西村茂樹



明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に
変えようとした靴職人がいた!
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「◎西村茂樹翁の薨去・・・・・今春来肝臓癌に罹り向島なる自邸に静養中なりし文学博士西村茂樹氏は療養効なく一昨日午後七時四十八分七十五歳の高齢を以て?然薨去されたり。葬儀は来る二十二日湯島麟祥院に於いて仏式を以て営む由。」

『東京朝日新聞』(明治35年8月20日付け)




















『東京朝日新聞』(明治35年8月20日付け)

















「◎文学博士西村茂樹氏略歴・・・・・正三位勲一等文学博士西村茂樹氏は旧佐倉藩の士。文政十一年三月江戸に生まる。幼にして文武の業を学び後儒学を安井息軒大槻磐渓に西洋兵学を佐久間象山に蘭学を手塚律蔵に仏学を原坦山に学ぶ。
▲氏は夙に開国説を懐き嘉永年間使節ペリーの来たるに際し老中阿部正弘に上書して大いに国事を論じたることあり。尚洋行を思い立ちて幕府に請願する所ありしが藩老のために支えられたり。時に齢二十六支藩佐野の重役たり。
▲後、慶應三年十月に至り徳川慶喜公に上書して時事を論じ尚紀州より幕府の親藩及び譜代諸侯の重臣を招きて国事を諮問せし際藩命によりて江戸に上り幕府のため三策を献ぜしことあり。
▲明治元年四月岩倉輔相に上書して弭兵の事を勧めしが省せられず同二年衆議院に上書して官を免ぜられ三十三年二月宮中顧問官を免ぜらる。氏が明治九年以降弘道会に就いて現したる功績は普く世人の知る所なるを以て之を贅せず。」

『東京朝日新聞』(明治35年8月20日付け)