山川均


明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に
変えようとした靴職人がいた!
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「◎山川均氏(社会運動家)・・・・・二十三日午前六時七分、東京都大田区雪ケ谷七三六の長男振作氏方で胃ガンのため死去。七十七歳。告別式の日取りは未定だが、社会党葬となる模様。岡山県倉敷市出身。同志社中学中退後、明治三十年上京して社会運動に入った。同三十三年「青年の福音」に執筆。不敬罪で禁固三年六月の刑を受けた。同三十九年日本社会党に入り、大正七年労働組合研究会を組織。同九年日本社会主義同盟幹事となり「社会主義研究」「前衛」を主宰して論文を発表。とくに同十一年六月の「前衛」に発表した論文「方向転換」は第一次共産党時代、山川イズム、と呼ばれ問題を投げた。同十二年共産党を離れ、昭和六年第一線からの引退を声明した。同十二年人民戦線事件で検挙、懲役五年を求刑されたが、未決のうちに終戦となり釈放。同二十一年民主人民連盟議長となり二十五年の社会党分裂に際しては左派に入党。理論的指導者となったが、三十年の統一後は平党員として、むしろ部外に対する評論執筆で活動した。著書に「日本民主革命論」「日本社会主義運動史」「ある凡人の記録」などがある。」

『東京朝日新聞』(昭和33年3月23日付け)
















写真(右)は検挙された堺氏(左)は山川均氏(中は佐野氏)



「◎社会主義者大検挙・暗殺や赤化運動・軍隊や学生の間に主義宣伝の計画発覚・早大教授とも連絡か・・・・・
◎軍隊の一部と連絡か・判検事豊多摩刑務所に急行して収容中の石黒の配下を引致・・・・・
◎大杉と呼応し共産党の組織巧みな口移し宣伝法・司法省大官談・・・・・
◎戸を鎖して堺氏の家宅捜索・刑事大勢張り込み何人も門前払い・・・・・
◎山川氏宅には刑事二十名出張・探査一時間半に亘る・山川氏は岡山に帰郷中なので直ちに逮捕方電命・・・・・
◎判検事早大に臨検・恩賜館内の両教授研究室に長時間隈なく捜査す・・・・・
◎佐野、猪俣氏等家宅捜索さる・慶大の野坂元講師も・佐野氏は数日前から行方不明・・・・・
◎検挙八十名・堺氏等十六名には令状執行・・・・・
◎確かな実証で断行したもの・自信ある態度で・水野内相語る・・・・・
◎各方面続々家宅捜索・山川均氏や高津等一味・・・・・
◎校規により或いは処断する・両教授に対する方針・高田総長談・・・・・。」


『東京朝日新聞』(大正12年6月6日付け)