日本で初めて労働組合をつくった男





「職工義友会」は城常太郎の独壇場だったことが判明!

1 「職工義友会」は、城常太郎が組織した「日本職工同盟会」を母体として誕生した。

2 「職工義友会」の主要メンバーたちは、全員が、城常太郎と知り合った事を
契機に労働運動に開眼していった。

3 「職工義友会」の主要メンバーたちは、城常太郎を通じて相互に知り合い、
城を要として結合、
そこから義友会の組織が誕生した。

4 「職工義友会」結成以来、一貫して、城常太郎が中心になって
様々な実践活動が行われた。

5 「職工義友会」メンバー中、城常太郎ただ一人が、明治二十五年に一時帰国して、
「職工義友会」東京支部を新設している。


6 サンフランシスコ時代の「職工義友会」も、城常太郎が
一時帰国して新設した
「職工義友会」東京支部も、
本帰国後に再建した「職工義友会」も、
その中枢センターはすべて城常太郎の家に置かれた。

7 サンフランシスコ時代の「職工義友会」、本帰国後に再建した「職工義友会」、
双方の設立発起人であったことが史実として100%確定しているのは、
メンバー中で城常太郎ただ一人である。


8 「職工義友会」は、そもそも、結成当初から、メンバーの過半数を靴職工が占め、
城常太郎を屋台骨・精神的支柱として結束した実践団体だった





★参考資料

「、、、チースは日本人靴工を労働組合に加入させずに秘密の製靴工場で働かせたというが、間もなく日本人だけの靴工で「職工義友会」を結成した。これが一八九一年(明治二十四)年である。、、、そこでさきの「職工義友会」を母体として明治二十六年に「加州日本人靴工同盟会」を発足させた。、、、同盟会の指導者はやがて日本に帰ってくると労働運動に入った。明治三十年六月二十五日、東京の神田美土代町の東京基督教青年会館で日本で初めての労働運動の演説会が開かれており、城常太郎は開会の辞を述べ、高野房太郎は「日本の職工と米国の職工」と題して講演したという。靴の製法に続く労働運動の輸入であった。、、、」

『桑港日本人列伝』(伊藤一男)





「、、、日本で最初に出来る労働組合というのは靴職人の組合です。それと同じものがサンフランシスコに職工義友会という形で出来ます。その翌年にカリフォルニア州日本人靴工同盟、つまり靴職人の人が同盟します。、、、」

『アメリカからの便り』(「在米民権家の行動と海を越えた連帯/9労働運動と社会主義運動への架橋」新井勝紘)