日本で初めて労働組合をつくった男




片山潜の条約改正と内地雑居談


「◎マスター、オブ、アーツ、片山潜氏の条約実施内地雑居の結果及び準備談・・・・・片山潜氏、英米に遊学すること十三年、夙に博学の聞あり。昨年帰朝して力を労働問題に竭くし、現に『労働世界』の主筆なり。一日氏を『キングスレイ』館に音づれて之に関する意見を聞く。左に掲ぐるもの即ち是れなり。

私は条約改正になるについてどういふ準備をしなければならぬか、或いはどういふ結果があるかといふことは、我々今日に於いては詰り想像に属することで、マア法律上の問題とか、或いは各居留地の廃せられるに付いて、其の土地の問題とか云ふものは分かり切ったことで、是はモウ格段なる議論と云ふものは無い。ところが此の条約が改正になってどういふ結果があるかと云ふ事は皆想像に出でたもので、先ず条約改正をして日本が万国公法上独立の権利を得て相当の課税をし、又自分の自由の法律を実行する事が出来ることは明らかである。併しながら果たして如何なる準備をしたら宜いかと云ふことは、詰り条約改正をしたために西洋各国がどんな意向を持って、どれだけ日本に入って来て、是まで日本で初められて居らない事で、どういふ仕事を初めるかと云ふことは全く想像に出でて種々なことを言ふでありましょう。しかしながら其の説に至っては色々な意見があって全体に極めることは出来ない。それは商業家が欧米各国に始終出入りをして居って、向こうの資本家に遇い色々な人に遇って話を聞いて見れば幾らか分かるようだけれども、今までの経験に?って見ると、英国がアフリカ或いは南米諸州へ行く所を以って見ても、其の向こうへ行って新開地に事業をしようという人間は、今日日本の財産家、資本家、商業家が、英米へ行って彼を相手にして交際談論する人々の如き人間が行くのでは無い、重もに冒険的の事業家で、身に一の財産の無いというような者が多い。新開の地に飛び込んで行って十数年の間仕事をして財産を拵えようという人間である。それで今日日本人がパリーなり、ロンドンなりへ行って、相当の身分の人に条約改正になったらどうだろう。我が国へ貴国人が沢山来てくれましょうかと尋ねに答ふるのはあてにならぬ。彼のバーリングブラザーズが、アルゼンチンレバブリックへ行って、大変金を注ぎ込んで、殆どアルゼンチーンレバブリックの財政上の権力を握っているようになったけれども、それは頭から行ってそういう風にしたのぢゃない。それより前に英人の色々な者が行って、段々事業を起こして有望になった所からバーリングブラザーズも金を出すようになった。それ故に今日我が上流社会の資本家が、外国へ行って探した所が分からぬ、又日本に来ておる人が想像した所がナカナカ立派に分かる者で無い。して見れば条約改正が出来たに付いて西洋人が是れだけ入ってくる。して見れば斯ういうような準備をしなければならぬという様な事は、幾らか根拠の無いことも無いけれども、マア想像の方が多いので、海関税を上げるとか、或いは今まで居る数千人の西洋人を取り扱うのに、如何なる方針を以って取り扱うか、又今まで居る西洋人と提携して事業を起こすと云ふ事を想像するに至っては、是は余程事実も確かで根拠があって大方日本で準備委員をして、又色々研究して居らるる人々の知らるる所ならん。私も一つの想像を下して見たならば、私の考えでは此の条約改正をしたからと言って、直ちに外国から沢山の人間が入って、彼の米国で「アメリカン、インデヤン」に与えていたオクラホマの土地に、一般人民の移住を許した時の如くに、各種の人間が其の境界へ行って居って、政府の報告を待って十二時の鐘の鳴るのを待って、馬に乗り車に乗りして駆けて行って、そうして土地を争うて占めたというように、非常に急いで来る人間はナカナカ無い、日本で条約改正が一年半経って成ったからと言って、別段に沢山な人が出てこないということは誰でも少し西洋と此の地との関係を知っておる人、又は西洋から来て居る人であれば知って居る。