清水次郎長





明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

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清水次郎長


















◎東海の侠客次郎長逝く・・・・・幕府の季世侠名を東海に轟かしたる駿州清水港の山本三右衛門侠名次郎長(幼名長五郎父を次郎兵衛という故に人其の両名を併せ次郎長と呼べり)は昨冬より病に罹り居りしが去る十二日七十四才を一期とし奄然長眠に就きたり。次郎長は文政三年正月元日を以って清水港に生まる。幼より義侠を以って自から任じ、其の強を挫き弱を助けたる畢生の奇行美談は院本に講談に人口に膾炙するが如し。維新の際初めて山岡鉄舟翁に面し其の説を聞き大いに感ずる処あり。それより行いを改め正業に就き囚人を役して岳麓万能が原を開墾し三右衛門新田と名づけし如き其の他見るべきの事業多し。又西郷南洲、勝海舟等諸翁の寵遇を得老いて益々壮なりしが、昨年夏頃自ら発企となり山田長政の祭典を挙げし節も自ら出京して榎本子爵の揮毫を請いしに子も其の志を嘉みし快く数大字を書き與へられたりと聞く。其の病篤きに臨み左の一首を詠じ笑みを含み瞑目なせりといふ。

六でなき四五とも今は飽きはてて先だつさいに逢うぞ嬉しき

其の先妻曾て非命の死を為せり故に下の句之に及べるなりと。」

『横浜毎日新聞』(明治26年6月16日付け)








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