星亨


明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

    
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星亨













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◎星氏刺客に斃る・・・・・星亨氏は昨日市参事会に出席し居りしが、同会は午後三時頃に終り参事会室の前に掲げたる秘密会の札を撤しそれより市長助役参事会員の諸氏左の如き席順にて椅子に寄り雑談を試み居たる際、四谷区の学務委員と称し伊庭想太郎(五十一)なるもの入口より来たりしが、参事会員諸氏も其の年輩といい服装といい立派なる紳士風なれば別にあやしまんともせざりしに、彼は突然星氏の背後に廻ると見る間に予て隠し置きたる短刀を取り出し氏の右肋部より肺を貫きて刺し徹し尚数刀を加えたれば、何ぞ堪えらん氏は数秒の間に絶滅したり。元来伊庭は免許以上の老剣客にして其の手練に不意を打たれたるなれば星氏は勿論他の参事会員諸氏も咄嗟の間兇行者を押ふる隙もなかりしが、斯くと見て市会書記平賀信恭氏飛び掛かりて取り押さえんとしたるに兇漢は平然として予は逃げ隠れする如き卑劣の行為をなすものにあらずとて頗る泰然自若の態度を示したり。其の中巡査等も出張したれば直ちに兇行者を引き渡したり。
◎加害者の素性・・・・・加害者は四谷区仲町三丁目十六番地伊庭想太郎と称し其の實父は旧幕臣なるが想太郎は維新の頃榎本武揚氏に従って函館の役に随いたることあり。後榎本子等の創立に係わる東京農学校の校長となり又育英学舎等にも関係し明治二十八年頃株式会社日本貯蓄銀行を設立し一時其の頭取に選ばれしが後辞職して今現に其の相談役たり。本年五十一歳なり。尚聞く所によれば彼の実父軍兵衛は幕府の剣客千葉周作の門人にして想太郎も幼少より父の教育を受け有名なる伊庭八郎は其の実兄なりといふ。
◎星氏凶変後報・・・・・兇漢の侵入したるは午後三時四十分頃にして会議室前面のたつを排して入り来たり。星氏を睨み何事か一声大喝すると見る間に隠し持つたる七首(長さ一尺二寸ばかり)を抜き放って先ず右胸部を刺し返す刀にて後ろより同じく右の肩先より肺部を貫きたり。同時に星氏は一合ばかりの吐血をなし仰様に仆れ間もなく絶命したり。
◎兇行者の風采・・・・・兇行者はさすがに銀行の重役をも勤めたるだけに羽織袴の扮装にて一見相当の紳士と見受けられたり。
◎市役所・・・・・の騒ぎは勿論いうまでもなく政友知人の見舞い客引きも切らず星夫人も凶変に接して直ちに駆けつけられしが来会わせし人々に対する応接はごうも取り乱したる体なく神色自若たる有様は流石に星氏の夫人たるに恥ぢずと思われたり。又警視庁よりは臨検の警部医員宙を飛んで駆けつけ大浦総監も直ちに現場に臨めり。
◎星氏の遺骸・・・・・は午後五時四十分頃夫人立会いの前出来合いの釣台に載せ白毛布にて全体を覆い九曜の紋ある時用馬車にて赤坂新坂の自邸に送りたり。」

『東京朝日新聞』(明治34年6月22日付け)



















◎星氏遭難の顛末・・・・・。」

『東京朝日新聞』(明治34年6月22日付け)
























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