日本で初めて労働組合をつくった男



「在米愛国同盟会」の会員の大多数が渡米前は「民権壮士」だった!





「◎在米愛国同盟・・・・・米国桑港において一千余名の壮年輩が組織せる同会にては、かねてその機関として発行し居る自由と名づくる新聞は今度東京より印刷機を取り寄せ鮮明に刷り立てんとて、先頃右の委員となり帰朝せし井上敬次郎氏、頻りに奔走中なりといふ。」

『日本』(明治24年1月21日付け)










菅原伝(東京帝国大学卒

「在米愛国同盟会」の会長。帰国後は、衆議院議員。



「◎壮士ハワイへ赴く・・・、、、菅原伝、、、

『都新聞』(明治26年3月7日付け






「(一六七)菅原伝と日向輝武・・・・・かつて星亨の壮士として横行せるもの移民業に意外の利を見、日向の如きは其の余沢にて今の蛇夫人を購へり。然れども両者の意気亦昔日の如くならず。菅原は進行係を奪はれ、日向の嚢底亦秋風を聴く。」
『当世名士縮尻帳』(節穴窺之助・大正三年四月発行)





「◎机の塵・・・・・往年米国で愛国同盟会というのを組織していた連中で、現在帰朝在京中の者が二十余名ある。其の内代議士となっているのが、山口、日向、粕谷、菅原の四名だ。今回菅原以外の三名は、政友会を脱して行動を明らかにしたので、右の二十余名が発起となり、近々紅葉館で三名激賞の盛宴を張るそうだ。」

『万朝報』(明治36年5月29日付け)













壮士の送別会・・・・・一昨二十四日午後六時より江東井生村楼において今回渡米する井上敬次郎、井上平三郎両氏のため送別の宴を開きたるが、当日来会者の重立ちたる者は大井憲太郎、新井章吾、富田精策、畑下熊野、遠藤秀景、荒川高俊、仁杉英、渡邊小太郎の諸氏を初め総て八十七名にして、多くは壮士の人々なるが、穏やかに宴会を終わり一同散会せしは十時頃なりしと。」

『時事新報』(明治二十二年五月二十六日付け)
















★大和正夫(在米愛国同盟会会員)


「◎愛国同盟義勇会・・・・・長野県に大東義勇会なるものあり。
明治十七年朝鮮事件の起こりし際、?松代議士及び上田藩士等が
一致して従軍せんと計画せしより始まりしものにて、
同事件平定の後一団体を形作りて、それより義勇会と称し
春秋二期に大会を開き近年に至りては
文部長高橋仲太郎、武部長木村盛信の両氏熱心に尽力して
今日まで継続せしものなりとぞ。
また秋田県には大日本義勇会なるものあり。
これは一昨年を以て創立せるものにて、
会員中には会津落城の士を始めとして、新撰組、彰義隊の面々もありという。
同会の人千葉七之助、大和正夫〔桑港愛国同盟会員(元壮士)・城常太郎の盟友〕の
両氏は連結合体の必要を感じて
大東義勇会と協議を催したる末、いよいよ双方合併の事に決し、
大日本義勇会よりは右千葉、大和の両氏、
大東義勇会よりは関軍蔵、高橋仲太郎の両氏委員として出京し、
榊原健吉氏〔撃剣の始祖〕の宅に会して協議の上、左の件々を議定したりと。

大東義勇会と大日本義勇会との名称を?し愛国同盟義勇会と称すること。
東京に大総育部を置き、??を榊原健吉とし、長野県下に義勇会?司令部を置き、
秋田県下に義勇会軍司令部を置き、各支部を総?す。
右の外高知県の義勇館、新潟県の発誠館、茨城県の撃剣会等をも連結し、
また奉?雑誌と題するものを発行することに決したるよし。」

『東京朝日新聞』(明治22年12月6日付け)















「◎大日本靴工業同盟総会・・・・・呉服橋外柳屋において開会。左の決議をなせり。
一 西村勝三氏を総裁に、大和正夫氏を名誉員に推選すること。
二 在米靴工同盟会と気脈を通じ互いに相通信すること。
三 本部を東京に支部を各地に置き、大いに会員を全国に募集し同業を拡張すること。
四 基本金を募集すること。
その他関根忠吉氏より提出せる規則改正案の全部を採用することに決したり。
西村氏は本会の基本として金一千円を寄贈したり。」

『東京朝日新聞』(明治32年8月4日付け)







「、、、大和正夫が一等で日本の壮士上がりらしかったが、撃剣の名人でね、、、」

『新世界』(明治四十二年七月十五日付け)














中島半三郎(在米愛国同盟会会員)

壮士の墓参・・・・・、、、中島半三郎の諸氏ら有志の壮士数十名は上野公園山王台に集まり同志の先輩へ墓参の式を行ふ由。」

『東京朝日新聞』(明治二十一年五月十八日付け)