今日本の一般社会殊に一般商業社会にしても、彼の条約が改正になったから非常に英語が必要である、商人でも是非共英語を学ばねばならぬと言って、無暗に英語の研究をして居る人は、条約改正になった暁に一つの夢が醒めた如くに感ずるならん。そうして見たなれば、どれだけ日本人に向かって影響があるかと言えば、第一是まで幾らか日本に来て仕事をしたいけれども、ナカナカ困難で不都合であるから仕事が出来ないという外国の資本家は来るだろう。一例をあぐれば、日本へ来て不便を感ずることは、何処かへ店を出そうと言っても、居留地の土地は或る商法家がスッカリ占領しておって、ナカナカ借りようと言っても、高い金を出さなければ
借りることは出きない。今それが何処へ行っても土地を借りることが出来たならば、西洋で幾分か目を附けておった人は条約改正を幸いにして来るだろう。そうして横浜なり、神戸あたりの居留地で、我が邦外国貿易の「モノポリー」独占的権力を失ったならば、或る点までは外国人が日本に来て商業をするの手始めが余程楽になる。試みに、一二百万円の財産を費やしてやって見ようという時に余程便利が好くなる。今までの所ではナカナカ借地借家賃などが、米国の桑港又はニューヨークあたりで店を出すよりも比較的に困難で非常に高い、側にそれ程の商業が無くして掛りが余計だから困難であるが、左様なことは固より廃せられるに違いない、そ9れがために幾分か好んで人が来るというようになる。是は少し遠回りのようでありますけれでも、条約条約改正になった暁に、現在日本にいる西洋人が段々と内地に入ると、自然に西洋人のする仕事が多くなって来るでありましょう。又それに伴って漸々新しき西洋人が入ってくる。そうしたならば、果たして日本にどういう結果があるか。私の考えでは、今までは西洋人が築地なり、神戸なり、横浜なりの海岸若しくは山手の居留地に限られて居ったのが、段々内地の方へ入って内国人と相雑って場所の好い所に商売を為し、又住むようになったならば、日本の社会は非常なる利益を受けるであろう。例えば今日は居留地外に在るは、僅かに仮宿にして一向権力が無い、けれども年を経るに随って、日本人民の間に何処へでも入って来て其の土地に於いて資本を卸して店を出し、商売をするようになったならば、必ず日本の商業に一大刺激を与える。彼らの商売はどうしても機敏であって新思想を持ってくる。活発に営業をやることは到底日本人の及ぶ所で無い。此の如き西洋人の店が沢山出来ると其の間には信用というものが一層盛んに行われて行くから、我が商人も自然と信用の度を高めなければ、立派な商業が出来ないようになって、商業社会の道徳の一つの新分子を入れることになってくる。今でも西洋人と取引はするけれども、今の横浜の商法人というものは、全く一の特色を帯びて居る。是れまで西洋と直接の貿易の出来ぬのは、つまり日本の商人が不正だとか、実直なことをしないとか云うことで、必要上西洋人が日本へ一つの代理者を置いて、物を調べて送らせるという風になって居る。それ故に実際欧米との商法上、彼らが証人として居るというよりは、むしろ手代見たようなものです。所が将来西洋人が漸々入って来て、直接に商業をすることになったならば、従来横浜の商人が一団体を作って、恰も商業貴族社会のようになって居るものが、すっかり変わって日本人と西洋人と直ちに取引をやることになり、日本の法律に従ってやる以上は、日本の団体を守らなければならぬ。