日本で初めて労働組合をつくった男


 明治おもしろ雑学集




ビゴー作 号外売り







『THE FAR EAST』
ザ ファースト エアプレイン フライト
 オーバー ザ シティ オブ トウキョウ










『THE FAR EAST』









明治時代の空中観覧車
『風俗画報』











フキヤ
『THE FAR EAST』










ストローレインコート
『THE FAR EAST』



ビゴー作

帝国議事堂の門前で議員を見張っている壮士




数寄屋橋御門(風俗画報より)


★明治時代の歴史雑学新聞記事



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「◎鼠小僧の罪状・・・・・鼠小僧次郎吉の出生地は今の日本橋区人形町通新和泉町内田という酒店の裏に住居たる酒井町中村勘三郎出方集目定という者の倅なり。成年の後は八丁堀辺へ世帯を持ちしものと見えたり。鼠小僧次郎吉は幼年の頃より手癖がわるく追々増長して文政年中に入牢吟味の上入墨追放の刑罰を蒙りたれど、尚改心せず所々にて盗みを働き遂に天保三年五月五日夜中浜町松平宮内小輔屋敷へ忍び入りたる際召捕られ同十日町奉行へ差出し悉く取り調べの上同八月十九日浅草において獄門の刑に行われたりという。
申渡の写し
八丁堀無宿
異名次郎太夫事
入墨 次郎吉
辰三十七歳
其の方儀十ヶ年以前未の年以来所々武家屋敷二十八か所度数三十二度塀を乗り越え又通用門より紛れ入り長局奥向へ忍び入り錠前をねじ開け或いは土蔵の戸を鋸にて挽き切り金七百五十一両一分銭七貫五百文程盗み取り遣い捨てし義を武家屋敷へは忍び入りし得其盗み不得し被召捕し趣きにて数か所盗み致し義を押し隠し博変致し旨や立其の科に依って入墨中追放に相成りし処入墨を消し落とし尚悪事不相止猶又武家屋敷七十一か所度数九十度前同様の手続きにて金二千三百三十四両二分銭三百七十二文銀四匁三分盗み取り右体お仕置き相成りし前後の盗みは都合九十九か所度数百二十二か度の内屋敷名前失念又は不覚或いは金銭不得盗所も此有し得其の凡その金高は三千百二十一両二分銭九貫二百六十文銀四匁三分内金五両銭七百文は捕り捨て其の余は残らず酒食に遊興又は賭博に遣い捨てし始末不届至極につき引き回しの上獄門に行うものなり。
この鼠小僧といへる者は窃盗ばかりにして強盗殺人罪は犯さざりしと見えてか渡中に其の事なし。おそらくは講談落語の妄説府会なるべし。」

『東京朝日新聞』(明治32年11月25日付け)





明治33年
明治34年

「◎海外新話・・・・・▲死時の快楽・・・・・近頃米国の医学者等が人の死するに臨んで心の苦痛又は肉の苦痛、或いは両つながら併せ感ずるや否やと云ふの問題に就き研究したる所によれば、人の死時は一般に信ぜらるる如く苦痛を感ぜらるのみならず、却って一種言ふ可からざるの快楽を覚え、半醒半睡夢みるが如く、心浮ぶが如く、平生の有象無象を忘れて言ふ可からざる興味あり、病床に死する時も戦場に死する時も溺れて死する時も凍えて死する時も、その快感は相同じくして、自然は人の最後に不可思議の喜悦を與へて生涯の苦悩を忘却せしめんとするの意あるが如しと云ふ。これ医学者らが殆ど死して復た蘇へる幾多男女の実験に徹して斯く決定したるにて、死時の快感の甘美なること、医術その他によりて今将に最後の息を引き取らんとする者を喚び活かせば、患者は必ず怒りを発する程なりと云ふ。」
『人民』(明治34年11月23日付け)



