西川光二郎


明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に
変えようとした靴職人がいた!
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西川光二郎(右)、堺利彦(上)、石川三四郎(下)、幸徳秋水(左)

『東京朝日新聞』(昭和3年9月10日付け)

















「◎西川光二郎氏・・・・・往年の社会運動家として知られた杉並区阿佐ケ谷一ノ六八八西川光二郎氏は二十二日」午後十一時死去した。享年六十五、告別式は二十七日午後一時から二時まで自宅で行われる。同氏は兵庫県淡路の産。東京専門学校(早稲田大学の前身)在学中から社会主義運動に入り、片山潜氏等と共に雑誌「労働世界」「社会主義」を発行したが、転向後「自働道話」の主筆となり、また孔子学会の会長として著述に講演に国民修養を説いていた。」

『東京朝日新聞』(昭和15年10月25日付け)

















「◎西川光二郎逝去(広告)」

『東京朝日新聞』(昭和15年10月25日付け)


























「◎社会民主党組織・・・・・安部磯雄、片山潜、河上清、幸徳秋水、木下尚江、西川光二郎諸氏は一昨日本石町鉄工組合本部に集会し社会主義を取る政党組織の事を協議したるが其の名称を社会民主党と称し近々宣言綱領を発表することに決定したり。」

『東京朝日新聞』(明治34年4月30日付け)