日本で初めて労働組合をつくった男




片山潜は労働運動家になるべくしてなった!

 片山潜はアメリカ時代、グリンネル大学でラサールの自伝を読み、いたく感動し、労働運動に献身するラサールの情熱に強い影響を受けている。さらには、明治27年のイギリスの旅行に際、マルクス主義を宣伝していた労働運動の左翼派の組織者トム・マンと出会い、その後の永い交際こそが、片山をして、決定的に、労働運動に生涯を捧げたきっかけであったことは明白である。片山はイギリスの労働運動をも研究し、それによって強い刺激と感銘を受けていたのだ。片山は高野房太郎と出会い、その影響を受けて労働運動家になったのではない。片山が高野に初めて出会ったのは明治30年6月12日(注1)であるが、片山は、すでに、それ以前から、特定の労働者と直接的に接触していたのである。片山は高野と出会う前から労働運動に興味を示しているし、実践活動に係るお膳立ても用意されていた。高野と出会おうが出会うまいが、片山が労働運動家としての宿命を背負わされていたことは間違いないといえる。


(注1)「六月十二日・・・・・此の日午後片山氏を訪ひ演説会出席の承諾を得、、、」

『高野房太郎日記』






 
「◎職工軍団の組織・・・・・かねて伊藤為吉氏が職工軍団の組織に尽力せらるる由は聞く処なるが、去る十三日夜同氏は十七名の職工同道の上、キングスレー館に至り片山潜氏の社会的事業に関する談話を聴の便を與へ、且つ伊藤氏自らも一場の談話され、これより、毎週集会を催さるべしとなり。かくて、この種の人々をパン種となして、いよいよ職工軍団の組織に従事さるべしと云へり。」
『基督教新聞』(明治30年3月19日付け・第七百九号)





「◎社会的団体の消息・・・・・樽井藤吉氏の主唱に係わる社会問題研究会はその後、鳩山、島田、田口、佐久間氏等代議士、学者、新聞記者等百数十名の賛成を得ていよいよ来月三日発会式を挙ぐる由。又片山潜氏等のキング、リーア会は先ごろ発会式を挙げたるが、同会は直に実際的運動をなすはずにて、差当り貧書生の教育、貧民の救助、寄宿舎の設立等に力を尽くす計画なりと。又布川静淵氏の社会学会は前記社会問題研究会と合併すべしとの説ありしも、遂に別立することとなり来月早々機関雑誌を発行する由。」

『報知新聞』(明治30年3月24日付け)





「◎社会問題研究会の発会・・・・・社会問題研究会はすでに会員百五十余名に達せるを以て、来る四月三日、上野精養軒において発会式を挙げ、法学博士田島錦治、片山潜、松村介石、米国人ガルスト諸氏の演説ある由。」

『報知新聞』(明治30年3月31日付け)



 今日社会問題に熱心の士を挙ぐれば、刀圭家に後藤新平氏あり。長谷川泰氏あり。実業家に佐久間貞一氏あり。工業家に伊藤為吉氏あり。政論家に酒井雄三郎氏あり。経済学者に金井延氏あり。交通学者に下村房次郎氏あり。社会学者に片山潜氏あり。法学士に桑田熊三氏あり。尚ほ宗教家、経済学者に多かるべし。」

『国民新聞』(明治30年4月2日付け)











「片山氏の社会談・・・・・、、、資本家の組合はあれど労働者の組合はなし。労働者の勢力をして資本家と併馳せしむべきはもっとも必要なるものなり。、、、」

『東京日日新聞』(明治30年5月2日付け)