矢張り西洋人も日本の国体に関係が出来る。関係が出来ると幾らか権利を得る。権利を得るようになって来ると、ナカナカ西洋人はだまっていぬ。今日の東京の往来を見たように不潔で仕様が無い、コレラも将にいくらか起らんとするあり様でも、市会議員は顧みない。また危険の橋にしても、テレグラフ電燈の柱にしても沢山種々な危険なものがある。しかしながら市民は無頓着か、或いは馬鹿だから、如何に不便利でも、危険で衛生に害があっても、愚図愚図して居って言うことが出来ない。しかしながら、西洋人は危険な事又不衛生の事があるとしたならば、もし一朝言う権利を得たならば、必ず黙っては居らぬ。政府に於いて其の言う所が悪いことを言うので無く、道理にかなって善いことであれば、之を聞き入れないと云う訳にはいかぬ。況や東京の今日の市民の如くで無くして、相当の資産を持って参った立派な西洋人ならば、斯う云う市中の橋ではいけない、斯んな形の道路の築き方ではいけないと言うことに・を入れる、斯う云う工合になって、最早西洋人も西洋人としてで無く、日本人となって日本の利益を図るという点より言うので、今までのように批判的でなく、実際に自分の一身に関係して、道理を以って社会に訴えますから、政府或いは市会議員あたりが聞き入れないということは出来ない。自然と政府でも耳を傾け、社会も同情を表し奮い起りて改良する、否それのみならず、西洋人はこういうことには自分から金を出しても、ドンドンやるという立派な風習を持って居る。彼バーリングハンドのチェンバレーンが、二十年の間市議会議員となって市の世話をしたのみならず、その財産を投じて之れに尽くした如きは其の一例である。日本の三井とか、大倉とか、岩崎とかいうような立派な財産家は東京を利用して自分等が金を儲けることは、ナカナカ活発であるけれども東京市というものを立派にするとか、改良するとかいうことに向かっては、未だかつて尽力し又は出金したということを聞かぬ。しかしながら、西洋に於いては相当の資産を儲けた後は其の市のために尽くすと云う風習が立派に行われて居る。現に英国の如きは行われておる。チェンバレーンの例は珍しくありませぬ。斯かる風習ののある西洋人が、東京の真ん中に東京市民として生活する時代になったならば、金が無いから今日の如くに東京の道路を改良することが出来ぬと言いながら、一方では此の東京で東京市から沢山金を儲け、立派に富んでいる人々がありながら、此の市の改良をなさずに見過ごすというような不始末は、廃せられてしまって段々進歩して立派な市街になることができる。西洋人は必ず其の仕組も与え、その方法も与え、自ら進んでそれに尽力するに違いない。これ等は一例として必ずそういうようになってくる。又西洋人であった時にはそれをしなければ、・かない。現横浜の居留地でもそうです。渡辺さんが府知事になった時に非常に骨を折って道路に・石を築いて見た。十分の試験もせずに、・石道路は東京には宜しく無いと言って爾後余程頑張った。又佐久間さんの如きも、・石道路にしては、余り堅くなって車が飛び上がって困るという説を以て之に反対せらる。しかし現に横浜の居留地では、・石道路を築いてやっておる。外人は決して東京、横浜あたりのような悪い道路では満足しない。斯くの如く必ず西洋人は、東京市でも、横浜市でも市中に入って来て、権利も持ち、義務も持った時は、大いに其の市を改良して行くに違いない。さらに市区改正のみならず、此の商業社会の取引上のことでも、交際上のことでも、社会の制裁、道徳上に至っても、大いに新思想を入れて新方法を以て段々に改良して、立派に日本の諸事が進む事と私は信じて居る。私は条約改正の結果一日も早く左様にならんことを望んでいる。(未完)」

