片岡健吉


明治のころ、本気でこの国を「働く者の楽園」に
変えようとした靴職人がいた!
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「◎片岡健吉氏逝く・・・・・今春来病に臥し近来高知にて療養中なりし衆議院議長片岡健吉氏は遂に昨夜を以て逝去せり。昨日危篤の報天聴に達するや午後四時ごろ特に左の御沙汰ありたり。
衆議院議長片岡健吉
叙正四位(特旨を以て位記を賜ふ)
叙勲三等授旭日章

◎片岡健吉氏略歴・・・・・氏は天保十四年十二月を以て土佐国高知に生る。文久三年二月土佐、吾川、長岡三郡の奉行仰付けられ明治元年東征の際藩兵大監察として東山道より進み各地に転戦し若松城を陥れ凱旋す。同年十一月藩の軍政局参謀に任ぜられ、四年太政官の命を受けて海外に渡航し米国より英国に行きロンドンに止まること一年パリを経て帰朝す。六年海軍中佐に任じ本部課長心得を命ぜらる。七年征韓論破裂の時冠を掛けて野に下り高知立志社を起こして之が社長となり板垣伯と共に民選議員設立の建白をなし大いに自由民権の思想を鼓吹す。十二年高知県会議員及び議長に推され十四年同志を糾合して自由党を組織す。二十年保安条例に触れて東京退去を命ぜらる。二十三年高知県第二区より推されて衆議院議員となり爾来引き続き今日に至る。第五議会全院委員長に第六議会副議長に第十二議会以来議長に挙げられ、又三十五年京都同志社社長兼校長に推さるる等頗る徳望高かりしが今や不幸にして逝く。痛むべし。年五十九。」

『東京朝日新聞』(明治36年11月1日付け)