乃木希典




明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!
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◎乃木大将夫婦共に自殺/霊轜発引の弔砲を合図として殉死す・・・・・満都瀟殺として御大葬奉送に余念なき十三日午後七時五十分沿道群衆の警戒に従事せる警衛第三隊第十三中隊の坂本警部補が赤坂新坂町五十五番地先の道路交通遮断地点を警戒中、乃木大将の邸内にて只ならぬ物音の聞こゆるより何事ならんと駆けつけ見たるに女中只一人狼狽して打ち騒ぎおれるより仔細をただしたるに女中は只今主人の居間にて怪しき物音聞こえたるより其の方へ駆けつけたるも内部より堅く錠を鎖して開かずとの事に警部補は女中を案内として其の室に赴き無理に押し開きて室内に入り見れば乃木大将は夫人と共に短刀にて自殺し鮮血に染まりつつ既に絶命し居たり。
▲大将の死状 大将の自殺せる室には先帝陛下の御写真ならびに日露役に戦死せし両息の写真を懸け其の下において大将は短刀を逆手に持ち右より左に掛け咽喉を切り夫人は左の乳下を心臓に達するまで突き刺したり。
▲遺書は二通 石黒男爵に宛てたる一通の遺書は、死後において屍体を醜からぬようせられたしとの意味にて別に親交あるにあらねど男は軍医総監なるがためなり。この遺書あるため警察署にては同男爵の来たるまで検視を遠慮し居り家人は石黒男爵を捜索し居たれど午後一時頃まで見当たらず或は男爵は霊柩に従い京都に行かずやと心配し居たりき。又一通の遺書あり。其の宛名は家人は明言せざれども他より聞く所によれば今上陛下に奉りしものにて殉死の申訳なりとぞ。
▲昨日の昼間 大将は十三日午前八時自動車にて自邸を出で伏見宮邸に英国コンノート殿下を見舞い其れより参内して帰宅し其の儘外出せず女中お兼及び二人の別当にご葬列拝観に行くべき旨を命じ其の後にて自殺せられしを書生太田(十八)が発見したるものなりとも云う。
▲現場実見者▽坂本警部補の談 又赤坂警衛第十三中隊長坂本警部補の語る処は少しく之に異なれり。其の語る処によれば同氏は午後八時過ぎ赤坂区新坂町五十五番地を警衛し居りしに乃木大将邸にて女中の泣きわめく声の聞こえるより何事ならんと駈け付け見たるに女中は同邸二階日本間の座敷の戸を必死にて引き開けんとなしいたり。そこで同警部補は協力して内部より錠かけたる座敷を開き見たるに乃木大将はこの日宮中より帰邸せられたるままと見え大礼服の上着を脱してシャツ一枚、夫人しづ子(五十二)は白襟紋付にて、鋭利なる日本刀を以って刺し違へ共に打ち伏して見事に絶息れ居たり。この有様を見て同警部補は大いに驚きたるも自分は御大葬に付き長野県より応援として上京したるものなれば勝手分からず兎に角電話を以って赤坂署へ急報したれば時を移さず本堂赤坂警察署長は園江医師を随えて同邸に急行せしも既に絶息れし後とて施さん術もなく御大葬の式全く終わるまで固く秘し居る次第なりと。
▲村上軍医正の談 乃木邸に駈け付け居たる学習院附き村上軍医正曰く。『閣下は陛下の崩御以来表悼の?今日(十三日)退下して帰邸せらるるや使用人等は皆奉送に出でし遣りて一室に閉じ籠り午後八時弔砲第一発を合図に其の室において切腹せられたり。遺書及び検視依頼状等あれど名宛人は目下御葬列に加わり居れば御葬儀の済むを待ち居る次第なり』とて其の他多くを語らず。
▲下女お金の談 乃木大将夫妻自殺の時最も早く其の室へ駈け付けたる女中お金(十八)は先頃同邸に雇われ未だ日数もなきに斯かる主家の大事件に会いたる事なれば殆んど気抜けの如く茫然たる有様なるが同女の語る所によれば『大将の自殺したる時は平生の着物を脱ぎ捨て白きシャツとズボン下のみを着し短刀を以って頸部を右より左へ見事に貫きて絶命し夫人は宮中へ参侯する折の喪服を着し短刀にて左乳の下を刺し貫きて是将た同じ道にと息絶え居られたり云々』とありき。
▲山田副官母堂の驚愕 乃木将軍夫妻の自殺に関し記者は今暁二時将軍の副官たる豊多摩郡千駄ヶ谷原宿二百十四陸軍歩兵大尉山田龍雄氏邸を訪ひたるに母堂すみ子(六十三)は固く閉じたる表門を開き龍雄は午後五時より青山の御大葬場に参列致しましてまだ帰宅致しませんのですが昨朝七時頃例の如く閣下のお邸に伺いますと先帝陛下の御大葬につき閣下とお奥様は御同乗の自動車で宮中に参内されたのを御見送り申し上げし事は聞きましたがお亡くなりになりましたことは夢にも存じません。お奥様もと俄かに顔色を変えて深く打ち驚き龍雄は今にも帰り来るかと待って居ます処ですがと殆んど失神の体なりき。
▲記念の撮影 乃木大将は昨朝八時頃自邸の奥庭へ写真師某を招き軍服を着して撮影せしめそれより自動車にて伏見宮邸へ赴き程なく帰宅の後最期を遂げられたり。大将の姉なる豊多摩郡代々木に住する小笠原きね子はこの凶報に接するや直ちに乃木邸に赴き尚石黒男は青山式場を終りたる後同邸を訪問せり。」

