井上馨


明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に
変えようとした靴職人がいた!
クリック↑(トップページ)


















「◎井上馨侯薨去・・・・・過般来病気の為興津別荘にて静養中なる井上老侯は日々主治医静岡病院長柴医学士の往診を受け又時々東京より土井博士、吉本博士往診し居たるも何分老体のこととて治療捗々しからざりしが三十一日午後に至り急に重体に変じて発熱三十九度七分に上り漸次嗜眠状態に陥りしより家人は非常に驚き東京本邸に急報すると共に一方赤十字病院副院長吉本博士及び主治医柴氏等急行したるが一日は朝来体温漸次下降し三十七度四分に減じ脈拍百ないし百二十を算し尿毒症心臓衰弱の微を認め平井赤十字病院長は急電を受けて一日午前沼津に急行し鎌倉別荘にありし土肥博士も一日一番列車にて興津井上邸に向かいたるが侯の病症は午前十時俄然心臓衰弱の為昏睡状態に陥り頗る危篤となり十一時に至りて遂に薨去せり。享年八十一(興津電話)」


『大阪朝日新聞』(大正4年9月2日付け)


























『東京朝日新聞』(大正4年9月2日付け)



























『東京朝日新聞』(大正4年9月5日付け)