桂太郎




明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

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桂太郎





































































































































































































◎桂公薨去/今暁零時五分前/薨去発表は本日・・・・・
▲臨終前の容体・・・・・桂公の容体は其の後刻々危険に陥り十日午前の発表によれば体温三十八度七分脈拍百三十前後を算へたりしが午後にいたり体温四十度に上昇し正午頃には一時脈拍止まりて殆んど臨終の如き険悪の兆候を示したり。然れど一時咽喉部に支えたる喀痰の除去さるると共に再び旧態に復したるも症状依然として険悪に公爵の余命は最早数時間を出でざる可き摸様なりき
▲公終に逝く・・・・・かくて夜に入りては旧藩主毛利公爵を初めとし牧野外相、大島参謀次長、末松子爵夫人等の見舞いあり。新党領袖連は大石氏を除く外同邸に詰め切り又主治医吉本博士の外三浦博士は午後三時半より来邸し伊丹博士も亦夕刻より来邸して病床に付き切りたるが公の病症には危険の中にもやや緩和の状見えて幾分安静に趣きたるものの如くなりき。然るに時刻の進むと共に病状又復大いに険悪に陥り近親の看護も遂に其の効無く午後十一時五十五分に至り公は終に最期の息を引き取りたり。即ち山本秘書は同邸玄関に出で来たりて公が遂に十日夜半危篤に陥りたる旨を各新聞通信記者に発表し他に一語無くして暗然として内部に去れり。この時同邸には見舞い客も打ち絶えて唯女婿長島氏の車夫が憂ほし気に主人を待ち居るのみなりき。薨去の発表は多分今朝に至るならんと云う。」

『東京朝日新聞』(大正2年10月11日付け)





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