気なりといふ。」

『時事新報』(明治25年9月30日付け)







「◎日米用達会社の組織・・・・・日米用達会社なるものを米国桑港に組織せんとする企てあることは彼国及び本邦諸新聞の記載せし処なるが、先月下旬に至り愈相談?まり組織を全うすることとなり、既に執務を始めたるが、設立発起者は在留本邦人菅原傳、松岡辰三郎、日向武、敷津林傑等の諸氏にして、桑港パウエル街第九番に事務所本部を設置せりと。而して日米用達会社の事業は在留本邦人及び本国人の漫遊旅行、荷物の発着、書信の往復及び労働者の周旋等総ての用達をなすものなりといふ。」

『時事新報』(明治25年10月19日付け)



「◎愛国新聞の発売禁止・・・・・桑港在留の本邦人が発行せる「愛国」は昨日発売頒布を禁ぜられたるが、内地においては麻布区飯倉片町、畑下熊野氏方にて発売しつつありし由にて、昨朝麻布警察署より警官出張して現在の分をことごとく差し押さえたり。」

『東京日日新聞』(明治25年11月27日付け)








「◎『愛国』・・・・・大日本愛国同盟の機関として米国桑港第十九世紀新聞社より発刊する『愛国』は、今回発行の第四十六号より大いに改良を加え活版摺りとなして発行したり。然るに是亦治安を妨害するものと認められ、内国において発売頒布するを禁止せられ、之を差し押さふべき旨、昨日内務大臣より省令を発したり。」

『東京朝日新聞』(明治25年11月27日付け)






「◎剣客の渡米・・・・・明年の世界大博覧会において本国の撃剣術を海外外国人に示さんがため、府下の鈴木某外一名発起者となり榊原健吉外二十名の剣客を伴い米国に渡航せんとて、目下夫々準備中なりと。」

『時事新報』(明治25年12月1日付け)











明治26年


「◎元旦の宴会・・・・・帝国軍艦金剛は短艇競争を了へたる后艦員、参観者へ酒肴を振舞へり。その他盛んなる新年宴会を開きたる者、靴工同盟会、同舟会、鹿児島郷友会、月一会。」

『第十九世紀新聞』(明治26年1月6日付け)








「◎銀行者商売を為す・・・・・関根忠吉氏と甲斐織衛氏、相組んで金剛滞在中、食料等万般の買い入れ用達をなす。同艦解繿前一旬関根氏は同艦がハワイへ到着するまでの間に費やす必需品の見本を添え同氏の手より買い入れして請へり。然るに解繿前三日に至りても同艦より何等の沙汰なし。同氏は不審に思ひ能く之を探るに豈あらんや、銀行者鍋倉直氏は敏んも主計長を説き航海三十日間の必要物品買い入れ同氏の一手に受け負へりとは、関根氏唖然。」

『第十九世紀新聞』(明治26年1月6日付け)








「◎桑港移住日本人・・・・・桑港新聞プーレツチンの報ずる所によれば去年同港へ移住したる日本人は千六百二十五人にて、移住諸外国(三千六百四十五人)の三分の一余に当たり、多くはハワイより転じたるものなりという。」

『時事新報』(明治26年2月9日付け)











「◎米国桑港通信・・・・・米国桑港よりの通信あり。事其の地日本基督教青年会の非義を排斥するものに属す。聞き飽ける件、但し僧侶神宮の好材料。

帝国四千万の国民に訴ふ

 我 皇室の尊厳なる我国体万古不易なる豈更に之を論ずるを要せんや。然るに今や此不信の徒を天涯万里の異域に生ず。吾輩国民為めに憤慨禁ずる能はず。敢えて国家の大義を奉じ以って此の乱賊を?せ滅んことを期す。乃ち左に其の顛末を略記し、以って四千万の同胞に訴ふ。昨年十一月四日即ち天長節の翌日基督教徒青年会員石川定邦なる者、我 天皇陛下の御眞影に対し奉り不敬の言を発したること発露し、并に青年会は昨年十二月金剛艦観迎会に冷談極まり加之ならず該会員某匿名書を以って明らかに観迎会を攻撃すしたること等を以って茲に聯合会なるものを組織し而して談判委員を派出し、以って其の罪を問えり。然るに彼れ青年会は言を曖昧に托して石川なるものを処分せざるのみならず却って之を弁護し、又匿名者の実名を明らかにし之を処分せんことを求めたれども、謝断したるを以って、聯合会は再度の会議を開き終に左の如く議決せり。

第一、聯合会は断じて青年会全体の意見と証定する事。
第二、青年会は日本国民たるの本分を忘却し国民的精神なきものなれば将来国民的運動については、聯合会は断じて青年会と相提携せざる事。
第三、大日本人会へ前項の趣旨通知し置く事。
第四、本月十一日を以って聯合大演説会を開き以って同胞に公告する事。
第五、日本内地各新聞へも亦前数項の趣旨を報道する事。
而して聯合大演説会は既に議決の如くセントジョージ会堂に開きたり。嗚呼基督教徒青年会のなす所既に此の如し。余輩の運動豈亦止むを得んや。尚詳細は載せて遠征第二十四号に在り。

明治二十六年三月

在桑港

同舟会 工業会 旭章館 靴工同盟 桑港新聞社 遠征社 愛国同盟有志 其外有志」

『亜細亜』(明治26年4月)





「◎在米日本人愛国同盟会員帰朝・・・・・ハワイ革命に際し米国よりハワイに赴き日本人政権獲取のため大いに運動したる在米日本人愛国同盟会員菅原傳、井上半三郎の二氏は関根忠吉氏〔加州日本人靴工同盟会会長〕と共に
去る二十二日横浜着の郵船にて帰朝したり。」

『朝野新聞』(明治26年5月25日付け)







          




◎労働者の渡米益々増加す・・・・・近来在米日本人の評判とかくよろしからず。
ほとんど支那人同様の待遇を受くる者さえ多き由にて、
其局に当たる人は疾くより苦慮し居る所なるが、
このごろに至り労働者の渡米益々多きを加へ外船出帆ごとに幾多の渡米者を見ざることなき有様なるが、
これ等の多くは学術研究、農学修業杯と名義は中々立派なれど、
其の実労働の出稼人ともいうべくして其の七分は英語すら解せず、
先に渡米し居る友人を便り、又は福音会の如きものに投じて糊口の途を求め、
甚だしきは靴磨き、皿洗い等の賎業も厭わず、中には不正のものさえある由にて、
現に昨日午前十一時出帆の米船ペキン号にて三十余名種々の名義の下に
出稼ぎとして米国へ出発せり。」

『朝野新聞』(明治26年5月31日付け)












「同盟員帰朝・・・・・菅原伝、井上、関根の三氏は無事に到着、万事好都合の報あり。」

『桑港新報』(明治26年6月20日付け)


「同盟三氏の書簡・・・・・(前略)今回の大目的は自由党は勿論何も双手を挙げて賛成の模様に候。併し未だ自由党へは公然相談の場合には立至らず候へ共只今在京盟員諸氏rと熟議の末来月上旬を期し同党の重なる人々も帰京の筈に付其節大運動を試むる決心に御座候(下略)又自由党の機関新聞自由は左の如く報道せり。

布哇の独立と否は太平洋上の大問題なり。本邦人参政権の獲取と否とは我が国の面目と利益に多大の関係あり。此の際在米日本人愛国同盟員菅原伝、井上忍、及と関根忠吉の三氏帰朝す。三氏の言動は必ず世人の注意を惹起すべし。昨日(五月二十七日)午后在京同盟員井上敬次郎、外山義文、渡辺勘十郎、中村政通、森山信規、山口熊野の諸氏は三氏と芝浦海水浴に会し大に協議する所あり。終て宴会を開きたる由。」

『桑港新報』(明治26年6月21日付け)













「◎売薬所・・・・・エリス町二百二十二八番。
関根製靴所」

『桑港評論』(明治26年12月3日付け)





「◎関根忠吉氏・・・・・今回帰桑せられたる同氏は、在留同胞の便利を図り、日本売薬を携え来たりて、定価の儘無口銭にて広く販売せらるるとの事なり。氏先には、城常太郎氏と相携提して製靴業が今日の如き隆盛を来たすの基礎を定め、今や又薬品を販売して、同胞幾千のために一大便益を與へんとす。世人の氏を目するに義侠家を以ってするもの誠に所以あるかな。勗めよ関根君。」

『桑港評論』(明治26年12月3日付け)







明治27年




「◎広告・・・・・○弊店儀今般本国より熟練なる職工渡航仕り候に付特別安価を以て三ドル五十セントより製靴の御注文に応じ、直しも同様安価と丁寧とを以て御需めに応じ仕入れ靴も安価を以て販売可仕候間陸続御用向被仰付度奉希候。
エリス街二百二十八番関根組製靴場
ミッション街千七百三十七番同支店。
日本食料品一切及売薬良品を選み廉価に販売可仕候間御試し被下度候。
メーソン街三百十六番
関根食料品売別所内持田裁縫洋服新調及び直し。」


『桑港新報』(明治27年1月18日付け)






「◎桑港の大火・・・・・去る二月二十六日の夜八時三十分、桑港に失火あり。第一の商店マーケット街ゴルデン、ルール、パーサーより同街及びグーリー街を焼き尽くして漸く鎮火し、全焼戸数八百余、半焼け三百余に及び、なかんづく右パーサーの損害高は十七万三千ドルに達せりと。」

『万朝報』(明治27年4月14日付け)





「◎桑港の日本人・・・・・は一万円の軍資を募集するに決し、且つ四千人の一団体を組織し、各個ライフル銃を携え必要に迫れば何時にても自費帰国して戦地に赴く決心なりと。」

『万朝報』(明治27年8月18日付け)











在米国日本人の表誠・・・・・我が戦勝を祈り我が戦勝を喜ぶの情は日本国民たる者の差別なき所なれども、特に海外に在留して国威の重きを最も直接に感ずる者は其の心中左こそと察するに余りあり。されば米国の太平洋岸に在留せる日本人等のごとき報国の熱心は非常にして就中桑港における報国義会は左のごとくにして組織せられたるよし。

趣意書
朝鮮の内乱は変じて日清の交戦となり我が師数万今や遠く韓国の陸海にあり。、、、
明治二十七年八月二日
在サンフランシスコ
報国義会
明治二十七年七月三十一日有志大会において選挙したる委員左のごとし。
委員姓名イロハ順
伊藤安之助 岩村竹二郎 井出百太郎 石川定邦 原田啓三郎 西本長太郎 土井操吉
大沢渚 高橋七五郎 高嶋多米吉 竹川藤太郎 田部井宗次郎 曾我勉 津田立一
嶋倉直 永井元 黒沢格三郎 大和正夫 安田七郎 小泉信太郎 我孫子久太郎
佐藤信忠 澤木吉三郎 佐々木三郎 北原文太郎 関根忠吉
サンフランシスコ・モンゴメリー街五百十五番地
報国義会事務所」

『時事新報』(明治27年11月28日付け)









明治28年


明治29年





「◎天長節祝会義損人名広告・・・・・靴工同盟会・十ドル。」

『新世界新聞』(明治29年11月5日付け)




明治30年








明治31年



「◎靴店・・・・・城三郎ー桑港・第11街104番」

『桑港の栞』(明治31年~32年 桑港評論社)





「◎桑港アレキサンダーカンパニー・・・・・今から数年前に当地に一大靴製造所があったという。その工場の名はアレキサンダーカンパニーと称した。この会社は従来私傭していた白人の職工を解雇し、支那の労働者をもってこれに代わらせることで、賃金の低廉であったことだけでも莫大の利益を得たのであるが、数か年の営業を経験した後、この歳月の間に支那人は靴の製造方法から工場経済の通則をも呑み込み、遂に多数の支那人はアレキサンダー会社を去り、各々独立的に製靴業に着手し始めた。そのためアレキサンダー会社はその職人を失い巨大の損害を蒙ったのみならず、同時に昨日の被傭職人はことごとく今日の商売がたきとなり、かくしてさすがのアレキサンダーカンパニーも空しく倒産の悲運に際会したという。」

現在語、口語訳(管理人)

『神戸又新日報』(明治31年6月2日付け)






明治32年


明治33年


明治34年


明治35年










明治36年


「◎桑港における邦人大排斥(白人靴工日本靴工を包囲攻撃すー日本靴工の大問題ー排斥同盟結成ー防御同盟成る)・・・・・、、、○白人諸同盟の大同団結・・・思ふに、日本人靴工に対する排斥運動が白人靴工同盟のみならば憂ふるに足らざれど、他の労働諸同盟団結の模様あるは憂ふべきことにて今や白人諸同盟は日本人排斥に向かって猛然起こりこれり。、、、」

『読売新聞』(明治三十六年二月二十五日付け)



「◎桑港における邦人大排斥(白人靴工日本靴工を包囲攻撃すー日本靴工の大問題ー排斥同盟結成ー防御同盟成る)・・・・・、、、○白人諸同盟の大同団結・・・思ふに、日本人靴工に対する排斥運動が白人靴工同盟のみならば憂ふるに足らざれど、他の労働諸同盟団結の模様あるは憂ふべきことにて今や白人諸同盟は日本人排斥に向かって猛然起こりこれり。、、、」

『読売新聞』(明治三十六年二月二十五日付け)



明治37年


明治38年


「◎日本人排斥運動・・・・・米国労働同盟は去る十一月二十一日桑港に大会を開き、会長サミエルゴンパースは一年間の報告をなしたる後、西部同盟員の提出に係わる日本人排斥案の討議を開始したるが、直ちに満場一致を以って之を可決したる由なり。同案は清国人と同じく全然日本人労働者の入国を禁止せんとするものにして、請願書として同国議会に提出するものなりという。」

『万朝報』(明治38年1月10日付け)











明治39年







 「◎靴工同盟事務所 ・・・・・昨日より靴工同盟事務所は王府より桑港に移転したるが、当事務所をデビサデロ街四百四十二番地に設け営業する都合なりと。」

『新世界』(明治三十九年五月二十七日付け)



 「◎震災雑観(サンフランシスコ)・・・・・日本人靴屋の焼失数・・・・・サンフランシスコ在留日本人営業者として靴屋(修理屋)ほど多数はなかるべし。したがって、その焼失数もはなはだ大なるが、焼き残りしものも亦少なしとせず。すなわち、今回の火災のため焼失したるものは四十七軒にして、三十六軒は焼き残りしという。」

『新世界』(明治三十九年五月二十八日付け)




 「◎日本人靴工同盟会営業部・・・・・当部は今回左記の場所において従前の通り底皮はベニシャコールマン製皮会社製皮を手販売を継続しその他靴店及び靴工店に必要品総てを取りそろえ精良品を最も廉価に御需めに応ずべく殊に地方よりの御注文に対しては特別の注意を以て迅速にお届け可申候間続々御注文の程奉希候。
桑港デビサデロ街四四二
同支部 王府マーケット一一一〇半」

『新世界』(明治三十九年六月十日付け)






「◎靴工同盟定期総会・・・・・昨日午前十時より王府のアメリカンフォレスター會館において靴工同盟定期総会は開かれ、入会者の紹介、退会及び復休職者、試験卒業者、白人反抗予防委員、本部決算、営業部決算等の報告ありしが、夜に入りては、第二次会開かれて、今年下半期の予算案、役員会提出案、会員よりの建議等について議したる後、役員選挙を行いたるよし。


『新世界』(明治三十九年七月十六日付け)





「◎桑港だより(不可解楼)・・・・・協議会の悪童狩はようやく三名だけ捕へたりとのことに候。小気味能く感ぜられ候も、単に治安妨害として訴えらるる杯とはさしたる懲らしめにもならぬと覚へ候。現に須川靴屋が捉らへたる白人の如きは若かれども四十七街二十四番ガルロワソス商会の主人にて、かなりの財産もあり名声もある者にて之れあり候とかや。然るに裁判所に送らるるや判事に証拠不十分なればとて無罪の宣告いたし候ひしとは言語同断のことに候はずや。」

『新世界』(明治三十九年八月二十六日付け)





「◎靴工同盟事務員の募集・・・・・靴工同盟営業部においては、正事務員を募集中なるが、簿記の心得ありて商売の腕ある者を望みおるよし。(月給五十ドル外賞与もあり。)」

『新世界』(明治三十九年九月二十日付け)





「◎同胞靴商の閉店時刻・・・・・このごろ白人靴屋手代同盟は、サンフランシスコにおける日本人靴販売店が夜間遅くその営業しつつあるは、サンフランシスコ市靴販売規約に違反なるをもって、よろしくこれに対し日々午後六時には是非とも閉店すべきよう注意することを議決せしよし。」

『新世界』(明治三十九年九月二十三日付)



「◎天長節祝賀会へ寄付・・・・・金十ドル・靴工同盟。」

『新世界』(明治39年10月30日付け)




「◎靴工同盟の事務員・・・・・靴工同盟営業部事務員にコムマーシャルハイスクール卒業の今井務氏が勤むることとなれり。」

『新世界』(明治39年11月12日付け)







「◎妨害頻々・・・・・ヘース街千六百九十二番、靴製造直し職兼掃除業の河原健次郎方にては同居人の都合もありてこの頃カーペンターの看板も表に出したる所、たちまちユニオン団体の目に触れ、それ故にか、一昨夜は或る一人の悪童が水の入れたる皮袋を窓に投げ付けてガラスを壊したれば、大いに警戒し居たる所へ昨夜八時過ぎ又ぞろ四五人の白人労働者体のもの集まり来たり窓を微塵に打ち砕き器物を盗み去れりといふ。いまいましき限りというべし。」

『新世界』(明治39年11月13日付け)








「◎米紙日本人禍を説く・・・・・昨日デリーニュース紙はフレンド・ジェ・フューイットと云ふ人の『日本人禍』を掲げたり。今左に意見の大要を摘記すべし。
△四月十八日の震災以後日本人の多数は商業において著しく活動をなせり。彼等の社会の復興は極めて力ある進歩を示せり。されば、今日桑港においては至る処彼等の繁栄をみざるなし。こはアメリカと共に彼等の進歩を示すものなるが、人はその裏面に罪悪の存在することを知らざるべからず。由来日本人の間には毫も吾等白人を利益せざる商業法あり。而して一般日本人商業者はこのトラストに従はざれば営業する能はざるものなり。この好適例は彼等の靴工同盟よく代表す。彼等は靴の修繕をなすには常に白人労働者より低廉なる賃金を以てす。故に一般ユニオンと規定定価とによりて制限せらるる白人労働者は到底彼等と競争すること能はざるなり。。この結果は即ちアメリカの労働を奪ひ去ることとならん。」

『新世界』(明治39年12月15日付け)








「◎靴工同盟会の除名運動・・・・・アラメダの靴屋なる古山貞次郎いへるは、いかなる悪廆の魅入りしにや、去る頃より最愛の女房をば清川醜窟へ沈め売った。女房の顔やり尻やらでこの世を渡らんとの不了見を起こし哀れや女房を一室に監禁し或は甘言を揮ひ或は毒言を逞ふし、時には怒り、時には賤すなど、あらゆる手段と方法とを尽し色々と勧めたるも、女ながらも物堅く育ちし故にや女房これに従ふべくもあらざりしかば、遂には打つやら殴るやら数日にわたり虐待を極めたること誰云うとなく靴工同盟に知りたりければ、苟も生業者として恥ずかしき至りなりとて靴工同盟員中には件の古山をば除名せんとて運動を更に怠りなしといふ。之を耳にしたる心ある人は早々離婚せしめて之を救ふに如かずと語り合いつつある由。」

『新世界』(明治39年12月20日付け)








「◎靴屋の開業・・・・・明土曜午後七時より吟笑亭において河原大村の両氏は靴屋開業披露のため友人知己を招きて宴会を催すと云ふ。」

『新世界』(明治39年12月21日付け)








「◎日の出靴の福引・・・・・日の出靴商会の大福引は近頃益々景気を加へ来たりしが、之がため売れ行く品は靴、化粧品並びに婦人用小間物等なりと。」

『新世界』(明治39年12月22日付け)









「◎日の出靴店の拡張・・・・・ゲリー街の日の出靴店は目下来客のため狭?を感じ不便極まるとて奥付を延ばし更に同店を拡張せんとて造作中なり。」

『新世界』(明治39年12月23日付け)









「◎靴工同盟会の役員総会・・・・・昨日午後一時よりデビサデロ街なる靴工同盟会本部に於いて役員総会を開き下半期の決算報告及び来年の予算案等につき大いに議する所ありたりと。」

『新世界』(明治39年12月24日付け)






「◎東郷靴の好人気・・・・・ガフ街の青木商会に於いては目下歳末とクリスマス前に迫り居るためにや東郷靴は非常なる好景気に売れ行く由。最も例年の通り雨期に至りては当家の元祖たる東郷靴は強固なる皮を以て製造せしめたるを以て野外労働者には最も適当せるものなりと云ふ。」