『改正条約実施内地雑居準備会雑誌』(第一巻第三号 明治31年6月21日発行)




「◎マスター、オブ、アーツ、片山潜氏の条約実施内地雑居の結果及び準備談・・・・・更に細かに説明しますれば、先ずこの工業社会はどういう影響が及ぶか、是までの所では、日本の土地に向かって西洋人が工業を企て、資本を卸したということは差ほど無い。じかしながら今後条約改正になると同時に、従来日本に起って居らない工業をやるようになるということは、随分新聞社会に於いて議論をしておる。又之に付いては色々な想像を及ぼしておる。又実際上そういうようになるだろうかと思うことは、第一条約改正になると外人は何処へでも入って工業をすることが出来る。斯く是までの障害物がとれた以上は、西洋人は大いに来て仕事をなすだろうということは、空な論で無い。現に中国鉄道の株などは漸々神戸在外人の手に入りつつある。故に将来の大株主は内地にあらずして外人ならん。そこで、日本の社会に於いてどういうふうに影響を及ぼすかというと、面白い現象があるだろうということは、誰でも許しておる通り、日本には資本が少ない。資本が少ないから西洋人が来て工業に従事する時に、西洋人の左右する所の資本というものは多い。して見たならば、日本の工業上には非常に変動を及ぼすに違いない。工業制度の下にあっては、資本の勢力は殆ど皆だと言っても宜い。エブリシングである。既に日本の内地だけに於いても、之を左右するだけの大資本家が非常なを得て居る。一例をあげてみれば、関東地方の工業は日清戦争の前後に於いて、非常に勃興して随分いろいろな事が起こって来た。製糸事業にしろ、機業にしろ、種々な事業が起こって来た。しかしながら、其の盛んなるということは賃金が廉いためとか、或いは銀貨の下落によって一時は非常に盛んになったけれども、一たび金融が逼迫して資本が欠乏をした。又輸出の利益も少ないようになった。今日に至って見ると、此四五カ月前と言っても宜しい。段々会社は持ち主が変動が生ずるならん。大資本の勢いが漸々我が社会に圧制的所為を働きつつあることは明らかである。かの製糸の如き、富岡製糸場とか新町製糸場とかいうものが、一人の手に入って行きたる有様は、皆大小資本の競争の結果といわねばならぬ。現に今日ある人から聞くところよっても、桐生の機業会社は、元百万円の資本を入れて揃えたのだそうです。しかしながら、かの佐羽吉潰れたために、その機業は非常に不振にになって、百万の資本を三十万に切り下げて、そうして五十円払い込みを二十五円としたけれども、それでも、やはりいけない。今日のところではモウ仕事をしても利益が無い。利益が無いから益々注ぎこまなければいかぬ。と言って止めて居れば其の三十万円に切り下げた資本の株も役に立たぬ。今日二十五円の切り下げたものが、七円でも八円でも買う者が無い。固より業を盛大にするために払い込ませようと言っても、ナカナカ払い込む者は無い。所が金を払い込んで、いま二三十万円も掛けて立派な機械を買い入れて行かねば、終始つくのはない。故に詰まり持って居ってぐずぐずになれば潰れてしまう。七円でも宜しい己むを得ないと言って売って居る。所が一方には暗々裡に其の物を一人で買い入れて、己に此の会社の半分以上の株は、一人の資本家の手に入って居るという風聞であります。・て、の会社は実際水力の力でやる仕掛けにて、水力事業のみでも三十万円以上の金が掛って、立派になって居るけれども、それを利用する事が出来ぬ。今之を只でもらった所が、十万円や、十五万円の金では、之をどうする事も出来ない。そこで、一方はこの株を進んで買うというと株が上がるから、そう進まないが、知らず知らずに入って来て、半分以上も一人の手に帰して居る。これ等がもう三分も入って八分以上の株になった時には、自分が独力を以て立派に機械を買い入れてやる心算ならん。既に百万の資本を注ぎ込んであるものであれば、百五十万にも二百万にも之を利用することが出来るという事は、誰でも少し眼の開いたものは知って居る。けれども如何せん資本が無いために、資本家に所謂虎の分配を得られてしまう。これは日本の現社会に於いて資本家の勢力として、すでに桐生の機業会社のみならず種々な所に、資本家が吸収策を以て暗々裡に合併しておって、恐るべきものは彼一つの資本家であるとまで、商業会議所杯で言われた位であります。そういうようになって来る。日本人でさえそういう現象があるのに、況や条約改正になって、西洋の資本を持って卓見ある商業家は入って来たならば、日本の工業社会にどういうような影響を及ぼすかということは、想像して余りあるだろうと思います。