『東京朝日新聞』(大正元年9月14日付け)











◎乃木大将自殺に就いて/日本の風教道徳の一案・・・・・霊?宮門を出で給ひ合図の号砲殷殷満都を圧し国民挙りて最後永訣の?詞を先帝の霊前に捧げんとするの刹那、突如一大悲報は更に吾人の耳を驚かせり。乃木大将夫妻の自殺の事是なり。
▲大将は実に現代における武人中の武人にして所謂武士道の精神を伝えたる典型的武人として景仰せらる。思うに大将の自殺はただにこれ大将一個のことにあらず。又一時の驚?を以って終わるべき問題にもあらず。日本の風教道徳の上に?少ならざる疑案を提出したるものというべし。
▲蓋し欧米新文明の潮流は一時本邦の旧道徳旧信仰を破壊したりしが日清戦争日露戦争によりて自国の価値を自覚したりし国民は旧文明の破壊に対する反動的大勢と相よりて数年以来ここに武士道を以って殆んど日本道徳の根本となし新道徳は武士道によりて復古的に建設せらるべしと説くものすらあるに至りたり。
▲武士道はまことに本邦道徳の重要なる一面を占むべきものにして万世の後に至るまで磨滅すべからざる要素を有することは疑いを容れず。然れども武士道発達の歴史は其の名称の示すが如く全く武士道以外の道徳たる能はざるを示し即ち一種の軍隊道徳たることを教ふるものにして服従と命令とは其の道徳の根本を成し信義と廉潔とは武人相互の団結の第一義とせられしなり。斯くの如き道徳は軍隊の上には今も或は完全に行なわるべきも之を軍隊以外一般の社会に絶対に強いんとするは到底不可能事なり。
▲乃木大将を武人の典型なりというは飽くまで単に之を武士道の上より言うべし。大将は一個の武人として大元帥たる先帝の霊に殉じたるものなり。其の志しや壮とすべく其の情や感ぜざるを得ず。然も之を今日の思想より批判するを許さば大将の行動は唯自己夫妻の情を満足すというに止まりて尚国家に尽すべき自己あることを忘れたるの憾みなしというべからず。これ実に大将のために惜しみても尚余りあることというべし。
▲先帝の崩御し給うや之を悲しみ痛むの心においては国民全般の情にして固より乃木大将一人のことに非ず。しかれども大将の如く最も親しく先帝の?遇を蒙りて其の恩寵を感ずるの深さまた大将の如き人にありては其の情実に余人と大なる径庭あるは当然のことなり。今や先帝世を去り給い再びこの土において其の玉音に接する能はざるを思うや失望の余り古武士の遺風を慕うの大将が事のここに至りしは大いに同情の涙をそそぐに値す。
▲然れども人どうもすれば其の情に感ずるの余り或は其の行為を推奨して為めに世を誤るものなしというべからず。吾人はこの大将の悲痛事に対し冷酷に之を評し去るの人情にあらざるを知るといえどもまた世道風教のためにここに一言するはやむを得ざることなるべしと信ず。
▲自殺は絶対に非倫なるや否やの理論は之を措くも乃木大将の死は之を以って日本の旧武士道の最後をかざれるものとして其の情においては大いに之を尊敬の意を表すると共に理においては遺憾ながら之を取らず。永く国民道徳の前途を誤らしめざらんことを希はざるを得ず。大将の志は感ずるに堪えたり。其の行いは終に学ぶべからざるなり。」

『東京朝日新聞』(大正元年9月14日付け)

































































































































































































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