『新世界』(明治39年12月24日付け)










「◎茶話・・・・・ガフ街青木商会の東郷靴は熊々イーストへ注文して日本人の足に適当するように作りてある。それ故この靴の売れ行きは非常なもので同商会は震災後既に二千五百足売ったそうだ。」

『新世界』(明治39年12月30日付け)














明治40年

「◎日の出靴の割引券・・・・・既に日の出靴店が各新聞へ広告なしたる割引券は永久有効に付き何時たりとも同紙広告を切り抜き持参したる者には割引をなすとのことなり。。」

『新世界』(明治40年1月5日付け)









「◎茶話・・・・・日の出靴屋の福引でスーツケースが当たった杉山万丸いわく。正月早々より之れで新婚旅行か。聞けば、いよいよ日本より花嫁が来ることになったそうだ。」

『新世界』(明治40年1月6日付け)









「◎靴工同盟の新年宴会・・・・・本日午後七時より小川亭に於いて同々盟の新年宴会あるはず。」

『新世界』(明治40年1月6日付け)








「◎靴工同盟新年宴会・・・・・既報の如く昨夜八時より小川亭に於いて靴工同盟会の新年宴会は開かれしが三苫会長の同会の辞あり。新会長小野助四郎氏来賓に対する挨拶ありし後、名和金門、西村楽?、中込新世界、池田協幹、清瀬日米等の諸氏が順次演説せしが、集会者凡そ三百名にして、散会せしは十一時過ぎなりき。因みに記す。当日は例年の通り諸種の決議を経たる後、役員選挙ありて新会長は小野助四郎氏に決したりと。」

『新世界』(明治40年1月7日付け)








「◎桑港日本人会会員・・・・・靴工同盟 美山小三郎。」

『新世界』(明治40年10月18日付け)








「◎天長節祝賀費寄付・・・・・十ドル・靴工同盟本部。」

『新世界』(明治40年11月2日付け)











明治41年








「◎太平洋岸における日本人の実力(河上清)・・・・・、、、次に一言すべきはサンフランシスコにおける日本靴工業者同盟なり。蓋しこの組合は主として白人同業者の妨害に対抗するの目的をもって起りたるものにして、サンフランシスコの日本靴工業者にして之に加わらざるもの無く、その加盟者の数、現に百六十戸数ありて、其の基本金亦三万余円の多きに達し、基礎頗る強固にして、もはや白人の迫害を恐るるを要せざるに至れり。而してこれら靴工業者一戸一カ年の収入は少なくとも三千六百円を下らずといえば、毎一カ年百六十戸の総収入は六十万円以上なるべし。、、、」

『万朝報』(明治41年1月15日付け)
















「◎サンフランシスコ電報(特約員発)・・・・・▲酩酊巡査乱暴・・・・・サンフランシスコにおいて酩酊せる一名の巡査は何等の理由なきに日本人矢部某の靴店を襲撃し之を破壊せり(二十一日着)」

『万朝報』(明治41年3月22日付け)








「◎工業界の偉人・故西村勝三翁・・・・・日清戦争中一時激増した靴工が戦後にわかに其の職を失ったので氏は彼らを奨励して米国桑港に出稼ぎせしむる事に力を尽くし、今や彼の地における日本靴工の数は二百余名の多きに達し、加州日本人靴工同盟会を組織し大日本靴工同盟会と気脈を通じて日本職工の面目を保持しておるということである。」

『職工新聞』(明治四十一年六月十日付け)






明治42年









「◎新年宴会・・・・・靴工同盟会は十日午後七時より萩原公園において新年宴会開催のはず。」

『新世界』(明治42年1月8日付け)









「◎谷實雄氏・・・・・本会評議員として創立当時より常に本会の為め尽瘁されつつありし同氏は三月二十六日の船にて帰国さるることなれり。吾人は航路の安全を祈ると共に再渡米の日の速に来らん事を鶴首して待つものなり。◎感謝状と送別会・・・・・三月二十一日谷氏の為めに本会は靴工同盟会、筑前人会と合同し送別会を催したりしに賛同者非常に多く会場アメリカンホールはさしもに広かりしも狭隘を覚ゆる程なりき。席上本会は同氏に左の感謝状を贈りたり。

感謝状 谷實雄
本会創立以来能く本会の為め尽瘁せら其の功実に大なりとす。仍て茲に此状を呈し感謝の意を表す。
明治四十二年三月二十一日 王府仏教会印

因云靴工同盟会は功労章を筑前人会は感謝状を贈りたり。氏が平生公共の為めに尽せる者是に至り炳然として明らかなりと云ふべし。

◎寄付・・・・・谷實雄氏は帰朝に際し本会会堂購入費の中に金五ドルを寄付されたり。」

『米国仏教』(第十年第四号 米国仏教誌社発行 明治42年4月1日)








「◎靴磨きは体面を汚す乎・・・・・渡船内の同胞靴磨き希□人の不正直に代わり雇われたる・・・・・今より一か月以来テーロード渡船内に三人の同胞靴磨きが現れた。それがどうしたと言ってしまえばそれまでだが、我が同胞の意地としてそれを黙っていないが癖だ。乗り合わした誰々の口から口へと伝わり、実にけしからんとか、甚だ以て□□ではないかとか大分憤慨者どもが口角泡を飛ばして論ずるようになり、果ては或る一人の如き靴磨きをしていた同胞の前へズカズカと進み眉を□げ口を尖らし、君も日本帝国の臣民ではないか、何を□むで靴磨き如き職業をする、君ら二三のために我ら同胞の体面を汚されるは心外千万だ速やかに止めたまえと頗る強健に申し込むだので、靴磨き同胞は自分の職業が賤しきために同胞一般の体面を汚すとあっては一大事だ、しかし自分には靴磨きが左程までに賤業思えん。しからば白人家庭に働くチャンヴァーウオークの如きは更に賤の賤なるものであろう、兎に角これは日本人会に行って裁断された上のことに決しようと、昨日三人の中一人が代表して日本人会に出頭しありし次第を詳しく話した上自分等とても決して好むでかような職業はしたくない。全体会社ではこれまで希□人を靴磨きに使っていた。しかるに彼等甚だ不正直にして収入をごまかすにより会社は断然解雇し自分等を以てこれに代えたのである。而して会社においては自分等の働きし以来収入が倍加したと言ふて喜んでおる。但し日本人会諸公が靴磨きは同胞の体面を汚す職業だと断定さるるなら只今からでも自分等はこの職を□つに躊躇するものでない、果たして如何であるかと其の裁断を促したから日本人会は之に見解を下して言ふには、靴磨きもデーオークも同様と思ふ。また賤業といふ点については他国人は日本人が思ふ程に深く感じない。靴磨きも亦労働の一種である以上何も体面を汚すといきまくにも当たらぬと考えられる。且つそれ白人労働者と接近する点において船内の靴磨きなども最も接待なるが如くに思われる。かかる点から見て在加州の同胞中の靴磨きが出たからとて何も国民の体面問題にまでして荒立てるまでに及ぶまいと信ずると答えたので同人は安心して帰ったらしい。そこで吾輩をして一言あらしめよ。吾輩といえども日本人会の見解に殆ど同意するを辞するものでない。しかし、又これを咎めて体面問題とし止めさせようとした同胞に気概も決して□くはない。否成ろうことならこの気概は何人の頭にも欲しい。□も人の目に決して賤しいと見える穢某には就いてもらいたくないが、理屈ばかりでこの世が渡れぬ以上□には牡丹餅はない、場合によって忍むでこれをせねばならぬ。要するにこの問題は双方共立派な理屈であると信ずる者だ。」

『新世界』(明治42年6月6日付け)










「◎是でも国家の干城か▲強盗以上の陸軍兵卒、我が靴工を悩ます。・・・・・由来米国の兵隊たるや不規律にして酒飲み多しとは知れど、まさか強盗までせんとは思はざりき。是が国家の干城だから堪えらぬ国なり。時は去る四日午後九時頃ベーカー街二八四一番靴工熊本県人山路平吉(三十三)方へ二人づれの陸兵来たり予て修繕を依頼し置きたる靴を出せとの事に。平吉は其の氏名を問い早速右の靴を出したるに、彼らは□に能く修繕ができたなど空世辞を並べ主人の隙を窺い件の靴を持ったるまま一目散に戸外へ飛び出したり。▲談判中に滅多打ち・・・・・山路はソレ持ち逃げよと兵士を追跡し漸くにして捕えたれば修繕費一ドルを請求したるに言を左右に托して払はんともせず詮方なきまま靴を預かり置かんと言いしに兵士は突然その靴を閃かして山路の前額目がけて滅多打ちに四つ五つ続けたれば何ぞ堪らん山路は流がるる血潮を□えつつ人事不省に陥りたり。陸兵等はこの有様を見て急ぎ兵営さして逃げ込みたる様子なりき。▲衛戊病院にて応急治療・・・・・以上の如き騒ぎありしも兵営近き僻地の事とて人通りも少なければ誰知る者もなかりしが暫時にして付近のグロサリーの主人と平服の兵士通り掛り山路の倒れ居るを見て種々介抱し一方警察に急報して巡査の出張を乞い一方は治療のため衛戊病院に入れ応急施術せしが傷所は前額に大小四か所あり内一か所は四針ほど縫いたり。▲日本人会の告□・・・・・山路よりの訴えにより日本人会にては木庭書記中央警察に出頭し事の次第を具陳し至急犯人をプレシジオ兵営内より逮捕ありたしと告訴したるに警察にては昨日は大祭日の事なれば云るより木庭氏は更に北部警察に同一の告訴へ出でたるに同署にてはソーラントを発し至急逮捕すべき旨返答されたり。追って今明日中には警察より兵営に対し何等かの交渉あるべくされば犯人は袋の鼠も同様なる兵士の事なれば直ちに捕縛さるることならん。」

『新世界』(明治42年7月7日付け)
















「◎帰国後うまく遣てる人▲支配人の上原さん・・・・・震災前ラーキン街で靴屋をして居た上原さんは帰国後直ちに日本橋区通新石町の新見商店という御用請負商の支配人となった上原さんは学問といってはゼロだが、商売人として高機を察するの鋭敏な所から内外の受け頗る宜しく、今では時々『実業の日本』や『太平洋』へ其の肖像だの説話だのが載せられて居る。家庭は上野桜木町の閑静な処に構へ妻君と子供、召使を合計して十三人といふ大家族で楽しく円満に暮らして居る。実に結構な身分になったようである。」

『新世界』(明治42年11月13日付け)







明治43年

「◎靴工同盟新年宴会・・・・・同会にては明後九日午後七時より金門街九二五ジェファーソン館に於いて新年宴会を開くべしと。」

『新世界』(明治43年1月6日付け)









「◎昨夜の新年宴会・・・・・靴工同盟会にては八時より金門街ジェファーソン館に於いて宴会を開き出席者は百有余名。予定の如く一式を終りて酒宴に移り頗る盛会なりき。」

『新世界』(明治43年1月10日付け)








「◎靴工同盟会の新役員・・・・・靴工同盟会にては一昨金門街ジェファーソン館に於いて総会を兼ね新年宴会を開きたるが、さすがに加州同業者を網羅する大団体のことにて出席者は百三十名の多数にて、菊川亭より酒肴を運びて同亭酌婦連座間を斡旋し、撃剣舞活人画其の他十数番の余興あり、頗る盛況を極めたりしが、当夜の総会に於いて役員の改選を行ひたる結果、左の如く決定したりと。
▲会長 浦川幾太郎▲幹事 三苫徹基▲検査役 古田浜三 塚口徹▲会計 吉田茂▲営業部 矢田部孝造 山下豊吉▲常議員 河村耕三 渡辺三蔵 岡野文治 宮内峰助 理一郎 田中直次郎 大宮三郎 佐用小太郎 小川又次郎 山路平吉 井上琴治 大島謙司」

『新世界』(明治43年1月11日付け)










「◎排日党の運動・・・・・▲靴工同盟攻撃・・・・・加州州庁より毎年相当の補助を受け居る桑港婦人救済会は目下同会の靴を直す一切の仕事を日本人靴工同盟に請け負はせ居り、月々の支払高約七十ドルに達し、白人が税金を納めて居る州庁の補助を受けながら其の会の仕事を異国の日本人になさしむるは不都合なればとて、之又前記日本人排斥洗濯者同盟にて取り調べたる上適当なる方法を講ずる由。」

『新世界』(明治43年1月29日付け)









「◎石坂公歴をたずぬ・・・・・東京府石阪公歴氏に急用あり。現住所御承知の方は本社まで御一報を乞ふ。」

『新世界』(明治43年9月17日付け)









「◎水害義損金・・・・・故国水害義損金総領事館取扱其の後の分左の如し。
▲三十一ドル二十五セント水原氏扱靴工同盟会員。」

『新世界』(明治43年10月12日付け)





「◎大倉喜八郎氏の寄付・・・・・在米日本人会の主意を賛し今回金千円を同会基本金の中に寄付することとなり一昨日入港の地洋丸便にて着桑したる紐育大倉組店員楠井貫一氏に現金を託したる由にて昨日同氏より是を受け取りたりと。」

『新世界』(明治43年12月11日付け)










明治44年





「◎靴工同盟新年宴会・・・・・加州日本人靴工同盟会にては明十五日午後七時よりデビサデロホールに於いて新年宴会の催しある由。」

『新世界』(明治44年1月14日付け)





「◎靴工同盟新年宴会・・・・・加州日本人靴工同盟会にては本日午後七時よりデビサデロ街三二一番デビサデロホールに於いて新年宴会を催す。」

『新世界』(明治44年1月15日付け)





「◎靴工同盟の新年宴会・・・・・加州日本人靴工同盟会にては昨日午後七時よりデビサデロ街デビサデロホールに於いて新年宴会を催したるが出席者は当市、王府及び付近の会員を網羅し非常の盛況にて同十時散会したりと。」

『新世界』(明治44年1月16日付け)








「◎中島半三郎氏来桑・・・・・大阪紡績会社技手長中島半三郎氏は欧州巡視の帰途昨日来桑デュポントホテル主人と親戚の由にて同ホテルに投宿したり。明十八日当港出帆のコレア丸にて帰朝の途に就くはずなりと。」

『新世界』(明治44年4月17日付け)







「◎米国婦人の足・・・・・日本においては泥棒の足跡の大なるを言ひ、仏国にては馬鹿と狂人とは大足の者多しとの諺ある由なるが、米国婦人の足は近年非常に大きくなり来たりて東部製靴所においては明に此の状態を知り得るに至りたりと。其の原因は米国婦人がおてんばに跳ね回る事の多くなり来たりて、日々外部を出歩くためなるべし。四五年前まではワンエーの大きさの靴が今日にてはめったに用いられざるに至り、大なるサイズの靴は非常に売れ口増し来たれりと紐育の靴製造所の報告なり。」

『新世界』(明治44年4月24日付け)







「◎故清田の葬儀・・・・・去?変死したる靴工業者静岡県人清田の葬儀は本日午後二時半ゲリー街マーテン葬儀社を出棺、同街オッドヘロー火葬場において火葬に付すべしと。」

『新世界』(明治44年6月2日付け)





「◎可児弘道氏の退任・・・・・加州日本人靴工同盟会の事務員たりし可児弘道氏は今回新事業の計画ありと任を退く事となりたる由。同氏在任中は精励能く事務に当たり、今回の退任に就いては同会に於いて深く是を惜しみ居れりと云ふ。」

『新世界』(明治44年6月7日付け)





「◎靴工同盟事務員募集・・・・・加州日本人靴工同盟会にては別項の如く可児氏退任に就き其の後任者として事務員一名を募集中なり。志望者は直接同会本部に申し込むべし。」

『新世界』(明治44年6月7日付け)





「◎靴屋の泥棒判然す・・・・・リッチモンド区域にて第一街なる影山靴店及びデーオーク屋に於いて時々窃盗あり。而も其の盗賊の外部より入りたる形跡なく確かに同居者の内にあるべしとて疑念を或る人に集め居たる事件は田中某なる人が確かに証拠を突きとめ先日由緒ありと称する日本着を盗みたるも、この人間なるを突きとめたれば公然の手続きにせむか或は訓戒に止め置かむかと目下評議中なりと。」

『新世界』(明治44年6月13日付け)






「◎男児分娩・・・・・デビサデロ街一八一三靴工業和歌山県人野村仁之助氏の細君は一昨夜男児を分娩したるが、母子共に健全なりと。」

『新世界』(明治44年6月20日付け)





「◎同胞靴泥棒・・・・・プレ?オ病院内に働き居る友人の室に忍び入り其の靴を盗みたりとてト-マス・ビー前田と称する男は該友人に窃盗罪に訴へられ唯拘引せられたりと。」

『新世界』(明治44年7月30日付け)






「◎尋人・・・・・富山県上新川郡大田村字城村 田村源之助福岡県糸島郡可也村大字吉田 青木茂右の者に対し至急要件有之候間税先拂にて下名迄御一報願上候。加州日本人靴工同盟会本部」

『新世界』(明治44年9月8日付け)








「◎昨夜の懇談会・・・・・▲島田三郎氏と桑港各団体代表者・・・・・島田代議士と桑港各団体代表者との懇談会は昨夜八時半より日本倶楽部において開かれたるが出席者は二十二団体より三十名にして、、、△靴工同盟 浦川幾太郎、、、。」

『新世界』(明治44年10月27日付け)








「◎一昨夜の矯風団集会・・・・・既報の如く昨夜九時より在米日本人会に於いて矯風団の集会あり。同団各団体出席者は靴工同盟 浦川△洗濯同盟兼千葉県人会 塚本△洋服洗濯同盟兼岡山県人会 近藤△香川県人会 外川△栃木県人会 仁木△上毛人会 永井△リフオムド教会 森△組合教会 福島△青年会 渡辺△島根県人会 遠藤△筑前人会 堀△実業界 青木△山梨郷友会 斎藤△筑後人会 別藤△熊本県人会 木庭△仏教会 内田△美以教会 小室。」

『新世界』(明治44年11月30日付け)








明治45年





「◎靴工同盟の新役員・・・・・靴工同盟会にては去る二十八日ジェファーソンホールに於いて総会を開きたるが、契約の修正及び本年は創立二十年目に相当するを以て、来る四、五月の頃を期し一大祝会を催する事、並びに目下の事務所は会員相互に不便なるためソヒルモア街にてゲリイ又はポストの日本人街付近に移転する事等を決議し終りて役員の改選あり。左の通り当選あり。△会長 浦川幾太郎△副会長 谷實雄△検査役 杉田實雄 長嶋武次郎△会計 吉田床△営業部 宮本定吉 矢田部孝蔵△常議員 梅本太吉 大坪乙次郎 川辺啓吉 玉川實助 上原尚孝 山中高十郎 宮田峰助 左巻小太郎 村上浅次郎 竹下仁右衛門 谷幸助 古田浜三。」

『新世界』(明治45年1月31日付け)








「◎靴工同盟会移転・・・・・靴工同盟会事務所は従来デビサデロ街に在りしが今回ポスト街一八二〇番に移転したり。」

『新世界』(明治45年3月1日付け)





「◎商店拡張説・・・・・パレオ市斎藤敬造氏の靴工店は過般類焼の厄にあいたりしが、今回新たに店を開き業務を拡張して靴工部闘球部のプール台等をも備えたれば、去る土曜日午後八時より市内の同胞六千余名をジョージヤ街のホーム、レストランに招待して開店披露を為したるが、極めて盛会にて十二時散会せり。」

『新世界』(明治45年5月1日付け)



大正元年





「◎吊意奉表・・・・・△吊書 加州日本人靴工同盟会会長 谷實雄。」

『新世界』(大正元年8月2日付け)









大正2年



「◎靴屋の店へ投石・・・・・去る二十九日真夜中の事なり。ジャクソン街八百三番藤本靴店の表ショーウィンドーめがけて拳大の石を投げ、分厚つの板ガラスを目茶目茶にしたる暴漢あり。時ならぬ物音に驚き主人飛び出したる時には、暴漢は雲霞に逃げ失せて何者とも分からざりしが、多分白人悪少年の仕業なるらしく、急を聞いて馳せ付けたる警官は現場取り調べの結果、大抵見当は付きたれば、程なく引き縛り、以後の見せしめ充分の懲戒を加ふべしと語り居たりと。」

『日米』(大正2年1月1日付け)




「◎靴工同盟会・・・・・市内靴工同盟会にては十二日(日曜)午前十時よりスタクトン街の高砂亭に於いて役員総会を開き午後一時より総会に移り右終わって夕刻より懇親会を開く由。」

『新世界』(大正2年1月9日付け)