明治35年
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◎写真、演説をなす・・・・・米国の有名なる発明家エジソン氏は此の程蘇音器と写真機とを共用して演説者の姿態、音声をそのまま再現せしめ、以って世人の耳目を驚かせんと大いに意匠を凝らせし由なるが、終に首尾よく右の新発明を成し遂げたりとの報あり。今この手順の大略を聞くに、先ず二個の小器械を演説者の傍に装置する訳なるが、その一つは蘇音器なり。他の一つはこれぞ氏が新に工夫を凝らしたる写真器械にして、即ち之に依っては一秒時間の八分の一より二十分の一までの極々僅少の時間を隔てて絶えず演説者の態容を写真する都合なり。かくして演説果てたる後はこの器械を何処に移すとも容易にして、又た何時にても弁者の身振り、口調、態度の有様、演説の文句等剰まさず再現せしむるを得べし。写真は精妙の仕掛にて屏風の如きものの上に顕はさるることなるが、その引き続き顕はるる写真と写真との間は素より目に見えざる程の時間に過ぎされば、即ち屏風上の写真は実に活動して演説をなし居るが如く見ゆるなり。殊に氏はこの写真の示し居る演説中の身振りと蘇音器より伝ふる演説の言葉とあたかも同時にあらしめんことに注意したれば、今は宛然写真活動して演説するの観あり。これを見る者をして実際演壇の下に来て弁者に接するが如き想はらしむと云う。この新器械の売買代価は未だ定まらざる由なるが、兎に角代価も亦た人を驚かすことならん云々と。」

『郵便報知新聞』(明治23年4月7日付き)









◎外人我が加算に驚く・・・・・我が国の珠算加算の速やかなることは常に外国人の賞賛する処なるが、此の程英蘭銀行の支配人は正金銀行ロンドン支店書記の加算により簿記の〆高を作りしに、其の速やかなる事英人一ページを作り得る間に日本人は四ページ半を作りければ大いに驚き、支配人某は其の弟を日本に渡航せしめてその術を修めしめんと他の人々にも語り、遂に四五名は日本に渡来する事となり、既に英公使館に学校選定方を頼み越したりという。」

『やまと新聞』(明治24年2月5日付き)







http://roudouundoumeiji.com/P1080643.JPG

「◎号外売・・・・・、、、車夫、人足、タチンボウの徒はわざわざ転職して
号外の売子となるもの多しという。、、、八百八町を駈け回り
「号外、号外、局面一変の号外、危機一髪の号外、時事新報第二の大号外」と
呼び叫ぶものは即ち是れなりとす。」

『時事新報』(明治27年7月25日付け)









◎日本医師の新発明・・・・・ロンドンよりの報によれば、目下コペンハーゲンの血精院に勤務し居れる日本の医師野口氏はガラガラヘビの毒に対する血精を発明したり。右の血精は山羊の血より得る由なれども、多分他の血精の如く馬よりも取り得るならんという。氏はこの血精を用いて動物試験を施せしによく生命を奪うに足る分量十二倍の毒に勝つの力あることを知り得たりと。」

『万朝報』(明治37年8月26日付き)




◎馬、元の飼い主を慕ふ・・・・・荏原郡大井村字立食五千三百十一番地馬車運送業石黒亀太郎方にては、昨日午前二時ごろまでに繋ぎ置きし愛馬一頭が何れへ行きしか、其の姿の見えざるに気づき、さては馬泥棒が盗み去りしかと直ちに同村の巡査派出所へ訴えるなど大騒ぎに及びたるが、この馬は南品川二百三十一番地同業岩田勝五郎が其の以前飼い置きしものなりしに、馬は旧飼い主を慕いしものか、其の姿の見えざりしは泥棒の所為でもあらず、全く其の馬自身にて抜け出でし、四時三十分ごろ勝五郎方の前に至り、前足にて表の戸を叩きつつ、しきりに、いななきけるより、勝五郎は不審に思い起き出でて見れば、去年八月まで飼育せし馬なるより、早速秣(まぐさ)など与えて亀太郎方へ通知し、双方品川警察署へ届け出でて馬の引渡しを済ましたりと。」

『万朝報』(明治33年11月18日付き)






