大久保利通


明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

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大久保利通












































「◎昨十四日暴徒輩が参議内務卿大久保利通君(四十二)を狙い寄って殺害せし有様を報道する者の語に、午前八時二十分と覚えし頃二馬の車に召され邸門を出て将に皇居に朝せられんと紀尾井町一番地俚俗清水谷と云へろ所に来掛りたまう時浅黄木綿の衣着けたる一人の若者が向こうより出来り片手に撫子の花を持ち詩を吟じながら車に近づき花を棄るを合図に隠し持たる一刀抜き放して車の左馬の脚を薙ると一響の銃声と共に兇徒等五人傍らなる古板塀の間より起り立ち刃を揮いて切って出る折り節し馬飛びあがりて同所楽善社の前に至り車仰簸すると斉しく御者芳蔵の逆さまに墜るを切り殺し左右より車を挟みて切り付け刃公の肩に及び又面を傷つけ猶未だ殊へたまわざりしかばかつぎ出して其の喉を貫きたり。然るに車後に立乗の馬丁が急走して屯署に報ぜしより警部巡査各飛馳して場に到りしかども、既にして事には及ばざりしかば衆兇は刃を其の地に委て徒跣して宮内省に到り自首せんとせしを守者に支えられ其の内巡査多く来りて縛り去れるが、其の兇匪は石川県の士族長連豪(十八)島田一郎(二十九)松本乙菊(二十四)脇田功一(二十五)杉村文一(二十四)の五人と浅井壽篤(二十三)島根県の士族なりという。この島田一郎なる者は同県下忠告社員にして長連豪は客歳西賊事を挙る際まで鹿児島にありて後帰県したる者なりと聞けり。」

『郵便報知新聞』(明治11年5月15日付け)










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