「◎靴工同盟新役員・・・・・靴工同盟会にては去る十二日総会を開き事務及び会計の報告あり。新たに同会に功労あり且つ特別の関係ある者を名誉会員に推薦すること、及び白人同業者間に於いて近く靴工同盟組織の計画ある故、之が設立の暁には成るべく協同一致の歩調を取る事等を決議し終わって役員の選挙行いたるが其の結果左の如し。△会長 浦川幾太郎△副会長 谷實雄△検査役 矢田部孝蔵 梅木太吉△会計 吉田茂△営業部員 松田賢雄 宮内峰助△常議員 吉留常吉 野村一郎 永嶋武次郎 福田勤 上原尚孝 玉利實助 田中直次郎 大宮三郎 大坪二次郎 小川又次郎 谷孝助 佐々木市治 尚名誉会員には関根幸助氏を推薦したるが、来る十九日午後二時事務所に於いて新旧役員の引き継ぎをなすべしと。」

『新世界』(大正2年1月15日付け)






「◎営業上の一問題・・・・・△同業者制限紛擾・・・・・近時桑港同胞間の頻々として起こる悶着は同業者の数と区域制限との問題なり。例えば靴屋は市内に大抵何軒、洋服洗濯業は何千尺の距離に何件、風呂屋は一ブロックに何戸と言ふ如く各組合に於いて規約を設け以て同業者の保護を目的となし居るにも係わらず、一方より組合なるものを無視し、所謂営業居位の権は何人も之を有す、他の干渉を受くべきに非ずとて、単独行動を執らんとする者の現われ、従って組合との間に多少の衝突を起こすことなり。是決して少問題に非ずして同胞発展上に大影響を及ぼす者なれば、桑港実業会は言ふに及ばず各種組合或は又在米日本人会の如きも研究の上以て方針を立て置くべき事ならんと信ずる者なり。」

『新世界』(大正2年2月3日付け)









「◎山口熊野氏の帰桑期・・・・・米友協会及び和歌山県民を代表して在米同胞慰問のため渡米せる山口熊野氏は谷口文彦氏と共にワシントンに赴き其の後各地を巡視中なるが、本月十日前には帰桑する予定なりと。」

『新世界』(大正2年7月8日付け)







「◎桑港日本人会設立相談会・・・・・、、、斎藤兼三、木庭利器三、金子兼三、浦川幾太郎、塚本松之助氏の五名を指名したり。是等委員は二週間に草案を作り同時に発起人会を開き万事定むる事となしたり。」

『新世界』(大正2年9月11日付け)








「◎高木玉場の保険金・・・・・過般類焼に逢ひたるポスト街高木玉場にては予て附し置きたる保険金千弗を一昨日保険会社より受け取りたり。」

『新世界』(大正2年11月2日付け)







「◎桑港日本人会総会・・・・・▲会員奮って出席せよ。二十有余の各団体代表者首脳者となり前後三回発起人会を開催し協議の上十一月下旬を以て正式に組織されたる桑港日本人会にては本日午後七時よりゴールデンゲート街ゼファーソンスコイア会堂に於て創立総会を開く筈なり。本夜は永らくの懸案たりし桑港日本人会が愈々成立したる最初の総会なるを以て単に役員の選挙及び議事の討議のみに留めず創立を紀念すべき祝賀の意味をも加味せん為め議事に移る前各方面代表者の祝賀演説を乞ふこととなりたるが其のプログラムは左の如く決定したる由。

司会者 青木道嗣
開会の辞 司会者
祝賀演説 塚本松之助
同上 靴工同盟代表者
同上 桑港協友会代表者
同上 美術雑貨商代表者
右上 食料品商代表者
右上 雑貨組合代表者
右上 旅館同盟代表者
右上洋服洗濯業代表者
右上 伝道団代表者
右上 仏教会代表者」

『日米』(大正2年12月21日付け)







「◎桑港日本人会発会式・・・・・▲ジェファーソンホールにて・・・・・本日午後七時よりゴールデンゲート街にて挙行する桑港日本人会発会式の順序は左の如し。

司会者・・・・・青木道嗣
開会の辞・・・・・司会者
演説・・・・・塚本松之助
同・・・・・靴工同盟代表者
同・・・・・旅館組合代表者
同・・・・・協友会代表者
同・・・・・洋服洗濯業代表者
同・・・・・食料商代表者
同・・・・・美術雑貨業代表者
同・・・・・雑貨業代表者
同・・・・・伝道団代表者
同・・・・・仏教会代表者
同・・・・・日米新聞代表者
同・・・・・新世界代表者
同・・・・・藤平純三
同・・・・・沼野領事

尚亦規則書其の他に関して議事を開くはずにて仮議長は創立委員会にて塚本松之助氏を推す事に決定したりと言ふ。」

『新世界』(大正2年12月21日付け)





大正3年



「◎靴工同盟会の総会・・・・・靴工同盟会にては明十一日(日曜日)午後一時よりゲリー街菊川亭に於いて定期総会を兼ね新年宴会を催すはずなるが、今回は会費は一切申受けざる由にて一般会員の来会を希望すと。」

『日米』(大正3年1月10日付け)






「◎靴工同盟定期総会・・・・・本日午後一時よりゲリー街菊川亭に於いて開会し、晩には新年宴会を開く由なるが、宴会費は徴集せざる事とせりと。」

『新世界』(大正3年1月10日付け)







「◎靴工同盟の新役員・・・・・過日開催の定期総会に於て改選の結果新たに当選せる靴工同盟新役員は左の如し。
▲会長 谷實雄▲副会長 浦川幾太郎▲検査役 吉留常吉 杉田賢雄▲会計 矢田部孝造▲営業部員 吉田茂 吉田浜三▲常議員 永島竹次郎 佐々木市治 田中直次郎 中野永権 中村一郎 中山高十郎 末松長太郎 大坪二次郎 藤本源平 竹下仁右衛門 岡田時松 殿田徳三郎。」

『日米』(大正3年1月13日付け)









「◎靴工同盟会新役員・・・・・同会にては一昨日定期総会を開き役員の改選を行いたるが其の結果は左の如し。
▲会長 谷實雄▲副会長 浦川幾太郎▲検査役 松田賢雄 吉留常吉▲会計 矢田部孝造▲営業部員 吉田茂 吉田浜三▲常議員 永島竹次郎 佐々木市治 田中直次郎 中野永? 中村一郎 中山富十郎 末松長太郎 大坪三次郎 藤本源平 竹下仁右エ門 岡田時松 殿田徳三郎。」

『新世界』(大正3年1月13日付け)





「◎力行会と永田稠氏・・・・・目下北米中央農会の幹事となし居る永田稠氏は同会を辞し遠からず帰国せざる可からざる事となりたる由。其の理由は力行会長島貫兵太夫氏が臨終の際に余の事業を続がしむるものは永田の外なし故に彼を呼び返して此の事業を継がせくれと遺言したるためなれば同会員の希望により帰国するものなりと。」

『新世界』(大正3年2月6日付け)







「◎高木玉場開業・・・・・ポスト街にありて長く好球家に名を知られいた高木玉場は昨年類焼後暫らく業務を休み居たるが今回同街にてフィルマー近くに新たに家屋を借入れたれば近々開業するに至るべしと。」

『新世界』(大正3年2月9日付け)








「◎広告欄・・・・・桑港ポスト街一八二六高木玉場。」

『新世界』(大正3年2月12日付け)












「◎高木玉場開業・・・・・前に類焼の厄にかかりたるポスト街高木玉場は今回同街にてフィルマー近くに広大なる家を借入れ玉台十数台を据え付け一昨夜開業をなしたるが同夜の如きは広き室に殆んど立錐の地なきほどの来客を見受けたり。」

『新世界』(大正3年2月16日付け)








「◎艦隊歓迎委員・・・・・、、、在米日本人会、桑港日本人会にては〔帝国〕練習艦隊の歓迎の為左の委員を選定したり。、、、▲接待委員、、、浦川幾太郎、、、東ヶ崎菊松、、、永井元、、、。」

『新世界』(大正3年5月23日付け)





「◎艦隊歓迎彙報・・・・・、、、▲各団体の案内委員・・・・・練習艦隊の来着当時市内各団体を代表せる案内委員は左の如し。、、、▲靴工同盟 浦川幾太郎 矢田部孝造、、、。」

『新世界』(大正3年5月24日付け)





「◎新内閣と在留同胞・・・・・▲尤も同情多き顔ぶれ・・・・・大隈内閣は尤も在留同胞に同情多き内閣にて、、、国際法学者にて尤も丁寧に加州の問題を調査したる高橋作衛博士が法制局長官となり、、、在米同胞の為に此の上もなき好都合なるべしと。」

『新世界』(大正3年5月25日付け)








「◎高橋富蔵氏の入院・・・・・日の出靴商店主高橋富蔵氏は中風の気味にて一昨日日本病院に入院加養中。」

『新世界』(大正3年6月30日付け)






「◎靴工同盟会総会・・・・・同会にては一昨日王府日本ホールにて総会を開き諸務報告の後規約修正をなし徒弟奨励のため二十五ドルの保証金を廃し尚保証人五名を三名に減じ次に役員改選を行ひたるが其の結果は左の如くなりし由。
▲会長 浦川幾太郎▲副会長 長島武二郎▲審査役 山下豊助 谷實雄 矢田部孝造▲営業部員 古田浜三 吉留常七▲常議員 谷孝助 田中直次郎 上原尚孝 大宮三郎 玉利實助 入江實造 宮内峰助 野村時蔵 中川又次郎 伊藤國太郎 野村一郎 石井楽三。」

『新世界』(大正3年7月14日付け)








「◎片山潜氏来桑・・・・・社会主義者として名ある片山潜氏はシアトルを経て昨日来桑せり。同氏はヨーロッパにおいて開かるる社会党大会に臨席の積りなりしも戦争のため渡航不便なるを以て当分桑港に滞在すべしと。」

『新世界』(大正3年9月29日付け)







「◎高橋富蔵氏・・・・・退院久しく日本病院入院中の日の出靴商会主人同氏は本日退院の由。」

『新世界』(大正3年9月30日付け)






「◎梶田商店破産事件・・・・・力行会中の主たる会員として、且つ日曜学校の主任をなし居たる梶田氏はフグナ外に力行商会〔靴店〕を経営し居たるに十数日前破産し商品は一切白人ホールセールにより持ち去られたるが是がため日本人中には損害を蒙れる者夥しく苦情四方に起こり中には同会の経営日限に比し借金額が餘に多きに過ぎたりとの意見を抱ける者ある由。」

『新世界』(大正3年10月3日付け)








「◎米国より毛皮輸入・・・・・皮革買い入れのため来桑したる日本皮革会社技師三好氏は語って曰く。今回渡米したるは平常以上に多額なる靴用皮革を買い入れんためなるが今回の戦争ありてより某国に軍隊用靴の注文非常に多く之が原料は米国に仰がざるべからざるが故にわざわざ出張したるなり。従来は米国より買い入れる皮は精選したるものにて我が会社のみにて一年百二十万円位なりしが今は毛付きのままにて輸入するまでに至れり云々。」

『新世界』(大正3年11月21日付け)






「◎事務員募集・・・・・当営業部事務員一名募集す。希望者は来る十七日までに志願書並びに履歴書相添え左記の箇所迄宛て申込まれたし。▲但し市内に於いて確実なる二名の保証人を要す。▲普通英語を解し且つ簿記の心得あるもの▲月給は面談。

桑港ポスト街千八百二十番地 加州日本人靴工同盟本部
同王府支部」

『新世界』(大正3年12月12日付け)








大正4年





「◎靴工同盟紛擾 ・・・・・▲果たして事実とせば▲速に善後策を講ぜよ・・・・・去る十日当市ゲリー街菊川亭に於いて加州日本人靴工同盟会総会開会の折り桑港営業部事務員解雇問題に付き議論沸騰して役員の偏見か事務員の不正怠慢か会員は其の判断に苦しむ次第。殊に関係役員を退場せしめて役員の責任を問ひたる時、山下氏及び山中氏の建議は事務怠慢により役員よりは謝罪証書を撤収すべし、今井事務員には賞与金を贈与すべしとありたるも十四対十六わずか二点の差を以て否決せられたりと記憶す。例えば窃盗をなしたる者には賞与を與ふべく其の区内を警備したる巡査は職務怠慢故処分すべしと云ふに等しために新たに選出せられたる役員は副会長山下氏を除くの外は辞意固く役員会の成立覚束なくために不日臨時総会を招集せざるべからざるに至るやも測知し難し□我等同盟会の末席を汚し二十有余年の歴史を有する同盟会の前途を思ふや切なり云々との投書一会員より本社編集局に舞い込めり。果たして事実とせば速やかに善後策を講ぜよ。」

『日米』(大正4年1月14日付け)






「◎片山潜氏講演・・・・・本日午後八時半よりパイン街美以教会にて講演ある由にて演題は「帝国憲法と社会主義」なりと。」

『新世界』(大正4年1月23日付け)







「◎靴工同盟の内部▲紛擾未だ解けざる如し・・・・・在米同胞幾多団体中過去二十年の歴史を有し最も健全に発展し来れる同胞靴工同盟会は目下内部に甚だ面白からざる紛擾ある由にて其の大体は次の如くなりと。

(一) 昨年七月定期総会に於いて会員山下豊吉氏は其の年期間の桑港王府両営業部の利益を比較し桑港の余りに利益少なかりし故調査せんとて委員を設け調査せり。
(二) 調査の結果は、昨年末の棚卸しに六百ドルの記入漏れありし事
(三) 会員中には斯かる誤りは棚卸し調査の任に当たれる浦川幾太郎氏の監督不行届なりとて非難するものありしが会長は事務員今井氏を罷めて総会に報告、総会も大体に於いて之を承認せり。

然らばそれにて事は万事済みたる筈なるに何故に不満の声聞ゆるやと聞けば、今井事務員を罷めたるは単に佐々木氏の報告を聞きたるものにして軽率なり。山下氏は同氏弁護の綿密なる材料ありしに係わらず他の名誉に関する斯かる大事を決行したるは宜しからずと言ふの論を総会に於いて新幹部は一同辞職して責任を逃れんとしながら臨時総会には少しも位置を転倒したるのみにて此の辞職したる役員又役員となり頻りに今井事件を論議させながら未だ此の事件の確実なる報道を会員一般に知らしめず而して会をして益々紛擾せしむる如き状態に置くは宜しからずと言ふにあるが如し。何れが是何れが非なるか我が社の知る所に非ず。只百八十余名の勢力ある団体として平和に発達せん事を希望する者なり。」

『新世界』(大正4年2月12日付け)






「◎靴工同盟の実情・・・・・靴工同盟紛擾事件に関し会員谷實雄氏は昨日来社し該紛擾は既に事済みとなりて今は何事も平和となれりと弁解せり。」

『新世界』(大正4年2月14日付け)






「◎今夜の浪花節・・・・・ナショナル座に開演中の雲井不如帰一座浪花節今晩の語者は左の如し。
○佐倉義民伝序開き 不二夫
○乃木将軍と二百三高地 不如帰
○大井憲太郎の少壮時代 同人。」

『新世界』(大正4年5月16日付け)






「◎学生招待準備節・・・・・米国及びハワイに在住する同胞小学校、中学校生徒を見学のため桑港博覧会に招待する件については過般桑港日本人会参事員会に協議中なりしが、其の数は約五百名の予定にて、、、▲集金委員、、、角田靴工同盟、、、▲運動会委員、、、浦川幾太郎、、、。」

『新世界』(大正4年5月21日付け)


















「◎鈴木氏の招待・・・・・故国労働者の代表者として渡米せる鈴木文治氏は労働大会列席のため渡桑せるミネアポリス州労働団体代表者メーロー氏夫妻及びシャー氏夫妻及び片山潜氏、川上清氏を昨夜小川ホテルに招待して晩餐を共にし終わってチャイナタウンを案内せりと。」

『新世界』(大正4年11月15日付け)







「◎桑港博覧会出品批評▲専門家の見たる・・・・・、、、▲革製品・・・・・は一般に好評にして其の製品も一見米国品に劣らざる如し。然れども耐久力に於いて多少の疑を有する如きも売れ行き良好なり。神戸、平野氏出品の靴は殊に好評ありと米人に売約せり。」

『新世界』(大正4年11月16日付け)









大正5年





「◎靴工同盟新役員・・・・・同会の新役員は左の如し。
▲会長 長島武次郎▲副会長 谷實雄▲検査役 山下豊吉 同矢田部孝造▲会計 吉田茂▲営業部員 藤本源平 同佐々木市治▲常議員 永沼亀一郎 古田浜三 石井楽三 上原尚孝 田中直次郎 吉留常吉 石田太造 松田賢雄 北村嘉久蔵 伊藤國太郎 佐川小太郎 村上浅次郎。 」

『新世界』(大正5年1月19日付け)







「◎金槌で乱打し致命傷負す・・・・・当市ガレロ街一00九番に靴修繕所と家屋掃除業を営み居る福岡県人中村重太郎方に於いて昨夜些細なる口論より鹿児島県人当房武一(二十七八歳)なる者が静岡県人杉山誠平(三十八九)を靴修繕用金槌にて頭部を滅多打ちにして重傷を負はして何れにか逃亡せる事件あり。元来該二人は中村方に掃除人として就働し来たれるが中村の妻が一週間ばかり以前田舎の友人方に出産ありて之れがヘルプに赴きたる後に男世帯にて働き、より早く帰り来る者がクックして夕飯をつくるが常なりしが、この日杉山は午後家に在りて仕事を為さざりしに係わらず当房が午後五時頃帰り来たれる際には夕飯の仕事出来居らず且つ酒気を帯びたりしかば平常より当房は面白からず一緒に酒を飲みながらも皮肉が変じて口論となり当房が「殴るよ」と云えば「ヘン口ばかりでダメだよ」と売り言葉に買い言葉を煎じたり。当房は直ちに店前より金槌を持ち来たりて「何を」と云い杉山を殴り頭部に六つ肩に一つの傷を負はし、頭部は為に目茶目茶となり被害者はそこに倒れたり。かくと見るや当房は居合わしたる人々に挨拶したるまま着の身着のままにてどこかに逃走したりと。 」

『新世界』(大正5年4月30日付け)








「◎浦川兄弟靴商会・・・・・ミスター、ミセス、ボーイ、ガール、ベビーちゃんに至るまで御満足に叶う様な品の好い靴を沢山取り揃へ新に開店致しますから是非一度御来店お試し下さい。
桑港ポスト街一七一七 電話ウエスト一三二九。 」

『新世界』(大正5年7月1日付け)







「◎靴工同盟会総会・・・・・同定期総会は去る十六日王府日本亭にて開催し役員改選其の他ありしが其の結果左の人々当選したり。
▲会長 谷實雄▲副会長 長島武次郎▲検査役 矢田部孝造 同佐々木市次▲会計 吉田茂▲営業部員 山下豊吉  同吉留常吉▲常議員 石田 長沼 村上 古田 石井 藤本 荒木 小川 伊藤 大坪 谷。 」

『新世界』(大正5年7月18日付け)









「◎靴下が下がって困る・・・・・▲ちょっとルームを貸せと泥棒・・・・・近時白j婦人にてコソ泥をなし歩く者ありて、其の手段至って巧妙なりとの事なるが、二三日前スタクトン街の藤本靴屋に風采見にくからぬ一白婦人来り、ちょっとルームを貸してくれ、ストッキングが下がって困る、サイドオークで引き上げるのは婦人のシェームなればと言ふ故、ごもっともの次第と推量して其処のルームへ入って直せと、そのまま仕事をなし居りしに、後にて気が付き見ればタンスの引き出しより金をかさらって出て行きたるものにて此の手段に乗せられたるは同家のみならず他にも数件ありと。油断のならぬ事と言ふべし。 」

『新世界』(大正5年9月8日付け)












「◎本日の碁会・・・・・スタクトン街藤本靴屋に於いて本日午後より囲碁大会あり。同好者の来会を希望する。 」

『新世界』(大正5年10月15日付け)







「◎同胞労働同盟設立の相談会・・・・・▲出席者満場一致にて設立を決議せり。・・・・・鈴木文治氏が率先して先頃より日本人労働同盟を設立せんとしつつある事については日本人間にても種々風評するあり。、、、▲鈴木氏の演説・・・・・、、、▲会議に移る・・・・・、、、委員は座長の指名にて次の諸氏に決せり。、、、谷實雄〔靴工同盟会会長〕、鈴木文治〔日本友愛会会長〕、、、。 」

『新世界』(大正5年10月25日付け)







「◎同胞労働組合はいよいよ成立せり・・・・・、、、当選せし仮役員左の如し。、、、永島武次郎〔靴工同盟会副会長〕、、、。 」

『新世界』(大正5年11月7日付け)








「◎労働組合に就いて・・・・・在米日本人労働連合会の組織なる、、、ひるがえって在米日本人に此の種の組織が如何程必要を感じつつあるかと言ふに、従来組合として最も有力なる靴工組合の如き、又は、家屋掃除業の協友会の如き、比較的長く存立し居たる、、、。 」