して見たならば、之を防ぐにはどうしたら宜しいか。固より其の資本を殖さなければいけないということもあるけれども、今から殊に今日実業家というて居られる人々が、大いに研究して工業経済というものを、モウ一層発達せしめて資本を団結して、百倍にも利用するようにせねばならぬ。我が商業社会が、少しも経験の無いものが沢山で、団結力を利用して居らない。団結力を利用して居らぬから、往々一二の資本家が非常な乱暴なことをして、非常に社会に激動を起こす。彼の社会に無責任の株屋資本家が、その株を一時に売ってしまうも社会を・乱するも、それに向かって防衛するだけの権力が無い。少資本も集めた時には随分大威力が振るうが、それをやるだけの見識がない。矢張りぐずぐず言って攻撃こそするけれども、泣き寝入りになって其の人に対して之を戒めることは出来ない。つまり日本の資本家は団結を十分にして、団結の勢力によって、工業の進歩を図るというお考えが及んで居らない。して見れば、西洋人が来てこの活発にやるに対して、日本の資本家が、一体に団体をなして相互の資本を合併してやることに、眼を着けることが必要だろうと思う。次に今日条約改正に付いて色々議論をする人の、左程に注意せられぬ所であるが、条約改正と労働社会との関係はどうなるかという問題です。殊に労働者中でも、西洋の文明的器械を使って文明的工場組織の下に働いて居る労働者、所謂純粋の職工である。この労働者即ち職工に於いては、非常に条約の改正にならんことを望んでおる。何故望んでおるかと言うに、色々な理由もありましょうが、彼らが第一目的としておる所は、今日日本の資本家が甚だ圧制である。そう言えば西洋の資本家は圧制をしないかと言うに、それはするだろう。西洋でもやっておると思うけれども、日本の資本家が労働者に対する対遇は、殊に甚だいけない。何故かと言うと、一般の人の言う所の対偶が悪い故で無くして、これまでの経験によって見ると、資本家、工業家というものが、その労働者、職工の技術というものを尊敬しない。技術というものを認めてくれない。つまりオベッカでも使うような労働者に、余計給金をはらって、そういうものに工場監督をさせるとか、職工長になすとかいう弊風がある。それは現に日本の社会に行われておる弊風である。之を西洋人に比べてみると成る程西洋人とても無暗に対偶を好くする、金を多くくれるということは無いけれども、とにかく技術を貴ぶという点に至っては公平である。技術のある人には相当の給金を与える。技術の無い人が如何にオベッカを使うも、給金を払うと云うようにヤボなことはない。故に今労働者の目の開いた者は、一日も早く条約が改正になって、沢山の資本家が来て工業を起こせば宜しい。そうなれば、日本の資本家社会に一刺激を与えるだろう。今までは、如何に自分が骨を折って働いて、立派な業を成しても、資本家がそれを認めてくれない。それから、仕事が好く出来るからと言っても、給金を増してくれない。所が、西洋人は利口だ。自分は損は出来ないが、技術の進んだ職工に相当の高給金を払って好く対偶するのは詰まり労働者の利益になるのみならず、資本家の利益になるということが分かって居る。けれども、日本の資本家は如何に事業は能く出来たにした所が、その男がチット独立の精神を持って居るということがあったならば、決して其のもの相当の位地に用いるということをしない。それだからして、心ある労働者は本当に力を入れて、資本家のために働くことが出来ない。と言うのは、地位を与えて居らないからである。それから、又世間で少し好い品物があると是はハクライだと言う。少しハクライのように出来た物だと、直ぐ是はハクライ品だと言う。之に付いて心ある労働者は甚だ憤慨して居る。実際立派な職工は、今日でも西洋で出来る位の物は、随分一と通りのことはやれないことはない。却って西洋に優る物を拵えることも出来る。十年も十五年も二十年も其の機械を使ってやっておる職工は、随分立派な腕前を持っておる。しかしながら、如何せん今日の資本家は、卓見の無い所より、又工業請け負い者が好いものを拵えずして、なるだけ手を抜いて悪い物を拵えて、早く仕上げて誤魔化して金を儲けようというような主義をとっておる所より、現に芝製作所の如きでも其の機械を拵えておる職工は知って居る。現に是では旨くいかないということを知って居るけれども、其の技術がマア大概にやっておけと言うような噂が、嘘か本当か分からぬけれどもある。それで日本人の拵えた物はいけない、舶来品が好いと、如何にも日本の職工がして出来ないように言う。しかしながら、職工に言わせると決してそうでは無い。