幸徳秋水





大逆事件と幸徳秋水





明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!
クリック↑(トップページ)









幸徳秋水

















幸徳秋水















幸徳秋水(前列左から二人目)




トップページ









幸徳秋水(左)、西川光次郎(右)

















平民新聞社

『平民新聞』は明治40年1月に幸徳秋水、石川三四郎、西川光次郎、
堺利彦等により創刊された日刊新聞

『近代百年史』より



















妻千代子

『近代百年史』より


















『近代百年史』より
















西川光二郎(右)、堺利彦(上)、石川三四郎(下)、幸徳秋水(左)

『東京朝日新聞』(昭和3年9月10日付け)


















「◎幸徳の母死す/稀なる健気の老母/我子の大罪を憂う・・・・・大陰謀事件の首?として断罪の期将に近きにあらんとしつつある秋水幸徳伝次郎をして、彼が覚悟の死の前に其の腸を九回せしむる痛惨事あり。幸徳の母多治子(七十)が怖るべき我子の大罪に泣きつつ恩愛の情已み難くして遥かに土州中村町より上京し、幸徳の親友堺枯川氏に導かれて彼を獄裡に訪ひ、健気にも深く其の身を戒め死に臨んでいやしくも未練の振る舞いあらしめじと「最期を潔くせよ」の一語を残して帰国せるは去月二十八日のことなりき。然るに多治子は二十八日午前五時を以て死去せりとの報突如として到れり。
▲病死か自殺か・・・・・多治子の死については今は唯その死の一事を伝えらるるのみにして詳細を極め難きも、多くの推察を挿むべき前識あり。多治子がさきに幸徳の義兄幸徳駒太郎に伴われて上京するや、土佐にありて日夜憂愁の余り遂に意を決して上京せるものの由にて、面会して我子の決心を鈍らせてはと思いしも、深く覚悟を極むる身のせめてもの別れを惜しまんとの模様見えしといえり。しかも多治子が在京中何くれとなく労りし堺氏は又下の如く語れり。
▲昔気質の老母・・・・・去月来多治子が上京した時は幸徳の姉婿駒太郎氏と小生と多治子と三人で幸徳に面会したが、老母はなかなか気丈なもので其の時涙一つ零さず、しっかりなさいと幸徳を誡めて別れたにはほとほと感心した。実にじっかりした昔気質の老母です。帰国後老母は幸徳の事を深く案じ煩い健康とかく勝れぬとのことを聞いたが、遂に今朝こんな電報が来ました。幸徳が母の面会後小生の所へよこした手紙の中にはこんなことがあった。「僕の母は少しエライところがあるようだ。どうして僕のような豚子が出来たろう馬鹿な子ほど可愛いというから涙は出さないでいても余程こらえているに違いない。帰国してからきっと病気が出ているだろうと案じられる。何しろ七十だからね。とにかく幾年か母の寿命を縮めたかと思うと少からぬ心の痛み感ずる云々」と。老母の姿は尚眼の前に見るようでいかにも哀れです。
▲驚愕せる幸徳・・・・・訃報到着せる折りから幸徳は引かれて大審院法廷内にあり、特別裁判関係の弁護士磯部四郎、花井卓蔵、川島千司の三氏は悲報を幸徳に伝えんため、午前の裁判を終わりて法官の退廷し弁護士被告も続いて引退りたる後、看守長の許可を得て、幸徳一人を法廷内の被告席に残し置き、進まぬ歩を進めて年長の磯部氏先ず「幸徳君、阿母さんが死なれましたぞ」と電報を示せしに、之を聴きたる彼の顔は見る見る蒼ざめしばし物をもいわざりしが、ようやく顔を擡げて三氏の顔を仰ぎ見、眼を転じて電報用紙の上に注ぎしがあたかも生ける母に物言うごとく沈痛の語調もて「却って幸福です」と口籠る。其の身の刑場の露と消ゆるは予て覚悟の上なれば老いたる母に憂き思いをさせんよりも今かくて母に先立たれたる方が、却って母も安らけく往生し、身も亦心残りなしとにやあらん。涙脆き磯部氏先ず涙を落とし続いて花井氏川島氏皆もらい泣きすれば、幸徳は独り真蒼の顔を伏せて頻りに唇を噛む。大法廷内寂としてしばし声なく悲痛の状亦見るに忍びざりしと。」

『東京朝日新聞』(明治43年12月30日付け)



















無政府主義者公判(被告の護送)