『新世界』(大正5年11月8日付け)


※上記記事との関連記事

「当市ガレロ街一00九番に靴修繕所と家屋掃除業を営み居る福岡県人中村重太郎方に於いて、、、。 」

『新世界』(大正5年4月30日付け)






「◎靴屋の原料騰貴状態・・・・・中々営業がしにくい・・・・・日本人の経営中各方面の材料騰貴甚だしく、さればとて其の割合に価格を引き上ぐる能はずにて困難なる者少なからざるが、靴屋営業ついに聞く所によれば皮は約四割方の騰貴となり、昨年二十二セントの皮は三十二三セントとなり白人靴商売人なぞも此の分ならば一足十ドルに達するは遠からざるべしと称し居られる由にて、左なきだに近来日本人靴屋は白人靴屋に器械力を以て圧倒せらるる傾ありて困難の域に達し居るに皮がかくの如く騰貴したる上は釘も亦五割以上の騰貴を見るに至りたりと。 」

『新世界』(大正5年11月20日付け)






「◎日の出靴店閉店期・・・・・ゲリー街の日の出靴店にては安売の期限を出上げ今日三日にて閉店する由なる。 」

『新世界』(大正5年11月25日付け)




















「◎谷靴屋は廃業せぬ・・・・・ゲリー街ライオン靴屋にては帰国のため廃業するを以て大安売りをするとの広告をなしありしが、其の後都合ありてライオン靴店を谷靴店に改めて盛んに営業をなすべしと。 」

『新世界』(大正5年12月19日付け)





大正6年



「◎加州邦人商業の現況・・・・・、、、▲靴工 百三十八戸、二百八十五人 投資額十五万ドル 一カ年売上高 三十万ドル、、、。 」

『新世界』(大正6年1月1日付け)









「◎好成績を挙げし靴工同盟会▲二十五年紀念祭を開催・・・・・日本人靴工同盟会は桑港にある同業者組合としては歴史尤も古く従来より基礎確かなる団体と称せられ居たるものなるが近時少しく白人同業者に圧倒せらるる傾きありとの噂ありし故実に如何かと憂慮する者なきにしも非りしに事実は案外なる好成績にて本年度下半期の原料売上高合計四万七千七百七ドル四十三セント此の利益一万二千二百九十八ドル四十六セント諸雑費を控除したる純利益五千六百六十七ドル四十七セントにて五千ドルだけは配当し得る状態なりと。同会は又来る十四日同会議室に於いて定期総会を開き庶務会計の報告をなし重要事件を審議すべしとの事なるが創業後既に二十五年に当たり特に業務は日に繁盛となり基本金も夥しく増加せるを以て本年の総会にて二十五年紀念式を挙行するも相談をなすべしと。尚亦同会にては十四日の総会の後菊川亭に於いて新年宴会を開き食費無料なるを以て会員は 成るべく多数出席ありたしとの事なり。 」

『新世界』(大正6年1月10日付け)









「◎靴工同盟総会報告・・・・・同同盟会にては去る十四日午後一時より総会を同事務所会議室に開き過去六カ月の庶務会計報告をなし次いで靴工店巡視員設置の件、会員優待法を設くるの件を議決し役員の改選をなしたり。其の結果は
▲会長 谷實雄▲副会長 長島武次郎▲検査役 山下豊吉 古浜常吉▲会計 矢田部孝造▲営業部員 番本澤平 上原尚孝▲靴工店巡視員として荒木銀三郎氏当選▲常議員 三苫徹基 荒木銀三郎 吉田茂 宮内峰助 田中直次郎 大城二次郎 竹下仁右衛門 垣壽太郎 川部啓吉 佐々木重次 北村喜久蔵 大定三郎
それより菊川亭に於いて新年宴会を開きたるが非常なる盛会なりし由。尚亦二十五年紀念会は四月頃開催の筈なるも未だ確たる事は決せずと。 」

『新世界』(大正6年1月16日付け)










「◎正誤・・・・・昨日の紙上靴工同盟役員の名前中次の誤植ありしを以て訂正す。 番本澤平とありしは藤本源平の誤り。 荒木銀三郎は銀之助、佐々木重次は一次、北村喜久蔵は嘉久造、大定三郎は大宮三郎、垣壽太郎は西垣寿太郎の誤。 」

『新世界』(大正6年1月17日付け)











「◎靴工同盟祝賀会・・・・・加州日本人靴工同盟は来る十五日を以て創立紀念日なればナショナル座にて大々的祝賀会を開く由なり。 」

『新世界』(大正6年4月9日付け)








「◎靴泥棒嫌疑者・・・・・近々検挙されん・・・・・一カ月前王府クレー街靴工同盟支部に押し入り現金及び靴類価格一千余ドルを盗み去れる者あり。靴工同盟にては数次の盗難故是非共犯人を捕へんとて金三百ドルの懸賞を警察に提供し一方警察にても極力犯人逮捕に手を尽し居たる處今回一つの手懸りを得たれば目下取り調べに歩を進め居る由。聞く所によれば嘗てサンクエンテン牢獄に苦役し目下王府某所に於いて靴工業に従事せる西洋人あり。警察の目は早くも此者に就き絶へず行動を監視し居りしが過日突然其の家に出張して家宅捜索をなしたる結果家の背後にあるクロセットの中より靴工同盟にて盗まれたる靴類の一部が??せられ居るを発見したる故厳重に糺問したる處右商品は同人が入獄中知り合いとなれる某前科者が皮商破産の安売りにて買ひたりとて持ち来たりたるを譲り受けたるなりと答へたる由。警察にては多数の連累者ある見込みなるが斯かる有力なる手懸りを得たる故全部の検挙も近き中ならんと云ふ。 」

『新世界』(大正6年4月9日付け)








「◎靴工同盟の賊捕まる・・・・・今より一か月ほど以前王府靴工同盟に押し入り現金及び靴類価格一千ドルのものを盗み去りたる賊あり。当時同盟会にては金二百ドルの懸賞を提供し警察にても極力犯人逮捕に努め居りしが今回桑港に於いて右の犯人逮捕せられ昨日其の裁判ありたるが賊は証拠物件を差し付けられて言ひ逃るる事野能はず罪状を逐一自白せりといふ。聞く所によれば王府十三街に靴工業を営める西洋人あり。前科者にて警察にて常に挙動を窺ひ居たるが過日突然家宅捜索を行ひたる結果物置より盗品の一部発見されたれば厳重に糺問したる處同人が曾てサンクエンテン牢獄に在りたる時知り合いなりたる者より買い受けたる旨白状したれば警察にては爰に探偵の手懸りを得て遂に今回の賊を捕へたるなりと云ふ。 」

『新世界』(大正6年4月14日付け)








「◎靴工同盟創立紀念▲来る十五日挙行せん・・・・・加州靴工同盟会は其の創立二十五年紀念祝賀会を来る十五日午後二時よりナショナル座にて開催の由にて第一式は午後四時迄、第二式は午後六時より開会の由。第二入場無料にて順序左の如しと云ふ。

▲第一式 司会者 谷實雄
開会の趣旨 司会者
賓客歓迎の辞 長島武次郎
功労者表彰 吉田留吉
祝辞 会員総代矢田部孝造、 同黒沢格三郎〔医師〕、 同時枝誠之〔 横浜正金銀行サンフランシスコ支店長〕、 同北?新報社長・副島八郎 同新世界新聞社社長・池田五六、 同日米新聞社長・安孫子久太郎、 同在米日本人会長・牛島謹爾(注1) 同総領事・植原正直

▲第二式 (入場無料正午後六時開会)
司会者 藤本源平
手踊 京の四季 踊菊川艶子
三味 玉菊 浪子 博多二0加
法の道連れ
浮世の栞
不知火一座、
合奏 玉川の曲、 尺八 小泉 琴 八島
浪花節 中山安兵衛 京山一心斎
剣舞 白虎隊 前田満月 松崎大月
吟士 松原風月、
手踊 祝子守
踊 キク菊川艶子
三味 玉菊 浪子
浪花節 久馬れ薬献上 早川?三
三味 梅玉
手踊ふみつかい 踊玉菊 三味浪子 梅玉、 博多二0加
貧家の苦心 主婦の気転 不知火一座
手踊 清元保名狂乱
踊玉菊 三味梅玉 浪子、
芝居 成田利生?力士の仇討山の段 不知火一座 」

『新世界』(大正6年4月14日付け)









「◎靴工同盟沿革史・・・・・桑港日本人靴工同盟は設立以来二十五年の歴史を有する団体なるが、今回同会の沿革史を編纂して一般に配布したり。同書中に見れば会員の収入は目下一カ年に五十万ドルを超過し居れりとありたり。 」

『新世界』(大正6年4月15日付け)







「◎二十五年紀念・靴工同盟祝会▲昔の警部感泣す・・・・・徳富蘇峰氏の論文により奮起し日本人が米国に於いて靴工に着手し始めて以来約三十年、靴工同盟を組織せし以来既に二十五年となり、其の間幾多の迫害を受けたる歴史打撃を蒙りたる過去を有するにも係わらず、会員百五十名、収入毎年五十万ドルを得つつある同同盟にては昨日ドリームランド、リンクに於いて紀念の祝会を開き谷實雄氏司会し次の祝辞演説ありたり。

開会の辞 谷實雄
賓客歓迎の辞 長島武次郎
功労者表彰 吉田留吉
祝辞 矢田部孝造 黒沢格三郎 時枝誠之 副島八郎 斎藤東光 二宮利作 関戸会川 牛島在日会長 植原総領事

それより帝国万歳、靴工同盟万歳を唱へ一同撮影し第一式を終りたるが、功労者表彰として二十年前会員が迫害を加へらるる際大いに努力し尚引き続き同会の為に尽力せる当時の警部ゼッダフルユー・モーフヒット氏に銀杯を贈りたるに、同氏は感極まって暗涙を催し演説出来ざる様様なりき。

尚功労者としての賞状銀杯を贈られたるは、
相原練之助 矢田部孝造 三苫徹基 田中直次郎 谷實雄 浦川幾太郎 荒木辰之助 吉田茂 古田浜三 宮内峰助 原田猪太郎 角田平三郎 高橋?實

それより、来賓、会員及び会員家族一同に餐応ありて暫次休憩、午後八時より第二式に移り藤本源平氏司会の下に手踊、仁和歌、浪花節、琴、三味線合奏、芝居等ありて非常なる盛会を極めて散会せり。 」

『新世界』(大正6年4月16日付け)








「◎隠れた二つの謎(本社運動会盛況)・・・・・、、、昨日までの寄贈品は、、、一 靴一口(価格五ドル)藤本靴商店一 上等子供靴(二ドル五十セント)浦川兄弟靴商店。 」

『新世界』(大正6年5月9日付け)








「◎明後日となれる本社運動会・・・・・、、、▲接待委員、、、角田(靴工同盟、、、)。 」

『新世界』(大正6年5月11日付け)









「◎日の出靴商会主死亡・・・・・前日の出靴商会主高橋富蔵氏は日本にて死亡。 」

『新世界』(大正6年5月21日付け)










「◎同胞靴工同盟総会▲営業時間の短縮決議・・・・・一昨十五日王府日本亭に於いて靴工同盟会を開き上半期六カ月間の会務報告ありて議事に移り左記の三件を決議し役員の改選あり。余興として福引其の他の催しありて頗る盛会なりし。
一、従来の靴工店巡視員を中止し、
二、営業時間を短縮し従来より一時間節約、
三、王府支店の前事務員高橋氏辞職に対し金五百ドル慰労金と五十ドルの記念品を贈呈したりと。
▲会長 矢田部孝造▲副会長 谷實雄▲検査役 山下 長島▲会計 吉田▲営業部員 藤本 上原▲常議員 三苫 田中 永沼 北村 宮内 佐川 石田 大宮 村上 石井 沼波。 」

『新世界』(大正6年7月17日付け)








「◎理化学研究所設置準備進歩▲両理学博士天洋丸にて米国に出張・・・・・予ねて多額の寄付金を朝野より募集し居りし理化学研究所設置は其の後創業準備中なりしが、いよいよ東京帝国大学理科大学教授なる長岡半太郎及び池田菊苗の両理学博士を米国に派遣して設備一切に関する調査をなさしむる事に決定し両氏は八月二十一日横浜発の天洋丸にて出発する事となれり。 」

『新世界』(大正6年8月10日付け)









「◎靴工業は繁盛・・・・・目下物価騰貴につれ新しき靴の如きは七八ドルより十ドル以上に騰貴せるため一般の状態成るべく古靴を修繕して長く穿かんとするに至りたるを以て同胞靴工業は意想外に繁盛となり来れりと。 」

『新世界』(大正6年9月21日付け)







「◎古靴をもらひに▲ベルギー貧民の為め奔走・・・・・桑港アドバータイジング倶楽部が主催となり其の他の各団体が応援して市内各戸につき古靴の譲与を要求し廻るべしとの事なるが其の目的はフランス北部及びベルギー国内の貧民が戦争のため靴を買ふ事能はず今や冬季寒冷の候の近づくにも拘わらず靴なきものは何万人と云ふ程にて如何にして冬を過ごすべきや尤も心配し居る事なれば特志者は古靴にて大小形状の如何に拘わらず恵与せられたし。各靴には寄贈者の名前を附し之を受け取れる人より謝状を送り来らるる方法を取り居れりとあり。過般ソートレーキ市にては斯くして一万六千足を得ベルギーに送りたりと。日本人の各戸にても古靴あらば寄贈すべき事なり。 」

『新世界』(大正6年9月27日付け)








大正7年





「◎東洋労働者と米国・・・・・、、、在米日本人の業務として早くより勢力を得たるは靴工業、洗濯業等なりしに、靴工業も漸次勢力を減じ、洗濯業者亦非情なる危機に接し居れりと。其の理由は何故なるかと聞くに職工を得るの難きと、給料の夥しく増し来たれる為なりと。、、、。 」

『新世界』(大正7年1月8日付け)








「◎靴工同盟会・・・・・靴工同盟会にては来る十三日午後一時より同会議所において定期総会開催し午後七時半より菊川亭に於いて新年宴会を催すべし。会員は無料にて多数出席を望むと。 」

『新世界』(大正7年1月10日付け)







「◎靴工同盟会総会・・・・・、靴工同盟会総会は既報の如く去る十三日開催したるが新たに議決したる事項は下記の如し。(一)同会員中妻帯者及び老齢者増加したるを以て救護を要する者の出来したる場合に備へる爲め今年度より救済基金を設くる事。而して該基金は準備積立金の一部を以て之に充つる物とす。(二)徒弟養成の期間を従来の十カ月より八カ月に短縮なし以て後継者の養成に努むる由。猶役員改選の結果は左の如しと。
▲会長 谷實雄▲副会長 矢田部孝造▲監査役 藤本源平 長島武次郎▲会計 吉田茂▲営業部員 山下賢吉 北村加久蔵▲常議員 石田太郎外十一名 」

『新世界』(大正7年1月16日付け)








「◎雨量が少ないので靴屋も困る・・・・・、、、靴類の如きは雨量の欠乏にて比較的需要少なきは注目すべき現象にして独り農作物に対して打撃を與へ居るのみならず斯かる靴商店にまでも影響を與へつつの有様なるが、、、。 」

『新世界』(大正7年2月4日付け)







「◎靴の小言▲無茶に値上げの理由、各方面から議論百出▲シュ-スレス・デーともならん▲大商人の懐のみ肥ゆると報告・・・・・靴の値上げの甚だしい事は自体どうした訳だろうか。物価騰貴と云ふ一語で押へて仕舞えば何でも無いが騰貴には騰貴する理由が無くてはならぬ。此の有様で行けば来年あたりはどうしてもシュースレス、デーでも発布して一週間に二日間位跣足で歩けなんて言ふ日が来るかも知れぬと世間の風評だが中央政府貿易監督官が議会に報告した所を見ると大商人の為めである。▲肉屋連の策略・・・・・此の報告によって見ると米国内で過去五年間に五百十万頭の家畜を条件に殺した。即ちこれ前に比べると三割方余計に殺した訳になる。殺せば又皮も其の割合に増すわけで従って靴の原料は需要供給の理由により上がる訳はない筈だ。然るにドンドン皮の値が上がると言ふ者は或る大商店が皮を仕舞いこむからであって市俄古の五大バツカーヌと呼ばれ居るアームーア、スイフト、モリスタデヒー、ウィルソンなんて云ふ肉屋の大資本家が千九百十六年と十七年の上半季だけで貯蔵した皮は四割五分も前より余計にした。彼等は千九百十六年一月三十一日に八千八百三万三千百九十三斤の皮を仕舞いこんだ。▲一年後には・・・・・更に沢山貯めこんで昨年の一月三十一日には一億二千七百六十九万四千百十斤の皮を世間へ出さぬ。従って又是より小さい肉屋連中も千九百十七年の七月三十一日までには二千万斤以上皮を仕舞いこんで合計二百七十五の会社で一億四千七百七十八万二百七十一斤と云ふ皮を貯えへて出さない。前述べた程沢山の家畜を殺しそして外国から持ち込んだ皮も千九百十二年から十七年迄四割も増して居るに皮が高い道理はないと監督官の報告である。▲途方もない益・・・・・監督官は尚報告して曰く。千九百十六年から十七年にかけ農業家こそは僅かに一割七分の益を増したのみであるに前記スウイフト会社などに三割五分も利益を増し或る会社は千九百十五年よりは五倍位の利益を得て居るとの報告で東部各地の新聞は盛んに攻撃を始めた。成程之によりて始めて靴の値段が滅茶苦茶に高くなる理由がわかった。政府が之を取り締まらねばやがてシュースレス、デーを実行せねばならぬ事になる。貧乏人は益々苦しみ金持ちが益々大金持ちになる所以は先ずこんなものだ。 」

『新世界』(大正7年2月14日付け)







「◎過去十年間に同胞事業発展(商業会議所調査)・・・・・、、、減少したる職業数は通弁、雇人口入業、料理飲食店、プールホール〔玉場・ビリヤード場〕、靴屋、食料雑貨商等にして、、、靴屋は百八十より百四十に減じ、、、。 」

『新世界』(大正7年9月13日付け)






大正8年



 「◎靴工同盟会・・・・・十二日総会並びに新年会を開催。役員改選の結果左の諸氏当選せる由。△会長 矢田部孝造△副会長 山下豊吉△検査役 北村嘉久蔵 藤本源平△会計 宮内峰助△営業部員 石田太蔵 上原尚孝△常議員 白石勇夫 田中直次郎 永沼亀一郎 吉田茂 沼波義雄 佐藤勝五郎 宮川政喜 村上浅次郎 相原練之助 下平三七 石井栄三 岡本治郎。」

『日米』(大正8年1月14日付け)









 「◎靴工同盟会・・・・・昨十二日同会議室に於いて定期総会開催。諸般の報告及び議事終了後役員選挙を行い午後七時より菊川亭にて新年宴会を催せり。尚当日選挙の結果左の諸氏当選せり。△会長 矢田部孝造△副会長 山下豊吉△検査役 北村嘉久蔵 藤本源平△会計 宮内峰助△営業部員 石田太造 上原尚孝△常議員 白石勇夫 田中直次郎 永沼亀一郎 吉田茂 沼波義雄 佐藤勝五郎 宮川政喜 村上浅次郎 相原練之助 下平三七 石井栄三 岡本治郎。」

『新世界』(大正8年1月14日付け)













 「◎熟練なる靴工一名 月給百ドルを支払ふ。見習い一名 右希望者は至急申込まれたし。委細面談
桜府 佐藤靴店。」

『新世界』(大正8年3月20日付け)










 「◎靴工同盟役員・・・・・十三日王府仏教会にて同会開会の結果左の如く新役員当選せりと。△会長 矢田部△副会長 山下△検査役 藤本 宮内△会計 吉田△営業部員 北村 石田。」

『新世界』(大正8年7月16日付け)









 「◎靴は益々騰貴せん・・・・・裸足で歩むは欧州敗戦国民や日本人のみの事と思ひ居たる合衆国民も遠からず裸足で外出しなければ木履を使用するに至るも知る可からず。昨日靴製造業者ハリソン氏の談によれば、なめし革次第に欠乏し明年七月頃には並靴一足二十ドルの高価を唱ふるに至るべしと云ふ。」

『新世界』(大正8年7月17日付け)









 「◎昔の革命家・今では娘のために・月謝の稼ぎ◇片山潜君の昨今・・・・・日本にもボツボツ過激思想のかぶれ者があるとかで政府は之が爲め憲兵の増加をする由。東京電報に有りしが是所米国はニューヨークにて先年渡欧せんとして旅券の発給を拒まれた例の社会主義者の片山潜君は今は何をして居るかと聞けば最近ニューヨークから来た左の人の言によると片山氏はサンフランシスコにも居った娘さんが目下ダンシングの学校に通ってる其れに月々どうしても五十ドルの入費が要るので氏は如何にもして其の娘の業を終へさせ様と白髪交じりの頭を振り立ってあちらこちらと仕事を漁っては月謝の稼ぎをしている。マア其の娘が卒業さへすればと其が一つの希望らしい氏は珍しく料理が上手でチキン等は中々黒人を凌ぐの腕前があるとて氏と暫く同居して居たと云ふ人の話ではニューヨークの日本人では殆んど氏と交際する人はないがそれは社会主義者と見られては大変だと云ふので。」