日本の職工にしても西洋人がするだけの猶豫を与えて、十分にやらしてくれれば出来る。しかしながら、それでは掛りが高くなる。つまり日本で拵えた物は安いというので売りつける。日本人でも西洋人の拵えるようにやれば、金は大変掛って来るけれども、一方に於いて、」その品物に於いては彼に譲らぬ物を造る。しかしながら前にも申した如く、資本家其の人が兎角労働者職工に向かってどうも不親切であり、職工をして技術を伸びさせないと言うので、上等の労働者は幾らか怨を含んでおる。其の処へもってきて、西洋人が入ったならば、何しろ其の資本家にしても、賃金の安いというのを目的にして来るから沢山の賃金は払わぬだろうけれども、彼らはとにかく先ず立派な職工を選。そうして立派な職工を使えば、賃金は割合に余計払っても経済上廉いということを知って居る。現に実際に行って給金の高い職工が一番廉いということを欧米における一定の輿論である。それをこちらへ実行してくるから、是までの職工にして技術の発達しているものは、選り抜いて仕舞う。また西洋人がやる以上は信用を重んずるから、今日日本の工業界に行われる如き乱暴な物を拵えずして、立派な機械を拵えて行く。いくら値段は高いけれども、とにかく結果によって其の価値を知らせる。して見れば、日本工業社会の結果というものは好くなるから、今日労働者の鳴らしておる不平も熄み、今まで外国品ばかりが誉められて、自分等は馬鹿なように思われたのが、今度は名誉を回復されて来る。随ってその賃金も待遇も数等の進歩を見、又之と相対して日本の資本家も、これまでとは違って来ねばならぬ。即ち西洋人の雇う職工が、賃金が上がったならば、我が工業者間にどういうような影響を及ぼすのか。随分面白き真相を見るに至りましょう。今までの工業家は、其の労働者に対しては、好い品物を拵えろと言わずに、御辞義をしろと言うふうな・梅で、即ち官省の如くオベッカ一方で、仕事のろくに出来ない者が進んで職工長にも職工監督にもなり、立派な技術のあるものは、ナカナカ地位が進まない。それで大宮工場の如き、又横浜の船会社の如き、是は区域が狭くなるようではあるけれども、之を一例として挙げたならば、少し労働運動でもやろうと言うような、眼の開いた力のある方には賃金を上げてやらないとか、待遇を悪くするとか云うようにして、甚だ労働者の意見が盛んになり、労働者の権利が増すこのに向かって、頻りと反対をして居る。そこで今日工業家なり製造家なりが、条約改正に付いて気を置かないのは、労働者と条約改正との関係を左程に思うて居らぬのである。私は是まで三千人余の労働者を集めてそれらの重なるものに、始終遇って話もし、意向を聞いて見るに、彼らは条約改正が出来た暁には、西洋人に雇われ得るという競争より、其の賃金も幾分か余計取られるならんと楽しんで居る。又日本の工業家、殊に資本の少ない工業家に取っては余程困難を及ぼすであろう。即ち今桐生の機業を例に引いた如く、大資本家と小資本家とが資本の競争をして、小資本家は必ず不利益を被ると云うことは分かって居る。そこへ持って行って、モウ一つの分子即ち労働者も悪くすると我が工業家に不利益を与える。ソハ西洋人が好い職工を取って行って、自然と不利益なる故にそれに付いては今からその防衛をせねばならぬ。そこで、日本の労働者の中には、愛国心というものは十分あります。却って実際の愛国心というものは、所謂勅語をかさに着て、八釜しいことを唱えて居る人間よりも、労働者の中にには真正なる愛国心が存して居る。それが存しているから、今言うような好い品物が出来るのに、作らせずして無に舶来品を誉めるのを慨嘆して居るのである。されば、一途に今日の舶来品のみを珍重して、日本の職工を馬鹿と見て居るのは、大きな誤解である。随分この労働者には、勇気もあれば生産力も持って居る。実際の愛国心を持って居る。これ等は条約改正の準備の極々小さい部分として、大いに資本家の注意を要すべき点であろうと思います。それから、商業者間の」信用というものも、段々と発達して来なければならない。今日の如く銀行があっても、純粋な銀行事業は碌にして居らぬというような工合で信用取引というものは行われて居らない。これも信用取引というものが、段々盛んになるというはモウ分かり切ったことであります。嫌ともそういうようになって来ねばならぬ。又、パッとしたことでありますけれども、この日本の社会が段々好くなって来る。今日の所は社会が如何にも腐敗して居る。請け負い事業の如きは殆ど言うに言われないことが沢山ある。