宮沢賢治



明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとして靴職人がいた!
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「雨ニモマケズ」



雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらやることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり、そして忘れず、
野原の松の林の陰の小さな萱葺きの小屋にいて、
東に病気の子供あれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいといい、
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい、
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなにデクノボーと呼ばれ、
褒められもせず、苦にもされず、
そういうものに私はなりたい










宮沢賢治











◎詩人宮沢賢治氏きのう永眠す/日本詩壇の輝かしい巨星墜つ/葬儀はあす執行・・・・・花巻町豊澤町宮沢政治郎氏長男宮沢賢治氏はかねて病気中のところ最近小康の状態にあったが廿一日午後一時半病あらたまり遂に永眠したが享年二十八、氏は先に盛岡高農を卒業、花巻農学校に職を執られ、また田中智学氏のもとにあって深く仏教をきわめ大正十三年心象スケッチ詩集『春と修羅』『童話集』『注文の多い料理店』を発表して日本詩壇に嘗てない特異の存在を示し新しい巨星として全日本詩壇注目のうちに詩作を発表していたもので詩、童話その他数十巻の未刊の作品を所蔵され、その非ジャーナリスチックの故に高名であり『春と修羅』の如きは刊行当時発行所の不誠意から夜店で売られたりしたが現在は所持者は卅円でも手離さない古典的な名詩集となっている、尚葬儀は廿三日午後三時から花巻町安浄寺で執行される(写真は宮沢賢治氏)」

『岩手日報』(昭和8年9月23日付け)













































































































































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