『新世界』(大正8年8月5日付け)









 「◎幾らあれば間に合ふか。日本人商店の曰く集・・・・・、、、▲浦川靴店曰く。「男物は九ドル五十セント、十ドル位が御用が多い。テンは五十セント高です。子供の物は毎週十セント十五セントと上がってきます」、、、。」

『新世界』(大正8年9月16日付け)









 「◎在日参事員に▲総辞職を迫るは不都合である。▲桑日代表者は適当の案を立てよ。▲桑日参事員、藤本源平氏〔靴工同盟員:翌大正9年1月11日に靴工同盟会会長に就任〕談・・・・・自分は何所までも在留同胞のため写婚問題に対しては円満なる解決を望むものである。賛成側も不賛成側も双方共熱誠を以て事に当たって居るのであるが在日会の参事員に対し総辞職を迫ることは不都合である。臨時代表者会開催も目前に迫って来たが桑港よりの代表者は長兄たる資格を以て適当の案を立ててやってもらいたい。内輪の問題は内輪で解決しなければならないけれども在日会が決議発表を英字紙上へ出した点は返す返すもつまらぬことをしたものだと思ふ。内輪の問題も例のステートメントを英字紙に発表したるが為に問題が対外的になってきたのである。臨時代表者会で在日会幹部が総辞職をしたならば其の後任として適任者を選ぶことは非常に困難であろう。殊に会長書記長の適任者を選ぶのに困難があるに違ひない。」

『新世界』(大正8年11月22日付け)










 「◎靴屋荒し・・・・・昨日午後六時より十一時頃スタクトン街一七○五に住居せる永沼某は窓より闖入したるコソ泥棒の為現金十四ドル及び其の他物品合計金額六十ドルを窃取され其の筋に届け出でたり。尚又ランバード街の石田靴屋にても同様泥棒に見舞われ仕入れありたる靴の皮全部を盗み去られたりと云うふ。」

『新世界』(大正8年12月17日付け)






大正9年

 「◎子供がサクラメント平原の日本人を追い出すのだと軍隊を組織のため出発・・・・・ニューヨークのスムーキー(十三歳)とロスアンゼルスのスペラ(十四歳)と云ふ二人の子供は最近新聞で排日熱を鼓吹したるために大いに奮発してサクラメントバレーの日本人を追い出し日本と戦争するため義勇軍を募るのだと云って出発し、飢えのため死にそうになってサンタバーバラの市街に寝ていたと云ふ話。」

『新世界』(大正9年1月9日付け)












 「◎靴工同盟会総会・・・・・日本人靴工同盟会にては去る十一日事務所に於いて総会を開き事務会計の報告をなし役員の改選をなしたるが其の結果は左の如し。
▲会長 藤本源平▲副会長 矢田部孝造▲検査役 石田太造 宮内峰助▲会計 吉田茂 北村嘉久蔵▲常議員 荒木辰之助 田中直次郎 岡田時松 三木市兵衛 石田政造 上原直孝 白石勇雄 竹下仁右衛門 宮沢政喜 本田善太郎 樋口春之助 地原祐太郎」

『新世界』(大正9年1月14日付け)









 「◎靴工同盟会運動会・・・・・本日午前十一時桑王間の日本人靴工同盟会は湾東ミルズカレッヂ付近のレオナ・ハイトに於いて春季大運動会を催す由にて桑港方面の人々はキーロート埠頭より王府埠頭に着したる際特にツウエンティ・セコンド・スツリート、フォーティ・フォルストアベニューと記号あるカーに乗り終点第二十二街とブロードウエーにてキールート・イン・ケーとある電車に乗り換へミルズカレーヂ停車場にて下車し左へ曲がり小山に登る順なりと。」

『新世界』(大正9年5月2日付け)










 「◎一世紀の間を靴修繕業で通した百二十六歳の男・・・・・石の上にも三年と云ひ鰌でも二年すれば下手な鰻よりは旨く食へると云ふが、去る五月一日百二十六歳で往生を遂げたネブラスカ州クラスター郡の田舎のトーマス・モーリスと云ふ男は二十六歳以降死に至るまで百年一日の如く靴修繕業で而も独身で通して来た。。日本人ならば靴の神様として淫祠に祭られてお百度を踏む者も出て来ようが世知辛い米国では無縁塚になるだろう。」

『新世界』(大正9年5月4日付け)







 「◎桑日会・・・・・では矢田部孝造君〔靴工同盟員〕が辞職したら、直ぐ其の後へ臼井君を推薦した。此の間から臼井君が桑日会攻撃演説会をすると言ふ噂があったものだから、直ぐにご機嫌取りの推薦だと専ら風説だ。万事がこのやり口。」

『新世界』(大正9年5月18日付け)






 「◎靴の価が下落・・・・・▲東部製造所の発表・・・・・セントルイス大靴工場の声明によれば靴は昨日来ホールセール価格に十五セントより二ドルの下落を見たるが故に小売商も漸次値下げをなすべしと云ふ。」

『新世界』(大正9年6月10日付け)









 「◎靴店の安売り出し・・・・・ポスト街浦川靴店及びゲリー街谷靴店にては靴の安売り出しを開始せり。」

『新世界』(大正9年6月24日付け)










 「◎靴工同盟総会▲新役員も決定・・・・・日本人靴工同盟にては一昨日午後二時より王府日本ホールに於いて定期総会を開き事務会計の報告其の他幾多の議事をなし終わって役員の改選をなしたるが左の諸氏当選したる由。
▲会長 藤本源平▲副会長 矢田部孝造▲検査役 石井楽三、北村嘉久造▲会計 宮内峰助▲営業部員 石田太造、吉田茂、▲常議員 永沼亀一郎、白石勇夫、相原錬之助、田中直次郎、宮川政喜、佐藤勝五郎、山内種行、石田政造、下平三七、郡忠資、地原裕太郎、岡本次郎
尚、徒弟年限は今後六カ月に短縮したる由。」

『新世界』(大正9年7月13日付け)










 「◎皮革類値上げ来月は高からん・・・・・二十二日発ニューヨーク電報によればレザー類は需要非常に増し来り、各方面より続々と注文有りて昨日あたりも大取引ありたるが、一般の観測によれば来月は必ず値上げあらんとの事にて、靴材料は近頃甚だしき注文ありと。」

『新世界』(大正9年8月25日付け)










 「◎靴の市場▲稍活動し始む・・・・・ニューヨーク四日発電報によれば靴の市場は漸く活気を添え来たり。相当に注文あるに至り、特に婦人もの子供の物が売れ始めたに、男子物は案外に売れず、ニューイングランドの大工場プラクトンの大工場とも製造を始めたり。只近来に至って尤も注意すべき事は靴の買受け人はスタイルや其の他の外観に重きを置かず、只価格の安き物を買はんとしつつある事なりと。」

『新世界』(大正9年9月9日付け)









 「◎製靴場再開価額低落を見ん・・・・・マサチューセッツ州にある製靴大工場六個は長く休業し居たるが、十三日より再開せり。休業は経済界の動揺と労働者の給料増額により来れる者なるが、状態大いに回復したるため再開せるものにて、靴の供給も従って増額し来り市価多少定額を見るならんと。」

『新世界』(大正9年9月16日付け)







 「◎靴は動き始む・・・・・▲中西部が活動し来る・・・・・ニューヨーク市場にても皮革類ようやく動き始め各方面より漸次注文来る模様なるが、シカゴ、セントルイスの靴工場は各地より続々注文あり。之に比すれば東部市場は尚至って鎮静と言うべき者なりと。尚亦ニューヨーク市場昨日ハイドの取引はライト・ナチーブ・カウ二四仙半にてヘビイは二六仙半にて少許の取引ありしと。」

『新世界』(大正9年10月1日付け)







 「◎靴皮類は下落味・・・・・ニューヨークにおける靴の底皮及び上皮帯皮類は依然下落を続け来れるが、今のところ確定相場は見難し。」

『新世界』(大正9年10月22日付け)









 「◎黒沢〔格三郎〕翁の葬儀執行・本日午後一時・美以教会にて・・・・・黒沢ドクトルの葬儀は本日午後一時より美以教会に於いて執行さるべく其の順序は以下の如し。
着席 一讃美歌(第三百四十五番)
一祈祷、
一旧約聖書朗読、
一新約聖書朗読、
一讃美歌(第三百五十五番)
一故人履歴 清水?吉
一弔辞 在米日本人会代表者 牛島謹爾、
桑港日本人会代表者 青木道嗣、
加州日本人慈恵会代表者 寺沢久吉、
金門学園代表者 鈴木孝志、
日本人医師会代表者 伊津野房一郎、
加州歯科医師会代表者 檜垣益一、
靴工同盟会代表者 矢田部孝造、
栃木県人会代表者 峰岸久次郎、
上毛人会代表者 須藤和四郎、
友人総代 伊藤竹次郎、
一弔電朗読 副島八郎、
一説教 白石牧師、
一讃美歌(第三百六十三番)
一祈祷挨拶 親戚総代 飯島敬弌、
告別、
外棺
記念撮影。」

『新世界』(大正9年11月12日付け)










 「◎谷靴店・・・・・冬季仕入れの男女靴は入荷沢山で白人側商人と競争で廉価売と言ふ始末ですから市価惨落のない限り来春よりは廉値段の買取りは今や頂上の時とも思われます。来春頃下落ありとも降誕祭前後の思い切った割引値段に比較すれば驚く程の差額のあるものでないでせう。昨今は時節柄とて景気一層引き立ち降誕祭や年始の贈答品として日本人家庭からの注文は昨年と勝るとも劣らない位です。」

『新世界』(大正9年12月16日付け)








大正10年

「◎靴工同盟総会・・・・・靴工同盟にては九日同事務所に於いて総会を開き役員等の改選を行ひたるが以下の如く決定せりと。因みに同会は総会後新年宴会を開きたり。▲会長 矢田部孝造▲副会長 北村嘉久蔵▲検査役 石田太造 宮内峰助▲会計 吉田茂▲営業部員 白石勇夫 永沼亀一郎▲常議員 石井楽三 岡本次郎 荒木銀之助 佐藤勝五郎 下平三七 梅木市兵衛。」

『新世界』(大正10年1月12日付け)










「◎全米靴工大同盟・・・・・ニューヨーク州ロチェスターよりの報道によれば既に組織せるユナイテッド・シューウオーカー・オブ・アメリカと称する団体は全米国の靴工大同盟を作らん計画にてゴンパースの率いる労働党より独立のものとなさん計画なりと。」

『新世界』(大正10年1月12日付け)











 「◎河下の開拓者・・・・・一年に一度、二年に一度と言ふ風に、飄然として我新世界に舞ひ込んで来ては、社を我者顔に振る舞ふ奇人があった。「ヤイ貴様等はモット確乎腕を振へ、気の利いた事を書かねば駄目だぞ」と編集局へ来て頭から怒鳴るかと思ふと、頼みもせぬにルームを掃いたり、ウィンドウを拭いたり、食って寝て、又飄々とし何処かへ行って仕舞ふ此の奇人は自由党の名士で、長く知事をして居た故石坂昌孝氏の令息公歴君だ、明治二十三年にウオーナッグロープに入り込み、同方面開拓の元祖となった人だ。所が此の奇人近頃更に怒鳴りに来ない。」

『新世界』(大正10年1月22日付け)







 「◎靴屋さん繁盛記・・・白人の排斥に耐て今は日米親善の靴工同盟会・・・年収十万ドルの材料営業所・・・・・今も猶ほ栄えている在米同胞の団体中、最も古い歴史を有するものの一として北加靴工同盟会がある。其の誕生は十九世紀末、1898年加州日本人靴工同盟会として加州政庁より公認された。当時の発起人二十名中三十幾星霜の波乱を経て、或いは米国の土と化し、或いは産を貯へて帰朝し、或いは転業して今なお同盟会に加盟しているのは、この正月の総会で会長に選挙された谷田部孝造氏と相原錬之助氏の二人のみとなったが、南加靴工業者が分離独立した現在において北加靴工同盟会員は百六十に達し会運はいよいよ隆昌に向かいつつあるのは御同慶と申しべし。サンフランシスコポスト街一八二〇の同盟会本部には付属営業所があり王府にも支店を出し広く日本人靴工業者に材料の供給をなし白人同業者の客の少なくなく、正月と七月の総会には約三百名を容るるに足る会議室なども本部に備えていて、この種の団体としては頗る盛んなもの。売上高十万ドルを超える有様で会員中大なる者は一か月の材料消費高七八百ドルに達する者もあると云ふ。大震災の時営業所丸焼けになったが、所謂焼け太りの好況を呈し、今では同盟会の基本金二万三千ドルに及び、会員中の不幸な人を保護救済する救済基金だけでも千三百ドルを積み立て、営業所の利益は会員に対し材料購入額に応じて配当している。同業者が病気で一時不如意の時は基金の中から貸付けもして苦境を救ふと云ふ次第で相互扶助の実を示している譯。日清日露両戦役には同盟会として多額の献金もした。同盟の仕事として靴工が独立営業をするだけの技術を有するや否やを試験をもする。材料はテキサスや東部からも来るが、良い品は加州ペニシアのコールマン・サーズ皮革会社から来るそうである。この会社は往年白人靴工業者が結束して日本人同業者を排斥し各材料製造会社に迫り、日本人に材料を供給せべからずと威嚇した際にも、此の会社だけは「日本人靴工同盟は永年の顧客であるから今更供給を止める譯にはまいらぬ。白人靴工が本社のものに対しストライキを起こしても日本人へ供給する。」と頑張ったため同胞靴工業者は大助かりをした事がある。其の後白人靴工も漸次日本人排斥を止め今から六年前、加州内の製靴原料品販売業者同盟組織に際し日本人靴工同盟会にも加入を勧めて来たのでシュー・ファエンダース・ボード・トレードなる者が出来、毎月一回桑港商業倶楽部あたりで例会を開き、日米親善を実行している。材料の値段はこの同盟に於いて協定し皆一様に販売しているが、小売靴商は多少自由に競争が出来ることになっている。本部の常議員角田平三郎君は既に十数年靴工業者に尽くしているが、『役員選挙其の他に就いて少しもトラブルが起こらず親密に事が運んでゆくので此の仕事を止められぬ。』と云っていた。因みに同胞靴工業者の営業収入は年二十五万ドル超え純利益十万に近からんと云ふ。」

『日米』(大正10年2月6日付け)








 「◎桑日第一回参事会で土井君を会長に決定。副会長は大橋邦三郎君▲辞任者の続出は多少不穏の雲行・・・・・、、、昨日までに辞任を申し出たる人々は左の如し。塚本松之助、藤本源平、右両氏に対し、留任勧告委員として藤本源平氏に対しては西村直太朗、清由蔵、塚本松之助氏に対しては一安ひろ孝、井土本保之助の諸 氏推薦されたり。」

『新世界』(大正10年2月21日付け)










 「◎仏教会本年度役員・・・・・、、、会計監査 財満孫次郎、藤本源平〔靴工同盟員〕、、、。」

『新世界』(大正10年3月2日付け)










 「◎鎧兜の演説・・・・・故馬場辰猪氏が、当時の大俊才であった事は誰知らぬ者は無いが、此の人が故国政府の忌諱にふれ米国へ逃れる時は、実に易水の?りで刑?を送った昔語りにも似て居た。横浜の埠頭へ送ってきたのは後藤象二郎、末廣重恭、田口卯吉の諸氏大酌満引悲歌?慨した「大海風頭欲捲舟」と吟じたのは其の時だ。さていよいよ桑港に着くと政府攻撃大演説、鎧兜で異様をしては人を集めてやった。或時はマーケットの酒屋を相手に大喧嘩をしたこともある。東部に行っても新聞に演説に日本攻撃、帰ったら酷い目に逢わせようとして居たのを幸か不幸か米国で死んだ。」

『新世界』(大正10年3月5日付け)









 「◎労働党首領ゴンパース氏が七十一歳で再婚・・・・・一時は飛ぶ鳥も落とす勢いであった米国労働党の首領ゴンパース氏、七十一歳の老齢なるに係わらず、ミセス、ノースチェラーと言ふ本年三十八歳の婦人と結婚する事になった。ゴンパース氏は六人の子供、十数名の孫があり、花嫁さんにも孫まであるとのことだ。之を聞いたら禿頭のバチェラー党も大いに心強い感がするだろう。」

『新世界』(大正10年4月19日付け)










 「◎鍵の落とし主をたずぬ・・・・・昨日ポスト街にて鍵を落とせる者は同街大橋靴店に問い合わすべし。」

『新世界』(大正10年4月23日付け)









 「◎労働首領非難・ユニオンを度外せるハネムーン・・・・・労働党首領ゴンパース氏が花嫁と共にハネムーンに出かけユニオン排拒のホテルに宿泊し非ユニオンのウェイターに食事を提供させ、クックもチャンバー、メードも非ユニオンであるのに平気で居った。是は自らユニオンを蔑視する者だとデトロイトの労働党が会議を開いたそうだ。」

『新世界』(大正10年4月29日付け)









 「◎靴製造会社合同・・・・・米国内に於いて製靴大会社たるセントルイスのインターナショナル・シュー会社とボストンのダブリュー・エチ・マクエウユーニ会社とは今回合同したるが、両会社昨年の売上総額は一億三千万ドルに達せり。一般靴市価にも変化を来すならん。」

『新世界』(大正10年5月18日付け)









 「◎パイオニア協会設立▲サター街青年会で・・・・・明治三十年以前に渡米せる諸君を以てパイオニア協会なる者が設立さるる由。」

『新世界』(大正10年6月4日付け)









 「◎靴小売商人の大会・・・・・加州の靴小売商人約四百名は本月十四日、十五日、十六日の三日間セント・フランシス・ホテルに於いて大会を開くべしとのことなるが、討議の問題中には、▲本年流行のスタイルは如何▲価格調節の有様如何▲顧客の信用を得る法如何、(其の他数問題」)」

『新世界』(大正10年6月13日付け)










「◎靴工同盟定期総会・・・・・靴工同盟会は去る三十一日王府ニコニコ亭に於いて定期総会を開催し当上半期間の決算報告及び議事を終了し役員改選の結果左の諸氏当選したりと。▲会長 矢田部孝造▲副会長 北村嘉久蔵▲検査役 石田太造 宮内峰助▲会計 吉田茂▲営業部員 白石勇夫 永沼亀一郎▲常議員 石井楽三 郡忠司資 上原尚秀 山ノ内種行 村上浅次郎 相原錬之助 。」

『新世界』(大正10年8月2日付け)













 「◎大橋靴店当選者・・・・・市内ポスト街大橋靴店にては昨日午後三時より両新聞記者立ち合いのの上開票をなしたる結果一等は一千二百二十六番にて同番号より一千二百四十五番まで二十人当選したれば当選者は賞与を受け取られたしと。」

『新世界』(大正10年8月25日付け)











 「◎靴小売り下落・・・・・桑港小売商組合よりの発表によれば市内各靴店の小売相場は過去一年間に二割三分五厘方の下落を示したりと。尚ほ同期間に於ける原料品の相場は二割三分九厘方の下落なりと。」

『新世界』(大正10年8月29日付け)











 「◎桑日会天長節余興委員会・・・・・、、、当夜出席委員左の如し。、、、山根吾一、、、。」

『新世界』(大正10年10月13日付け)







 「◎靴店譲りたし・・・・・桑港日本人街の中心利益確実なる靴店主人帰国に付き大至急譲り渡したし。希望の方は直接御来談を乞ふ。桑港ポスト街一七一七。」

『新世界』(大正10年10月26日付け)








 「◎靴工職人給料引下・・・・・マサチューセッツ州リンよりの報によれば同地方に有力なるリン・シュー製造所組合の職工一万三千人は給料二割の引下げを雇主側より通告せられたり。」

『新世界』(大正10年10月30日付け)







「◎好機を免れる勿れ・・・・・帰国に付き向ふ三十一日まで五日間の日延べをなし最後の投売を致します。▲サイズは早いもの勝▲桑港ポスト街一七一七。特製靴。大橋靴商会。電話ウェスト一三二九。」

『新世界』(大正10年10月31日付け)







「◎大橋商店売出し・・・・・ポスト街大橋商店では広告の通り帰国につき大安売をなし居れりと。」

『新世界』(大正10年11月2日付け)









「◎パナマ靴店支店・・・・・オークランドのパナマ靴店主村上氏は今回ポスト街の大橋靴店を譲り受け支店となしたりと。」

『新世界』(大正10年12月7日付け)