西洋でも米国の如きは随分請け負い事業にして乱暴な運動はするけれども、しかし、その請け負うてやるに付いて、金をたくさん取るということはするけれども、其のした仕事は兎に角立派な物を拵えて居る。その点に於いて請け負い事業は余程発達をして居る。それで西欧人が一朝日本人と競争して、請け負いをやろうという暁には、日本の請け負い事業も発達して来る。一方に於いては前に言ったような、西洋人が東京の人民となったならば、英国ロンドンに行はれ、又其の諸市に行われる直接工業、土木と言うように、市が請け負い土木を廃して直接の工業を為して、直接に労働者を雇うて来たならば、大いに東京市というものの上に、大刺激を与えて好くなって来る。それから、又社会の制裁という範囲に至っても、実に非常な好い結果を及ぼして来るだろうと思う。何故と言うと、西洋人は極々悪い最下等な人間西洋で「out-cast」仲間はずれと称する人間でさえ、横浜当たりへ来て居って、習慣上からとはいえ、男女の関係は日本の極く上流のものと較べて却って西洋人の方が好い。正しい。例せば西洋人は妾を持つことは甚だ悪いこととして居る。しかし、西洋人で妾を持つ場合は、日本人のように三人も五人も持つということは無い。必ず一人で一人の妾を持つだけで、其の一人の妾で満足して居る。日本人は多くの妾を持つから、それが社会に及ぼす結果は非常に悪い。西洋人が今度日本の社会に入って人民となって、日本の政治上にも・を容れようという人間であったならば、必ず相当な立派な人間で、道徳思想の高い者に違いない。そういう者が入って来て、日本の社会に影響を及ぼしますから、今日本の社会に於いて、之が弊風を改めなければならぬことは無論であるが、さて今日の大勢、兎に角物質的文明がむちゃくちゃに盛んになって居るから、ナカナカ之を喰い止めることは出来ぬ。モウ来年は文明の社会の空気を吸ふて文明の競争場裡に立って切り抜けて行くと言う立派な商人が入って来て、是れが交際上其の他のことに大刺激を与えて、段々と此家庭も改良し、道徳上も改良して、日本の未だ為さない強固なる商業が盛んになって来て、随って倶楽部制度の如き者も発達すべし。今日は倶楽部が少しも発達しないから、不経済のことも行はなければならぬが、そういう点も益々改良して立派になる。しかし条約改正に付いて、其の結果私は今申したようなことが、直ぐ現象として出でるということは言わないけれども、段々に現れて行くから、無論結局は我が国の利益になるだろうと思う。又支那人が入って来るとか言う人も、色々ありますけれども、それは余り長くなりますから今は申しませぬが、兎に角条約改正の結果は日本の社会に取って善いことと思う。悪い人間が来るにおしても、悪い人間でも日本人の人よりは善い所がある。色々な又批評をそれはありましょうが、そういう批評をする人は、実際に西洋人と取引商売をやって見たら宜い。また交際もやってみるが宜い。日本人と西洋人とどれだけ違って居るかということは、分かるだろうと思います。約束を違へない信用を以て取引をやると云う点に至っては、遥かに向こうが優っている。また冒険的外人も入って来るから、商売の掛け引き上随分激烈なことをやって、日本人を瞞着するようなことをもあるかも知れませぬけれども一般人民として西洋人と日本人との価値、独立独歩の行いに至っては、遥かに優って居る。又商人として適して居る所がある。コレと相混ずる故に、日本の社会は大いに進歩するであろう。即ち条約改正は大変日本のために利益である。今日内地雑居に向かって反対して愚図愚図して居るというのは、実に訳の分からぬ、第一社会の大勢というものを知らない人だと言っても宜しい。先ずそういう工合で、果たして如何なる準備をしたが宜しいかということは、今日商業なり工業なりに従事して居る人が、今私の述べた所の点に付いて考え、なるたけ彼に圧服されないように注意し、西洋人の勢力あり事業に勝を占めるというのは、どういう点になるかと言えば、第一に資本が沢山ある、それから工業に慣れて居るということも、一つの分子と見ねばならぬ。それから、労働者を取り扱う上に於いても、それだけの眼を具えて居って、技術のあるものを見分けることが出来、又信用を以て商業を営む、それから又各国の事情に通じて居って、機敏になるたけ新思想を入れて事業を進めて行くという点にあります。日本でも、近頃僅かに新思想を入れて品物杯を拵えるようだけれども、ナカナカまだ進んで居らぬ。それ故に此の際ソレラノ西洋人の入って来る場合に、彼が日本の社会に於いて活動するのに、我も匹敵するだけの素養をして行くことが最も必要なる準備と考えるのであります。(完)」