『東京朝日新聞』(明治43年12月11日付け)




















「◎被告等の入廷・・・・・」

『東京朝日新聞』(明治43年12月11日付け)














































◎大逆事件の判決
・・・・・△幸徳秋水等二十四名は死刑
△有期懲役は僅かに二名のみ

判決は下されり。有史以来の大事件として天下の耳目を?動したる無政府共産主義者幸徳伝次郎、菅野すが等二十六名に対する大逆罪の判決は下れり。
▲傍聴人の群集・・・・・この判決が如何に世の注目を惹いたるかは裁判所門外混雑の状に見るも思い半に過ぐるものあり。門外に群集して傍聴券の交付を受けたる者の中には徹宵表門外に立ち尽くしたる者十数名あり。第一番に駈け付けたる町家者らしき二人連の男は旧暦十七日の月霞ヶ関に寒き午前一時半既に裁判所門前に来たれりという。それより二時三時と夜の更るに従い続々と詰掛け、記者の駈け付けたる午前四時半頃には既に四五十人の人数門前の石畳より二列に長蛇の如く並びいたるが、いづれも夜寒の痛さにこらえ兼ねて地団太踏みつつ立てり。割引電車の桜田門を過ぐる頃より刻一刻長蛇の長さを増したるが、いづれも合言葉の如く口々に『まだ百五十枚にはなるまい』とつぶやく。或物好きな男が行列の一行の人数を数え突然に大声にて『五十四人あるぞ』と叫びたりとて一同どっと笑う。
▲角袖巡査尾行・・・・・かくて群集せる同勢約二百三四十人の中には洋装にて某社会主義者に尾行し来れる本郷署あたりの某探偵と一見会社員らしく装へる神田署管内の某探偵あり。勿論いづれも傍聴人中に混合し来れる被告の縁者に尾行し来れる者なれば正門の傍木戸を入りては出で出でては入り門衛二名警視庁より派遣されたる警官一名と『かの赤ッ茶けた帽子の男』『目の窪んだ小倉袴の男』などとささやき示す。かくて定刻七時に至り傍聴券を交付されたるが、立会いの警官約十四五名一々穴の開く程容貌と服装とを見返し見つめたる後、一先ず中庭に引き入れ数十名づつを一切りとして解散せしめ、更に又数十名を一切りとして交付す。この交付済となれる者の中にも勿論十数名の社会党関係者あり。これ等に尾行し来たれる探偵も亦数名を認めたるが警官は交付中三人をていよく行列よりはねのけ百枚を越ゆる十数枚を渡したる後、突然傍聴券出切を宣したり。▲未曾有の警戒・・・・・門前の混雑を見て所内に入るに当日の法廷と定められたる大審院内の警戒は最も厳重にして警官百九十名、憲兵五十六名を各要所に配置し、正門外に突き当たれば両傍に巡査、門内に入りても巡査、玄関前にも巡査、その又玄関扉の木蔭にも巡査という具合にて警官と憲兵とに殆んど鼻を衝くばかりなり。されば所内の前栽後庭は更にもいわず表門といわず横門、裏門といわず警官看守等毅然として立会いたるが、所内の空き地外廓等にも警官看守等右往左往に行き交い警戒厳重を極む。幸徳等の護送馬車は例によって覆布を被り正午先ず八台相連続して裏門より留置場に入る。馬車は引き返して午後一時再び残部の被告を護送し来たりしが、三階より大法廷に通ずる廊下には或は白布を垂れ、或は衝立を立廻らしその物々しさ一方ならず。