西園寺公望





明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

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西園寺公望









































































































































































◎悲し・蘭香る静寂境/歴史の人眠る坐漁荘・・・・・かなしみに明けた二十五日新聞記者代表は特に許されて坐漁荘の庭園に足を踏み入れた。正門前に整列した記者等は?田清水署長の案内で数奇屋造りの小さな門をくぐる。打ち水された玉砂利、両側には綺麗な唐竹、玄関の軒に掲げられた「坐漁荘」の額を左に見て記者等は脇路伝いに裏庭へ出た。傷心の熊谷老執?が?折戸を開けて記者等を招じ入れた。間近に見れば見るほど小さな坐漁荘、これが巨人二十余年の余生を楽しんだ最後の安居であろうか。階下八畳の二間続きの居間と控えの室、縁に建てられたガラス戸の外に更に虫除け網の障子がはめ込まれている。そして西側の居間こそ、歴史の人の安らかに眠っているところである。虫除け障子を通してさだかに見えないが西園寺公遺骸は生前のままに南を頭にして安置されているのだ。向って右側に掲げられた大院君の書、棚の上に置かれた書籍など、西園寺公遺愛の品には整頓好きの慣わしによってすべて生前のままに整えられている。そして遺骸の床をめぐって畏き??の品々、蘭や草花が??たる香りを放ち公の輝かしい生涯の最後を飾っているのいだと聞かされた。八郎氏をはじめ遺族等が静に遺骸の側に待っているのであろう女中が一人、二人立居する姿が見えたが、それも、一瞬、あとは人一人動く気配も見えぬ静寂境。」

『朝日新聞』(昭和15年11月26日付け)






















































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