「◎大橋氏の帰国・・・・・ポスト街に大橋靴店を経営し居たる大橋豊茂氏は一月三日の天洋丸便にて帰国。日米貿易の新事業に従事する筈なりと。」

『新世界』(大正10年12月30日付け)










大正11年


「◎靴工同盟の総会・・・・・靴工同盟にては十五日午後一時より同会事務所にて総会を開催し庶務並びに昨年度下半期決算報告をなし議事終了後役員選挙を行ひ左の諸氏当選せり。▲会長 北村嘉久蔵▲副会長 矢田部孝造(注:1)▲検査役 永沼亀一郎 白石勇夫▲会計 宮内峰助▲営業部員 石井楽三 山内種行▲常議員 吉田茂 山中高十郎 石田太造 相原錬之助 久保田作太郎 矢田部?吉。」

『新世界』(大正11年1月19日付け)







 「◎牛皮一枚四十セント ・・・・・少女の靴九ドル五十セント・・・・・米国中部の農夫は大分困っておる。自分が売る物は安くて買ふ物は馬鹿に高いからだ。この程、オハイオ州の一農夫はクリーブランド市で最極上の子牛皮一枚を四十セントで売ったが、帰宅する時に家に待って居る少い娘に靴一足を土産にすべく買ったところが、九ドル五十セントを取られた。この農夫は帰り道で「一枚四十セントの牛皮で何足の靴が出来るだろうか」と考えて見た。」

『新世界』(大正11年2月2日付け)





「◎靴店距離問題解決・・・・・、、、」

『日米』(大正11年4月5日付け)





 「◎恐ろしい婆さんエンマ・ゴールドマン路頭に迷い居る・・・・・米国一の恐ろしい婆さんと呼ばれ巡査でも獄吏でも始末に終へなんだ。無政府党の豪傑エンマ・ゴールドマンもロシアに送還されてから随分苦しんでおり憂しと見し世ぞ、今は恋しく米国に帰りたい返してくれと叫んでおったが、昨日の欧州電報によるとストックホルム辺りをうろついて、未だに住所も定むるに至らぬと。」

『新世界』(大正11年5月1日付け)








 「◎藤本源平氏本日帰米・・・・・平和博見物母国訪問団を率いて今春出発せる市内藤本商店主藤本源平氏は本日の春洋丸にて帰米。」

『新世界』(大正11年6月6日付け)








「◎靴商は喜び皮革関税はフリーと確立つした・・・・・米国議会にては上院委員会がハイト関税グリーンビックドは一斤二セント、ドライドハイドは一斤四セントと言うふ案を決定したるも本議場にては二十六対三十九票にて凡て之をフリー関税に決したり。ブーツ、シューズ、レザーも亦フリー関税となれり。」

『新世界』(大正11年8月11日付け)










「◎靴の広告振り▲砂糖に蟻が集まる如く群衆押しよす・・・・・広告術にかけてはあっぱれ世界一を誇る米国人だけあって昨日から下町ゲリー街ブランド街角の一呉服店頭では殆んど太ももまで現して新流行の靴を穿った美人連が幕の下からゾロゾロ歩を出して来る。イヤハヤ湧くが如き人気で往くさ来るさの群集は殆んど立ち止まり通行困難と云ふ騒ぎ。靴を見るのか何を見るのか知らぬが先ず広告大成功とある。」

『新世界』(大正11年8月25日付け)








 「◎片山潜氏チタ到着・・・・・モスクワより派遣されて日本当局甚だしく度肝を抜かる。社会主義者片山潜氏は本日チタに到着したり。彼はモスクワ政府の別働隊と目され居り。彼のチタ到着は少なからず日本当局を驚かしつつあり。」

『新世界』(大正11年9月8日付け)









 「◎靴屋でX光線▲各方面で使ひ始めむ・・・・・エキス光線は近頃あらゆる方面で利用され始めたが、米国内では既に靴屋専用のエキス光線機を作り出し東部各地で用いて居る者が多い。靴が足によくフィットするようにする為だとは驚いた。」

『新世界』(大正11年9月26日付け)










 「◎谷靴店・・・・・本月中定価の二割引きの大売り出しを開始して居るゲリー街の評判よい靴屋さん。革の値段が下がったので昨今では五・六ドル奮発したら立派な品物がある。正直と丁寧でお客扱いがよいので店は日々繁盛してゆく。店員も三四名居て日常は直し靴に忙しい。店頭の装飾も気が利いて居るが第一主人の商売上手なのが嬉しい。」

『新世界』(大正11年12月14日付け)









 「◎ポスト靴店・・・・・年末の贈り物に近来家庭を有つ人が多くなった為か子供用の靴が盛んに売れる。一般に値段は去年に比して下落した様だ。目下この店では大売出しの最中である。」

『新世界』(大正11年12月25日付け)


















大正12年


 「◎谷靴店移転拡張・・・・・市内ゲリー街一五〇番谷靴店にては今回ブキャナン街と同街の角に販売部を移転し別項広告の如く懸賞靴?を開始する由。」

『新世界』(大正12年2月6日付け)










 「◎関西方面にも日米協会▲両国の国交に尽くさんと▲有力者の団体・・・・・、、、▲執行委員大阪、、、星野行則〔在米時代靴職人、帰国後鹿島銀行取締役、大阪ロータリー運動の産みの親でもある。〕、、、。」

『新世界』(大正12年3月18日付け)









 「◎パナマ靴商会売出・・・・・イースター祭祝賀のため市内ポスト街一七一七のパナマ靴商会にて売出し中。」

『新世界』(大正12年3月26日付け)









 「◎村上夫人帰国・・・・・ポスト街パナマ靴店主村上浅次郎氏夫人は一昨日の高麗丸にて帰国せり。」

『新世界』(大正12年5月1日付け)








 「◎市内同胞間の職業現況・・・・・、、、▲靴の修繕業・・・・・桑港で尤も古い組合で尤も堅固の組合であって、何時でも金融の中心とも言はれた靴修繕組合も組合は確かであるが、組合員の多数は昨年あたりから不景気で困ると言って居る者が多い。何言ふ原因かわからぬが、思ふに人間が一般贅沢になって、修繕靴など穿く者が減ったのと近来靴製造場で盛んに新スタイルを作りだすからだろう。」

『新世界』(大正12年6月3日付け)








 「◎母国の大惨事に於いて表現されたる米国人の本性▲尽ざる感恩の念と涙とを以って斯文を草す・・・・・、、、。」

『新世界』(大正12年9月29日付け)










 「◎靴屋さんから原料を依頼▲安価で譲り受けたいと・・・・・帝国製靴業復興後援会発起人総代丸山高平、荒木與平の両氏から昨日在日会へ宛て震災後帝都の製靴業者は殆んど全滅し本後援会にては直接事業として避難者の立退先調査、職工の死亡生存調査、新同業者名簿作製、就職口の紹介、製靴原料の廉価供給、機械器具の貸與を取り扱う事となったが、在米国業者より木型、仕事衣、原料等の安価で送付方を依頼して来た。同会の仮事務所は東京府下大崎町桐谷四四一であると。」

『新世界』(大正12年10月26日付け)










 「◎谷靴商店・・・・・新聞の広告が利いたのか、この通り大繁盛ですよと云って、小柄な主人は満面の愛嬌をたたへてお世辞を云うふ。其の広告の年末大売出景品抽選券五百枚はあと二百枚ばかりになったさうである。売り切れにならない内に早くクリスマス及び新年用のニューシューズをお需めになるやうにお勧めして置く。」

『新世界』(大正12年12月8日付け)










「◎靴工同盟幹部の意見が二つに分かれる・・・・・久しく平和の内に繁盛して来た靴工同盟の間に最近面白からぬ紛争沙汰起こり一般会員は心配して居ると云ふが紛争に就いて聞くに第一は従来働いていた営業主任の丸岡氏が辞職したため丸岡側に同情するあり。現幹部たる矢田部氏の方では丸岡氏を非難し丸岡側では矢田部氏を非難すると云ふ事になったのであると云ふが万一このまま喧嘩をしていたら同盟は分裂の已むなきにいたるだろうと心配する者が多くある。」

『新世界』(大正12年12月16日付け)








「◎谷靴修繕所・・・・・冬になりますと私共の店は忙しくなってきます。裏打ちはお好み次第で皮でもゴムでも値段にして大した変りはありません。白人の同業者に比して仕事の丁寧なことと、値段のお安いことと、迅速な点が誇りであります。」

『新世界』(大正12年12月16日付け)










大正13年


「◎靴工同盟総会・・・・・靴工同盟会総会は二十日午後一時より靴工同盟会の総会を開き役員改選の結果左の諸氏当選したりと。▲会長 宮内峰助▲副会長 谷實雄▲監査 井上理一▲会計 石井楽三▲営業部員 吉田茂 石田太造▲常議員 宮川政喜 大川円三郎 中沢幾夫 西垣壽太郎 永沼亀一郎 田中岩次郎 大隅與次郎 田中直次郎 岡本次郎 久保田作太郎 白石勇夫 吉田宇太郎。」

『新世界』(大正13年1月23日付け)











「◎千葉県人総会・・・・・去る三日千葉県人総会を開催の結果左の如く役員が決定した。▲会長 塚本松之助▲副会長 矢田部孝造〔靴工〕▲幹事 染谷勝五郎▲会計 宇井邦造▲監査役 遠藤佐吉 石田太造〔靴工〕 宮負松二郎 諏訪房孟 奥田喜一 青柳藤兵衛 半田仲〔靴工〕 佐藤勝五郎〔靴工〕 遠藤定吉。」

『新世界』(大正13年2月7日付け)








「◎靴売出し・・・・・市内ポスト街パナマ靴商会にては別項広告の如く割引大売出しを開始。」

『新世界』(大正13年5月24日付け)








「◎山根吾一氏事業げ・・・・・当市にあった山根吾一氏は今回大阪の高麗橋二丁目旧浪花橋筋角にてカフェーあめりかを開業したと。」

『新世界』(大正13年8月15日付け)










「◎靴工給金引下げ・・・・・ボストンの靴製造所に於いては労働者組合に対してフラット・レートに給金十パーセント引下げを通告せり。靴工等は之に対して反抗するならんと。」

『新世界』(大正13年8月28日付け)







「◎谷靴店靴無尽・・・・・市内ゲリー街谷靴店にては今回第二回靴講を開始したが千口を募集する由。」

『新世界』(大正13年9月24日付け)







「◎児童教育資金は百人の親で二百ドル▲各種の機関で相当設備が本社の寄付で直ぐ出来る・・・・・「どういう方法で募集すれば貴社の教養資金寄付によって相当の金額が纏め得るか」と云ふ照会ある、この質問に対しては「努力すれば必ず相当の金額になる」と申し上ぐる外にないが、今少こし具体的に説明すれば或る学園では五十名の父兄を有し本紙購読料を一カ年分宛て前納する約束をすれば忽ち百ドルの必要金が出来、百人の父兄で二百ドルの資金が直ちに出来る。之を以て子供の椅子を買ふとか或はピアノの購入金中に組み入れることが出来る。いずれの市区でも同胞父兄が申し合せて一致の行動をとれば忽ち相当の寄付金出来る訳である。▲イの一番の申込者谷靴店主・・・・・昨日イの一番に来社し本社の寄付計画に賛同したるは当市青年実業家と活動して居る谷靴店主であった。同氏は「渡米以来の金門学園維持会員です」と語り同学園へ二ドルの寄付を希望した。」

『新世界』(大正13年12月2日付け)






「◎靴講で有名な谷靴店▲日本人の足には日本人向きの靴に限る・・・・・日本人の足には矢張り日本人向きの靴が好い。流行に相和しつつ此の要素を欠けかさぬ為には矢張り大きな仕込み品を直接東部へ注文するのでなくば望み難い。同胞桑港人士で恐らく顧客でないものはないと誇っている谷靴店もやはり年末の売出しに忙殺されているが、本年は黒が流行し価格は五六ドルから十五六ドルまで。そのうち七八ドルが一番よく売れるとのことで経済的にもそこらが得用だとあった。同店の有名な靴講の目論見も面白く、贈答品としての商品券も好い。」

『新世界』(大正13年12月8日付け)








「◎パナマ靴店は顧客信用▲ポーク街にも支店を拡張した・・・・・約二十年の経験を誇りに着実第一主義を標榜して、もちのよいスタイリッシュな靴を取り扱っているのはポスト街のパナマだ。近頃ポーク街へ支店を拡張して御主人は昼夜そちらで活動し社交的にスッキリした夫人が一手に本店を切り回している。「靴は日用の消耗品ですから私共の広告よりお客様が一番先にご存知です。幸い皆様に信用を得ているのが何よりの誇りです。」と其の応待振りであった。」

『新世界』(大正13年12月8日付け)







大正14年






「◎靴工同盟の懇親会(十五日午後二時)・・・・・靴工同盟は本月一日桑港本部にて春期総会を開き前期間の営業報告及び特別委員会組織の件に就いて可決した。同委員会は新しい試みで最高の権利があるのであると。委員決定せる者以下の如し。

谷實雄、佐藤勝五郎、永沼亀一郎、岡本次郎、北村喜久造、矢田部孝造、西垣壽太郎、石田太造、相原錬之助、山内種行、宮内峰助、斎藤敬造、上原尚秀、白石勇夫、吉田茂、大隈興次郎、石井楽三、石田宇之助、吉田宇太郎

尚八日委員会を開き経営上の用務を討議し十五日には王府ニコニコ亭にて懇親会を開く由。」

『新世界』(大正14年2月15日付け)








「◎谷靴店の懸賞・・・・・市内ゲリー街谷靴店にては別項広告の如く開業二十五周年のため五百ドルの現金懸賞大売出しを開始したが評判が好い。」

『新世界』(大正14年4月15日付け)






「◎歴史湮滅の嘆・・・・・太平洋沿岸で修行したる者は多く実業界に入って重鎮となったようである。米山梅吉(三井重役)は明治十八、九年ごろの渡米で福音会に居り。星野行則は明治二十三、四年ごろの渡米で同じく福音会に居り、その後靴工となった。今では大阪鹿嶋銀行の専務取締をしている。」

『日米』(大正14年4月21日より連載)





「◎歴史湮滅の嘆・・・・・近々欧米視察のためにみらるる星野行則は明治三十一二年頃ラーキン街に靴店を有つていた上原徳三郎の徒弟であった。星野は現在大阪鹿嶋銀行の専務取締で東京の三井銀行取締梅山米吉と相対して桑港出身の成功者である。」

『日米』(大正14年4月21日より連載)










「◎日本人町の真中で二人組の拳銃強盗▲客を装ひ悠々と谷靴店へ▲売上金を強奪して逃亡す・・・・・上町日本人町の夜は未だ明るき一昨十一日午後九時四十分頃目下懸賞売出し中のゲリー街一六〇〇番谷靴店へ二人組の米人短銃強盗押し入り主人夫妻を脅迫して売上代金七十八ドルと価格二十一ドル四十五セントの二足の靴とを強奪し悠々立ち去った近来稀有の強奪事件である。事件の詳細に就いて谷氏が談るに「その夜妻と二人で店番をして居ますと二十三四歳位の米人青年が二人連れで来て一人が労働靴を見せろと云ふので見せますと恰度格好だと履き直して其の上からバンスを下ろした。それから上等の靴をと云ふので八ドル余の靴を出しますと是れも貰ふと云って古靴共私に包ませた。其の間その男はポケットから紙幣を掴み出してはチョイと見せますので私も全く安心していましたが最後に二十一ドル四十五セントの請求書を出しますと同時に傍らの男が突然四十二番型の短銃を私の胸先に突き付けて「銭箱を開けろ」と命じました。私は吃驚して両手を挙げると「手を下ろせ」と二度小声で命じて遂にキャッシュデジスターから売上金六十五ドルと釣銭十三ドルを持ち逃げされたが随分大胆な奴等で二人に短銃を向けられては私共二人はどうすることも出来ませんでした」と。因みに賊の一人のバンスは泥と油で汚れていたので其の筋では自動車修繕所に関係を有する者ならんと極力厳探中であるが夜間の商売は各戸共注意が肝要である。」

『新世界』(大正14年5月13日付け)








「◎谷靴店を襲ふた拳銃強盗捕縛さる▲前科数犯の曲者▲年齢僅か二十の成年・・・・・去る十一日午後九時四十分頃市内ゲリー街一六〇〇番谷靴店へ客を装ひて入り込み拳銃を振って主人夫妻を脅迫し靴二足と売上代金八十ドル余を強奪して悠々立ち去りたる二人組強盗事件は当時詳報したが天網恢恢疎にして漏らさず二人組の一人なる兇漢は十五日午後十時頃市内カリフォルニヤ街とプレシデオ街付近なるルーミングハウスに潜伏中を兼ねて彼等の行衛を厳探中なりし市警察本署詰刑事ウイリアム・アッカーソン氏の為めに遂に逮捕された。此の兇賊はロバート・マクラッチ(二十)と称し市内オーク街九五六に居住し自動車修繕所に表面立ち働いている者なるが有名なる不良青年にて前科数犯札付の曲者であった。公判は昨十六日午前十時より市警察署第四法廷ジャックス判事の下にて開廷重罪犯人として郡第一監獄に収容された。」

『新世界』(大正14年5月17日付け)









「◎谷氏子供重態・・・・・ゲリー街谷靴店の子供が電車に衝突した事は既報の如くであるが頭蓋骨を砕き居るため中々重態だと。」

『新世界』(大正14年7月25日付け)









「◎桑日会が取り扱った関西震災の見舞金・・・・・、、、▲加州靴工同盟湾東支部(一六ドル)、、、。」

『新世界』(大正14年7月27日付け)







「◎靴工同盟会本年度総会▲会長は谷實雄氏・・・・・靴工同盟会は過般本年度定期総会を同会本部で開催し左の三項を決議した。一 桑港王府間にある二か所の営業所を合同して一つとする事
二 新たに顧問を設くる事
三 会則変更は新役員と顧問と協議の上決定する事
尚本年度の役員は次の如し。
▲会長 谷實雄▲副会長 西垣壽太郎▲検査役 宮内峰助 岡本二郎▲会計 上原尚秀▲営業部 石田太造 山内種行▲幹事 松沢敦▲常議員 大隈興次 矢田部孝造 北村嘉久造 吉田茂 石井楽三 吉田宗太郎 斎藤敬三 竹下仁右衛 門 伊藤國太郎 伴田仲 永沼亀一郎 ▲顧問 安孫子久太郎 渡辺久克」

『新世界』(大正14年8月6日付け)









「◎支那人街の靴磨き子供▲イタリア人同業者・・・・・チャイナタウンの靴磨きは支那人の子供がモノポリーで他から何人種も入れない。時々イタリア人が入って来ても、忽ち撃退してしまう。ポート・マウス公園ならば差し支えあるまいと、イタリア人の子供が商売を始めた所、又々、支那人の子供に追い払われたと。」

『新世界』(大正14年9月24日付け)









「◎谷靴店が懸賞五百ドル・・・・・靴講で売り出したゲリー街の谷靴店を覗いてみる。先ずクリスマスの窓飾りが人目をひき今回東部の靴製造所と日本人向けの靴を特約し既に着荷しているもののみでも三千足からある。商売巧者な主人は目下懸賞金五百ドルを提出して大安売りをしている。」

『新世界』(大正14年12月12日付け)









「◎パナマ靴店年末大売出し・・・・・ポスト街パナマ靴店は日本人向の靴が大人から子供に至るまで一切揃って居るのでなかなか大繁盛だ。この店の支店はポーク街にあるがこの店では修繕専門にやっている。白人町の中心地とて注文が多い。年末大売出しをして居る。」

『新世界』(大正14年12月21日付け)





「◎谷靴店の懸賞当選番号・・・・・
一等 七三八〇
二等 五八一四
三等 五四〇七

尚予備番号
一等 六六一八
二等 七三九一
三等 六七五五
当選者は一月三十日まで有効期限内に申し出なき時は予備番号の当選者に贈呈す。予備当選番号は二月十五日まで有効期限です。尚本店では向ふ一週間破格の大割り引きを致します。」

『新世界』(大正14年12月29日付け)






大正15年





「◎靴工組合臨時総会▲発展の基礎固まる・・・・・加州靴工同盟会にては同会の財政難に関し意見区々にて解散説もあったが過日臨時総会の結果更らに各自出費の上同会を存続し更らに大発展の基礎を鞏固にする事に決まった。右に関する実行委員として左の諸氏が推薦されたと。
細野福太郎、伊達一、谷實雄、笠岩門、田中直次郎、佐田重太郎、矢田部為次郎、肥後利助、宮川政喜、永沼亀一郎。」

『新世界』(大正15年1月23日付け)






「◎岸信介氏(商工省代表費府出張員)・・・・・シアトルより昨日来桑。」

『新世界』(大正15年5月7日付け)





