新島襄




明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

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新島襄












『国民新聞』(明治23年2月19日付け)































































◎新島襄氏逝去・・・・・新島襄氏は客冬より持病の心臓病療養のため相州大磯なる百足屋方に滞留して加療中なりしが去る十六日頃より腹膜炎を併発しこの両三日前よりは病勢少しく差重りて見えたるよしの報ありしかば氏に親交ある府下の諸友人の如きは追々同地に赴きて看護介抱に手を尽くしたるも更にその効見えず一昨夜となりては殊に重体と覚しく殆んど一夜をも過し難き程に見えければ人々は大いに心痛し早速府下へ人を馳せて尚ほ両三名の国手をも呼び迎え治療看護怠る所なかりしが遂にその効無く昨二十三日午後二時二十分を以って長逝せし由。同氏が二十余年前維新革命の変漸く近づき内国の人心?沸の時に当たり決然志を立てて海外に遠遊せしより以来難苦備さに嘗めて今日に至るまでに我が日本の文明上に如何なる効益をあたえ又その将来に如何なる式範を遺せるやは既に世人の明らかに知る所なるが、氏にしてその志業の一半をだも尚遂ぐるに至らずして右の長逝を見るに至れるは深く社会のために痛惜すべき事にこそ。」

『東京朝日新聞』(明治23年1月24日付け)
























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