樋口一葉


明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に
変えようとした靴職人がいた!

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「◎うらわか草・・・・・青年文士の団体を以て夙に世に聞こえたる文学界雑誌社にては従来発行の「文学界」の外に「うらわか草」という雑誌を四季に一回づつ発行し前者には多く通俗体のものを載せ、後者には小説、随筆、論文、韻文等のやや清楚高調なるものを集めんとし、その第一号は本月下旬を以て発行す。一葉、花圃、禿木、藤村など之が陣頭にあらはるべし。。」

『東京朝日新聞』(明治29年5月22日付け)

















「◎一葉女史逝く・・・・・女流の小説家として遒勁の筆重厚の想いを以て名声文壇に嘖々たりし一葉女史樋口夏子は予て肺患に罹りをりしが遂にこれが為め去る二十三日午前十一時を以て?を易へたり。享年僅かに二十有五。」

『東京朝日新聞』(明治29年11月26日付け)


















「◎故一葉女史の法会・・・・・故樋口一葉女史の第十七回忌が二十三日の午後築地の本願寺に執り行われた。五十畳敷もあろうと思う広い書院の中央に壇を設けて女史の写真を飾り其の左右には幸田成行氏寄贈の菊の生花を始め副島八十吉氏、岡田八千代女史等から贈られた数々の花籠が美しい色を競うている。窓の外にはサザンカの花が?れて時雨の晴れ間を明るい日の光が射して来た。一時半頃馬場孤蝶氏が例の快活な調子で入ってきたのを始めとして紋服白足袋の半井桃水が施主の邦子さんと長々しい挨拶を交わしている。佐々木信綱博士や柳川春葉氏、大野酒竹氏、大橋乙羽未亡人等大分知名の士が揃うたころ本堂に移って笙、笛、鼓、歌の間に荘重なる読経の式があり三時過ぎ再び書院に帰って記念の撮影をしたが、式後談話に移って馬場孤蝶氏の趣味深き故人追懐談があり記念として新たに編纂された「一葉歌集」と記念の菓子とを会集一同にわかち散会したのは四時過ぎであった。」

『東京朝日新聞』(大正元年11月24日付け)























左から三宅花圃女史、一葉女史の妹樋口邦子、馬場孤蝶、戸川秋骨、内田魯庵の諸氏

「◎一葉女史のお逮夜・・・・・樋口一葉女史が亡くなってから、今年が二十七回忌に当たるので逮夜の二十二日午後五時から、遺族の人々は文壇初め故人の知友、縁者を神田一つ橋の如水館に招いて宴を張った。五十余名来会、馬場孤蝶氏が遺族に代わって挨拶を述べ、『故人は非常に客を迎えることが好きで、私なども朝九時から夜十一時頃まで話し込んだ記憶もある』と当年を回顧し、来馬琢道、田中智学、副島八十六氏などが追憶や感想を述べ、別室で又白菊の香に、面影を忍びつつ話がはづんだ。」

『東京朝日新聞』(大正11年11月23日付け)