日本で初めて労働組合をつくった男




高野房太郎日記を読み解く


「高野房太郎日記」(明治30年1月~7月)を見ると、労働運動開幕期の重要な出来事が余すことなく書き綴られている。例えば・・・


「社会政策学会」出席
「工業協会総会」出演
「職工諸君に寄す」印刷、出版届け
「横浜船大工のストライキ」指導
「職工義友会」主催による「労働問題演説会」出演
「労働組合期成会発起会」出席
「労働組合期成会」主催による「労働問題演説会」出演


しかし、高野にとって最も身が引き締まる思いで一杯だったであろう
「職工義友会」の再結成式(明治30年?)のことは
一言も触れられていない。
もし自らが発案し情熱を傾けて再始動した「職工義友会」であったなら、
再結成式に臨んでの「熱い思い」も含めて、
詳しく記して当然なのにである。
そのことからも、「再結成のイニシアチブは城常太郎にあった」という片山潜の説や、管理人の主張する「職工義友会再結成明治29年」説に
歩があるように思えるのである。


あの片山潜も、城常太郎を高く評価していた・・・。

『日本の労働運動』(片山潜)の中で、
片山は「職工義友会」の中心メンバーの筆頭に城常太郎を挙げ、
更には「労働組合期成会」の仮幹事の筆頭にも
城常太郎を挙げている。(注1)

おそらく、片山潜の判断では、
「職工義友会」が結成されて以後「労働組合期成会」の
誕生に至るまでの中心メンバーたちの貢献度の順位は
城常太郎>沢田半之助>高野房太郎の順であったのだろう。
片山は、高野房太郎はあくまで沢田半之助に説得されて
一歩遅れて「職工義友会」に参加したものとして、
彼をやや低く評価している。
それに比べて、
ゼロから1を産み出した城常太郎の貢献度を
最も高く評価している。

後に片山は城常太郎を評して
「彼は優れた労働宣伝家であった」と回想している。
常太郎は『職工諸君に寄す』(パンフ)を持って工場に単身飛び込み、
連日、職工たちとじかに接触して宣伝して廻ったのだが、
そのことが演説会の集客、盛況、会員獲得へと繋がったと、
高く評価してのコメントであろう。

(注1)会員による人選で、多分、城常太郎はトップの票を
獲得して仮幹事に選出されたのであろう。
その根拠を列挙すると・・・

(1)城常太郎は職工義友会の代表者。(自宅に事務所)
(2)『職工諸君に寄す』の最後のページに城常太郎の名前が
掲載されていた。
(3)演説会終了直後に入会を申し出た47名の職工の内の
かなりの者が既に城常太郎のオルグによって、
あらかじめ入会することを決めていた者たちで
占められていたように思える。
例えば島粛三郎。
(4)会員たちは当時同時進行していた横浜船大工のストライキを
勝利に導いた最大の立役者が城常太郎で
あったことを知っていた。
(5)高野と沢田は同年齢。城は彼等より五歳年上であり、
しかも労働組合作りの先輩格。









『高野房太郎日記』大原社会問題研究所所蔵