◎ベースボールの起原・・・・・米国の遊戯なるベースボールの起原は今明らかに之を知る能はざるとも、ベースボール倶楽部は千八百四十五年ニューヨークに設けられたるものを嚆矢とす。それより其の数次第に増加して千八百五十七年には十六個の倶楽部代表者ニューヨークに会合したることあり。更に十年の後には二百二個の倶楽部より各代表者を出して大会を催したることあり。学校のベースボール会は千八百六十二年に起こりたるを始めとす。ベースボールの競技を職業となすものあるに至れるは千八百六十八年よりの事にして、第一回の競技は千八百六十九年に催されたりという。」

『万朝報』(明治34年8月2日付き)






◎配乳生投稿・・・・・僕が午後空瓶を集めに廻るとイヤハヤ何処の奥様も昼寝してござるが、面目なくって此方で顔を背向けますよ。」

『万朝報』(明治31年8月11日付き)






◎清国人と結婚・・・・・日清間今や戦闘最中にして、其の敵国人と婚姻を許すや否やはここに一の疑問なりしが、去る十一日神奈川県高座郡鶴嶺村小島千代松の姉まきと横浜居留地十六番館清人薫早成と結婚の旨を届け出しに、我が内務大臣は許可したり。」

『万朝報』(明治27年8月15日付き)






◎日清戦争菓子・・・・・機に応じるが商人の虎の巻ともいうべき横浜太田町四丁目の港月堂にては、先頃より義戦おこし、勝戦餅(かちせんべい)、分捕落?の三種を売り出したる所、非常の好評を得て製造も間に合わぬ程の繁昌なりと。」

『万朝報』(明治27年10月21日付き)






◎百七歳の老婆・・・・・府下南足立郡江北村の農、清水喜太郎が祖母登和といえるは、天明八年十月九日の生まれにて、十九歳の時喜太郎の祖父治右衛門に嫁し、三男二女を挙げ今年長男直次郎七十九歳、長女春七十一歳、二男鉄次郎六十九歳、二女糸六十五歳、三男勘九郎五十九歳にして各自壮健家業に従事し居る由にて、登和は今に杖も持たずに歩行し、新聞を読むにも眼鏡を用いず、常に人と語るにもにこにこと笑いを湛え、終始端座して倦怠たる色もなしという。目出度き人かな。」

『万朝報』(明治27年6月12日付き)






◎日清戦争の真似・・・・・一昨日午前十一時頃浅草馬道町四丁目公立浅草小学校において、生徒の運動中日清の二組に分かれて打ち合いを始めしが、忽ち入り乱れて芝崎町松雲院の野々布元雄(十二)は頭を斬られ、松清町門跡末寺の忰覚了(十三)、馬道町八丁目の大瀧某(十四)等是亦多少の傷を負いしより、教員は非常に当惑し居る由。」

『万朝報』(明治27年7月5日付き)






◎アイノ義献・・・・・北海道勇佛郡?川村字上カナイ古潭のアイノ四名は先年、陛下御巡幸の際賜りたる金子あるを幸い、其の内より金一円を義献したるよし。」

『万朝報』(明治27年9月18日付き)






◎議員ピストルを携え議場に入る・・・・・予算委員の中にて重立たる某氏は議場に在る時も猶ほ護身のためピストルを携帯し居るにぞ。院内にてピストル議員とあだ名する者ありとぞ。」

『読売新聞』(明治24年1月11日付き)





◎市中のインフルエンザ・・・・・インフルエンザ流行のため最も影響を蒙りしは市中の湯屋なり。湯屋業のものは大晦日よりかけて、お捻り紙の余得あるのみか、松の内は殆んど釣銭を出さず其の上御祝儀をもらう事少なからざるに、今年はかのインフルエンザのため浴客常の三分の一程に減じ、収入は例年の五分の一にも及ばぬ概況なりという。」

『読売新聞』(明治24年1月15日付き)





◎インフルエンザ流行のために梅干の騰貴・・・・・インフルエンザ流行以来、梅干の売れ行き非常に増加し、昨年の暮れより三割方以上の騰貴なりと。然して品薄の漬物屋などでは最早売りつくしたる所もある由。」

