日本で初めて労働組合をつくった男


ー神戸発ー



★城常太郎の主導によって決行された
「清国労働者非雑居運動」




「◎清国労働者非雑居期成同盟会・・・・・神戸市海陸仲仕業者は此の程来集会を重ね、目下世上の一問題なる清国労働者の雑居を不可とし、その意見を内外務両大臣へ陳情し、なおその目的達せんため題号の団体を設け、神戸市内のマッチ、紡績、その他の工場はもとより全国に檄して運動をなすはずにて、不日市内に大演説会を開き異論を喚起する計画あり。その主旨とする処はすでに世の論ずる所のごとくなるが、同地において去る二十五年日の丸事件とて内外労働者使役の上に一大活劇ありたるをもって清国労働者入国の暁、内外の衝突のため如何なる悲劇を演ずるやを憂慮するにあり。
目下加盟者三万人以上にして、その規約は左のごとし。、、、」

『国民新聞』(明治32年7月18日付け)



神戸とまったく同じ事情下にあった港湾都市・横浜では、なぜか、清国労働者非雑居運動は起こっていない。
(横浜は労働組合期成会の主たる活動区域であり、高野房太郎の地元でもあったにもかかわらず!)

神戸でのこの運動は、
城常太郎の仕掛人としての並外れた手腕と存在感を浮き彫りにした労働運動だったと思う。
と同時に常太郎がいかに内地雑居に対して危機意識を持っていたかを知らしめた労働運動でも
あったと思う。

(※ちなみに、『職工諸君に寄す』(執筆者は城常太郎かも)の冒頭は、
「内地雑居問題」の一節から始まっている。
執筆者は、よほどこの問題を重視したのであろう。

城常太郎の労働運動は、なぜか、
大手一般紙でも大きく報道される事が多い。
おそらく、
演説会の開催に重点を置いた労働運動ではなく、
現場の実践活動に重きを置いた労働運動、
時代の流れに即応した労働運動、
さらには、労働者の生活ニーズや利益に直結した労働運動を、
全国規模で大々的に広めようとしていた
からなのかもしれない。

それはそうと、
明治の時代に、3万人もの会員を有する労働団体
があったことは、意外と知られていないと思う。
そして、その団体の司令塔が
靴職人・城常太郎であったことも。