『改正条約実施内地雑居準備会雑誌』(第一巻第四号 明治31年7月10日発行)

2012年夏発掘







片山潜の人種問題に関する一考察


「◎米国の黒禍問題・・・・・、、、片山潜」

『財界』(第十三巻第二号)発掘日2012年11月30日




「◎ロンドン市の繁盛(附け乞食の生涯)・・・・・東京市中の貧民の千態万状を細かに観察し叙述なすの妙味はすでに『再暗黒の東京』となりて行われ、将に『日本之下層社会』となりてあらわれむとす。されば、余は今少しく西洋大都会の外観を記して文明的都人の生活を紹介せんとす。余は固より此の種の事を専らとなすものにもあらず。又社会学者にもあらず。余が記せんとする所は只二三年前彼の地に流浪したる際見聞したる事情を記するにありとす。ロンドンは世界中の最大都市なり。其の人口の数は五百万余其の富は日本の富に十数倍するやも知れず。ロンドンが一日に営業する商売の高は全日本の六ヶ月間に為す営業高に匹敵すると云ふ。それは数字の上のこと。さらば実際ロンドン市の富がかほどならば其の市民が如何に楽天的生活をなすかと云うに、余は決して我々東京の貧民が羨むべきところあるなしと信ぜず。固より英国の貴族社会がロンドン時節とて毎年七月始めより八月の終わりまで生活する状態は我が東洋大都会の貴族社会の及ぶ所にあらず。否彼らの別当も尚ほよく競争するを得ん。余は固より一介の浪人、暫時ロンドンに漂泊したるのみにて貴族社会には沢山の知己もあらず。宴会、園遊会、舞踏会にも臨むを得ず。令嬢貴婦人たちの鼻息を窺ふことの便りも少なければこの極楽世界の事情は他日に譲りて余が常に伍し常に談笑し且つ同情を表したる社会に就いて述べん。そもそも余が相共に談笑し且つ同情を持ちたる社会の住人は高価美屋に住み美味美服に飽ける動物にあらずして千足を以て文明の利器なる機械となし労力を以て資本となし又は蒸気電気の如き原動力を使用する所のもの即ち勤労者なり。然り往々勤労せんと欲して職を得ず飢餓に迫り公園路頭に立って通行人の憐情を求むる者なり。又た其の壮年の間は他人の富を作るを助け勤労をなし今や老物となり職に堪えず路頭に迷う所の乞食等これなり。乞食の生涯 ロンドン否英国へ米国より渡航して上陸後第一に目に付く者は乞食なり。けだし商業の繁栄なる市街の美麗なる又建物店頭の広大なる且つ壮観なるが目をひかざるにあらざるも我々外来者の目につく者は乞食其の者なり。如何となれば彼ら乞食は市街を彷徨して巡査の居らざる所を選みて旅人の周旋をなさんと行人の顔色を眺め案内をなさんと求め靴の紐の解けたるを親切そうに告げ帽子の風に吹き飛ばされたあれば拾ふて之に親切に尽くさんとねらい、又種々様々に心を尽くして関係を付けんとす。其の心意のある所を尋ぬればギブミーペンニー(一銭くれろ)と云い出さんとする下用意なり。しかして又少年老者一見して乞食と認められ得る者は出し抜けに銭を求む。又たまたま不遇のために職を失い職を探して得ず歩行して疲れ空腹にて食する所なく乞はんとして不慣れなる如くはずる如く失職労働者のあるありて路頭広小路に公園に至る所に数千を以て数ふ程多数ありし。働き得べき労働者にして仕事を得ず妻子は家にありて悲しみ自分も飢餓を凌ぎし工場の門戸に空しく職を求め終わりに食を行人に請うその境遇は只此の種の経験を嘗めたる人にして始めて知るを得べし。又彼の職業を営んで金を儲け生活を得るには生来の不得手なり。又貧民制度の下に保護を受くるには資格なく唯々行人の憐れみを得て老の坂を越しつつある老乞食は寝るには家なく夜は此処ののきしたに立ち又かしこの街頭にちょ立し、もしくば公園に歩行して夜を明かし始めて広小路の腰掛に休みて眠を貪るを得る。純粋の乞食も亦沢山ありて彼らが昼間公園もしくは広小路の休息場に息へる様は実にこの文明の都会にも斯く落ちぶれたる者もあるかと驚く程なり。又やや壮健の身体を有するも充分の事業をなす能はざる者は新聞売りあり、花売りあり。看来たれば繁華極盛の都会は、貧苦極痛の巷くなり。まだまだ我が貧民はこれに比しては長安居易からずをうたふべきに非ずを知るべし。
『労働世界』主筆 片山潜」

『世事画報』(第二巻第三号 明治32年2月3日発行)

2012年夏発掘







「◎宗教思想と政治 片山潜・・・・・、、、」

『宗教』(第8巻59号 明治29年9月5日発行)

2012年夏発掘





「◎野蛮的資本家 片山潜・・・・・、、、」

『天地人』(第二十二号 明治32年10月2日発行)

2012年5月23日発掘





「◎東京市民の決心 片山潜・・・・・、、、」

『天地人』(第二十三号 明治32年11月2日発行)

2012年5月23日発掘





「◎社会改良者に望む 片山潜・・・・・、、、」

『天地人』(第三十三号 明治33年4月16日発行)

2012年5月23日発掘





「◎現時の社会問題 片山潜・・・・・、、、」

『天地人』(第四十五号 明治33年10月16日発行)

2012年5月23日発掘










「◎職工軍団の組織・・・・・かねて伊藤為吉氏が職工軍団の組織に尽力せらるる由は聞く処なるが、去る十三日夜同氏は十七名の職工同道の上、キングスレー館に至り、片山潜氏の社会的事業に関する談話を聴の便を與へ、且つ伊藤氏自らも一場の談話され、是より毎週集会を催さるべしとなり、かくて、この種の人々をパン種となして、いよいよ職工軍団の組織に従事さるべしと云へり。」

『基督教新聞』(第709号・明治30年3月19日付け)