石川三四郎



明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に
変えようとした靴職人がいた!
クリック↑(トップページ)








西川光二郎(右)、堺利彦(上)、石川三四郎(下)、幸徳秋水(左)

『東京朝日新聞』(昭和3年9月10日付け)






















「◎石川三四郎氏(日本アナーキスト連盟会長)・・・・・二十八日午前十時四分脳軟化症のため東京世田谷区船橋町七七四も自宅で死去。八十歳。明治三十六年幸徳秋水、堺枯川らとともに「」平民新聞」に加わり入獄二回。大正二年日本を脱出、ベルギー、フランスなどに八年間亡命した。昭和初年アナーキズム運動をはじめ、戦後も日本アナーキスト連盟に参加した。葬儀はとりやめ、二十九日午後二時自宅から出棺の予定。」

『東京朝日新聞』(昭和31年11月29日付け)

























向かって右から石川三四郎氏、秋田雨雀氏、堺ため子夫人、
眞柄嬢、堺利彦氏、高津正道氏、佐野学氏


「◎堺老の全快祝い・・・・・昨年の暮れ兇漢に刺された社会主義のの元老堺利彦氏が『悪運強く』も全快したのを祝賀するための会合が十二日午後五時半から京橋区第一相互館内東洋軒で催された。何がさて集まる者は無産階級の青年たち。、、、」

『東京朝日新聞』(大正12年3月13日付け)