坂本龍馬



明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に変えようとした靴職人がいた!

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坂本龍馬

















坂本龍馬(中央)




















『坂本龍馬』(著者 千頭清臣)より






















坂本龍馬の大小刀
『坂本龍馬』(著者 千頭清臣)より






◎龍馬を斬った人・・・・・昨日上野公園見晴亭に開かれた史談会中、坂崎?氏は維新の英傑坂本龍馬につきて語って曰く。龍馬は当時の志士中でも幕府要路の人とは深く関係があった。龍馬がはじめ将軍の師範役志田歌之助の道場に柔道の立会いを乞うた時、苦もなく負けて気絶したがごうも屈せず続いて激烈な立会いをして又気絶した。更に挑んで引組んだまま道場から転がり落ち泉水の汀に組み敷かれて気絶した。息を吹き返すと今度は四度めの立ち合いを乞うたのを志田が止めたが併し志田の龍馬の精力の絶倫なのを嘆賞して親交を結んだ。又龍馬は大久保一翁とも親密であった。攘夷論の盛んな時、龍馬は一翁に会して横浜居留地を焼はらって攘夷の旗幟を明らかにしたいという。一翁は幕府おとろえたりといえども焼はらいぐらいはできる。だが焼はらった後の始末はどうするかと詰る。龍馬はその卓見に感じて去ったが一翁も龍馬の気概に感じて越前春嶽公に推挙した。その後薩長連合の成り立って翌日龍馬は三好慎蔵を連れて一翁を大阪城に訪うた。一翁はあたかも幕府から龍馬を召し捕れとの命を受けた時で、大いに驚いた。今ここにいてはお前の命がない、私も迷惑だから早く去れといって龍馬と三好を逃したほどである。」

『万朝報』(明治43年2月14日付け)







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