日本で初めて労働組合をつくった男


尺八のヒストリア







『THE FAR EAST』
















『風俗画報』(東陽堂発行)

















ビゴー作

「虚無僧」






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 ◎尺八と瓦七の打ち合い・・・・・さる八日夜小石川区小日向水道町大日如来の縁日に尺八、笛類の露天を出し居る麹町区?田町五丁目二十三番地岩澤庄兵衛(五十一)より一本の尺八を買い求めたる若者ありしが、間もなく音色が悪しとて戻しに来たりたるより、庄兵衛大いに憤り、縁日商いに買い戻しがあってたまるものかと双方の大争論になりしを、横合より背に瓦七と染め抜きし印半纏を着たる野次馬が飛び込み、双方から押し戻されて中間にまごつき居る件の尺八を追取って庄兵衛の後頭部を骨も砕けよと喰らはせ二寸余りの大傷を負わせて其のまま何処ともなく逃げ失せしを、着ている印半纏が証拠となって昨朝小石川警察署に取り押さえられ調べて見れば牛込区弁天町十二番地瓦七事伊賀繁右衛門長男定吉(二十二)という向ふ見ず

『万朝報』(明治34年3月11日付け)






 ◎壮士的乞食・・・・・高下駄に猟帽、尺八を吹いて門頭に起つもの多し。壮士乞食に化したる乎。乞食壮士に化したる乎。」

『中外商業新報』(明治24年3月27日付け)






 ◎普化僧・・・・・名古屋地方において普化僧の真似大いに流行するよしなるが、近頃東京市内にも同様尺八を吹き鳴らし人の門戸に憐れみを乞ふ者続々発生し、その風体高履に獵帽といふ壮士出で立ちなりと。

『中正日報』(明治24年3月27日付け)






 ◎尺八の流行・・・・・昨今書生社会には尺八が流行し、小川町辺の下宿屋にては鶴の巣籠りならずして鳶の巣立ちの如くピーピーは近所の迷惑やるかたなく、不平を鳴らし居る者もありと。

『やまと新聞』(明治24年6月13日付け)






 ◎二市談(東京と大阪)二十三階堂・・・・・、、、今試しに乞丐となって東京市中を行脚して見よ。尺八笛を吹きて少しく其の道を経験せし者ならば、江戸前の地の片側町一遍あるきて十銭十五銭のもらい溜は容易なるべし。是れを軒別に正せば、五厘くれる家もあり三厘くれる内もあり、まれには一銭ぐらいの報捨をする家もあるべしといえども、門並百軒が百軒ながらくれるにあらずして、其の内三十軒及至四十軒なる恩家を平均して十銭以上の集銭ありと聞けば、江戸前一個の軒が三厘以上をあたえずして三十秒の音楽を聞き捨てにするものにあらざるを知る。然るに今是れを大阪市中の目ぬきとせる船場、島の内、土佐堀、道頓堀等における数代富限の商家にして、いらが高く軒ひろく?頭に五七人の頭数の並ばる前に立ちて、一トしきり音色を改め六十秒の(上方地方が関東に比して門附を賞かんするの時間の如何に長きを実験せよ)丹青なぐさまれて報捨一厘より多からざるものに比較せば直ちに以って東西の二大都会が市の体面に関して金銭を散ずるの多きと少なきをぼくするに足るべし。、、、」



『国民新聞』(明治26年5月7日付け)










◎明治四年の今日普化宗を廃す。



『国民新聞』(明治25年10月28日付け)















 ◎荒木竹翁・・・・・文政五年三月江戸に生まる(七十七)。加藤能登守(藪加藤)の家臣荒木亀三郎の第三子にして通称を半三郎という。幼より尺八を好み幕臣横田筑後守の父五柳に就いて之を学び、長ずるに及び虚無僧となりて市中を徘徊し、一日日本橋を過ぎて一の虚無僧に遭い、其の名を問えば斯道の達人豊田古童(通称勝五郎)なり。乃ち之を師として本曲外曲を学び、古童の死後其の号を継ぎて古童と称し、爾来斯道の泰斗と称せらる。近年古童の号を其の子新之助に譲りて竹翁と改め、浅草区新片町三番地に住せり。」


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『万朝報』(明治31年10月13日付け)























 ◎荒木竹翁逝く・・・・・尺八の名人としてその名を知られたる荒木竹翁は旧?胃及び心臓を病み治療中、今春に入りてやや快方に向かいしが、本月十九日より稽古を始めんとて去る十四日床上に起き直り東獅子の譜を認め居る中、俄然卒倒して人事不省となり脳溢血症のため昏睡の状態を続け十七日午後十一時四十分浅草区今戸町二一の邸宅にて八十八歳を一期として永眠したり。明二十日午後二時自宅出棺浅草区松葉町梅禅寺において仏葬するよし。翁の妻はお久美(六十五)といい長女お亀(三十五)は赤倉氏に嫁し二女お巻(三十三)は太田氏に嫁し長男真之助氏は三代目古童を襲ぎ三女お竹(二十六)は商船学校教授市村富久氏に嫁ぎ居れりと。

『万朝報』(明治41年1月19日付け)


















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