小村寿太郎




明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

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小村寿太郎





















小村寿太郎






















◎小村侯終焉/桂公爵は小村公爵の遺骸に涙をそそいで曰く『実に国家の大損害なり』
・・・・・前外務大臣公爵小村寿太郎氏は終に二十六日午前四時半暁の星冷たき頃湘南葉山一色の別荘において薨去せり。二十四日より二十五日午前における容態の少し佳良の徴候を示せしは将に消えなんとする灯火の一時光を放ちたるに過ぎざりしこそ果敢無けれ。
▲最後の一語
・・・・・十年の病気を意とせず国家のために尽したる小村侯も肺を病み脳を病みては再び起つ能はざるを自覚しけん。厳として病床に近づけざりし令息欣一氏?治氏等を二十四日以来枕頭に招いて何事か最後の言葉を遺さんとすれど意識依然朦朧として口言う事能はず二十五日正午よりは薬剤食事のえん下すら不可能となり脈たかく呼吸切迫し手足も得動かざる重態に陥りしが午後三時頃一回のカンフル注射効を奏して侯は不明瞭の低音ながら欣一氏に向かい『御所に御挨拶せよ・・・・・青山博士はマダか』との二語を発したれば近親の人々俄かに色めき立ち容態やや佳良なりなど取沙汰せしも甲斐なしや、午後四時十分青山博士の来診せる頃は危篤の度一層高まり遂に絶望の旨を言明するに至れり。
▲星消ゆる頃・・・・・されど意識の朦朧状態は二十五日十二時十分より持続して枕頭をめぐる人々に一るいの望みをあたへたるが二十六日午前一時の時計鳴る頃より全然昏睡状態に陥り脈拍は微弱となり呼吸切迫し角膜は反応消失して又昨日までのおもかげなく終焉の期いよいよ近づきたれば玉井、小村、酒井の三医師は午前四時令息欣一氏夫妻佐分利氏夫妻かつじ氏平山成信氏外近親三名外務省の本多書記官等を呼び起こし一同は右手八畳の座敷に鼠色縞?ルの寝衣を着し南を枕にして横たわる公爵の枕頭にめぐりて末期の水を手向くる内午前四時三十分東の空やや明るく松吹く風波の音に星一つ一つ消ゆる頃この一大外交家は安らかに、眠るが如く逝けり。
▲桂公爵の涙・・・・・かくて葉山の夜風波に明けてより別荘は俄かにどよめき渡り東京その他の各地へ電報電話にて臨終の旨を報ずると共に特に桂公爵の別荘へ特使を派したれば桂公は午前五時二十分取るものも取りあえず小村侯が終焉の室へ馳せ附け物をも言わずツカツカと其の傍に寄りジット冷ややかなる其の左の手を握って瞑目やや久しかりしが傍らに愁然として控えたる令息欣一氏に向かい「覚悟はしていられたろうが惜しいことをした誠に惜しいことに思うアンタ一人の嘆きのみでない小村を亡くしたのは実に国家の大損失である誠に惜しいことと思う」と言葉は唯是のみなれど数行の涙は遺骸に落ちて幽明無限の感をもよおすさしむ。侍坐せる欣一氏は力なく首をたれて語なく婦人たちにきょきする声ぞ松吹く風に哀れを添えたる。
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『東京朝日新聞』(明治44年11月27日付け)






































































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