「◎谷靴店懸賞売出・・・・・市内ゲリー街谷靴店にては別項広告の如く本日より一千ドル提供の懸賞大売出しを開始した。賞券は売上一ドルに対し一枚進呈する由。尚賞品は一等ラデオ、二等蓄音機、三等シンガーミシン、四等懐中時計等以下百等まであると。」

『新世界』(大正15年5月28日付け)









「◎新田靴店主婦自動車で負傷▲大怪我ではないと・・・・・ラグナ街とサター街角の靴店新田石之助氏は妻君と共に昨日モデストに行ったが、途中自動車が土手から転覆しミセスは負傷し同地病院に入院した由であるが、新田氏は少しの負傷もないそうである。因みに妻君の負傷は憂慮する程ではないと。」

『新世界』(大正15年6月8日付け)






「◎土佐の志士・・・・・馬場辰猪君をヒラデルヒヤの墓地に訪ねゆく。ウードランド・セメタリー春まだ浅く森は死林に似てヒロのような鳥飛ぶ。墓径みち狭く掃除する墓守の声のみ高し。斜面の半ば駒鳥の立つ石ぞと教えられ行けば三つ又道の尖端に在り。大日本馬場辰猪之墓(逞しき日本字)千八百八十八年十一月一日死去年齢三十八歳と英書せる尖塔十尺余が立てり。西園寺公望仏国より帰朝しやや鋭鋒を其の新聞にみせたは一時の間。忽ち軟化し去り今では三億資産の住友財閥の顧問に甘んず。辰猪君当年の新思想は郷に容れられず茲に客死す。文豪ユーゴーの言葉をかり鈴木悦君、片山潜氏を評し「現在から悪魔視され未来から祝福さるる事が人間の持ちうる最大の名誉である。」なぞ想いが湧く。墓石の前に一握のバラ植へられ丁寧に草切らる同伴の川上青年は告ぐ。名の知れぬ白婦人あり。来たりては水を注ぐ。と、芽ぐみたるバラの一もと君地に去って尚ほ余情を残す。坂を下りて見返れば駒鳥もどき来て赤き胸をだし、放浪の身を見送りつ(ニューヨーク 西村義雄)。」

『新世界』(大正15年6月9日付け)






「◎日本人町で衝突・・・・・一昨日午後十時頃ゲリー街ブギャナン街角の谷靴店前で白婦人ソーンとポープトンとの自動車が衝突し、後者の車は滅茶苦茶に破壊され人山を築いた。」

『新世界』(大正15年11月3日付け)






「◎谷靴店・・・・・ブキャナン街とゲリー街角の谷靴店は桑港同胞間で最大の靴店である。今度最新流行型の男女並びに子供用靴を沢山取り寄せ目下クリスマス前とあって店頭装飾を賑やかに大売出しの最中である。現金買の人々には懸賞券を提供している。此の店の靴は品質を特選しているので評判がよい。」

『新世界』(大正15年12月16日付け)







昭和2年



「◎谷靴店の抽選▲両新聞社立会ひで・・・・・市内谷靴店では昨年六月より一千ドル提供の懸賞をやっていたが旧臘十二月三十一日を以て締め切り愈々一昨夜両新聞社立会ひの下に塩崎氏の令嬢が抽選したが其の結果一等より五等まで以下の如くである。この外の抽選ナンバーは追って広告により発表すると。
一等 四八四六
二等 一二六九
三等 二五三八
四等 四七五六
五等 五〇七?。
尚予備番号は
一等 七六七四
二等 一五六二
三等 四三九一
五等 六八一九」

『新世界』(昭和2年1月7日付け)








「◎桑港同胞考慮の時▲ビジネス状態一変の時来る・・・・・日本人の顧客が日本人の商店に来ないで他に移ってしまふ大勢である。少し金目の物、少し良い物を買おうとすれば、大抵下町の白人大商店へ行ってしまふ。シャツでも衣類でも靴でも大抵そうで、食料品でも金のある人はフィルモアに行く。クリスタル・マーケットとか、ビクトリーウィリーとか、さう云うふ所へ大部分行く風になった。、、、」

『新世界』(昭和2年9月23日付け)









「◎客を装ふて靴泥棒▲谷靴店の盗難▲脱兎の如く逃げ出す・・・・・ゲリー街の谷靴店へ十二日の午後三時ごろ年の頃四十歳と三十五歳位の白人が二人来て、靴を買ふから見せてくれと客の如く見せかけ、谷氏が上等の靴を出して穿かせたところ一寸の隙を見はからって金を払わずに脱兎の如く外に飛び出しブキャナン街を北の方に走り姿を晦ましてしまった。後には汚い古靴を残したまま。年末になると種々の泥棒が横行するから注意が肝要である。」

『新世界』(昭和2年12月14日付け)









「◎ビジネス方針一変の時▲在留同胞に考慮を促す・・・・・◎我々はビジネス専門家で無い故に或は畳の上の水練と言ふやうな議論であるかもしれない。しかしながら、囲碁には固目八目と言ふ事もある。人間は其の事業に一生懸命になって居る時には、事業其の者に捉われて、解り切った事が案外解らなんで居ったり、又実際善く解っていても自己のビジネスが忙しいために、知りつつ其の日を送って行く場合が多い。そこで第三者の注意と言ふ事が、時々必要になる。◎我々はこういう意味で、釈迦に説法のやうな、ビジネス家に向かってビジネスの問題を論ずる局外者の一言も或は又何等かの参考になるかもしれない。そこで我々が第一に言いたい事は、太平洋沿岸の益々繁栄して来るということである。繁栄する事は何人も知って居る事だが、我々日本人の方で之に対する警戒は「繁栄と共に、有力なる競争者の増加」と言ふ事である。従来は沿岸のビジネス家の多くが、沿岸の人々で、我々日本人と同じように、小さい所から漸次に大きくなった人、或は又大きくなろうと努力して居る人達で、境遇も、経験も先ず大体から似たりよったりと言ふ人達であったが、近来は米国各地から大資本家、大組織の者が続々やって来て、其処で我々同胞は、現代的の一大強敵と競争しなくてはならなくなった。この点が我々同胞の最も注目すべき事ではあるまいか。◎そこで、我々同胞の注意すべき要点は、資本を大にする事と、凡ての事業に、現代的システムを用いる事に、極力努力しなくては、到底競争に勝てないという事である。之は議論だけではいかん。ビジネス界の先輩、経済力の指導者が、先に立ってこの機運を作る事に極力努力せねばならないと思ふ。例えば、米の一例を見ても、外国人間の米を扱う人らが、大資本を以て、取引をするからして、日本人の商売人が日に日に圧迫を加えられ、顧客の大部分は日本人であるに拘わらず、商売は外国人に奪われてしまった観がある。◎茶は、日本から輸入し、日本人が一番よく取り扱うべき位置にありながら、実際のビジネスは大部分外国に扱われておる。こういう例を引き来たると、ほとんど大部分のビジネスがそうである。例えば、かの靴工の如き、十数年前には、日本人が殆んど市内の大部分に之を営み、靴工同盟と言えば、同胞間一番経済力の確固たる団体とせられた者だが、今日ではビジネス界から日毎に駆逐せられ、数において、収入において、見るかげも無くなった。資本とシステムに圧迫せられた者と言わざるを得ない。、、、」

『新世界』(昭和2年12月27日付け)
















昭和3年





「◎村井知至氏来訪・・・・・東京第一国語学校長村井知至氏は令嬢同伴三十日本社を訪問せり。」

『新世界』(昭和3年1月5日付け)







「◎村井翁の英語演説▲米人婦人倶楽部で・・・・・白人間に講演をなして日本文化の精神を知らしむ可く渡米せる村井知至翁は目下井田総領事方の客となって居るが、いよいよ来る十日には当地の米人婦人倶楽部にて、十一には王府ライオン倶楽部にて得意の雄弁を振ふはず。」

『新世界』(昭和3年1月6日付け)










「◎実業会の新入会員・・・・・、、、谷靴工場、、、。」

『新世界』(昭和3年3月12日付け)










「◎新事業の研究▲桑港及び付近の同胞に勧告す・・・・・◎桑港及び付近の同胞は、是から如何なる方面に、新事業を見出し、新財源を捜し出すべきか之が発展策上尤も重要の事だろうと思ふ。かのイタリア人は、野菜果物市場をコントロールして居る。グロッチリーは殆んど全部彼等の手に入った。レストラントも大部分彼等が経営し、ギャベーヂ組合は彼等のツラストの?に落ち、靴磨きの如き者までも、大部分は彼等がやって居る。かくの如く、あらゆる方面から上げる金を言うものは、実に巨額に達するであろう。単に塵取りの得る金を概算しても、桑港十万の家から平均三ドルづつ取って三十万ドルという金が、ギャベーヂツラストに入る。かの果物野菜市場で、毎日取り扱う品物のコミッションなど計算したら実に大きな金だ。◎特に驚くのは、イタリア人の・ウオーラの光景である。以前は七八十隻のボートを有し、只海岸を掘立てて、小さい船留場があったのみだが、近来になると、大きい湾を作り、周囲をコンクリートにて築き、絶えず何百隻という漁船が出入し、早朝など行ってみると、魚類を魚類をいっぱいに詰めたボートが何百隻となく帰って来る。毎日毎日こうして上げる金というものはこれまた巨額に達する事であろう。イタリア銀行の俄かに大きくなって来たのは、決して偶然ではない。毎日毎日、あらゆる方面から、大きな収入をあげて居る彼等は実に羨望に堪えない次第である。◎翻って、我々同胞側が、毎日収入する金はどんな方面にあるだろうか。商店の事は世界列国民が同じようにやって居る。特に日本人の収入と言う訳ではないから、措くる。日本人として少しでも特殊のビジネスと言うたら何であろうか。今日では先ず花?業であろう。この方面は近来大発展して、以前は市内に商許宛供給していた者が、少なくとも、全米的に市場を有するに至ったから、大いに誇るに足るもので、将来も亦大いに有望である。此の外に日本人が少しでも特色あるものはと言ったら、洗濯業、クリーニング業、靴修繕業、デーウオークと言うような者の外、之と言って目立ったビジネスが無い。◎それら主たる日本人独特のビジネスと言う者を、彼等イタリア人の独特なるビジネスに比較したら、収入と言う者はどんな者であろうか。実に是何百分の一にも当たるまいと思う。洗濯屋、クリーニングは、沢山の資本を要せず、毎日新しい収入がある。しかし、それは数が少ないのみか、働いて取る金で、全般の額は少ない。靴修繕業者は、一時非常の勢いで、他国民の同業者を圧倒した時代もあったが、今日では、数も減じ、収入も減じ、大規模のものに追い込められてしまった形勢である。デーウオーク業者が、今日では桑港同胞間で一番儲けの多い業種、ビジネス家が融通資金を得たいときは、デーウオーク業者の方に眼を注ぐと言ふ有様である。◎こういう状態を考え見る時、我々日本人側のビジネス状態と言う者は、小規模で、微力で、収入が少ない、そして毎日毎日上がって来る金額と言う者はイタリア人などに比較すると、本当に何千分の一にも足るまい。しかも、其の支出と言う者になると、彼等一人一人と、我々日本人の一人一人、平均して比べたら、我々日本人の方が遥かに余分のようにみられる。我々同胞は、それでも彼等に一歩も負けないやうな心持で居るが、この状態で進んで行くと、グループとして、漸次に我々の方が下層に陥られてしまふ事は明白である。◎現に彼等はビジネス界のみならず、政治界、社交界、あらゆる方面に頭を擡げて来た。我々同胞は、大いに省る所あって、先ず新事業を研究し新財源を捜す方面に、全力を注がねばならぬ。桑港及び付近の日本人会、或は又実業界会と言ふような団体が、先に立って極力、新事業、新財源の研究調査をすべき時だろうと我々は信ずる者である。」

『新世界』(昭和3年4月11日付け)









「◎日本製の朝日ゴム靴売出し・・・・・当地ハワード街金沢商会では日本製のゴム靴「金沢式朝日ハッピー靴」の一周紀念大売出しをするそうである。朝日靴の特徴は田園及び家内労働に適し従来はヒルなしであったが、今年はヒル付きに改良され優良品として好評であると。」

『新世界』(昭和3年5月3日付け)







「◎靴の商売減少・・・・・シカゴを中心とせる同方面の大なる靴製造所報告を見るに、二月は一月より二〇、九パーセント余分に製造したるも、売り上げは昨年の同月より一、四パーセント減少したり。尚亦大なる二十五会社の所有するスタックは二月末には一月より五パーセント余分なりとありたり。」

『新世界』(昭和3年5月6日付け)










「◎事業の改革▲何事が同胞社会に急務なるか・・・・・◎在留同胞社会では事業界の大改革をせねばならぬ時となって来た。それは何故であるかと言ふと、時代の進歩につれ、外界が凡て、新しい方針、新しいシステムをもって、驚くべき急進力を以て、凡ての事業が改革されて来たからである。こういう時代にありて、我々同胞ばかり、旧式の事をしておると言ふと、どうしても競争する事が出来ないからである。◎其の例証は沢山ある。我が靴工業者と言ふものは、同業組合で最も古い歴史を有し、如何なる外国人も競争出来なんだ。従って同組合の勢力と言ふものは大した者で、同胞の経済界ではいつも牛耳をとっていた。それが、今日どうであるか。営業者の数は減じてしまい、組合は有るか無いかの状態となり、その収益も大減少をしてしまった。理由は種々あるだろうが、要するに、時代について行く事ができなんで、新システム、新方針、と言ふ者が他の国民に負けたからである。、、、」

『新世界』(昭和3年7月10日付け)









「◎何等かの新案を▲我等の生活と営業とに▲時代の進歩に遅るな・・・・・◎我々在留同胞の社会は、何と言っても今不景気である。沈滞して来て居る。同じやうの事を繰り返し繰り返し、是はと言ふ進境も見へず、是はと言ふ新発展と思はるやうの事も無い。其の理由の主なる者は、一般米国経済界の影響を受けて居る為だと言うふ事に何人も異議はない。しかしながら、それが理由の全部だと思って居ると大なる間違ひで、我々社会には、我々社会独特の不景気を甚だしくし、沈滞が余儀なくさせる理由があると言ふ事を考えねばならぬ。◎何事が我々日本人社会の不景気沈滞を来したか理由であるが、第一は資本の欠乏と言ふ事である。今の時代は何事をせんにも現代的の設備を要する。システムの立った、能率を上げ得る準備をしてかからねばならない。それに要する者は先ず資本である。然るに我々同胞は、過去長い間努力した収穫を故国に送ってしまった。浪費してしまった。列国民はこれ等の資力を米国に置いた者だから、今日意の如く現代的の設備をし、現代的のシステムを以て事業にかかれる。我々同胞が事業の上に列国民と競争しにくくなり、独特の不景気沈滞を来たすも当然ではあるまいか。◎更に又、我々同胞が独特の不景気沈滞を来たせる所以は、子供が増加し、それが今教育期に達して居る事である。子供はいづれの国民にもある。しかしながら、欧州移民は長い間の経験があり、従って早くから子供の養育教育の経費と言ふものを予想し、準備して居る。我々第一世は晩婚であって、元気の善い頃取った金は日本に送るか、或は又使い果たした。こうして子供が増加し、金が沢山かかる時代になって、親たちはもう老境に入り、収入と支出と、調節出来ないような状態になった。◎こういう実状に接して居りながら、我々同胞社会には、古い型の飲み食い噪ぎが実に多い。何の会合、何の宴会、毎日毎日絶え間なくそういう事をやって居り、甚だしい時は、一日に二三か所のパーティに行かねばならぬ事が度々ある。家には家族あり、ノッピキならぬ金が、夥しくかかる。それを支出するのですら容易で無いのに、毎日毎日パーティで、何で余裕ができ、事業の発展が出来ようか。◎同胞のこの弊害は、何と言ったとて改まるまい。窮極まで行って、そこで眼が覚めるのを待つ外あるまい。しかし、そう言って傍観は出来ないのが今日の実状。只この際言いたい事は「サムシング・ニュー」と言ふ事で、生活の方法に「ニュー」の生活法、ビジネスにも「ニュー」のビジネス、「ニュー」のシステム、そうして新生面を開拓する事に極力努力して見ねばならぬと言ふ事だ。外界は驚くべき進歩をなしつつある際に、我々社会のみ三十年四十年前からの旧式を守って居て、どうして列国民と競争出来やうか。お互いモット考えて見ねばなるまいと思う。」

『新世界』(昭和3年10月5日付け)











「◎太平洋沿岸に排日気分はない・・・・・駐日大使チャールズ・ユグウエー大使は語る。帰国の途次アメリカの西海岸を旅行したが、其の際同地は排日感情が跡形も無く消えているのを感じたと。」

『新世界』(昭和3年10月31日付け)










「◎王府靴店〔広告欄〕・・・・・売物日白人顧客多数帰国に付格安にて譲りたし。テレグラフ街二〇六〇 電話レーキサイド四八九二。」

『新世界』(昭和3年11月5日付け)









「◎桑港同胞と職業・・・・・、、、靴工 三十五、、、。」

『新世界』(昭和3年12月16日付け)











昭和4年




「◎ビジネスとしての靴工業 霜澤正夫・・・・・昔から靴工業といへばすぐ下等な商売だと人は考えているが、けしてそんなものではない。帽子の修繕にしろ、服の洗濯にしろ、皆同じ事で、ただ靴が不幸にして人間の最下にはかれて四時中泥にまみれ、よごれているといふだけに過ぎないのである。それから今まで日本人で誰もこの靴工業を一つのビジネスとして取り扱わず、また目立った成功もしてをらぬがために、この靴工業を下等だといふのである。▲現今桑港地方で靴工業に従事している人が七八十名いるそうだが、その人達が全部第一世人たちで、いろいろの障害あるにもかかわらず可成り好成績をあげている。左にその障害と思われる重なるものを掲載して見よう。
一、会話の不得意なるがために客の満足を買う事が出来ぬ。
一、資本がなく、もしあってもそれを投資せぬこと。
一、店頭の装飾を怠り、新式の機械を装置せぬこと。
一、経営法の宜しき得ぬこと。
しかし、これ等は資本を持ち、これから堅実なる成功を見んとする人達、殊に第二世の人達にとっては何等のオブスタクルにならぬと思う。▲靴工師の一か月平均収入はどれ位かというと、最高六百ドルから最低二百五十ドルで、その使用する材料品高は大約二百ドルから七八十ドルばかりであるから、前者の利益は四百ドル、後者は百八十ドル内外となるわけである。この収入で見ると、其処に転がっている腰弁当の連中より裕福な生活を送っていると見ても差し支えない。桑港やオークランド市に同胞のデーオーク屋さんが極めて多いが、彼等は一つも発展というものがない。そして自分の体が資本であるから一度病魔に冒されて病床に臥すとその日から道のすぐ生活が立たなくなる。それに反して靴工業は自分の手腕如何によっていくらでも成功することが出来、自分がおらなくとも、他人を雇ふて店を開けておくことが出来る。▲自分は靴屋だが、それは本業ではない。ただこの靴工業というものが大いに発展の余地があり、また、確実で、商店に働いて百二三十ドルとるより、またデーオークなり、朝から晩までバケツをさげて、百五十ドルとるより靴屋になった方が得策であると信じて諸君にお奨しようと思って筆をとっただけである。▲靴工業もよいビジネスである経営法、広告法、修繕法によって、諸君も多分御承知かもしれぬが、あのジンク位になるのは左程至難なことでない。ジンキというのはチェーン、システムで米国各都市にその支店を有する大きな靴修繕会社である。▲もし諸君の内で靴屋になろうと思う方がをれば最寄りの日本人の靴屋さんにその方法を尋ねたならすぐ教えてくれると思ふ。」

『日米』(昭和4年4月22日付け)









「◎石田氏退院・・・・・日会参事員石田太造氏は先般脚部の切開手術を行ひ、引き続きフランクリンホスピタルに入院中だったが、一昨日退院した。目下自宅で加療中の由。」

『日米』(昭和4年7月9日付け)





「◎藤本源平氏▲二十四日午後十時永眠す・・・・・、、、明治三十九年渡米、ワシントン州から桑港に来り靴工業を始め、後、加州靴工同盟会正副会長に選ばれた、、、。」

『日米』(昭和4年7月26日付け)



