▲森厳なる法廷・・・・・かくて午前十一時となるや百五十名を限れる傍聴人の中には多数の角袖巡査紛れ込み万一を警戒しつつ入廷せしが、例によりて田川麹町署長以下多数の警官は大法廷内に詰め切りて最も厳重なる警戒をなす。普通傍聴者に次いで裁判官席背後の高等官席には六十脚の椅子を二重にならべ特別傍聴席に備えたるが大審院控訴院東京地方裁判所及び司法省の高等官五十余名十二時過ぎより着席し、中に二名の外国人は一方ならず注意を惹きたり。かくて正一時新聞通信記者の入廷に次いで被告席の背後なる弁護士席には川島仟司、磯部、尾越、宮島、今村、花井、半田、吉田の各弁護人順次着席し(鵜澤安村二弁護士は不参加)その背後なる弁護士傍聴席には上原、塩谷、澤田、布施等十八名の弁護士着席し固唾を呑んで被告の入廷を待つ。この時寂として人語なく森厳の気満廷に漂う。▲各被告の入廷・・・・・時辰正一時を告ぐるや幸徳伝次郎以下二十六名の被告は木無瀬典獄及び佐瀬、逸見の第一、二課長以下一人に看守一名づつ付き添い厳重なる警戒の下に入廷し公判開廷中の如く第一列は左端の幸徳より右に新村まで七名、第二列は同じく奥宮より崎久保まで七名、第三列は成石より内山まで六名、第四列は武田より菅野すがまで六名づつ着席し、その間には看守一名づつ混入して一挙手一投足の末までも最も厳重に警戒なす。被告は幸徳以下概ね紋付羽織袴なるが、中には縞の羽織あり。既決囚内山愚童の赤衣と、すが子の総髪銀杏返しに紋羽二重薄紫色の羽織とは例によりて満廷の視線を惹きたり。第一回公判の日とは異なり今日は愈々その運命の定まるべき日なるにや。被告一同概ね粛然として襟を正し差し控えたるが、中に一人幸徳秋水は背後左右の新聞記者席を顧みて微笑み、菅野すがも亦横目にて弁護士席、普通傍聴席を左顧して物言いた気の風情に見えたり。▲判決書の朗読・・・・・被告等入廷し終わりて一時五分廷内寂として咳の響きだに聞こえざる折しもあれ静に入廷せるは裁判長鶴丈一郎氏以下陪席判事たる志方、鶴見、末弘、大倉、常松、遠藤の諸氏及び本件の検察官たる松室、平沼、板倉の三氏なり。一同起立するや望月書記長は幸徳以下順次被告の姓名を呼び上げ終わり、鶴裁判長は壮重なる音吐高からず『判決を言い渡すために公判を開く。それでこの判決は理由も主文も共に朗読する事に致す。唯証拠の説明だけは朗読を省略する。尤も被告が自分の費用を以ってこの判決書の写しもしくは抜書きをしたいという者があらばそれは出来るから予め申して置く。尚申して置くがこの理由は大分長いから理由を朗読する間は別に起ておらんでも宜しい。但し主文を朗読する時は一同起立すること。先ず理由を先に朗読し次に主文に及ぼすから左様に心得ろ』と申し渡し、百数十枚に渡れる判決書を朗読したるが一時十分に始まりて二時三分前に終る。この間正に四十七分。▲正二時の宣告・・・・・この理由の朗読終るや鶴裁判長は『主文』と一声高く呼びて被告一同を起立せしめ一層森厳に一層壮重なる音声を以って主文を朗読し何れも左の如き申し渡しありて閉廷す。時に午後二時零五分。さしも天下を驚倒したる大事件もこれにて大団円を告げたり。