『読売新聞』(明治24年1月23日付き)





◎焼場の繁盛・・・・・目下インフルエンザより変症して死する者多きゆえか、日暮里、落合、桐ヶ谷等の火葬場にては、昨年コレラ流行の際よりも余程忙しいとは、聞くもいやな話なり。」

『読売新聞』(明治24年1月26日付き)







『読売新聞』(明治24年1月26日付き)





◎インフルエンザの種子・・・・・目下世界を蹂躙せるインフルエンザ点検のため、ロシア地方に派遣されたるフランスの医学博士テツシイル氏の報告によれば、インフルエンザの発生地は全くロシアに相違なく、同国北部の人民は皆な冬に至れば暖かく密閉したる家の内に群居し、且つ地勢平坦にして水排悪しく、四月の雪解けに会する時は一般に泥水の内に蒸され、田園村落不潔にして、落ち積もり腐敗したる木の葉の上に俄かに川河溢れて之を漂はす等、これ皆な病の根源にしてインフルエンザの原子は多くこの泥土の中に発見さるるなり。テツシイル氏はこの原子を名づけてストレプソウ、バシルスと呼べり。然るに又同地方の池沼汚水の内に生ずる肺炎の原子プニユモコツキユス、パシルスというものと右のストレプソウ、パシルスとはさながら親族同盟者とも称すべきものにして、必ず二者相伴い居り、ストレプソウ先ず人体の機関に取り付く時は従ってプニユモコツキユスの侵入すること恰もかの軍兵の後ろには本陣の従うに異ならずといえり。」

『読売新聞』(明治24年2月11日付き)





◎電燈人を驚かす・・・・・今は昔、徳川の流れ濁りて世は乱麻の如くなりければ、白昼提灯を点じて大道を闊歩し、以って世の暗黒を照らすありと、壮言したる慨慷悲歌の士ありたることは今も人の耳目を照らして能く知る所なるが、天下泰平の今日、公議輿論によって政をなすの時に当たりて日月猶ほ暗しと諷しするわけにはあるまじきに、江戸の真ん中しかも京橋区木挽橋の北詰に、昨日午後二時ごろ電燈閃々として路に当たって輝くを見しは何等の怪事ぞ、さなきだに議院焼失以来人々戦慄して電燈の危険を感じたる折とて、一時は近隣の騒ぎを起こし、甚だしきは火の色が蛍の如くに青しとまでに言い触らしたる臆病者もありしとか。よもや電燈会社において白昼光力の試験をしたるにはあらざるべきに、この間違いは何事ぞ。」

『読売新聞』(明治24年2月9日付き)






◎不眠病治法・・・・・は夜中寝床に入る際、手巾を冷水に浸し、軽く絞りて之にて両目をおおい床に就くなりと。」

『国民新聞』(明治24年9月9日付き)






◎代金引換小包郵便・・・・・逓信省においては今回、代金引換小包郵便なるものを始め、昨日その規則を公布せり。即ち郵便局において代金引換に小包郵便を受取人に渡し、しかして差出人へ為替にてその代金を届くるものにて、その方法は差出人において小包郵便を某所に送り、かつその代金を取らんとする時は代金額を小包送票に記して捺印し、普通の小包郵便の外に手数料として五銭を払ふて差し出すなり。しかるときは届け先の郵便局においては差出人の宿所氏名及び代金並びにその為替料を受取人に通知すべし。受取人その通知を受けたる時は該
郵便局に出頭し右の為替料及び代金を差し出して郵便物を受け取るものなり。しかして届け先の郵便局よりはその旨差出地の郵便局へ返報あり。差立局にてはこれによりて差出人に代金到着の旨を通知すべし。差出人この通知を受けたる時は該郵便局に出頭して為替証書を受け取り、更にこの為替証書にて現金を受け取る手続きなり。尤もその代金は三十円以内に限り、かつ小包郵便と郵便為替とをあわせ取り扱う郵便局ならでは取り扱はず。しかして右は来十一月一日より実施せらるるものなり。」


『東京朝日新聞』(明治29年9月22日付き)









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