「◎桑港同胞の為尽した藤本源平氏長逝▲着実にして活動力強い実業家▲公共の為に長く努力した人・・・・・桑港ポスト街に藤本商会を経営し下町ジャクソン街にも味噌製造工場を有する藤本源平氏は一昨夜レーン・ホスピタルで長逝した。年齢六十歳、病気は肝臓癌であったとのことである。藤本氏は岡山県都築郡茶屋町の出身で渡米前は郡役所に奉職して居た。桑港に来てから靴工業を始め苦辛惨憺して資産を作り、あらゆる方面に活動した。或はオイル事業に、或はハートマン製油機に、醬油製造業に、味噌製造に、其の多くは意の如くならなんだと言へ、何事か同胞事業界に貢献せんとして奔走した努力は感心すべき者であった。其の内にて、味噌事業とグロッサリーの方は益々発展しつつあり、昨年日本、支那を漫遊して来てからは更に何事か頻りに計画中であったらしいが、其の内に病気となって不幸長逝したのは惜しい者である。同氏は又一面公共に尽す観念が強く教育問題には特に力を用ひ時々意見を発表し下町協和学園なぞには非常に努力した。日本人会の参事員としても副会長としても心から同胞の為を思ひ、在米日本人会代表者にも幾度か選ばれて、着実にて、しかも諤々の論議を吐き、他の尊敬する所となって居た人である。▲葬儀は月曜日・・・・・葬儀は二十九日(月曜)午後一時から仏教会に於いて執り行ふよし。」

『新世界』(昭和4年7月26日付け)





「◎片山潜父娘再会の記(一)モスコーにて・馬場秀夫・・・・・父親をしたふ一念にか弱き独旅を押し通しセン・カタヤマ氏の次女千代子さんがはるばモスコーに訪ね着いたのは夏もさかりの八月一日であった。モスコー、それはどんなにか待ち焦がれた名であろう。列車がホームに入った。モスコー、モスコーと耳元に響く。千代子さんは記憶もおぼろな父親の姿を色々に想い浮かべながら、群がる異国人のあちこちに目をくばった。セン・カタヤマ氏の姿は見いだせなかった。そして一二時間の後千代子さんはセン氏の宿に案内されたが、慕う父親の姿はそこにも見えなかった。寝台・・・・・低い手ごろな寝台がセン・カタヤマ氏の住み慣れたものと思われる大きい寝台に並んで用意されていたのが僅かに父親の心尽しをしのばせる位・・・・・こころをこめた希望・・・・・そして漸くあこがれのモスコーへ着いた喜びは次第に失望、不安、焦燥とかわり、走馬灯の如き幻影に幾度かかきむしられて居るのであった。」

『新世界』(昭和4年9月12日付け)







「◎片山潜父娘再会の記(二)モスコーにて・馬場秀夫・・・・・宿の千代子さんはセン・カタヤマの娘さんとしてもてなされ別に不自由はなかったが、矢張り不安、焦燥は消えなかった。そして、こんな日が一日、二日と過ぎて四日目となった。その日も丁度昼前千代子さんが見張りを済ませて腰をかけようとしたその時、手提げ鞄を小脇にかかえた一人の老紳士が訪れた。◎老紳士は部屋に入るや、帽子や鞄を脇におく間もなく「千代子かよく来て・・・・・」と矢庭に千代子さんを抱きしめんとするのであった。だが千代子さんは、をののきが胸にこみあげ言葉さえ出なかった。「だって、私の想像していましたお父さんは・・・・・それはそれは恐い顔して髪の毛は真っ白な。それに最近は病気で弱っていると聞いていましたので、よちよちしているのかと思っていましたもの・・・・・初めて会いました時は驚きました」と千代子さんが笑って物語ったのは翌日であったが、その瞬間そのおぼろげな記憶に似もつかぬ老紳士が慕う父親片山潜氏とは・・・・・十五年振り、六つの時わかれたきりの千代子さんとしては無理もないことであったろう・・・・・だがしかし真実の父親、その温かき慈愛はたちまち千代子さんを抱き、二人は無言の抱擁を続けるのであった。いかに運命が皮肉とはいへ、十五年目、そしてモスコーの地で愛娘に会うとは予期せぬ事であったろう。片山氏の宿にモスコーの銀座テウペルスカヤ街の真ん中の大通りに面した三十六番館、リュックス(ラテン語で光明)といふコミンテルン(共産党インターナショナル党員)のホテルである。四百室からなる三階建ての堂々たるホテルの一六号室が氏の部屋で、氏は共産党インターナショナル執行委員会幹部として一九二四年以来ずっとここに住んでいるのである。氏を訪れた?は?の翌日の五日、その時も部屋の外に笑声さへ漏れていた。」

『新世界』(昭和4年9月13日付け)










「◎片山潜父娘再会の記(三)モスコーにて・馬場秀夫・・・・・ドアのノックを合図に立って迎えた氏は「ようこそ・・・・・」といってよく手を握る。この十二月には七十歳を迎えるという氏、顔はいくすぢかの皺こそ見えるが白髪交じりの黒髪もふさふさとし、デップリ肥えた身体は熱と力の過去、そして現在を物語っている。「よく来てくれましたよ。来よう来ようの一心がついに通ったのです。私は丁度七月初めからフランク・フルト・アンマイで開かれた第二回反帝国主義大会に出席するためドイツに行っていました。そこで旅券が下ったのを知りましたが、一九一四年これが六つの時別れたままですから・・・・・」と感慨の面持ちで「お前はいくつになったの・・・・・」「いや、お父さん、女の年なんて」「でもお前十四年に六つだったといえば、すぐわかるぢゃないかい」と返す言葉もやさしく笑ふ。「質朴な好々爺さんですよ」と千代子さんの予想を裏切った如く氏もまた好々爺である。「故国が恋しい・・・・・そりゃ娘もこんなに大きくなりましたし、家内や子供・・・・・それに生まれ故郷だと想うと時々に思い出しますさ。・・・・・それに世話せんたならぬ親戚まで次第に遠ざかり、家内や子供まで経済上の苦しみを受けるのを想うと考える」と涙を落とす。「しかしすべてはあきらめた。それにまだこのごろは忙しいので、何もかも皆まぎれて居る」「お父さんが故国恋しさに大使館にお百度踏んで哀願嘆願したなんて日本では色々の本に書いてあるのよ」と千代子さんがいふ。「そんなことはありやしないがね」と苦笑する。「お父さんの子供の時は十五歳でしかも数え年の十五で元服し一人前になったものだよ。何も知らなくても一人前となると村では??などに顔出しして口をきいたものだよ」とやさしい昔話にかえって幼時を偲び千代子さんをいたわるのだった。「私の待遇、大臣待遇だって、まさか」と軽く打ち消す。千代子さんが「前はもっと広い部屋だったのでしょ」といえば「前は随分広かったが、一人で必要もなし、ここへ移った」・・・・・といふ。部屋は二間半に五間もある細長い一室で、書棚、机、寝台、洋服戸棚、洗面所等西側に並び、一方に窓があって窓際には植木の小鉢が五六鉢おいてある極く質素なもの。「この国は一体働かざる者は食うべからずというのだから無料のことなんかない。ちゃんと支払っていますさ。」と笑ふ。「パンなどこの国では不足しているというけれど経済手段から切符制度にしたのでその後は国民が非常にパンを大切にするようになった。勝手に行って見ても粉くずさえ無駄にせぬようになった」話はよもやま話に移って、ひっきりなしに続いた。そして十九貫に余る体を椅子によせたまま身動きもせぬ元気さであった。」

『新世界』(昭和4年9月14日付け)








「◎オグデン(二十八日発)▲榎本友一氏靴屋開業・・・・・永年ユーピー鉄道会社にてクッションフォアマンとして勤務していた榎本氏は、今回最新式の機械一揃いを購入して市内第二十五街一三四番地にある同氏経営のルーミングハウスの近辺に靴修繕所を開設した由である。」

『日米』(昭和4年9月30日付け)






昭和5年





「◎同胞社会も合理化▲運動を盛んに行わねばならぬ・・・・・◎産業合理化と言ふ事を、我が日本では近頃盛んに騒ぎ出して来た。遅時ではあるが、決して悪い事でない。産業の合理化は米国では早くからやって居たが最も顕著になって来たのは、欧州大戦当時からフーバー氏の努力が興って力ある。フーバー氏は欧州大戦当時から食料の欠乏を感じて、之を補足する綿密なる計画をたてた。フラワー、ポチートの供給に事を欠かさぬように、他の物を混用する方法を講じ、砂糖の不足を心配して、角砂糖使用の制限までまで設計し、終には各戸に備へ置くギャベーヂ?の取締りまでした。靴の不足を憂慮し、サンプル・シューズの形から色から、凡てシンプルにした。その他何でもかんでも、需要供給の状態に従って一糸乱れぬ政策をたてた。◎欧州大戦後に至ると更に更に秩序を整へ凡てそれを合理的にやる事にした。列国共に苦痛の極点に陥らんとし、米国の如きも将にパニックを起こさんとしたが、フーバー氏を始め、生産界、経済界の巨頭連が巧みに合理化をやったため、禍を転じて幸とし、益々繁栄を見るに至った。かの戦敗国たるドイツの如き、あの大打撃を蒙った上に、容易ならざる重荷を国民の頭上に載する事となった。しかし、ドイツの有識者と一般国民は、科学的研究を国民性の忍耐努力とを以てあらゆる産業を改善し、生活の様式を改め、所謂合理的にすることによって、今日驚くべき回復をなし、尚将来の繁栄を示しつつある。英国も、仏国も、今やドイツや米国のやり方に学んで是亦着々として進歩を見せつつある。◎実際我が日本の産業界を観察するに、今までの通りでは国際間に競争出来る訳は無い。例えば靴の如きも米国の一工場では、一時間に何万足を製造する。我が日本の半ば機械、半ばはハンド・ウオークで五足や十足を造っているので、どうして世界の市場に競争出来るはずは無い。昔はレーバーが安いから競争が出来るなぞと言ったが、レーバーが安いとか高いとか言ふ事は其の生産と比較して言ふべき事で、日本のレーバーが決して安いもので無い事が了解されてくれば、茲に生産界は益々合理化させて、大量を生産し、安く売れるようにせなくてはならぬ。◎翻って之を、米国にある同胞にも大声疾呼して、合理化運動を称えざるを得ない。同胞は凡ての事業を合理化して行け。然らざれば同じ資本を投じても、同じ苦労をしても、実際の成績は其の割合に上がらない。一例を言ってみると、我が靴工同盟は一時非常なる勢力を振るい、他の同業者を圧倒し、従って金のあるのは靴工同盟が一番だと言われた者である。しかしながら、今日では日に日に衰微して殆んど他に圧倒されてしまいそうだ。何が故か、産業合理化が出来なんだからである。、、、。」

『新世界』(昭和5年1月27日付け)




「◎谷靴店の台所でボヤ▲消防車駆けつけ早く消し止む・・・・・昨日午前十一時頃ゲリー街一五〇九番の谷靴店ケッチンに置いてあったワックスにストーヴの火が移り、其の処を黒焦げにしたが、幸い消防車が五台早く駆けつけたので天井にまで燃え移らない間に消し止む事が出来た。日本人街の中心である処へ学校が休暇で子供が山のように?った。」

『新世界』(昭和5年4月17日付け)








「◎科学不進歩の国民・・・・・、、、◎我々在米同胞の社会中心として考えて見ても直ぐわかる。各国から来た移民が、いづれも手足で仕事をする時代には、何をしても諸外国移民に負けなんだ。かの靴工の如きものでも、日本人が一番客を引き、他を圧倒し、靴工同盟は同胞経済界中最も有力のものであった。然るに時代が変わって、靴工が新発明機械利用する時代になってきた。こうなると、同胞靴工は、其のビジネスを日毎に外国人に?食されて、今日では見るかげもなく衰微してしまった。科学の力を応用する事が我々同胞の社会は少ないためである。、、、。」

『新世界』(昭和5年7月6日付け)








「◎広告・・・・・地方行商中の谷大五郎氏に至急用件あり。電話を掛けて下さい。桑港 谷靴店。」

『新世界』(昭和5年8月6日付け)






「◎破産の為め競売▲谷靴店が・・・・・過般来破産したゲリー街とブキャナン街角谷靴店は来る九月二日午前十時に競売に附せらるるはずなるが、一昨土曜日午後二時から四時まで一般に公開してインスペクションを行った。」

『新世界』(昭和5年9月1日付け)







「◎最近の実業界▲各方面より報告、本社に到着の分・・・・・、、、◎靴の製造減少・・・・・、、、。」

『新世界』(昭和5年9月9日付け)







「◎虚偽の歴史▲同胞第一世は此の問題に注意せよ・・・・・◎在米同胞の移民史を明治二年のスネールが連れて来た移民から始むるとして、まだ六十年前後である。そして、今生存して居る人々で明治十二年頃来た人々、これ等はもう其の数が極めて少なくなったが、十七八年頃来た人々はまだ相當多数ある。然るにも拘わらず、幾多出版された者を見ると、この六十年内外の歴史に、随分間違った事を書いて居る者が多い。かつて鷲津尺魔氏が「歴史湮滅のおそれ」と言ふ見出しで書いた事があるが、我々は「歴史湮滅」のおそれと言ふ見出しそのものに同感せざるを得ない。◎湮滅と言ふ事は無論遺憾の事であるが、湮滅のおそれの外に我々は歴史を誤らるる恐れを抱いて居る。我々が黙って聞いて居ると言ふと、年寄連の内に随分出鱈目の嘘八百を並べて、そして自分の過去の歴史をそれとなく自慢する者が少なくない。やれあの事業は我輩が始めたのだ、あの時は我輩こんな苦労をしたと。年とった人が少ないから、誰もそれは違って居るでないかと、突っ込んで行く人が無いものだからして、口から出まかせの事を言ふ。若い、何も知らぬ人らは、それを聞いて感服し、新聞や雑誌に書いたり、単行本に引用したりする。こう言ふ事が後世を誤る罪実に許すべからざるものである。◎是は誤った者として咎むべきものでは無いか。最近出版された仏教会沿革史なぞを見ても、あの仏教会を今日までにした、真の貢献ある人物は多く取り残されてしまって、最近一寸顔を出したやうの人々の事ばかり多く列挙され、従って古い貢献者で、今各方面に散在して年取った連中から随分不平の書面が我が社あたりにも来る。内田晃融師があの寺を建てんために苦辛した事や、之を維持せんため奔走した事も、それがため東奔西走して病気までした努力をぞは、モット特筆大書しなければならぬ事であった。これ等は故意にした事でも何でもない。編集者の注意が足りなんだのみである。しかしながら、何十年何百年の後、在米仏教発展史を編む人のために、又誤ちをさせる基となるは争われぬ。◎或る人が又、桑港労働協会の事を書いた者を見たが、是にも随分間違った事ばかり多かった。我々は同協会設立当時、何回か其の相談にのり、発会式に出席し従って其の当時の事を知ると共に其の変遷を知って居る。何人が労働協会の功績者であったかも善く知って居るが、其の実情を知らざる者が、いい加減の事を書いて、之を新聞雑誌に載せると是亦同胞の発展の正史を作る上において大なる誤りを生ずる。◎北加学園の沿革でもそうである。今の金門学園を桑港に創立する前、当時桑港にあった研究会で、何回となく協議し、随分調査に調査をして、邦語教育必要論に決し、ポスト街今の港湾司の楼上で最後の決定をし、そしてあの学校を建設するに至った当面の人々を是非書かねばならぬ事であるのに、十数年たってから、一寸顔を出した位の人を麗々しく載せて、肝心の沿革史に、一ページも二ページも書くべき事を書かないで居る。◎在留同胞の一世には、宗教のために苦心した人々、農業の改革に大金を投じ努力した人々、通商貿易のために、私利私欲以外に尽くした人、パブリックのために終生尽した人々、そう言ふ人々が随分ある。然るに今日それをば記録に残さず、活きて居たがために勝手の熱を吐く人、他の人のした事までも自分の功績のよう虚偽を言ふ者、お金があるがために、成功者だと言ふ顔をする人、そう言ふ人間らの言ふ事を聞いて、之を何も知らぬ人らが真面目にうけ、新聞雑誌に書き出版物にする。それは真の功労者に対して済まない事であると共に、後世の史家を誤つ事になる。我々社会ではどうしても今の内に正確なる歴史を作って置かねばならぬ。」

『新世界』(昭和5年10月20日付け)






「◎パナマ靴屋の盗難▲婦人靴を一足失敬さる・・・・・ポーク街一一二五のパナマ靴修繕業にては一昨日の正午奥の間で村上氏が中食をして居る間にカウンターに置いた価格七ドル五十セント位の婦人靴を一足盗まれた由なるが年の暮れでコソ泥が横行するので一般に注意が肝要である。」

『新世界』(昭和5年12月5日付け)








昭和6年





「◎谷氏の債券者会・・・・・谷大吾郎氏の第二回債券者会は来る二十四日午前十時より三五〇モンガモリー街ラヒ・ビルデングに於いて開かれる事に決定した。」

『新世界』(昭和6年3月22日付け)







「◎資本家の横暴▲あらゆる事業がコントロールせらる▲米国の現状・・・・・◎資本家の横暴に対して、プロレタリヤの反抗は、世界を通じて略相似たる現象であるが、米国に於ける実状は、特に甚だしくなって来た。先ず第一に眼につくは農業である。今より約二十年前迄は、大農も小農も、只スケールの大小であって、其の生産物は、市場で平等の競争をなし得たものであるが、今日では非常の間隔を生じてしまった。大資本の農業家は、大きな機械、新しい道具で、尤も進歩したシステムで農業をやる。ダカラ小資本の農業家が小麦一袋を得んがため支出する費用と、大きな資本の農業家が同じ一俵に支出する費用と、格段なる差を生じて、市場で競争が出来ず、小農は日毎に窮地に陥るのである。◎商売人の方から言っても、今より二十年前頃までは、大きい商店でも、小さい商店でも、それ相応に、其の地方の客を引いて居たが、今日では大資本のデパートメント・ストア、チェーン・ストアに客を奪われてしまって小資本の商店は立て行けない。何となれば、大資本のものは工場から直接とる。沢山一度に買うから安い。現金支払いであるからテイス・カウントが多い。単にそれのみならず、商店の構造も、陳列の方法も、雇人の使い方も、凡て理想的になし得られるから、経費が商売の割合いに少ない。小資本の商人が競争出来る筈がない。◎之を桑港附近の実例に見るも明瞭に其の事がわかる。日本品をグラント・アベニュー辺の美術雑貨店に売って居るが其の品物がデパートメント・ストア、チェーン・ストアに現れたらモー日本人の商店では売れない。チェーン・ストアなぞではどうしてそう安く売れるかと思うほどの安価で売るからである。それは外でない。資本が大きいから大買いに買い、現金で買うから割引が多い。店のシステムが善いから、経費が割合にかからぬからである。何でもかんでも其の通り、洗濯業でも、クリーニング業でも、乃至靴修繕業でも、漸次に大資本を持った人にビジネスを奪われてしまう。「長い物には捲かれる」と言う事は今更でないが、資本主義の横暴と言う事は、米国に於いて尤も顕著となって来た。、、、。」

『新世界』(昭和6年4月17日付け)







「◎米国の産業組織▲改善・時機▲大資本の横暴を如何にんとするか・・・・・、、、◎根本的の大原因は何であるか。ビジネスの上、産業の上に多くの人々を苦しましむる大原因がある事を考えねばならない。それが何であるかと言ふに、資本の力を飽く迄も自由に無制限に拡張させると言う事である。我々はむつかしい理屈は言わない。事実の問題を以て米国民に考慮させたい。例えば、桑港に於いて一時盛んであった、日本人の靴工と言うものが、今日では殆んど衰滅に帰した。何の為であるか、靴修繕に関する機械が発明されて、一日に何千足でも修繕し得られ、客が待っている間に、安くて綺麗の仕事をするようになったからである。しかしながら、これ等機械を据え付けた靴修繕所も亦経営出来なくなった。何となれば、モット大組織のものがチェーン・システムで出来たからである。、、、」

『新世界』(昭和6年9月17日付け)



「◎馬場辰猪氏が米国で日本攻撃・・・・・馬場辰猪氏と大石正巳氏とが、日本の政界に居たたまらず、身を以て海外に逃れたのは、明治十九年六月であった。此の時政界の名士が多数横浜まで送ってきて、夜を徹して痛飲し、悲壮傭慨の別離をなした。その時馬場の詩に「浦頭解縦君深思、大海風四風捲舟」の句がある。此の船は六月二十七日桑港に着した。此の時の感想を馬場が書いた者の中に「チョンマゲばかり見ていた眼には流石に文明国の都を見てびっくりした」とあった。馬場は着後いたる所で演説し、日本政府のやり方を攻撃した。時々には鎧を着て、市の四つ角で演説をした事もあったが、時には白人のヤジ連と大喧嘩をまくった事もあったそうだ。▲日本に帰ったら酷い眼に会わする▲馬場は暫らく桑港に居ったが、。」

『新世界』(昭和6年10月14日付け)








昭和7年




「◎谷氏靴店・・・・・ゲリー街谷靴店の令兄に当たる谷万太郎氏はラグナ街日本人会下の一六一五番に於いて新しい靴店を開業した。」

『新世界』(昭和7年1月10日付け)