左の二十四名は死刑

高知県幡多郡中村町大字中村町一七三平民著述業
幸徳伝次郎(四十一)

京都府葛野郡朱雀野村字?楽廻豊楽西町七八平民無職菅野事
菅野すが(三十一)

岡山県、、、平民農
森近軍平(三十一)

山梨県、、、平民機械職工
宮下太吉(三十七)

長野県、、、平民農
新村忠雄

福井県、、、平民草花栽培業古川事
古河力作(二十八)

東京市、、、平民無職
奥宮健之(五十五)

高知県、、、平民活版文選職
坂本清馬(二十七)

和歌山県、、、平民医業
大石誠之助(四十五)




『東京朝日新聞』(明治44年1月19日付け)




明治30年

明治31年

明治32年

明治33年

◎非社会主義者に誨ゆ(上)幸徳秋水・・・・・近時我が国の論客中、キッド及びマルクス等の所論を受け売りして、強いて我が社会主義を中傷せんと試むるものあり。予は我が国民が未だ社会主義の何たるを熟知せざる、或は為めに誤らるる有るを?る、乃ち一矢の以って酬ふる無かる可けんや。キッド謂らく『社会は生存競争に由て進歩す。而して社会主義は競争を杜絶せんとする者也。故に社会主義は社会の進歩を妨碍す』と。彼非社会主義者は即ち之を以って社会主義を攻撃するの金科玉条となせる也。然れども是れ其の一を知て未だ其の二を知らざる也。吾人も亦競争が社会進歩の一動機たりしを認む。唯だ原始の腕力体力の競争より、変じて武器の競争となり、弁舌の競争となり、学術智巧の競争となり、個人の競争より変じて部落の競争となり国家の競走となりしが如く、社会の一層進歩して其の状態を異にするに従って、之を刺激する所以の競争其の物も、亦其の性質、種類、方法を異にせざるを得ず。否異にせざることを得ず。是れ進化自然の大法也。社会主義が現時の経済的自由競争を廃せんとする所以の者は、実に此自然の大法に従って其の競争の種類、性質、方法を変じて、以って現在将来の社会に適合せしめんと欲するがためのみ。現時の経済的自由競争や、過去においては多少社会進化に資せしを疑わず、然れども此競争を必要とせし時代は既に現に過去れり。今や自由競争の意味する所、結果する所は資本家の横暴なり。労働者の窮苦なり。貧富の懸隔なり。不断の恐慌なり。財界の無政府なり。風俗の頽廃なり。貧者弱者の迫害なり。圧虐なり。奪掠なり。是れ実に社会の進化に益なきのみならず、却って社会を退化し堕落せしむる者に非ずや。而も彼れ非社会主義者は猶ほ其の保存を必要とするの理由ありや。試みに思え。如何かに暴力の争闘が、未開野蛮の社会に存て其の進化を助くるの功績ありしとするも、今日に存ては直ちに一個の罪悪に非ずや。文明の道徳は断じて之を禁ずるなり。文明の法律は断じて之を罪するなり。もし競争は進化に必要なるが故に、之を禁じ之を罪するは進化を妨碍する者なりと、結論せば、誰か之を笑はざらんや。非社会主義者の言う所あたかも之に類せずや。噴飯に堪えざるなり。而して彼非社会主義者の誤びょうの尤も甚だしきは、経済的自由競争の廃せらるる以上は、社会の競争は一切休止すべしと思惟するも是れなり。愚なる哉彼等は竟に物質以上を見る能はざるなり。彼等は各人競争の目的は一に衣食財貨に在りとなす。然れども是れ今日の如く、経済的自由競争の弊毒極まるの結果として、各人の衣食財貨を得るに困難なるがためのみ、この困難にして除かん乎、人は衣食以外、財貨以外に其の好む所に従って自由に高尚なる競争を開始すべきは勿論なり。スカツデル女史かつて論じて曰く。『社会主義は人間の競争をして物質的より精神的に転ぜしめ、汲々財貨を求むるの心をして、名誉、真理、献身的の行為に注意せしむるを期す』と。然り、社会主義は各人の権利を重んじ自由を重んず。あに一切の競争を禁ずると謂はんや。否な実に?劣なる競争を変じて高尚なる競争となす者なり。衣食と財貨の争奪を変じて、学術、技芸、義勇、名誉の競争をなすものなり。キリストが十字架に磔せられしは、吾人のために霊魂の購ひを得んがためなり。社会主義は実に吾人が物質上の桎梏を救解して、其の霊魂の購ひを得せしむるものに非ずや。何者の狂愚ぞ。敢えて我が社会主義を以って社会の進化を妨碍すというや(五月七日稿)。」

『労働世界』(明治33年9月1日付け)




◎キングスレー館小集会・・・・・去る二十五日晩は片山潜の帰省と青年倶楽部の名誉員なる札幌の森廣氏の来京を機として小集会を催し、来会者は万朝の幸徳秋水氏、東洋経済の植松考昭氏、香川県の田岡辰次郎氏及び青年倶楽部員等十数名なり。当夜は重に北海道が談論の問題にて頗る有益なる集まりなりき。」

『労働世界』(明治33年9月1日付け)




明治34年

明治35年


明治36年

明治37年

明治38年

明治39年

明治40年

◎平民新聞社及び社員の家宅捜索
・・・・・昨日午後一時ごろより宇都宮地方裁判所嘱託を受け、東京区裁判所より小林判事、金子検事は警視庁刑事五名を引率し本郷区千駄木林町西川光二郎、同区駒込町同社会計員竹内兼七、豊多摩郡大久保町字南百人町幸徳伝次郎、同郡淀橋町字柏木堺利彦等の家宅捜索を行い書類を押収し、又午後四時京橋区新富町六の六平民新聞社に至り捜索を行い、南助松より送り越したる紙面、西川光二郎が日光より出だしたる紙面及び電報を押収し、同四時半ごろ引上げたり。」

『万朝報』(明治40年2月8日付け)

明治41年

明治42年

明治43年

明治44年

明治45年








トップページ